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一人勝手に回顧シリーズ#小津安二郎編(34)#秋日和/時の流れ

【映画のプロット】
▶︎7回忌
青空に東京タワー。寺院で法要が営まれる。
"へえ、そうですか?そりゃあ、美味そうだな。"
"何?"
"ビフテキだよ。美味いうちなんだってさ。どこです?"
"上野の本牧亭ご存知ですか?あそこの横丁なんですがね、爺さんと婆さんとだけで、やってましてね。"
"そうですか?そりゃあ、一度行ってみましょう。松坂屋の裏のトンカツ屋には、よく行くんですがね。お前もな。"
"ああ、あのうちが、まだ屋台でやってた頃からかな?その時分は、こっちも、まだ学生でしてね、食いたいし、お金ないし。"
"今日の仏なんかも、何とかかんとか工面しては、一緒に行ったもんですよ。" 
"左様ですか。じゃあ、皆さんとは、若い時分からずっと?"
"ええ。高等学校の寮も一緒でね。"
"それは、それは。私も、皆さんには、色々とお世話になりまして。いや、いい部長さんでした。穏やかな。もう7回忌ですかなあ。"
"早いもんですよ。お前のとこ、何年になる?"
"何が?"
"細君亡くしてさ。"
"4年かな?足掛け5年だ。"
"おい、茶柱立ったぞ。"
"おう。茶柱か。何か、いい事あるかな?"
"お寺で茶柱立つようじゃ、死んだ細君、迎えに来るんじゃないか?"
"よせよ。まだ嫌だよ。"
"ははは。"
アヤ子(司葉子)が、秋子(原節子)に話し掛ける。
"遅いわね、おじさま。"
"そうね。どうなすったのかしら?あ、いらした。"
三輪周吉(笠智衆)が、現れる。
"いや、どうも遅くなっちゃって。"
周吉が、お辞儀する。
"私、三輪周三の兄ですが、本日は、皆さん、お忙しいところ(一礼)。何分、田舎におりますもんで、ただ今もつい、曲がり角を間違えてしまいまして。どうも、平山さん、田口さん(一礼)。"
"や。""ご無沙汰してます。今日、ご上京ですか?"
"ほかに用がございましたんで、昨日、参ったんですが。"
"あ、いつぞや、倅が大変、お世話になりました。"
"いやいや。どうも、行き届きませんで。"
"どうしたの?"
"この冬ね、うちの小僧が、仲間と大勢で、榛名湖へスケートに出掛けてね、こちらの宿屋にご厄介になったんだよ。その節は、お土産まで、いただきまして。"
"いやいや。お口に合いますか、どうか?あれは、春摘んだのを塩漬けにしましてね。珍しいものではありませんが、伊香保としましては、武雄と奈美子さん以来のものでして。"
"大変、結構でした。"
"ああ、いつかの蕨か。ありゃあ、美味かった。しかし、どういうんでしょうな?年を取ると、段々、ああいうものが、美味くなって来る。"
"そうですなあ。"
"ひじきに、人参ね。椎茸、切干、豆腐に油揚げ。"
"それから、ビフテキ、トンカツか?" 
"ははは。"
僧侶がやって来る。
"皆さん、お揃いになりましたでしょうか?"
"では、どうぞ。お始めになって。"
"では、本堂の方へ。"
読経が始まる。間宮(佐分利信)が、遅れて現れる。間宮も、本堂に座る。
"遅かったじゃないか。"
"うん。ちょいとね。"
"今、始まったばっかりだよ。"
"いや、早過ぎたかな?"
港近くの料亭。
平山、北口、間宮とアヤ子と秋子。
"いや、それにしても、今日のお経は、長かったね。"
"長かった。"
"お前、言うなよ。遅く来やがって。"
"ほんとに、ご迷惑でしたわね。お経は、ちょっぴり、有り難いさわりの所だけにしたらいいって、田口さんがおっしゃったんで、私も和尚さんに、頼いどいたんですけど。ねえ。"
"いやあ。坊主の奴、サービス過剰だよ。奥さん、お布施が多かったんじゃないですか?"
"とんでもない。そんなには、差し上げませんわ。"
"でも、今日は、良かったよ。涼しくて。お葬式の日は、暑かったじゃないか。"
"あの日は、酷かった。俺は、冬のモーニングでね。"
"あの時分、アヤちゃん、いくつだったの?"
"18でした。"
"すると、今。"
"24です。"
"じゃあ、もうそろそろだな。ねえ、奥さん。"
"ええ。お願いしますわ。いい方が、ありましたら。"
"そりゃ、ある。ありますよ。アヤちゃん、綺麗だから。"
"どんなの好き?笑ってないでさ。"
"言ってご覧よ。"
"例えば、僕みたいなのどう?"
"好きです。"
"じゃあ、僕は?"
"おじさまも好き。"
"じゃ、どんなのがいいんだか、分からない。まるで型が違うもん。僕、どう?"
"おじさまも。"
"も、だけだ。お前、落第だよ。"
"落第か?"
"余計な事を聞かなきゃ、いいんだよ。"
"まずい事、聞くなと思ってたんだ。しかしね、奥さん、冗談でなく、心当たりがないでもないんですがね。"
"お願いいたしますわ。"
"お前、本当にあるのか?"
"あるんだ。アヤちゃん、ほんとにお嫁に行く気あるの?"
"ふふふ。"
"そりゃ、もう行かなきゃいけないよ。奥さん、三輪と一緒になられたのは?確か。"
"わたくし、20歳でした。" 
"だもの。アヤちゃん、君だって、もう行かなきゃ。"
"そうだよ。そうだとも。"
"アヤちゃん、いい奴なんだよ。確か29だったと思うけどね。東大の建築出てね、大林組にいるんだ。面白い奴なんだ。"
"そんなにいいお話。"
"いやあ、本当にいいと思うんです。"
"お願いしますわ。どうぞ。"
"ええ。" 
"じゃあ、アヤちゃん、そろそろ。じゃあ、あの、勝手ですけど。"
"そうですか。でも、まだ。"
"ええ、でも、もう。今日は、皆さまに、かえってご迷惑おかけして。どうも、色々。"
秋子とアヤ子は、一礼する。
"どうも失礼しました。勝手な事ばかり、言っちゃって。"
"いいえ、かえって面白ゅうございましたわ。では、いずれまた。"
"や、ごめんください。"
"さようなら。" 
"さようなら。""さよなら。"
"では、よろしく。"
"じゃあ、ここで失礼します。アヤちゃん、分かってるね。"
"はい。"
"いやあ、綺麗だな。やっぱり。"
"ああ、おらあ、あのぐらいの年頃の女の子と話してんの大好きだな。"
"いや、娘も娘だけどさ。"
"お袋の方だろう?"
"うん。変わらないね。"
"綺麗だよ。"
"そうかな?しかし、あの子もいい子だよ。"
"いい子は、いい子さ。けどね、秋子さんだって、とうに40を越してるんだぜ。"
"俺も、どっち取るかって言われたら、お袋の方だな。ありゃあ、いいよ。"
"うん。いい。ありゃいいよ。"
"それ程かな?"
"それ程だよ。やっぱり、あれかね、 あんなに綺麗な女房持つと、男も早死にするもんかね。"
"いやあ、三輪の奴、果報取り過ぎたんだよ。ここんとこまた、違った色気が出て来たじゃないか。"
"そう。お前も、そう思ったか?"
"出て来たよ。どことなくねえ。"
"お前、あれ感じないようなら、鈍いぞ。"
"そりゃ、感じるけどさ、お前たちほどじゃないよ。" 
一同、笑う。
"何?そんなに喜んでらっしゃるの。お酒ありますか?"
"うん。まだあるよ。女将さん、ご亭主、達者だろうね?" 
"えっ、お陰様で。"
"そうだろうね。"
"そりゃ、そうだよ。ご亭主、長生きしますよ。''
"世の中、何が幸せになるか、分かりませんよ。ねえ、女将さん。"
一同、笑う。
"何です?"
"いやあ。昔ね、俺たちが、大学で、まだごろごろしてた時分にね、本郷三丁目の青木堂のそばに、薬屋があってね、今は果物屋になってるけど、そこに、綺麗な娘がいたんだよ。それを、こいつ、惚れやがってね、用もないのに、膏薬買いに行くんだよ。"
"冗談言うない。お前だって、風邪でもないのに、アンチピリンだなんだのって、買いに行ってたじゃないか。アンチヘブリンガンなんてのも、買ってたぜ。"
"おう。秤印のか?"
"その娘ってのが、今、帰った人なんだよ。"
"ああ、あの奥様。兄弟かと思ったら、お母様なんですねえ。お綺麗ですわ。それから、どうなったんです?"
"ところがだよ。"
"後がいけねえんだ。"
"語るも涙でね。" 
"三輪っての、覚えてないか?"
"さあ?"
"ここにも、1、2度、来た事あると思うんだけどね。"
"まあ、手っ取り早く言えば、そいつに持っていかれたって事さ。"
"おやおや、だったら、風邪の薬よりイモリの黒焼きお買いになれば、良かったのに。"
"そうなんだよ。"
"その知恵は、まだなかったんだよ。今の若い奴らと違って、なにしろ、純情だったからね。"
"どうだか?平山先生、お酒ありますか?"
"ああ。まだある。"
"俺に、炭酸くれないか?炭酸。"
"はいはい、ただ今。"
"あんなの持ってりゃ、亭主は長生きするよ。"
"何です?"
"いやいや、こっちの話だ。炭酸だ。"
"はいはい。"
"しかし、あんなの持ってても、案外、早死にするんじゃないか?体格が良過ぎるよ。"
"プロレスか?"
"ヘッドシーザースか?"
"堪らないね。潰されちゃいますね。"
一同、笑う。
"おい。"
"おい、どうだい?"
"ああ。"
田口の家。田口が帰宅する。
"お帰りなさい。" 
"ああ、ただ今。"
"お早かったのね。"
"うん。"
"今日は、遅いのかと思っていたわ。"
"どうして?"
