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一人勝手に回顧シリーズ#小津安二郎編(36)#秋刀魚の味/小津の遺作

【映画のプロット】
▶︎平山家
工場の煙、たなびく。平山周平(笠智衆)の執務室。ドアが、ノックされる。
"はい。"
秘書が、書状を届ける。
"あ、後でいいからね、これ、常務さんの所へ、持ってっといて。"
"はい。"
"済まんね。"
"いいえ。"
"田口君、どうしたのかねえ。昨日も今日も、お休みだね。"
"何ですか、あの人、結婚するんだとか。"
"ほお、じゃあよすのかい?"
"さあ?"
"それは、おめでたいね。いくつだい?"
"さあ、23、4じゃないでしょうか?"
"3、4ねえ。君は、ご主人、何してるの?"
"私は、まだ。"
"そう。まだ?"
"父と二人だけなもんですから。" 
"そう。じゃあ、いずれはお婿さんだね。いい人があるといいね。"
秘書と入れ替わりに、河合がやって来る。
"はい。"
"よお、何だい?"
"いや、ちょいと、横浜まで来たもんでね。"
"奥さん、怒ってなかったか?こないだ。"
"怒ってない。怒ってない。面白がってたよ。"
"どうも、酒飲むと、余計な事を言い過ぎるな。"
"過ぎる、過ぎる。お互いにな。お前のとこの路子ちゃん、いくつになったんだっけ?"
"何だい?4だよ。"
"いい奴が、あるんだけどね。やらないか?"
"何?"
"縁談だよ。実は、女房が聞いて来てね、大変乗ってるんだ。医科を出た奴でね、今は、大学に残って、助手してるんだ。確か、29だって言ってたっけな、確かそうだ。どうだい?"
"うーん。縁談か。"
"あるのかい?話、ほかに。"
"いや、ない。ないんだがね、まだそんな事、考えていないんだ。"
"考えてないって。お前。"
"いや、あいつだって、そんな気ないよ。まだ子どもだよ。まるで、色気がないしね。"
"いや、ありますよ。十分、ありますよ。あるんだ。"
"そうかな?あるかな?"
"あるある。まあ、やってご覧よ。結構、やりますよ。" 
"そうかね。あ、さっき、堀江から電話でね、クラス会の事で、会いたいって言うんだ。"
"いつ?"
"今夜だよ。若松で。お前のとこにも、かかっているぞ。"
"あいつ、馬鹿に元気になったじゃないか。若い細君貰ってから。あの方のでも、飲んでるのかな?ははは。じゃあ、路子ちゃんの事、よく考えてみろよ。"
"ああ。どうだい?今晩。いいね?" 
"ダメだ。ナイターだよ。大洋-阪神、それに観に来たんだ。ダブルヘッダーなんだ。"
"野球は、また今度、ゆっくり観れば、いいじゃないか。"
"今日が、ヤマなんですよ。堀江なんかに付き合っちゃいられませんよ。"
"そんな事言わずに、行けよ。まあ、行こうよ。"
"いやいや。今日はダメだ。"
"行けよ。まあ、行けよ。"
"ダメダメ。今日はダメだよ。"
ナイター。"若松"のTVに、プロ野球中継が、かかる。座敷に、平山、河合と堀江。
"お?入ったかな?"
"で、菅井の奴、どこで遭ったんだい?"
"電車の中で。ね、人が落とした新聞拾ってる妙なジジイが、いるんだってさ。よく似ている奴がいるなと思ったら、そいつが瓢箪なんだそうだ。"
"ほう、瓢箪も、もういい年だろ。"
"俺も、とうに死んでると、思っていたんだ。"
"いやあ、あんな奴は、なかなか死なないよ。死なないんだな。殺したって、死にませんよ。"
"お前、まだ恨んでるのか。"
"あいつの漢文じゃ、いじめられたからな。"
"ひでぇ、瓢箪だ。今更、呼ぶ事ないよ。"
"まあ、呼んでやろうよ。"
"あいつ、呼ぶなら、俺は、出ないよ。"
"そんな事、言うなよ。今度、あいつのためのクラス会じゃないか。"
"お前が、出なきゃ、面白くないよ。出ろよ。"
"出ろ、出ろ。"
"やだ、やだ。おい、どっち勝ってる?"
