日蓮主義というよりも

 近代国家大日本帝国が海外拡張し破綻していく過程での「日蓮主義」が果たす特別な役割は結構強調されるところであるが、この時代、もっと広範に宗教的なもの、オカルト的と言っていいものが暗躍している。これは日本に限ったことではなく西洋世界でも理性的なものに対する信頼が失われ、シュタイナーの人智学のように神秘性を帯びたもの、カルトと言って良さそうなものへの傾斜が思潮として生まれているという。ナチズムにしてもオカルト的な自然観はよく言及されるところだろうし、洋の東西を問わず神秘主義への接近はグローバルな普遍性をもっているようだ。

「同時代の日本では、宮沢賢治の思想にシュタイナーとの共通性がみられる。生前は無名であった賢治の作品は、日本がファシズムへと傾斜する時代に広く読まれるようになった。」(安冨歩『複雑さを生きる』岩波書店2006年、p.173)

 賢治の思想についても国柱会・田中智学への傾斜はよく言及されるところであるが、日蓮主義として特殊化するよりもむしろ神秘主義的思考のひとつの方向として見た方が案外自然なのかもしれない。

 明治という急拵えの近代が様々な矛盾を抱えながらふ東アジア全域を巻き込んだ侵略戦争へと暴走し始めるこの時代、民衆の間には雑多な宗教が流行り始める。幕末から明治にかけて日本の近代国家が進展していく過程において黒住教、天理教、金光教、丸山教、大本教など様々な神道系の民間宗教が猖獗を極めたのはすでに述べたが、大正期から昭和にかけては都市民を主要対象として国柱会、霊友会、創価学会など日蓮宗系の宗教が勃興した。大本教から分かれた生長の家が活動を始めたのも昭和の初めだった。

 「理由がなければ、なにものも存在することができない。ライプニッツはそう考えた。理由の原理が破れ、例外が生じたとき、人間は「途方もない恐怖」に襲われる。根拠(Grund)が存在しても、究極の根拠には根拠がない(grundlos)。ベーメ以来の表現によるなら、「究極の根拠[Urgrund]」は「無底[Ungrund]」である。世界には底が欠けている[grundlos]。」(熊野純彦『西洋哲学史 近代から現代へ』岩波新書2006年,p.191)

 この当時、田舎の人口過剰な農村からいまだ不安定な労働の自由市場しか提供できない都市へと放出され始めた民衆にとって、世界はまさに底が抜け落ちそうな不安に満ちあふれたものだったろう。この時代の夥しい新興宗教の展開はこのような事情を背景としている。

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