適当に文字を打つ

精神が弛緩している。張り詰めた緊迫と対極にいる。眠気はないが頭のエンジンの調子が悪い。情報処理に時間がかかってしょうがない。情報の入力も主力も時間がかかる上に不正確だ。

何か胸につかえる切迫した感覚があるわけではないが、手が自然に動くうちに文章に起こしておく。決して考えすぎてはいけない。

実家に帰ってくると安心して何も手につかなくなる。この場所の不沈空母感は群を抜いている。一人暮らしのアパートではこうはいかない。孤独感を打ち消すために読書への没頭が半ば強制される。ここではそれがない。だから読書ははかどらない。

暖かい家があることに、本当に感謝しなければならない。日本には家が恐怖の源泉になっている人もいる。彼らと比べた時に自分の環境が著しく恵まれていることに気づく。

ただこの環境もいずれは消えていくだろう。人間は老いてじきに死が訪れる。両親とのささやかな幸せの時間も、長くてもあと二十年ほどで終わるだろう。いやもっと現実をシビアに考えるなら十年ぐらいだろうか。介護はどうしようかとか、残された家はどうすのかといった確実に接することになる現実が待っている。

どうするんだろうな私。どう生きるか。これから何をしていこうか。

切迫はしていないが、一生安泰ほど金を持っているわけではない。

やりたくもない労働に心血を注いで死んでいくのは拒絶したい。
まあもう拒絶しまくりの人生ではあるのだが。

最近本を真剣に読んでいないからか、自分の感情や思考を焦点をあて、言葉にしていく、この文章化という作業が難しい。思詰めた切迫した問題がないと思考は始まらないもんだ。

なんだか満足したからこの辺で、さようなら。

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