"まだ、そのまま。0対0。はい、お熱いの。"
"うん。" 
"これ、空だ。"
"はい。堀江先生。奥さん、遅いじゃありません?"
"うん。" 
"何だ?細君来るのか?"
"うん。来るんだ。"  
"来るのか?"
"ああ、来るんだ。今、友だちと会ってるんだ。後から、来るんだ。"
"ほんとに、お綺麗で、お若い奥様で。"
"いやあ。"
"お前、この頃、どこへ行くのも、細君と一緒か?" 
"ああ、まあ大体ね。"
"飲んでんのか?"
"何?"
"あの方の(強壮剤)。"
"いやあ、俺は、まだ必要ないんだ。必要ないんだ。女将さん、どうだい?" 
"何です?"
"あの方の。"
"亭主に飲ませてるかって、聞いてるんだよ。お薬。あの方の。"
"あら、嫌ですね。じゃあ、お後、お付けしときますね。" 
"おい、どうだい?"
"うん。"
"しかしね、ここだけの話なんだけどね。"
"何だい?"
"真面目な話ね。"
"何だい?"
"大きな声じゃ言えないけど、いいものだぞ。" 
"何が?"
"若いのさ。結構、行くもんだ。はあ。"
"何?いやんだい。"
"いやあ、真面目な話、ほんとなんだ。"
"娘さんと、いくつ違うんだい?"
"三つだがね。関係ないんだ、そんな事は。"
"幸せな奴だよ。お前は。"
"そうだよ。全く、楽しいんだ。どうだい?第3の人生。お前も。"
"そうか、そんなにいいか?"
"よせよせ。お前は、そのままで、いいよ。それより、娘を嫁にやる事を考えろ。"
"しかしな、真面目な話。"
"もう、分かったよ。沢山だ。"
"いや、ここだけの話。"
"堀江先生。いらっしゃいましたよ。"
"ああ、そう。" 
"どうぞ。"
堀江の細君が、現れる。
"おいで。どう?会えた?お友だち。"
"ええ。" 
"まあ、お上がりよ。" 
"やあ、いらっしゃい。"
"いらっしゃい。"
"ご無沙汰してまして。" 
"いやあ、ご機嫌よう。いかがです?"
"はあ。" 
"まあ、お上がんなさい。"
"どうぞ、どうぞ。"
"はあ。"
"君、買い物も済んだの?''
"ええ。"
"どう、ちょっと、上がらない?" 
"あの、あたくし、もう。"
"そう。帰る?お薬買って来た?" 
"ええ。"  
"そう。じゃあ、ちょっと飲んで行こうか?'' 
"何の薬だい?"
"いやあ、ビタミンだよ。"
"ビタミン?" 
"ああ。"
"うちに帰って、お上がりになったら。"
"そうね、そうしようか?じゃあ、失礼しようか?悪いけどね、帰るよ。"
"クラス会の話、どうするんだ?"
"任せるよ。悪いけど、うまくやってくれよ。"
"じゃあ、ごめんください。"  
"やあ。""お大事に。"
"おい、俺は、ナイター棒に振って来たんだぜ。" 
"ナイターは、いいよ。"
"お前、飯いいのか?"
"うちに帰って、食うよ。じゃ、さよなら。失敬。批評は、後で聞くよ。何とでも、言え。や。"
"あんなになっちゃう、もんかねえ?馬鹿な奴だよ。" 
"うん。"
"ああは、なりたくないね。やだやだ。"
平山が、帰宅する。
"おい、もう締めて、いいか?"
"いいわ。"
娘の路子(岩下志麻)が、出迎える。
"お帰りなさい。"
"あ、ただ今。"
"あら、またお酒臭い。"
"ああ。今日は、そうは、飲んどらん。" 
"ほんとかな?"
"お父さん、兄さんに会わなかった?"