"だって、間宮さん、平山さん、一緒でしょ?"
"ああ、秋子さんも一緒だったんだ。アヤちゃんも。"
"そう。"
"おい、何だい?これ(旅行かばん)。"
"洋子のよ。"
"また来てるのか?"
"ええ、ついさっき。"
"日高、出張か?"
"ううん。またいつものごたごたらしいの。お舅さんと、一緒ってのは、やっぱりうまくいかないらしいわね。"
"お母さんと、喧嘩でもしたのか?"
"ううん。お母様とは、いいらしいのよ。でも、やっぱりねえ、だから、若いもんは、若いもんばかりがいいのよ。あたしだって、よくそう思ったもん。"
"困ったもんだね。"
"今度は、4、5日いるわよ。いつもより、カバン大きいもの。あれで、うまく行くのかしら?"
"行かなきゃ困るよ。お前だって、そうだったじゃないか。" 
"そういや、そうね。何となく、諦めちゃうのね、夫婦なんか。"
"そうだよ。お互いにね。洋子だって、もう少しの辛坊だよ。"
"そうね。考えてみりゃ、夫婦なんて、詰まらないもんね。"
"そうだよ。贅沢言ってりゃキリがないよ。"
"あなた、お茶漬けは?"
"もういい。沢山だ。"
"あ、パパ、お帰りなさい。"
"よお、どうしたんだい?"
"またやっちゃった。" 
"やっちゃったって、お前、ちょいちょいじゃないか。何だい?原因。"
"口じゃ簡単に言えないわ。日頃の不満の集積よ。"
"不満たって、お前、好きで行ったんじゃないか?"  
"そうよ。だから、癪に障るのよ。"
"何が?"
"パパ、口出さないで。いいのよ。少し懲らしめてやるの。"
"懲らしめるって、あんたも少し懲りなきゃ。辛抱が足りないのよ。"
"もう沢山。パパ、お風呂。少しぬるいから、ガス着けて来る。"
"困った奴だよ。ああ、そうそう、おい。あのほら、何てったっけ?あいつ。"
"だあれ?"  
"大林組に行ってる弟だよ。お前の友だちの。"
"ああ、茂ちゃん?井上の。"
"ああ、あいつ。親父さんは、確か、上諏訪で、オルゴールの会社やってるって、言ってたね。"
"ええそうよ。どうして?"
"いいと思うんだよ。アヤちゃんのお婿さんに。"
"ダメよ。もう決まっちゃったわ、あの人。" 
"決まったって、お嫁さんがか?"
"そうよ。お祝い、何上げようかと、思ってんのよ。"
"そうか、そいつは、惜しかったな。いやね、引き受けちゃったんだよ。"
"何を?"
"あいつ、ちょうどいいと思ったんだよ。弱ったな。誰か、ほかにないかな?あ、ありゃどうだい?池田のサブ公。"
"ダメよ。あんな気取り屋。"
"落第か。いないかね?誰か。"
"そんなあんた、よそのお嬢さんの事より、うちの娘の事、心配してやってよ。"
"でも、綺麗なんだよ。アヤちゃん。変な奴に、やりたくないんだよ。"
"そう。"
"ほんとにいい子なんだ。清潔感で。"
"そう。秋子さんの若い頃とどう?"
"ああ、そらあ、あれだ。何だな、たちが、違うな。間宮の奴は、秋子さんの方がいいって、言ってたけどね。"
"じゃ、あんたはどっち?"
"うん。俺か?"
"どっちかって言われたら、どっち?やっぱり、秋子さんでしょ?知ってるわよ。"
"何だい?"
"本郷三丁目。あんた、昔、よくお薬、買いにいらしたんでしょ?按摩粉。"
"按摩粉は、俺じゃない。ありゃ、間宮だよ。"
"じゃあ、あんたは何よ?"
"俺は、アンチヘブリガンだとかさ。"
"嘘おっしゃい、あなた、按摩粉よ。ちゃんと覚えてるわよ。"
"誰に、聞いたんだい?"
"あなたよ。"
"そんな事、言ったかな?いつ?"
"洋子が生まれて、間もなくよ。あなた、酔っ払って。"
"そうか。言ったか。割に正直だったんだな。"
"そう。今よりはね。"
"ママ、腹減っちゃったんだ。何かない?パパ、お風呂、もの凄く沸いちゃったよ。"
"ああ、そうか。ガス消したか?"
"まだ着いてる。"
"着いてちゃ、ダメじゃないか。消さなきゃ。どいつもこいつも、しゃあないな。"
"ねえ、何かない?" 
"困った奴らだ。"
"きゅきゅ、ぶいーん。"
間宮のオフィスを、秋子が訪ねる。
"どうぞ。"
"やあ。いらっしゃい。"
"先日は、色々、ありがとうございました。お忙しいところ、わざわざ、来てくださりまして。"
"いやいや、さ、どうぞ。"
"ちょっとお礼に。"
"それは、わざわざ。さ、どうぞ。"
"平山さんや田口さんの所も、伺って参りました。" 
"そら、どうも。ああ、田口、何か言ってましたか?アヤちゃんの話。" 
"ええ。それが、もうお決まりになってたんだそうです。"
"相手がですか?"
"ええ。"
"相変わらずだな、あいつ。昔から、あんな奴でね。三輪なんかも、よく手焼いてましたよ。約束しても、時間どおり来た事は、なくってね。あ、もっともこないだの年会には、僕の方が、遅れちゃったけど。"
"でも、皆さんにいらしていただけて。三輪もどんなに。"
"奥さん。あなた、お昼は?" 
"ええ、あの、よろしいんです。"
"どこか、ちょいと、出掛けましょうか。美味いものもないけど。"
"でも、私、2時からまた。"
"何です?" 
"この頃、私、ずっとお友だちの服飾学院のお手伝いしてますの。フランス刺繍や何か。"
"教えてるんですか?" 
"ええ。よくはできませんけど。"
"それは、大変だな。でも、いいでしょ?僕の車でお送りしますよ。じゃ、出掛けますか。"
間宮は電話する。
"あ、出掛けるよ。車。"
間宮と秋子は、鰻屋で、食事をとる。間宮は、ビールを勧める。
"どうです?少し。"
"いえ、もう。"
"そうですか。気がつきませんでしたか?さっき、エレベーターの所で、僕に挨拶した奴なんですがね。"
"ええ。何ですか?私、ぼんやりしてて。"
"僕よりちょっと低くて、髪を、ちょっとこう、垂らしてて。"
"さあ、私、ほんとにぼんやりで。"
"いやいや、そんなに目につくような奴じゃないんですがね。人間は、なかなかいいんです。仕事も、テキパキやるし。や、こないだも、アヤちゃんの話になった時にね、僕は、すぐそいつの事を考えたんですがね、田口が一人で引き受けて、あまりに自信ありそうな事言うもんだから。"
"田口さんって、ほんとに面白い。"
"面白過ぎますよ。あいつにかかると、何でも面白くなっちゃう。"
"いいですわ。でも、ああいう方がいらっしゃると。" 
"学校は、どこを出たのか、よく覚えてませんがね、うちの会社に入って4年かな?5年かな?見たとこ、がっちりした男じゃありませんけどね、うちのバスケットのキャプテンしてて。どうです?そんな奴。" 
"良さそうな方ですわね。"
"あなた、一度、会ってみませんか?それとも、一応、写真とか、履歴書とか。あ、その方がいいな。" 
"お待ちどお様。"
"恐れ入ります。"
"そのうち、まとめて、お送りしますよ。"
"どうぞ。" 
"あ、アヤちゃんの写真があったら、一枚ください。"
"ええ。間宮さん、おタバコ、ずっとパイプですの?"
"やあ、両方なんですがね。"
"三輪もパイプ好きで、うちにまだ2、3本、ありますのよ。およろしかったら、貰っていただこうかしら?" 
"ああ、そりゃ欲しいな。いただきたいな。"
"いいのかどうか、分かりませんけど。三輪がイギリス行った時に買ったのも、ありますのよ。"
"ああ、それは、きっといいんでしょう?あいつ、そういう物に、凝ってたから。" 
"じゃあ、お届けしますわ。"
"ああ、それは是非。どうぞ、奥さん。"
"いただきます。"
"どうぞ。"
拍手3回。
"はーい。"
間宮の家。  
"はい、お父さん。"
"ああ。"
"私、いいと思うわ。" 
"何?"
"素敵だわ、後藤さん。"
"いいかい?"
"いいわよ。絶対よ。私だったら、すぐ行っちゃうな。"
"あいつは、学校、どこ出たんだっけ?"
"早稲田よ。政経。♪紺碧の空。"
"くには、どこだい?"
"伏見よ。酒屋さん。醸造家。♪タラリラ ラッラー。" 
"うるさいわねえ。黙ってらっしゃいよ。"
"あっち、行ってろ。"
"いいじゃない。"
"いらっしゃい。"
"♪ラーララ、ランランラン。"
"大ちゃんも、二階いらっしゃい。行くのよ。"
"♪早稲田、早稲田、早稲田、早稲田。"
"ねえ、うちに来る中で、後藤さん、一番いいんじゃない?"
"俺もそう思うんだ。一度呼ぶからね、お前からよく話して、写真と履歴書貰っておいてくれ。"
"ええ、いいわ。でも、アヤ子さんお嫁に行ったら、秋子さん、どうする積もりかしら?一人で。"
"それは、どうにかするだろう。どうにかしなきゃ、しょうがないよ。"
"相変わらずお綺麗?秋子さん。"
"ああ。綺麗だね。でも、俺は、アヤちゃんの方が好きだね。清純でね。"
"そう。"
"田口の奴は、秋子さんの方がいいと、言ってたけどね。"
"でも、あなただって、お好きなんでしょ。"
"誰?"