"来たのか?"
"今、帰ったとこ。"
"何だい?"
"ううん。何だか?これ、くれた。ドーナツ。まだ、一つ残ってる。"
"そうか。"
次男が現れる。
"お帰り。"
"ああ。"
"お父さん、お茶漬け上がる?"
"いや、もういい。"
"じゃあ、これ、俺、食っちゃうよ。"
"富沢さんね、明日から来ないのよ。'' 
"どうして?"
"兄さんのお嫁さんが死んだんで、くにに帰るんだって。"
"後、誰か、頼んだのかい?"
"甲斐に頼んどきますって、富沢さん、言ってたけど、いい人ないらしいのよ。" 
"そうか、そりゃ困ったな。"
"いいわ、皆んなでやれば。その代わり、早く起きるのよ。和ちゃんも。"
"俺は、ゆっくりでいいよ。明日、休みだから。"
"お父さんも、明日は昼からだ。"
"じゃあ、早いの私だけね。出た後、二人でよく片付けといてね。散らかしっぱなしは、嫌よ。お父さん、これから遅くなる時は、電話かけてよ。和ちゃんもよ。じゃなきゃ、帰って来ても、ご飯ないから。"
"姉さん。俺のズボンどこだよ?鼠の。" 
"二階のタンスでしょ。自分で、探しましょう。"
"幸一、何しに来たのかな?"
"知らねえよ。電話かけてみたら、いいじゃないか。もう、帰ってるよ。"
幸一(佐田啓二)が、アパートに帰宅する。
"ただ今。"
"遅かったわね。"
"ああ、親父のとこ、寄って来たんだ。"
"君、早かったのか?"
"早くもなかったけど。お父さん、何て?"
"いなかったんだ。"
"そう。" 
"これ、路子が、返してくれって。"
"ああ。洋裁の。うまくできたかしら?"
"どうだか?親父のとこ、そのうち、も一度、行くよ。"
"そうして。山岡さんね。"
"誰?" 
"3階の。この上の。"
"ああ。共和生命の。"
"あそこの奥さん、こないだから、入院してたでしょ。"
"そうかい。どうして?"
"退院してきたの。可愛い赤ちゃん。男の子。"
"ああ、赤ん坊か。"
"で、幸一って付けようかって言うの。それじゃあ、あなたと、一緒じゃない?よしなさいって、そう言ってやったの。''
"いいじゃないか、幸一。"
"よかないわよ。大きくなって、あんたみたいになっちゃ、折角の赤ちゃん、可哀想だもの。ふん。幸一は、あなただけで、沢山。"
"葡萄食べる?帰りに買って来たんだけど。" 
"明日、食うよ。眠いよ。床、引けよ。"
"ちょっとまってよ、私、食べるんだから。自分で、引いてよ。"
"冷蔵庫ね。やっぱり、一時払いの方が、得らしいのよ。割引もあるし。"
康一は、欠伸をする。

大和商事。
"はい。"
路子が、河合に書類を届ける。
"おい、路子ちゃん。"
"はい。"
"お父さんから、聞いたかい?"
"何でしょうか?"
"縁談だよ。君の。いい話なんだけどね。"
"いいえ。"
"お父さん、何も言わないかい?しょうがない奴だな。どうなの?君。お嫁に行く気ないの?どうなのさ?"
"どうなんだい?"
"でも、私が行くと、うちが困ります。"
"どうして?"
"どうしてって、困るんです。"
"困るからってね、そんな事言ってたら、いつまで経っても、お嫁に行けやしないよ。"
"いいんです。行けなくたって。"
"よかないよ、いけないよ。そのまま、おばあちゃんになったら、困るじゃないか。一度、お父さんに聞いてご覧よ。"
ドアがノックされる。
"はい。"
男性社員が入り、路子は、退出しようとする。
"あ、君、平山君。お父さんね、今日、クラス会行くって、言ってたかい?"
"はい。"
"そう。"
河合は、書類を受け取り、目を通す。

料亭の座敷。平山たちのクラス会。
"そうだったかな?"
"そうだよ。なあ。"
"それで、お前、停学食ったよ。"
"食った、食った。"
"あん時は、何だったんだ?"
"女学生に、ラブレター出したんだよ。"
"それが、ライオンズに見つかってね。"
"先生、ライオンどうしました?"
"ライオン?"
"ええ。数学の宮本先生。"
"あ、あの方は、亡くなられました。いい人でしたがな。"
"天皇、どうしてます?後醍醐天皇。"
"ああ、歴史の塚本先生。あの人は、まだご壮健で、今、鳥取におられてね、今をもって、年賀状いただいてますわ。それから、物理の天野先生ね。"
"ああ、狸ですか?"
"狸とおっしゃったかな?あの方は、息子さんがようなられて、参議院議員でね、もう今は、楽隠居ですわ。"
"そうですか。まだ天野先生、お達者ですか?" 
"先生、お嬢さんいられましたね。"
"はい、います。"
"可愛らしい、綺麗なお嬢さん。"
"いえ、お恥ずかしい。"
"お嬢さん、お孫さん、幾足りですか?"
"それがね、私は、早うに、家内を失くしましてな、娘もまだ、一人でおるんですわ。"
"そうですか。それは、お寂しいですね。"
"いやあ、もう皆さん、お子さんも立派におなりだろうが、あなた、お孫さんは?" 
"はあ、へへは、どうも。"
"こいつはね、今度、孫みたいな、若い女房、貰いましてね。"
"それが、また当たりましてね、ここだけの話。結構、いいらしいんですよ。"
"そうですか。そりゃあ、おめでたい。"
一同笑う。 
"堀江さんは、確か、副級長しておられましたな?"
"あっ、はは。"
"こいつは、今でも、副級長ですよ。うちに帰れば、女性が級長でね。"  
一同笑う。
"なるほど、なるほど。あー美味い。これは、何でしょう?"
"ハモでしょう。"
"ハム?"
"いえ、ハモ。"
"ハモ?なるほど、結構なもんですな。ハモか。魚片に豊か?ハモか。"
"先生、いかがですか?"
"ビールですか。はあ、どうも。"
"しかし、先生、お嬢さんとお二人じゃ、お寂しいですね。" 
"はい。もう慣れました。長い事で。娘は、どう思とるか、分かりませんが。今日は、皆さんのお陰で、もう十分、いただいて。"
"どうぞ。"
"こりゃ、どうも。"
佐久間(東野英治郎)は、盃を空ける。
"いやあ、全く愉快でした。さっきも、どなたか言われたが、皆さんが、あの中学を出て、40年。それぞれ立派になられて、仕事の忙しいその最中、この瓢箪のために、お集まりいただいて、結構なお招きに、預かりまして。"
"まあまあ、先生。どうです?もう一つ。"
"はい。これは、どうも。"
佐久間はまた盃を空ける。
"いやあ、戦後、人情日々に疎き折りから、ですなあ。今夕は、かくのごとき、皆さんの音声に接して、あーあ、瓢箪は、幸せ者です。ありがとう。ありがとうございました。"
佐久間が、何かを探す。
"何です?"
"私の帽子。"
"先生。まだいいじゃありませんか?"
"僕の車で、お送りしますよ。"
"いや、もうお暇せんと。"
"先生。帽子は、下ですよ。"
"ああ、そうか。これは、これは。や、そうでした。"
"そうですか、お帰りですか。"
"は、これ(グラスのビール)勿体ない。"
"先生、これ(ウイスキー)お持ちください。"
"おお、そうですか、これはどうも、重ね重ね。じゃ、皆さん。" 
"俺も、一緒に行くよ。"
"そうしてくれ。"
"それじゃ、皆さん、ありがとうございました。"
"ごめんください。""さようなら。"
"あー嬉しい。愉快でした。"
"じゃ、頼むよ。さよなら。"
"おう、帰ったかい?"
"帰ったよ。"
"瓢箪、だいぶ、ご機嫌だったじゃないか?"