"秋子さんよ。"
"冗談じゃない。俺じゃない。田口だよ。あいつは、昔から好きなんだ。"
"そう。じゃあ、あなた、お好きじゃなかったの?"
"俺は、別に。"
"そう。お薬、何、お買いになったの?"
"何?"
"お薬よ。"
"誰?"
"あなたよ。按摩粉?アンチピリン?どっちでしたっけ?"
"そんな馬鹿な事、誰に聞いたんだい?田口の細君か?"
"あなたが、風邪を引かない訳が分かったわ。いまだに、アンチピリンが効いてるのよ。"
秋子は、アパートに帰る。
"ただ今。"
"お帰りなさい。お母さん、ご飯は?"
"ご馳走になって来ちゃった。酒井さんに。"
"さっきまで、待ってたんだけど。"
"そう。帰りに、お菓子買って来たわ。"
"すぐ、食べる?"
"ううん。あたしは後で。くたびれちゃった、今日。あっち行ったり、こっち行ったり。あ、田口さんの話ね、ダメだった。"
"そう。どうして?"
"もう決まってたんだって。"
"嫌だわ。あのおじさんらしいわ。"
"ほんと。でも、また別のがあるのよ。"
"お代わり?急に売れ出しちゃったな。次はどこ?"
"間宮さん。いい方らしいのよ。あそこの会社で。"
"そう。"
"いずれ、写真や履歴書、送ってくださるって。" 
"お湯沸かして来るわ。"
"その人ね、間宮さん、とても褒めてらっしゃるの。できる方らしいわ。こないだもね、その方の事、おっしゃりたかったんですって。あなたの写真も欲しいって、おっしゃるのよ。"
"ねえ、お母さん。"
"なあに?"
"その話、お断りしてよ。"
"どうして?"
"写真や履歴書、いただいてから、お断りしても、悪いから。あたしの写真も、上げないで。紅茶にする?" 
"そうね。ねえ、あなた、好きな人でもあるの?"
"ないわよ。そんな一人。"
"だったら、考えてみたら。皆さんが、あなたの事、心配してくれてるのよ。ほんとに、有難いと思わなきゃ。"
"そりゃ、分かってるわよ。でも、私、このままでいいの。"
"だって。" 
"いいのよ。私、まだお嫁に行きたくないの。"
"行きたくないって、あなた。まあ、お座りなさいよ。"
"何よ?"
"ほんとに、どうなの?"
"何?" 
"好きな人、ほんとにないの?"
"あれば、お母さんに、言ってるわよ。そんな事、隠しゃ、しないわよ。"
"ならいいのよ。" 
"私、まだ当分、このままでいいの。兎に角、その話、お断りして。"
"でも、いいかしら?"
"いいのよ、大丈夫よ。だから、二人で仲良くしましょうよ。"
アヤ子が、手を差し出し、二人は握手する。
"あ、お湯が沸いた。でも、お母さん、ほんとに好きな人が出来たら、別よ。春は、長い方がいいもの。ふふふ。"
秋子の友人の服飾学院。
秋子が、生徒を見る。
"あ、あなた、ちょっと。こんな風にね。"
"はい。"
チャイムが鳴る。
"では、ここまでにしときましょう。お分かりにならない事があったら、お聞きになってね。
じゃあ。"
職員室。
"あ、ご苦労様。済んだの?"
"ええ。"
"ねえ、ちょいと。"
"やあ、ご苦労様です。さあ、どうぞ、お掛けになって。どうぞ。君、もう話してくれた?"
"ううん、まだ。"
"じゃ、してよ。"
"あなたから、なさいよ。"
"じゃあ、そうしましょうか。あのねえ、秋子さん。どうでしょう?この人。"
"どなたですの?"
"いえね、お宅のお嬢さんに、どうかと思って。"
"この人、少し、鼻が曲がってやしない?"
"それは、写真ですよ。光線のせいよ。"
"あの。"
"何です?"
"折角ですけど、アヤ子、まだお嫁に行きたくないって言ってます。"
"でも。"  
"兎に角、ダメよ。こんな人。"
"けどねえ、ほんとにいいのよ、家柄だって。"
"家柄より本人よ。夕べも、そう言ったじゃないの?"
"でも、惜しいわねえ。"
"惜しくはないわ。こんなの、初めから落第よ。ねえ?"
"ううん、そんな事ないけど。こないだもアヤ子ね、三輪のお友だちからの話、断ったのよ。"
"どうして?"
"まだ嫌なんだって。"
"そう。けど、ほんとは、まだあなたも、やりたくないのじゃない?"
"そうじゃないけど。"
"でも、もうやらないと。ぐずぐずしてると、変なの掴んじゃうもの。私は、そうじゃなかったけど。"
"はは、ははは。何?"
"三輪先生に、お電話ですけど。"
"電話?こっち切り替えて。"
"恐れ入ります。"
"どうぞ。"
"もしもし、アヤちゃん?私。うん、出られる。何時?うん、大丈夫。"
アヤ子のオフィスに切り替わる。
"じゃ。和光の角ね。私、少し早く出て、おじさんのとこ、寄ってから行きます。え、え、じゃあ。"
"ねえ、石井さん、休暇貰えないんだって。あの人、地図まで買ってたのに。"
"どうして?"
"あそこの課長、意地が悪いのよ。"
"じゃ、7人ね。"
"そう。ねえ、私、キャラバンシューズ買いたいの。帰り、付き合ってよ。"
"今日は、ダメ。約束しちゃったから。"
"へえ、デート?あんたでも、そんな事あんの?" 
"嘘よ。お母さんとよ。"
"何だ詰まんない。最低だな。"
▶︎出会い
アヤ子は、間宮を訪ねる。
"はい。"
"どうぞ。"
"やあ、よく来たね。"
"こんにちわ。パイプ持って来ましたの。"
"パイプ?ああ、そうか、そうか。そりゃ、ありがとう。"
ドアがノックされる。 
"はい。"
後藤(佐田啓二)が、入って来る。
"何?"
"これ。"
書類を渡す。 
"ああ、これでいいんだ。さっきの、もう一度見せてくれないか?" 
"はい。"
"ああ、君。"
"は?"
"このお嬢さんだよ。君が断られたの。"
"そうですか。"
"アヤちゃん、君が振ったの、この人だよ。"
アヤ子は、後藤にアタマを下げる。
"あ、後藤です。失礼します。"
"嫌だわ、おじさま。"
"何?"
"悪いわ、あんな事おっしゃって。"
"だって、その通りじゃないか?"
"だって。"
"じゃあ、どうだい?改めて。"
"嫌よ。はい、パイプ。"
"おいおい、アヤちゃん。おい。"
廊下で、また後藤と会う。
"やあ、東光商事にお勤めだそうですね?"
"はい。"
"経理に杉山っているでしょう?学校同じなんです。よろしく言ってください。"
"はい。"
"じゃ、ごめん。"
居酒屋"若松"。
"はい、お待ちどう。"
アヤ子と秋子が、食事をとる。
"あ、お腹一杯。"
"ビール、残ってるじゃない?"
"あ、そうか。勿体ない。飲んじゃおうか?あ、ないか。"
秋子は、ビールを飲み干す。
"でも、あれね。あなたが、お嫁に行っちゃうと、こんな事もできなくなるわね。"
"できるわよ。あたし、行かないもの。当分。"
"でも、いつかは行っちゃうんだから。せめて、今のうち、月に一度くらい、二人で、あちこち、美味しいもの、食べて歩きたいわね。"
"ご馳走様。だから、そうしましょう。二月に一度でも。"
"そう。三月に一度でもね。"
"今日、お勘定、私、払う。"
"いいわよ。ハイキングのお金、足りなくなるわよ。色んな物買ったのに。"
"大丈夫よ。ちゃんと、計算してるから。"
"でも、いいわね。結婚の送別会に、ハイキングするだなんて。お母さんの時代には、思いもよらなかった。"
"二人とも、山が好きなのよ。だから、思い付いたのよ。"
"そんな事、言い出すの、百合ちゃんでしょう?嫌よ、谷、落っこちちゃったりしちゃ。さっきの映画みたいに。"
"そんなとこじゃないのよ。とっても楽なとこ。"
"ならいいけど。あなた、まだ買い物あるんじゃない?そろそろ出ましょうか。"
"お母さん、ミシンの針、買うんでしょ?"
"それから、たの字の付く物。"
"なあに?あ、鱈子。" 
"あの、すいません。お勘定。"
"お母さん、ほんとに、私、払う。"
"いいのよ。今度の時、あなた出して。"
二人は、アパートに帰る。
"お母さん、疲れたでしょ?"
"うん。でも、楽しかった。"
"あ、忘れた。"
"なあに?"
"固形スープ。ま、いいか。誰か持って来るわね。"
"さあ、うちのは、もうなかった?"
"もう、三つしかない。"
"あんたも、妙なとこ、お父さんに似てるわね。" 
"何?"
"どっかに、出掛けるとなると、何から何まで、きちんと揃えたがるの。お父さん、そうだった。ちょっと、温泉まで行くのに、軽石まで持って行くの。"
"あ、足の裏こする軽石でしょ?覚えてるわ。ねえ、お母さん。一度、温泉にも行きたいわね。"
"あんた、覚えてる?修善寺行った時の事。宿屋の大きな池に、鯉が沢山いて。" 
"あ、あたしが、バタピーナッツやったら、いくらでも、ぱくぱく食べちゃって。"
"あくる朝見たら、その鯉が、白いお腹見せて、浮いてて。"
"あの時、ほんとにびっくりしたわ。お父さんは、笑ってらしたけど。"
"でも、あれが、お父さんと旅行した最後だったわね。紅葉の若葉が、綺麗だった。"
"ね、お金貯めて、どっか旅行しない?"
"どこへ?"
"周遊券であちこち回るのよ。伊香保のおじさまのとこ、寄ったっていいし。"
"そうね。一度行きましょうか?あなたが、お嫁でも行くと、もうそんな事、できなくなるし。"
"お母さん、すぐ、そんな事言う。そんなに、私をお嫁にやりたいの?"