"あいつ、ハモ食った事、ないのかな?字だけ、知ってやがって。" 
"ああ。茶碗蒸し、河合のまで、食ってやがって。よく飲むし、よく食うよ。"
"けど、あいつも年とったなあ。だいぶん、しなびて来たじゃないか。"
"しなびた瓢箪か。でも、いい功徳だったよ。" 
"おい、どうだい?" 
"あ、どうも。" 
"酒、あるかい?" 
"ある、ある。"
平山と河合は、車で、佐久間を送る。
"あ、ここだ、ここだ。こっちだ。"
"先生、大丈夫ですか?先生。"
"大丈夫、大丈夫。ああ、愉快な。あ、ウイスキーの瓶。"
"もう、空っぽですよ。"
"空っぽ?"
佐久間の家(ラーメン屋)に入る。
"おい、タマ子。どうぞ、どうぞ。おう、タマ子。"  
佐久間は、店の椅子に座り込む。タマ子(スギ村春子)は、黙って一礼する。
"どうしたの?お父さん。"
"えーっ。え、愉快。"
"どうも、先生、大変ご機嫌で。"
"愉快。" 
"お父さん。"
"ふーっ。愉快。だとぅー。お二人に来ていただいて、河合さんと平山さん。"
"本当に、あいすいませんでした、わざわざ。いつも父が、こうなんです。"
"うるさい。何を言う。愉快。ひっく。河合君。" 
"何です?"
"あなたは、偉くなられた。昔はやんちゃだった。や、お見それした。ひっく。タマ子、水。"
"あ、結構です。お構いなく。"
"いえ、折角、来ていただいたのに。"
"もう、結構。""もう、失礼しますから。"
"まあいい。まだよろしい。平山君。"
"はあ?" 
"平山。" 
"お父さん。" 
"さっき貰おたの、どうしたかな?上等のウイスキー。"
"あれは、先生、車の中で、お飲みになりましたよ。"
"うん?飲んだ?あ、飲んだ、飲んだ、飲んでしもた。君は、昔から記憶力が、良かった。"
"じゃ、先生、お大事に。""じゃ、失礼します。"
"本当に、ご迷惑、お掛けして。"
"ごめんください。""ごめんください。"
"まだいい。おう、はっ、平山。タマ子、水。" 
タマ子は、電気を消し、椅子にすわる。
"愉快、全く愉快。おい、平山、河合、立ってろ。何?ハムじゃない、ハモ。"
佐久間はいびきをかき出す。タマ子は泣く。

料亭"若松"。平山と河合。
"菅井の奴、瓢箪が、チャン蕎麦屋やってるの、ちゃんと知ってたのかね?"  
"知っては、いるだろう。しかし、驚いたね。"
"あの娘だって、どこか変だぜ。何となく、ぎすぎすしててさ、冷たくて。あれじゃあ、瓢箪も寂しいよ。"
"うん。ああは、なりたくないな。"
"お前だって、なるぜ。"
"いやあ、俺はならんよ。"
"いや、なる。路子ちゃん、早く嫁にやれよ。"
"そうかな?"
"そうだよ。"
"いやあ、俺は、大丈夫だよ。" 
"おビール、お持ちしましょうか?"
"まだいいよ。まだ、これからお勤めだからね。"
"今日は、堀江先生、ご一緒じゃなかったんですか?ほんとにお若くて、可愛らしい奥さんで。"
"ああ、可愛いね。ねえ。"
"うん。"
"可哀想な事、しちゃったよね。"
"うう、ねえ。"
"どうかなすったんですか?" 
"夕べ、お通夜だよ。" 
"どなたの?" 
"どなたのって、堀江だよ。"
"まさか?"
"今日は、友引なんでね。明日が、告別式なんだ。"
"ほんとですか?"
"今も、お弔いの打ち合わせなんだ。なあ、おい。花輪は、ご辞退しようか?"
"そ、あれは、無駄だよ。やめよか。"
"何で、亡くなったんです?"
"あいつ、血圧も高かったからね。"
"やっぱり、若い女房が、祟ったんだよ。"
"ほんとですか?"  
"女将さんも気を付けなよ。ほどほどにしとくもんだよ。"
"嫌ですよ。ご冗談ばっかり。いらっしゃいましたよ。いらっしゃいませ、あちらです。"
"ああ。"
"やあ、遅くなっちゃって。"
"良かったな。""良かったよ、達者で。"
"何?"
"まだ生きてたかい?"
"何?"
"いや、こっちのこったい。"
"いい塩梅にね、皆んな、大体、賛成なんだ。"
"そうかい、そりゃ良かった。" 
"こないだ来なかった久保寺と宮川と下河原も出すってんだ。"
"だったら、2,000円ずつ集めろよ。大体、20,000円になるじゃないか。"
"そうするか?"
"そうしようよ。"
"お前、届けてくれるか?"
"俺がか?"
"お前が、一番近いんじゃないか。届けてやれよ。瓢箪、喜ぶよ。"
"いや、あんな所に、瓢箪住んでるとは、思わなかったよ。"
"そんなもんだよ。縁てもんはな。俺だって、そうだった。"
"何、言ってやがんだ。" 
" はっは、これ(グラスのビール)貰うよ。美味い。"

場末の佐久間のラーメン屋。
"おい、ここ、置いとくよ。"
"ありがとうございます。"
平山がやって来る。 
"ごめんください。"
"どなた?"
"まあ。"
"どうも、先夜は。"
"本当にありがとうございました。遠い所、わざわざ送って、いただきまして。"
"いやいや。私は、すぐこの先におりますんで。先生は?" 
"はい、おります。お父さん。お父さん。"
"ああ?いやあ、これは、これは。"
"どうぞ、お掛けになって。"
"やあ。" 
"やあ、これは、これは。平山さん。"
"どうも、先日は。"
"いや、結構なもてなしをいただきまして。"
"いや。" 
"つい、どうもいい気持ちになりまして、ご無礼な事を申し上げたようで、後で、娘に叱られましてな。何とも恐縮です。幾重にも。"
"いやいや、我々の方こそ。どうも。"
"なにせ、40年ぶりでしたのでな。誠に愉快でした。"
"どうぞ、お一つ。"
タマ子がお茶を運ぶ。
"おい、酎出せ、酎。"
"ビールの方が、よかない?" 
"ビールの方が、よろしいですか?"
"いや、もう結構です。お構いなく。"
"もっといで、もっといで。"
"いや、ほんとにもう、どうぞ。ほんとに、お構いなく。"   
"はあ、何ももてなし、できませんで。どうせこの辺、口に合うような気の利いたもの、何もございませんけど。''
"いや、どうぞ、本当にお構いなく。"
"それとも、私が何か作りますか?"
"いや、もう、ほんとにお構いなく。実はね、先生、こないだの連中が、これ、先生に。"
"何ですか?"
"いや、記念品でもと思ったんですが。"
"いや、それいかん。それは、いただけん。どうぞ、ごめんを。" 
"それじゃあ、僕が困るんです。大した事じゃ、ないんです。どうぞ、どうぞ、どうぞ。"
"いやあ、それは、いただけんのだ。私如き者を、ああいう会に呼んでいただいただけで、嬉しいんだから。"
"や、いらっしゃい。"
"おう。チャーシュー麺。"
"はい。じゃあ、ちょっと平山さん。"
"じゃあ、先生。いずれまた。"
"そうですか。申し訳ないですなあ。"
"またお目にかかります。ごめんください。"
"艦長、艦長さんじゃ、ありませんか?"
"えーと。あなた、どなたでしたかな?"