"だって、いずれは、やらなきゃならないんだもん。"
"行かない。行かないわ。このままで、いいのよ。でも、私に好きな人でも出来たら、お母さん、どう?"
"どうって?''
"寂しい?"
"寂しいったって、そんな事しょうがないわよ。我慢しなきゃ。お母さんのお母さんだって、きっと我慢してくれたのよ。そういうもんよ、親子って。"
"お母さん、そろそろ寝ましょうか?"
"そうね。明日も早いんだから。今日は、楽しかった。"

ハイキングの一団が、山あいの道を歩く。山小屋で、荷を解き、マージャン卓を囲む。
"あ、来た、来た。はい、リーチ。" 
"リーチ?強いな。これ、君、捨てたんだな。"
"そうよ。"
"じゃあ、これ。"
"はい、それ。リーチ、ぞろぞろのドラ1で、3パースよ。"
"おいおい、そう取るなよ、お婿さんからよお。"
"いいわよ。こないだ、お祝い上げたんだものねえ。"
"重いのに、偉いの持って来ちゃった。"
"奥さん、旦那さんが、泣いていますよ。"
"そう。あんまり泣かせないで。"
"おい、言うじゃないか?奥さんらしい事。"
"爽やかって、どんな字だっけ?"
"爽やかじゃないよ、鬱陶しいんだよ。きみの旦那さん。" 
"爽やかって、あの。"
"もう、仮名で書いちゃった。"
"おい、三輪君。振ったんだってな?後藤。"
"なあに?"
"三和商事の後藤だよ。夕べ、新宿のトリスバーで、一緒だったんだ。君に振られたって、言ってたぜ。"
"違うわよ。振りゃしないわ。" 
"いい奴なんだ。振るなよ。"
"違うって。振ったんじゃ、ないって。"
"何よ?何の話?"
"いいから、君は、旦那さんの事、考えていろ。どうして、あんないい奴、断っちゃたんだ?改めて、俺が紹介してやろうか?"
"いいわよ。"
"紹介してやるよ。遠慮すんなよ。"

アヤ子のオフィス。
"ね、そろそろよ。"
"うん。"
二人は、席を立ち、屋上に上る。
"貴社の中、きっと新婚で一杯よ。今日は、日がいいって言うから。重子、どんな顔して、乗ってるだろう?"
"二人、向き合ってるかしら?並んでいるかしら?"
"どっちでもいいから、好きなように、座れ。ちきしょう。上手い事、やってやんな。あ、来た、来た。"
二人は、手を振る。
"何だ?重子の奴、窓から花束振るって言ってて。"
"忘れちゃったのかしら?"
"忘れる事、ないわよ。あれだけ言ってて。"
"じゃあ、恥ずかしかったのよ。"
"けどさ、今日のご披露だってさ、私たち呼んでくれたっていい筈よ。ううん、断然、呼ぶべきよ。"
"忘れられちゃったのよ、私たち。"
"けどさ、一緒に入社して、あんなに仲良くしてたのに。"
"皆んな、段々、離れていっちゃうのよ。"
"だったら、結婚なんて、詰まらない。やっぱり、男もそうだろうか?"
"さあ。"
"私たちの友情ってものが、結婚までのつなぎだったら、とても寂しいじゃない?詰まんないよ。"
"そうね。"
"ふん、馬鹿にしてらあ。"
夜。間宮は、ゴルフショップで、買い物。
"お待ちどう様。"
"ああ。"
"この分だと、明日の日曜、いい天気でしょう。"
"だと、いいけどね。じゃあ。"
"ありがとうございます。"
間宮は、向かいのコーヒーショップに入る。
"いらっしゃいませ。"
"いらっしゃいませ。"
"あ、水だ。それから、コーヒー。"
"はい。"
後藤、アヤ子らが、二階から降りて来る。
"あ。""あ。"
間宮に一礼する。
"妙な所で、遭うもんだね。"
"ああ。"
"アヤちゃん、どこ行ったの?"
"映画、行ったんです。"
"映画か。どうだ、掛けないか?"
"はあ。でも。"
"あの人も一緒にさ。"
"はあ。しかし。"
"まだ、どっか行くの?"
"いえ、もう帰るんです。じゃあ、失礼します。ごめんください。"
"アヤちゃん、一緒に行かなくともいいのかい?"
"ええ。いいんです。"
"じゃあ、まあお掛けよ。"
"ええ。"
"お待ちどう様。" 
"何か、貰うかい?"
"いいえ。もう沢山。"
"どういう事に、なってんだい?"
"何がです?"
"いやいや、後藤とだよ。"
"今日、初めてお逢いしたんです。あのもう一人の人の紹介で。"
"紹介は、僕もしたじゃないか?僕の方が、先だよ。"
"でも。"
"でも、何だい?"
"あの杉山さんって方、うちの会社の方で、後藤さんとお友だちなんです。だから、杉山さんが。"
"杉山さんは、どうでもいいんだよ。どうなの?君。"
"何が?"
"後藤だよ。"
"後藤さんとは、今日初めて。"
"それは、今、聞いたばっかりだ。"
"嫌、おじさま、ふざけてらっしゃる。"
"ふざけちゃ、いないよ。真面目だよ。どうだい?後藤っていいだろ?気に入ったろ?ねえ、どう?"
"分かりません。"
"分からない?ほんとかい?"
"知らない。"
"知らないか。そうか。そら、困ったな。でも、例えばだよ、後藤がいい奴だとしてだよ、君が気に入ったとなれば、話は簡単じゃないか。"
"簡単って?"
"結婚だよ。"
"嫌だ。"
"嫌だ?嫌かい?"
"だって、おじさん、例えばよ、例えば、私に好きな人が出来たとしても、色々な事情で、結婚できない場合ありません?"
"そうかね。どんな場合?例えば、経済的な事とか?"
"それもあるけど。"
"ほかに何だい?"
"例えば、あたしの場合だったら、母と一緒ですし。"
"そんな事は、君。そんな事、言っていたら、いつまでも、お嫁に行けやしないじゃないか。"
"いいんです。行かなくても。"
"そりゃいけないよ。女ってものはね。" 
"私ね、おじさま、好きって事と結婚って事を別に考えようと思ってるんです。"
"ほほお、それは、どういう事?"
"どういう事って、あの。"
"つまり、浮気は構わないって事かい?"
"そんな不真面目な考えじゃありません。"
"あ、そう。そりゃ、失敬。"
"そりゃあね、好きって事と結婚が、一つになれば、そんないい事は、ないと思っています。なれなかったと言って、そう不幸だと思いません。それでも、十分、楽しいんです。世の中って、そういう場合の方が多いんじゃ、ありません?"
"そうかね。でも、それじゃあ、寂しいんじゃないかい?"
"寂しい事なんか、ありません。おじさんのお若い頃とは、違うんです。"
"それは、そうだろうけど。"
"私なんか、母と一緒にいるだけで、楽しいんです。幸せだとも思います。このままで、いいんです。" 
"君は、よっぽど、お母さんが好きだね。"
"そうでしょうか?でも、よく喧嘩もしますわ。" 
"それが、好きなの証拠だよ。よっぽど仲がよくなくちゃ、親子で喧嘩なんかできるもんじゃない。"
"そうでしょうか?"
"そうだよ。そうだとも。いやあ、お母さんもいいお母さんだし。君も、なかなかいい子だよ。"  
ゴルフ場のクラブハウス。間宮に、谷口、平山。
"いやあ、この頃の若い子は、しっかりしてるよ。中には、変なのもいるけどね。"
"しかし、それも、分かるじゃないか。"
"何が?" 
"恋愛と結婚と、分けて考えている事さ。"
"それだけ、世の中、世知辛くなったんだよ。"
"それで、何かい?アヤちゃん、その男を好きそうでは、あるのかい?"
"うん。俺の見た所ではね。しきりに、初めて逢ったと、弁解してたけどね。ありゃ、どうも、2度目か、3度目だな。"
"その杉山さんって何だ?" 
"そりゃあ、関係ないんだ。"
"じゃあ、問題は、やっぱりおっかさんだね。"
"そうなんだよ。"
"じゃあ、訳ないじゃないか。"
"何が?"
"まず、おっかさんを結婚させるんだよ。"
"再婚か?"
"そうだよ。それで、娘をやるんだよ。二人一緒に片付けるんだよ。"
"うまく行くかな?"
"そりゃ、行く。話の持ってき方、一つだよ。"
"そりゃあ、案外、名案かも知れんな。"
"それがうまく行きゃ、それに越した事はないけどな。"
"行くさ、行くとも。秋子さん、あんなに綺麗だもの。誰だって、もらいますよ。"
"じゃあ、お前、秋子さんに会って、一つ聞いてみろよ。再婚の意思があるか、どうか。"
"俺がか?"
"そうだよ。お前が、言い出したんじゃ、ないか。"
"適任だよ。お前。"
"やってみろよ。やれよ。"
"じゃあ、やってみるか。"
"みろ、みろ。"
"しかし、相手がいないなあ。"
"うん。平山でどうだい?"
"俺か?"
"そうだ、そりゃ、名案かも知れんな。"
"冗談じゃない。そりゃ、困るよ。俺は嫌だよ。仮にも、お前、旧友三輪細君を。''
"いいじゃないか、そう堅苦しく考えなくたって。"
"嫌だよ。俺は、嫌だ。そんな不道徳な。"
"不道徳な事は、ないよ。お前がやもめで、向こうもやもめだもの。"
"理屈はそうでも、俺はやだよ。断然嫌だよ。よしてくれ。"
"そうか。じゃあ、しょうがないな。"
"じゃ、お前、当たるだけ、当たってみたら、どうだい。"
"そうするか。"
"おい、仮にも俺の名前、出してくれるなよ。いいな。"
"勿体ない奴だよ。それじゃあ、今まで、何のため、やもめになってたか、分からないじゃないか?"