"坂本ですよ。坂本芳太郎。あさかぜ乗ってました。一等兵曹の。"
"ああ、坂本さん。そうでしたか。"
"なあ、親父。こちら、俺が乗ってた駆逐の艦長さんだよ。" 
"そうですか。それはそれは。そう言えば、平山さんは、海兵に行かれたんですな。"
"やあ、どうも。"
"ほんとに、久しぶりですなあ。どうです?艦長。ちょっと付き合ってください。親父、チャーシュー麺もういいわ。ここあまり、美味くないんです。な、親父。"
"はあ。"
"どっか行きましょう。付き合ってください。"
"やあ、しかし、あんたも、達者で。"
"ええ、お陰様で。あたしはね、すぐそこで、自動車の修理屋やってるんです。うちも、ちょっと寄ってください。ね。行きましょう。ね。そうしてください。"
"じゃあ、ちょいと寄らして貰おうか。"
"ね、そうしてください。じゃ、親父、帰るよ。"
"毎度どうも。" 
"じゃあまた。"  
"さ、どうぞ、どうぞ。"
トリスバー。平山と坂本。
"ねえ、艦長。どうして、日本、負けたんですかね。"
"うん。ねえ。"
"お陰で、苦労しましたよ。帰ってみると、うちは焼けてるし、食い物はねえし、それに、物価は、どんどん上がりやがるしね。おい、レコード止めろ。" 
"はい。" 
"それでね。女房の親父から銭借りましてね、今のポンコツ屋始めたんですわ。それが、どうやら、当たりましてね、まあまあ。" 
"あんた、子どもさんは?さっきの娘さんだけ?"
"あの上に、もう一人いますがね、もう片付けちゃいましたよ。まあ、間もなく、私もお爺ちゃんですわ。うかうかしてられませんや。そこへ行くと、艦長なんか、何もご苦労なかったでしょうね?"
"いやいや、私も苦労しましたよ。まあ、先輩のお陰で、いまの会社に入れたものなのにね。"
"けど、艦長、もし、らこれで、日本が勝ってたら、どうなりますかね?"
"さあね。"
"おい、これ、トリス。瓶ごと持って来い。瓶ごと。勝ったら、艦長、今頃、あなたも私も、ニューヨークだよ。ニューヨーク、パチンコ屋じゃありませんよ。ほんとのニューヨーク、アメリカの。"
"そうかね?"
"そうですよ。" 
"はい。"
トリスの瓶を置く。
"負けたからこそね、今の若い奴ら、向こうの真似しやがって、レコードかけて、けつ振って踊ってますけどね。これが、勝っててご覧なさい、勝ってて。目玉の青い奴が、丸髷かなんか結っちゃって、チューインガムかみかみ、三味線弾いてますよ。ざまみろってんだい。"
"けど、負けて、良かったじゃないか?"
"そうですかね?そうかも知らねえな。馬鹿な野郎が、威張らなくなっただけでもね。艦長、あんたの事じゃありませんよ。あんたは、別だ。"  
"いや。"
"さあ、どうぞ。"
"うん。" 
"ぐっと空けてください。ぐっと。"
"う、うん。"
バーのママ(岸田今日子)が、帰って来る。
"お帰りなさい。"
"いらっしゃい。"
"おう、どうしたんだい?" 
"お風呂よ。"
"今時分、風呂行く奴あるかい?"
"暇だったのよ。お釈しましょうか。"
"暇だと、お世辞がいいな。艦長、これが、ここのマダム。"
"やあ。"
"いらっしゃい。"
"あんたは、だいぶ、お馴染みらしいな。" 
"いやいや、贔屓にしてやってください。"
"俺のね、海軍の時の艦長さんだよ。"
"どうぞよろしく。"
"じゃあ、あれかけましょうか?あれ。"
"またかけるか?かけろ、かけろ。艦長、景気良くやりましょう。嬉しいね。全く嬉しいね。"
"ほら、来た。"
軍艦マーチが流れる。
"ちゃかちゃか、ちゃんちゃー、ちゃー...ねえ、艦長、艦長もやってくださいよ。"
平山も、顔の前に手をかざす。マダムも敬礼する。
"こうじゃない、こう。"
坂本は、その場で立ち上がり、足踏みを踏む。 
"本日、天気晴朗なれど、波高し。"
平山が帰宅する。
"お帰りなさい。"
"あ、ただ今。"
"兄さん来てんのよ。"
"そうか。"
"また、お酒飲んでるのね。"
"いや、そうは、飲んどらん。"
"飲んでる。飲んでる。"
"ああ、お帰りなさい。""お帰り。"
"だいぶ、ご機嫌ですね。"
"やあ、今日は、妙な男に遭ってね。変なうち、行って来たよ。"
"お父さん、ご飯ないわよ。電話かけて、よこさないんだもん。"
"あ、食って来た。そこに、女がいてね。"
"どこなんです?"