"いやあ、全くだよ。代わってやりたいよ。"
"ああ、代わってやりたいね。代わってやりたいよ。"
平山が帰宅する。
"お帰りなさいまし。"
"あ、ただ今。"
"お帰り。"
"いたのか?"
"旦那様、お食事は?"
"あ、食うて来ました。お前は?"
"こんな時間まで、待っちゃいられないよ。もう、食っちゃった。" 
"そうか。"
"どうだったの?成績。当たったかい?"
"まあまあだ。"
"どうしたんだい?"
"何?"
"元気ないじゃないか。"
"ああ。"
"どうかしたのかい?"
"いやあ、どうもしないけどね。お前、どう思う?"
"何が?"
"お父さん、断って来たんだけどね、お嫁さん貰わないかという話があるんだ。"
"俺のかい?"
"いや、お父さんのだ。"
"お父さんのか。"
"うん。"
"誰だい?相手。"
"いやあ、相手は兎も角としてだ、お前、どう思う?"
"どう思うって、そりゃ、相手次第だよ。俺の知ってる人かい?"
"おう。"
"誰だい?言ってご覧よ。隠すなよ。"
"隠しゃしないよ。"
"じゃ、誰さ?言いなよ。"
"うん。お前、三輪のおばさん、知ってるな?"
"ああ、あの人。凄いじゃないか。あの人だったら、いいよ。"  
"そうか。いいかい?"
"いいさ。それ、お父さん、断ったのかい?"
"うん。まあねえ。"
"馬鹿だなあ。断る事、ないじゃないか。"
"そうか?"
"そうだよ。"
"じゃあ、お前は、賛成か?"
"もちろん賛成だよ。お父さん、俺は、前からね、お父さん、早く、後妻貰えばいいと思ってたんだ。"
"ほお、どうして?"
"だってさ、俺が結婚のするだろ、その時、お父さん一人だったら、俺んとこ、来るだろ。邪魔だよな。俺の嫁さん、可哀想だよ。"
"馬鹿。"
"けどさ、そんなのお父さんも、やだろ?だから、貰ちゃいなよ、三輪のおばさん。チャンスじゃないか?"
"チャンス?"
"でも、ほんとに来てくれるのかい?"
"いや。それは、まだ分からん。"
"何だ?分からないのか。自信持ちなよ、自信。"
"お前も賛成か?"
"ああ。賛成だよ。大賛成だ。" 
"そうか。" 
"お父さん、急に、元気が出たじゃないか?"
"うん?やあ。"
田口は、縁側をうろうろする。
三和商事。田口が間宮を訪ねる。
"どうぞ。"
"よお。何だい?"
"やあ、ちょっとね。いい天気だね。今日も。"
"ああ。ここんとこ、続くね。"
"ああ、よく続くね。あ、夕べ、地震あったね。"
"そうか。気が付かなかったな。"
"あったよ。小さかったけどね。"
"何だい?今日は。何か用かい?" 
"ああ、こないだの話ね。"
"何?"
"ほら、ゴルフ場でさ。"
"ああ、学生の就職の事か?"
"いや、クラブハウスでさ。"
"何だっけ?" 
"三輪の細君の話だよ。" 
"ああ。誰かいい人あったかい?候補者。"
"うん、まあ、俺も色々、考えたんだ。"
"何を?"
"いやね、あの時、お前の言った事が、うちの倅も賛成なんだ。"
"何だっけ?あの事って?"
"分かってるじゃないか。"
"いやあ、一向に分からないね。"
"とぼけるなよ、いや、真面目な話ね、田口、もう先方、行ったかね?"
"さあ。けどお前、あん時は、あんまり乗り気じゃなかったじゃないか?"
"うん。そうなんだ。そりゃあ、そうなんだがね。こう一人でいると、何かにつけ、不便なんだ。"
"不便たって、家政婦だっているんだろ?"
"そりゃあ、いるんだがね、何となく、色んな事がね。"
"つまり、かゆい所に、手が届かないって、訳か?"
"うん。まあ、そうなんだ。"
"すると、急に、どっかかゆい所が、出来たって訳だね。"
"まあ、そうなんだ。"
"どこがかゆいか、知らないけど。で、どうしようってんだ?"
"だから、つまり、その、お前からだな、一応だな、先方にだな。"
"そりゃあ、田口の方が、よかないかい?" 
"いやあ、あいつは、どうも、余計な事を言い過ぎて、いけないよ。俺は、お前に頼みたいんだ。"
"俺にか?" 
"そうなんだ。ご苦労だけどな。"
"そうか。" 
間宮は、受話器を取る。
"あ、日東電気の田口さん、呼んでくれ。"
"大丈夫かね、田口?"
"大丈夫だよ。あいつが行く事に、なってんだから。"
"でも、あいつじゃまとまるものも。"
"壊れちゃうって言うのか?"
"もしもし、何?田口さん、出掛けた。"
"いないんだってさ。" 
"そうか。" 
"俺から、よく言っとくよ。"
"おう、なるべく早くな。"
"そんなにかゆくなったのか?"
"ああ。こんなこたあ、幾つになっても、恥ずかしいもんだ。ははは。" 
"どこ、行くんだい?"
"ちょっと、トイレ行って来る。ははは。"

間宮は、バーで、飲む。
田口がやって来る。
"やあ。"
"平山は?"
"まだ、来ない。行って来たか?" 
"ああ。"
"どうだった?"
"ああ、それが、妙な話になっちゃったんだよ。ああ、俺にも、ウイスキー貰おうか?水割り。"
"はい。"
"俺は、これだ。お代わり。"
"はい。"
"どういうんだ?妙な話って。"
"てんで、ダメなんだ。再婚するなんて気持ち、全然、ないんだ。初めから終いまで、死んだ亭主の話ばっかりさ。"
"で、アヤちゃんとこの話は、したのかい?"
"ああ、そらあ、したんだがね。"
"何て言ってた?"
"そうですかって、笑ってたよ。"
"そうか。で、平山の話は?"
"そんな事、言えるもんか。まるで、三輪ののろけ、聞かされに行ったようなもんだ。ちょいと、ほろりとされちゃったりしてね。じゃ、平山の話、出ずか?"
"ああ、出ず。"
"お待ちどう様。"
"でも、平山、本気なんだぜ。"
"けど、やっぱり、平山には勿体ないよ。綺麗だぜ、相変わらず。ほろりとしたとこなんか、ちょいと、お前に見せたかったよ。"
"そうか。" 
"あんまのを、言うんだねえ。雨に悩める海堂の。それでね、俺にリンゴ剥いたりしてくれてね、あの白い手で。"
"で、お前は、食ったのか?" 
"ああ、食った。美味かったよ。これ(パイプ)も、貰って来ちゃった。"
"お前、一体、何しに行ったんだ。"  
"何しにって?"
"平山はどうなるんだよ。平山は。"
"まあ、しょうがないよね。当分、ほっとこうよ。" 
"でも、あいつ、急いでるんだぜ。"
"急いだって、まあ、かゆい所には、メンソレータムでも、塗っておくんだね。しゃあないわね。" 
"じゃ、まあ、当分、ほっとくか。"
"ほっとけ、ほっとけだ。"
"いらっしゃいませ。"
"来た、来た、来たぞ。"
"やあ。" 
"おう。" 
"遅くなっちゃった。"
"おい、何飲む?"
"ああ、何でもいいよ。" 
"そうか。"
間宮と田口は、パイプを手に取る。
"(つまみが)ここにもある。"
"田口、行ってくれたかい?" 
"ああ、行ったがね。"
"話してくれたかい?" 
"ああ、話したがね。"
"どうだった?"
"ああ、急いじゃいかん。""急いじゃいかん。"

間宮夫人と田口夫人。
"そう。じゃ、平山さん、可哀想じゃないの。"
"そうなのよ。あの人だしにして、二人で面白がってるのよ。"
"不良ね。うちも、お宅も。"
"でも、お宅は、まだいいわよ。うちなんか、こないだ、こんな事言うのよ。俺が死んだら、お前、再婚するかって。もう、懲り懲りだって言ったら、俺はするよって言うの。誰とって聞いたら、それは、秋子さんだよって。しゃあしゃあしてんの。" 
"そう。うちもきっとそうよ。"
"綺麗な人って、いつまでも得ね。"
"そうね、羨ましくなっちゃうわ。"
"そりゃあ、秋子さんだって、いきなり再婚の話持ち出さられりゃ、ああ、そうですかって言えないわよね。あたしだって、言わないわ。"
"私だってそうよ。例え、その気があるにしてもよ。"
"そうよ。言い方下手なのよ。"
"そうよ。"
"お母さん、行って来ます。"
"道子ちゃん、デート?"
"そう、夕方からナイター。おばさん、話せるわ。行って来ます。"
"行ってらっしゃい。"
"困ったもんよ、この頃の子は。"
"うちなんかも、酷いもんよ。まだ、私たちの時の方が良かったのよ。精々、少女歌劇くらいに憧れて。"
"そうね、モンパリだとか、すみれの花咲く頃だとか。"
"今、何よ?ロカビリーだとか、プレスリーだとか。お花だって、ブリキにペンキ塗ったのが、流行る訳よ。"
"ほんと。" 
間宮が通りかかる。
"いらっしゃい。"
"こんちわ。"
"ねえ、あなた、今もそう言ってたんだけど、三輪さんのお嬢さんのお話ね。"
"ああ。" 
"やっぱり、先にお嬢さんの方、決めた方がいいんじゃないの。"
"何もそのために、秋子さんの再婚の事まで、心配なさる必要ないと、思いますわ。"
"いやあ。それは、お宅のご主人が言い出したんですよ。"
"そうですか?でも、うちでは、間宮さんって言ってましたよ。"
"それは、違う。田口ですよ。"
"どっちがどっちだか。"
"それは、田口だよ。"
"でも、秋子さん。ほろりとなって、とても綺麗だったんですってね。"
"あいつ、そんな事まで、言いましたか?酷い奴だな。まるで、あべこべだ。じゃあ、リンゴも、ぼくが食った事になってるんですね。"
"そう。"
"美味しかったんですってね。"
"馬鹿。じゃあ、アヤちゃんの方から片付けますよ。ご意見に従ってね。"
"それが、当たり前よ。ねえ。"
"そうよ。ねえ。" 
"ああ、うるさいこった。"

▶︎私、結婚の事まで、まだ考えていないんです。
アヤ子が、鰻屋に入る。
"いらっしゃい。"
"あの、間宮さんって方?"
"ああ、お待ちになっていらっしゃいます。"  
"おい、アヤちゃん、こっちだ。お上がり。"
"遅くなっちゃって。"
"すぐに分かったかい?ここ。"
"ええ。"
"お座り。楽におしよ。昼休み、もういくらも時間がないから、すぐに本題に入るけどね。実は、君の結婚の話なんだ。どうなんだい?後藤。"
"どうって?"
"好きなのか?嫌いなのか?まあ、それを聞こうじゃないか。"
"嫌いじゃありません。"
"じゃあ、好きなんだね。後藤も、そう言ってるんだ。じゃ、いいじゃないか。話、進めるよ。いいね。"
"でも、おじさま。"
"何?"
"でも、結婚の事まで、まだ考えていないんです。"
"あ、それは、こないだ聞いたね。"
"ですから、私、すぐ今、ここでご返事。"
"でも、好きなもんなら、いいじゃないか。一緒になったって。" 
"でも、私が結婚したら、母は、どうなるんでしょう?"
"ああ、お母さん?"
"ええ。"
"その事もね、皆んなで心配してるんだよ。困るような事は、させないよ。"
"それ、どういう事なんでしょう?" 
"いや、お母さんが再婚されるとしたら、どうなんだい?" 
"再婚って?母にそんな話があるんでしょうか?" 
"まあ、ない事も、ないんだがね。どうなんだい?" 
"お待ちどう様。"
"どうしたんだい?馬鹿に考え込んじゃったね。お上がりよ。"
"その話、もう決まってるんでしょうか?"
"何?お母さんのかい?"
"どういう方なんでしょう?"
"相手かい?"
"ええ。"
"君もお母さんも、昔からよく知ってるし、平山なんか、どうかと思って。"
"平山さん!"
"どうだい?いけないかい?まだ、はっきり決まっている訳じゃないけどね。どうだい?"

アヤ子は、帰宅する。
"お帰り。お腹空いてる?今日、何にもないのよ。何か、買って来ようと思ったんだけど、お母さんも遅かったもんだから。どしたの?何かあったの?どうかしたの?どうしたのよ。今日、お母さんね、珍しい人に会っちゃったのよ。電車の中で。あんた、覚えてる?終戦後、ほら、よくうちに米持って来た鴻の巣の、闇屋のおばさん。あんまりきちんとしてるんで、どこの奥さんかと、思っちゃった。"
"お母さん。"
"なあに。"
"お母さん。私に隠してる事、ない?"
"何?" 
"私、今日、間宮のおじさまに呼ばれて、すっかり聞いちゃったわ。"
"何をよ?"
"お母さん、再婚なさるの?"
"え?再婚?"
"隠さなくたって、いいじゃない?"
"何の事よ?"
"知ってるわよ。"
"何を知ってるのよ?何の話よ。お母さんには、さっぱり分からない。"
"とぼけないでよ。お母さん、そんな事して、お父さんに済まないと、思わないの?平山さん、お父さんのお友達じゃ、ありませんか?"
"平山さんが、どうなすったのよ?"
"まだ、隠すの?どうして、そんな事、私に隠すのよ?"
"何をよ。"
"もういい、もういいわ。お母さん、そんな人じゃないと、思ってた。私、そういうの、大嫌い。"
"何言うのよ?アヤちゃん。"
"人で無し。そんなの大嫌い。" 
"アヤちゃん、どこ行くの?どこ行くのよ?"
"ほっといて。そんなお母さん、大嫌い。"
アヤ子は、寿司屋に入る。
"へえ、らっしゃい。""あ、いらっしゃい。"
"あの、百合子さん。"
"ええ、いますよ。百合ちゃん、百合ちゃん。三輪さんが見えたわよ。"
"はーい。"
"どうぞ、お上がりを。"
百合子(岡田茉莉子)が出迎える。
"ああ、来たの。上がってよ。ものすごく散らかってるわよ。"
"さあ、どうぞ。"
"へい、お待ちどう。""旦那、後、まだお付けしますか?"
"ああ、付けとくれ。"
"旦那、はま、お好きですね?"
"美味しいね、はまぐり。はまぐりは、虫の毒、ちゅうちゅうたこかいな、か。"
"タコ、お付けしますか?"
"タコは、もうできてんだ。"
"へ?"
"はまぐりだよ、柔らかいとこ。はまぐりは初手か。あ、後、赤貝頼むよ。"
"はい。"
"で、あんた、何て言ったの?"
"だって、そんなの嫌じゃない?しかも、相手は、お父さんのお友達よ。不潔だわ。"
"ふうん。それで、あんた、飛び出して来たの?"
"だって、そんなの汚らしいじゃない?" 
"ふーん、そう、そういう事。"
"だって、私でさえ、お父さんの事、はっきり覚えているのに。お母さん、まるで忘れちゃったみたいに。そんな事、私、どう考えても、許せない。"
"ねえ、分かるけど、それは、ちょっとあんた、勝手過ぎない?"
"何が?"
"お母さんの身にも、なってあげなきゃ。"
"どういう事?"
"だってさ、お母さんも女よ。そこのところ、考えてあげなきゃ。"
"どういう意味?"
"あんた、自分には好きな人があって、どうして、お母さんには、そう厳しくするの?そんなの勝手じゃない。私だったら、黙って見てるな。" 
"じゃ、こんな時、あんた、平気?"
"平気よ。お母さんは、お母さんでいいじゃない。"
"人の事だと思って。"
"ううん、違う。私、今のお母さん来た時、平気だった。だからって、死んだお母さんの事、忘れた訳じゃないのよ。今だって、目をつむれば、お母さんの顔、はっきり浮いて来るわ。うちのお父さん、だらしない人よ。でも、それはそれで、いいじゃない。お父さんは、お父さんなんだから。"
"でも、あたし、そうは、思わない。"
"思わないったって、そういうもんよ。世の中なんで、あんたが考えてるような、そう綺麗なものじゃ、ないのよ。何さ、赤ん坊みたいに。"
母親が、階段を上がって来る。
"百合ちゃん、これ。"
"ありがとう。"
"ねえ、どう?食べない?こっちいらっしゃいよ。"
"私、帰る。"
"帰る?泊まっていくのじゃ、なかったの?"
"帰る。"
"じゃあ、これ食べて来なさいよ。"
"沢山。"
"ほんとに帰るの?じゃ、帰れ、帰れ。何さ、赤ん坊。いーだ。"
アヤ子は、アパートに戻る。 
"ああ、どこ行ってたの?不意に出て行ったりして、心配したじゃないの。どこ行ってたのよ?何、怒ってんの?何、勘違いしてるのよ?間宮さんに、何聞いて来たのよ?お母さんが、何、あんたに隠してるの?何一つ、隠す必要、ないじゃない。あんたこそ、お母さんに言わないでいるくせに。"
"何をよ?"
"後藤さんの事。あんた、隠してるじゃないの。好きな人出来たくせに。いつ、あんたが言い出すかと思って、お母さん、待っていたのよ。とてもいい人らしいって聞いて、お母さん、一人で喜んでいたのに。どうして、言ってくれなかったの?"
アヤ子は、答えず、窓際の椅子に座り直す。

アヤ子のオフィス。始業。 
"お早う。""お早う。"'"お早う。"
"夕べ、あれからどうした?お母さんと、仲直りした?"
アヤ子は、答えない。
"何だ?まだ怒ってんの?怒ってろ、怒ってろ。今日も、明日も、明後日も。ふんふんだ。"
昼休み。アヤ子は、一人、屋上の柵にもたれている。中華料理屋で、アヤ子と後藤が、食事をとる。
"そりゃ、いかんな。喧嘩しちゃ、いかんな。僕なんか、早くお袋に死なれちゃったせいか、ああ、あんな時、あんな事で喧嘩しなけりゃって思う事、ありますよ。時々、ふっと思い出して、嫌な気になる事が、あるな。僕のとこ、伏見でね、伏見には、昔から、泥で作った布袋さんの人形があるんですよ。それが、うちの台所の棚に、並んでて。どうしたの?中学3年の時だったけどね、詰まんない事で、馬鹿に腹立っちゃってね、その人形、一遍に、ぶっ壊しちゃったんだ。その時のお袋の顔、未だに忘れられませんよ。それが、詰まんない事なんだ。腹減らして家に帰って来たら、飯が出来てなかったんだ。その年の秋、お袋、死んじゃったんですよ。"
"そう。"
"いや、喧嘩しない方がいいな。喧嘩しちゃいけないな。"
"そうね。"
百合子は、秋子を訪ねる。
"はい、どなた?"
"こんばんわ。"
"あ、いらっしゃい。"
"アヤは?"
"まだよ、まあ、お上がりなさいよ。"
"うん。"
"それ、敷いてよ。"
"うん。おばさま。アヤ、どこ行ってると思う?"
"さあ、どこかしら?"
"私、見当付いてんだ。夕べ、色んな事、聞いちゃった。"
"ああ、夕べ、アヤ子、百合ちゃんのとこ、行ったの?"
"そうよ。おばさま、再婚なさるんですね。"
"え?ふっふ。あんたまで、そんな事。"
"だから、私、言ってやったの。そんな事で怒るなんて、丸っ切り、赤ん坊だって。おばさまにだって、色んな事情、あるわよね。"
"うふふ、そりゃあ、あるけど。"
"アヤ、ずるいわよ。自分の事は、棚に上げて、おばさまばっかり、責めてんだもの。だから、うんと、言ってやったの。そしたら、今日、会社で、全然、口聞かないの。"
"そう。"
"だから、来てみたんだけど、ほんとの事、言ってね、アヤ、ちょっとずれてるわよ。"
"どうして?"
"私がアヤだったら、おばさまに再婚して貰った方が、ずっといいわ。"
"そう。どうして?"
"だってさ、結婚した場合、重荷にならないもの。悪いけど。"
"そうね、そうかも知れないわ。"
"そうよ。誰だって、そう思うわよ。そう思わないの、アヤだけよ。ウエットよ、最低よ。"
"そうなると、私、邪魔ねえ。"
"ううん、邪魔って事もないけどさ。でも、ちょっと邪魔かな。ごめんなさい。おばさま、寂しい?"
"寂しくても、しょうがないわ。あの子が幸せになれるのなら、我慢しなくっちゃ。"
"偉い。おばさまの方が、話せるわ。でも、おばさま、よく、決心なさったわ。それじゃなきゃ、アヤ、いつまで経っても、お嫁行かないもの。" 
"そうかしら?"
"そうよ。そんな事、言ってたもの。"
"そう。"
"おばさまの方さえ、決まりゃ、アヤ、すぐに行く気になるわよ。"
"困った子ねえ。"
"ほんと、困った子よ。アヤ、何が、一体、不満なんだろう?素敵じゃない。" 
"何が?"
"平山さん。大学の先生なら、言う事、ないじゃない。それと、亡くなったお父さんのお友達なら、なおいいじゃない?何もかも分かってて。"
"でもね、百合ちゃん。それ、違うのよ。"
"違わない、違わない。いいのよ、それで。"
"いいのよって、何よ?あんたも、勘違いしてるんじゃない?平山さんのお話なんて、おばさん、何にも知らないわ。"
"嘘、嘘。おばさま、照れなくても、いいわ。" 
"照れるって?ほんとよ。ほんと、何も知らないのよ。"
"ほんと?そんな話ってあるかしら?じゃ、おばさま、ほんとにご存知ないの?"
"ええ、そうよ。そんな事、全然、聞いてないわ。"
"じゃあ、酷いじゃない。どういうんだろ、そんな事、言いふらしたりして。そう。おばさま、ご存知なかったの?"
"そうよ。"
"そうなの?馬鹿にしてるわねえ。"
アヤ子が帰宅する。
"お帰り。どこ行ってたの?"
アヤ子は無言。
"何だ。まだ、怒ってんの?わざわざ見に来てやったのに。"
"余計なお世話よ。帰ってよ。"
"帰るわよ。"
"いいじゃない、百合ちゃん。泊まってらっしゃいよ。"
"嫌よ、お母さん。私、そんな人と寝るの。"
"アヤちゃん。"
"いいのよ。帰って貰ってよ。"
"帰るわよ。ふーんだ。じゃあ、おばさま、お休みなさい。"
"そう?帰る?悪いわねえ。"
"ううん。"
"いーだ。さよなら。"
"さよなら。ごめんなさい。"
"ううん、いいの。困った子。"
間宮のオフィス。
"はい。"
"平山様、お見えになりました。" 
"や。"
"よう。"
"どうした?"
"実は、変な事になっちゃったんだよ。"
"何が?"
"おかしなのが、来ちゃったんだ。"
"何だい?"
"兎に角、お前、一度、会ってくれよ。"
"誰に?" 
"応接間に待たせてあるんだ。田口も来てるんだ。"
"誰だい?"
二人は、応接間に移動する。
"おう。"
"やあ。"
"何だい?どうしたんだい?"
"うん。まぁね。"
"あのお嬢さんなんだがね、アヤちゃんのお友達なんだ。"
百合子が、控えている。 
"佐々木百合子です。"
"間宮です。さ、どうぞ。""さ、どうぞ。"
"伺いますけど、どうして、ありもしない事をおっしゃるんですか?"
"何の話?"
"三輪のおばさまの再婚の話です。"
"ああ。その事?"
"ああじゃ、ありません。おばさま、ご存じないのに、どうして、アヤに、そんな事、おっしゃるんです?どうして、静かな池に石を投げるような事、なさるんですか?そのために、アヤ、大変、苦しんでいるんです。どうして、そんな平和な家庭を掻き回すような事、するんです?それ、伺いに来たんです。お答えください。お答えになれないんですか。一体、何が面白いんです?そんな事して。" 
"いやあ、面白がってる訳じゃありませんよ。"
"じゃあ、何なんです?"
"あなた、百合子さんとおっしゃったかな?まあ、お掛けなさい。"
”いいんです。これで。"
"でも、まあまあ。""お掛けなさい。"
"いいんです。"
"やあ、お前のとこは、応接間があるから、いいよ。俺は、いきなりこれを、大学でやられちゃったんだ。"
"ところでね、百合ちゃん。"
"百合子とおっしゃってください。"
"あ、これは、失敬。"
"俺も、一応は、説明したんだがね。"
"あなたに、伺っているのでは、ありません。"
"あ、そう。"
"しかしね、百合子さん。君、三輪のおばさんの再婚については、どうなの?不賛成ですか?"
"それは、賛成です。けど、それとは、違います。"
"いやあ。違わないんだね。アヤちゃん、ああいう子だ。お母さんが、再婚でもしない限り、お嫁になんか、行きそうもないんでね。" 
"そんなら、なぜ、先にそれをおっしゃらないんです?おばさま、このおじさまの事、何にもご存じないじゃありませんか?"
"おう、俺も、これ、さっきお嬢さんから聞いたんだけどね、一体、どうなってんだい。俺の話、まだ何もしてないって、言うじゃないか?"
"お前は、ちょいと、黙ってろよ。"
"しかし。"
"まあ、いいから、黙ってろ。まあ、話の進め方には、手違いがあったけどね。アヤちゃんを幸せに結婚させるためには、おばさんにも、再婚して貰わなければ、いけない。それは、分かってくれますね?"
"分かってます。でも、それなら、なぜ?"
"いやあ、その手違いは、重々謝る。このとおり。"
"僕も、このとおり。"
"まあ、お掛けなさい。""どうぞ。"
百合子は、ようやく腰掛ける。
"ところで、問題は、三輪のおばさんに、再婚の意思があるかないかだけど。" 
"そりゃ、あります。私が、聞いたんです。"
"ありますか?"
"あります。"   
"おい、良かったな。"
"いやあ。" 
"じゃあ、一つ百合子さんにも、協力して貰ってだね、まず、おばさんの話を決めて、それから、アヤちゃんの方を決める。どうかな?"
"ええ。それだったら、いいわ。"
"あ、それなら、筋は通る。"
"お前、また元気が出て来たじゃないか。"
"うん。いやあ。"
"でも、おばさまの相手、このおじさまに、決まってますの?''
"いやあ、まだはっきり、決まった訳じゃ、ないんだけど。"
"どう?いけませんか?"
"いけなか、ないわ。いいと思うわ。"
"うん。"
"素敵よ。"
"素敵?じゃあ、平山、祝杯上げにゃいかんな。"
"ああ、いや。"
"いやあって、お前が奢るんだよ。"
"俺がか?ああ、奢る。奢る。"
"どこ、行くんだい?"
"ちょっと、トイレ。あはは。"
百合子の実家(寿司屋)に、間宮、平山、田口が、百合子を伴い、訪れる。
"へい、らっしゃい。"
"随分、遠いんだね。ここかい?美味いうちってのは。" 
"そうよ。熱いの付けてちょうだい。"
"目黒の秋刀魚でね、案外、場末のこんなちゃちなうちが、美味いんだ。"
"場末で悪かったわね。今日、親方も女将さんもいないの?"
"へい。ちょいと、お出掛けで。"
"そう。お嬢さんは?"
"お嬢さんは、あの。"
"ここのお嬢さん、とっても綺麗なんだ。ちょっと見せたかったわ。うい。"
"百合ちゃん、大丈夫かい?こんなとこ、来ちゃって、帰れるかい?"
"帰れますって、大丈夫よ。おじさんこそ、しっかりしてよ。"
"何付けます?"
"お酒、どうしたの?お酒。" 
"へい、ただ今。"
"そちらのおじさまたち、何食べる?"
"何が美味しいんだ。ここ。"
"何だって、美味しいわよ。何でも、じゃんじゃん付けてよ。"
"おい、もう、そうは食えないよ。"
"食べられるって。このうち、美味しいんだから。付けて、付けて。"
"へい。"
"ところで、平山君、三輪のおばさまに、うまく言ってあげるけど、君、ほんとに三輪のおばさま、愛せる?"
"ああ。愛せるよ。"
"いつまでも、永久にだよ?"
"ああ、そうだよ。"
"幸せな奴だよ。なあ?"
"果報もんだよ。全く。"
"お待ちどう。"
"へい。熱いの。"
"しかし、良かったよ。ねえ、平山君。"
"ああ、ありがと。持つべき者は、友達だ。"
"まだ、はっきり決まった訳じゃないけどね。"
"それ、言わないの。"
"へい、お待ちどう。"
"けど。あんた、ほんとよ。ほんとに、おばさま、愛せるの?"
"ああ。愛せるよ。"
"いつまでも、永久にだよ。"
"ああ、そうだよ。"
"いいとこあるよ、このおじさま。任せとき、任せとき。"
"はははっ。"
"はははっか?幸せな奴だよ。''
"さあ、行こう。"
"いらっしゃいまし、いらっしゃいまし。"
"あ、お帰りなさい。"
"遅かったのね。" 
"うん。"
"百合ちゃん、だいぶお馴染みだね。"
"うん。"
"ちょいちょい、来るのか?"
"うん。毎日。"
"毎日!"
"百合ちゃん、あんた、今日、会社休んだの?"
"うん。お昼から。"
"電話かかって来たわよ。杉山さんから。"
"何だって?" 
"うん、いなきゃ、明日でいいって。"
"何だ、ここ、君のうちかい?"
"そうよ。今のが、うちのお母さん。私が、ここのお嬢さん。"
"酷いもんだね。"
"でも、おじさま、お勘定は、払ってよ。いくら食べても、いいから。"
"あーあ。払いますよ。払う。払う。"
"ねえ、じゃんじゃん付けてよ。お酒もだよ。"
"この頃のお嬢さんには、敵いませんよ。"
"立派なもんです?おい、トロ。"
"へい。"
"俺は、はま、はまぐり。"
"でも、おじさま、ほんとよ?"
"ああ。ほんとだよ。ほんとに、愛せるよ。"
"そうじゃないの、ほんとに、お勘定払うのよ。"
"ああ、払うよ。払いますよ。おい、俺に赤貝。''
"へい。"
平山は、嬉しそうに、酒を飲み干す。

▶︎お母さんは、ずっとお父さんと二人で、生きていくの
東光商事。屋上で、百合子と杉山は、手すりにもたれる。
"そうか、それで、三輪君、休暇取ってんのか?"
"うん、周遊券で、あちこち回るんだって。"
"そうか、そりゃ、良かったじゃないか。仲良くなって。"
"アヤの方が、ちょっと、こじれてたんだけど。でも、どうやら割り切ったらしい。ほんとのお母さんって、やっぱりいいなと、思っちゃった。"
"君のとこだって、いいじゃないか?いいお母さんだよ。"
"そりゃ、いいけどさ、でも、どこか、違うわよ。これでも、私、お母さんに気を遣ってるのよ。"
"そうかなあ?"
"そう、見えない?見えなきゃ、私、よっぽど上手いんだな。"
バスケットボールが転がって来る。
"行くわよ。"
"ありがとう。"
"アヤ、今日、どこ行ってるかなあ?ちきしょう。ちょっと羨ましいな。"
"あ、送別会。また山行くか?後藤も誘ってさ。"
"うん。行こう、行こう。こんな日、山歩いたら、いい気持ちよ。会社なんかに、いる事ないよ。"
"そうだなあ。"
伊香保の宿。三輪周吉と秋子親子。
"アヤちゃん、もう眠いんじゃないか?"
"いいえ。まだ。"
"あいにく今日は、混んどって、うるさいだろ。"
"でも、どこへ行っても、修学旅行の人たちで。日光の宿屋など、一杯でしたわ。ねえ。"
"すぐ、誰か、スリッパ履いて行ったり、部屋間違えて、入って来たり。"
"そうかい、じゃあ、あまり落ち着けなかったね?" 
"でも、結構、楽しゅうございましたわ。"
"そう。そりゃ、良かった。"
"ごめんくださいまし。あの、旦那様、修学旅行の先生が、お帳場でおまちですが。"
"あ、そうか。今、行く。でも、良かったよ。アヤちゃんに、いいお婿さんが出来て、あんたも、よそに行ってくれる気になって。やあ、私は、アヤちゃんの事より、あんたの事が、気になってたんだ。"
"色々、ご心配をおかけして。"
"やあ、良かったよ。じゃあ、ゆっくりお休み。"
"お休みなさいまし。""お休みなさい。"
"お休み。" 
"どう?そろそろ寝ましょうか?"
"アヤちゃん、こっち来ない?"
"うん。"
"静かになったわねえ。修学旅行の人たち、もう寝ちゃったのかな?修学旅行って、とても楽しいけど、明日帰るって最後の晩が嫌。これで、お仕舞いかと思うと。何だかがっかりしちゃって。お母さん、そんな経験ない?" 
秋子は答えない。
"どしたの?どうかしたの。"
"ねえ、アヤちゃん。あなた、お母さんが再婚する事、汚らしいって言ったわね。"
"ううん、そんな事、もういいのよ。ごめんなさい。詰まんない事、言っちゃって。"  
"ううん。ほんとは、母さんも、そう思うのよ。お母さん、やっぱり一人でいるわ。"
"だって、お母さん。"
"ううん。私、お父さん一人で、沢山。これからも、ずっとお父さんと二人で生きていくわ。お母さん、もうこれでいいのよ。今更もう一度、麓から山に登るなんて、懲り懲り。"
"だって、お母さん。"
"いいのよ。あなた、お母さんの事なんか、気にしないで、後藤さんのとこへ行ってよ。お母さん、あなたが好きな人と一緒になって、幸せになってくれれば、こんな嬉しい事、ないのよ。それで、あなたがお母さんの事、忘れてしまったって、いいのよ。お母さん、ちっとも寂しくないわ。"
"だって、お母さん一人、あんなアパートに残して、あたし。"
"ううん、いいの。あなた、いつまでもあんなアパートに、お母さんと暮らしていたら、どうにもならないじゃないの。お母さんと一緒じゃ、先も知れてるけど、あなた、若いんだし、これからなんだし、先先、どんな幸せが待っているか、分からないじゃない?"
"ねえ、後藤さんのとこへ、行ってよ。お母さんは、お母さんで、どうにかやって行くわよ。ねえ、そうしてね。あなたをお嫁にやるため、お母さんが嘘ついてたなんて、思わないでね。ねえ、分かるわね。分かってくれるわね。"
アヤ子は泣く。
"今度の旅行は、楽しかった。"
明けて。山に紅葉が、ちらほら。女学生は、集合写真を撮る。秋子とアヤ子は、食堂で、食事をとる。
"あんた、戦争中、ここに疎開していた時の事、覚えてる?"
アヤ子はうなずく。
"お父さん、日曜の度ごとに、帰って来て、もう何もない時だったけど、いつも何かかんか、あなたにお土産買って来て。いいお父さんだった。もう、あなたと二人っきりの旅行、これで、お仕舞いね。幸せになってよ。あなたもこれから、お母さんもこれからだ。ここで、茹で小豆食べた事、いつまでも覚えとくわ。"

後藤とアヤ子の結婚式。晴れ姿で、記念写真を撮る二人を、皆が見つめる。
"では、参ります。御新郎様、もう少しこちらをご覧になって。はい、参ります。そのままもう一枚。"

料亭。
"ちょっと、こちらの座敷、お酒だよ。" 
間宮、平山、田口。
"いやあ、今日は良かったよ。お日柄もよく、滞りなく。"
"ああ、良かったな。"
"だいぶ、ごたごたしたけど、面白かったじゃないか?"
"ああ、面白かった。一つ、アヤちゃんのために、乾杯するか。"
"おう。"
"それと、三輪と秋子さんのためにな。"
"じゃあ、乾杯。""乾杯。"
"でも、おりゃあ、あまり面白くもなかったよ。" 
"でも、いいじゃないか?肝心な目的は、達したんだから。アヤちゃん、幸せになったんだもの。" 
"そりゃあ、いいけどさ。俺だけ、だしに使われちゃって、お前らはいいよ。パイプ貰ったから。"
"これか?お前だって、得したよ。いい夢見たじゃないか?"
"夢じゃしょうがないよ。"
"しかし、世の中なんて、皆んなが寄ってたかって、複雑にしてるんだな。案外、簡単なものなのさ。"
"そりゃあ、お前たちの事だよ。"
"しかし、驚いたねえ、あの寿司屋の娘。"
"ああ。あれか?でも、面白かったじゃないか。ああいうのも、たまにはいいよ。ウエット過ぎても、困るからな。"
"でも、あんまりドライでも困るぜ。うちの奴なんか、これからだからね。親は堪りませんよ。"
"しかし、秋子さん、これからどうする積もりかねえ。一人で。"
"何だ。お前、まだ諦めてないのか?"
"いやあ、もう諦めちゃいるがね。"
"でも、かゆい所は、治ったんだね。"
"いやあ、かゆい所は、依然かゆいよ。"
"しかし、面白かったじゃないか。これで、お仕舞いかと思うと、ちょいと、寂しいね。ほかに、何かないかね。"
"うん。お前んとこのお嬢さん、どうだい?もう、そろそろだろ?"
"やあ、まだだ、まだだ。お前たちには、絶対、頼まない。"
一同、笑う。
"じゃ、まあ行こう。"
"おい、ウイスキーあるぞ?"
"いや、これでいい。"
"いやあ、面白かったよ。"
アパートに、秋子が一人。
"おばさま、もうお休みになった?"
"百合ちゃん?"
"どうしてるかと思って、見に来たの。あたしたち、あれから、皆んなで銀座に行ったのよ。これ(お土産)。"
"ありがと。"
"アヤ、今日、とても綺麗だった。日本髪、とってもよく似合って。"
"そう?気に入らないって、言ってたけど。"
"ううん。良かった。おばさま、私、これから、ちょいちょい来ていい?"
"ええ、どうぞ。どうぞ、来てちょうだい。ほんとよ。"
"うん。でも良かった。おばさま、お元気で。"
"そうよ、元気よ。今日は、ほんとに嬉しかった。皆さんのお陰で。アヤ子、幸せよ。"
"ほんと。いいお母さん持って、アヤ、ほんとに幸せよ。じゃあ、おばさま、帰ります。"
"そう。ありがと。わざわざ。"
"じゃあ、お休みなさい。"
"お休みなさい。"
"さよなら。"
"さよなら。"
秋子は、カギを締め、灯りを消す。
秋子は、うっすらと、微笑む。
【感想】
学友たちの憧れのマドンナだった原節子は、仲間の一人がかっさらった。しかし、その仲間は、故人となり、7回忌を迎えるに至る。原節子の娘は、結婚適齢期で、男たちは、献身的に、娘の結婚と、母親の再婚を成就させようと、色々と世話を焼く。しかし、母親の再婚プランを勢い余って、娘に伝えたことから、母子の関係はぎくしゃくする。それを、救ったのは、娘の友達の、直情径行な行動だった。憧れのマドンナに、男たちは、また翻弄されたのであった。


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