"バーなんだがね、そこの女が、若い時のお母さんに、よく似てるんだよ。"
"顔がですか?"
"うん。体つきもな。そら、よく見りゃだいぶ違うよ、けど、下向いたりすると、この辺(あごの下)、ずっと似てるんだ。"
"そうですか。"  
"いくつくらいの人?"
"28、9かな?"
"じゃあ、お母さんのその時分、おれ、まだ生まれてなかったな。"
"変な洋服着て、鉢巻してたがね。"
"お母さんも、洋服着て、鉢巻してたのかい?"
"いやあ、お母さんは、いつも着物だった。"
"でもさ、疎開してた時さ、お母さん、つつっぽ着て、お父さんのズボン穿いてたじゃない。" 
"うん。そのバー、一遍、行ってみたいな。どこです?"
"ああ、行ってみるか。まあ、それほど、似てはいないがね。"
"俺も、見に行こうかな?"
"私は嫌。そんな人、見たくないわ。"
"うーん。何だい?今日は。"
"ええ。ちょいと。"
"路子、風呂あるのかな?"
"今日は、沸かさなかった。"
"そうか。幸一。"
"何だい?"
"ちょいと、5万円ばかり。冷蔵庫を買おうと思うんです。"
"ああ、いいよ。けど、今ないよ。急ぐのかい?"
"なるべく、早い方が、いいんですけど。"
"じゃ、2、3日うちに、路子に届けさせるよ。"
"お願いします。"
"ああ。"
"路子。シャボン。シャボンないよ。"
"はーい。"

幸一の妻、秋子が、アパートの隣室を訪ねる。
"はーい。"
"あ、トマトあったら、二つばかし、貸してよ。"
"あ、あるある。"
"これ、どう?掃除機、具合いい?"
"あ、それ。いいわよ。"
"はい。これ、冷えてるわよ。" 
"ありがと。うちも買う事にしたの。冷蔵庫。"
"でも、あんな物、早く買うと損ね。どんどんいいのが、出来るから。"
"そうね。じゃ、借りとく。ありがと。"
幸一が、ゴルフクラブを抱えて、帰宅する。
"君、早かったのか?"
"ううん。ついさっき。それなあに?"
"これ(ゴルフクラブ)だよ。"
"どうしたの?"
"路子、金持って来たかい?"
"ううん。まだ。"
"そうかい。"
"どうしたのよ?それ。"
"うん。安いんだ。"
"買ったの?それ。" 
"いや、金は後でいいんだ。三浦の友達がね、新しいの買ってね、これ、譲るってんだ。掘り出し物だよ。いいんだ。" 
"あんた、買うの?お金、どっから出すの。そんな物、買っちゃダメよ。いいじゃないか。路子が、持って来るよ。余計に借りたんだ。"
"いくら、借りたの?" 
"5万円。"
"余計に借りたって、そんな物に、使えないわよ。あんた、なんだかんだって、勝手に一人で、お小遣い、使ってるじゃない。" 
"そうでもないよ。"
"使ってるわよ。使ってるじゃないの。私だって、欲しい物、あるのよ。それを我慢してるのに、自分だけ何さ。返してらっしゃいよ、そんな物。"
"今更、もう返せないよ。"
"返せるわよ。返してらっしゃいよ。大体ね、あんた程度のサラリーマンが、ゴルフするなんて、贅沢よ。生意気よ。たまに早く帰って来ると、疲れた、疲れたなんて、早あく寝ちゃってさ、ゴルフなんか、よせばいいのよ。よしちゃえ、よしちゃえ。"
幸一は、クラブを持ち替え、素振りする。

ビルの屋上の練習場で、幸一は、ボールを打つ。
"いい当たりですね。"
"なかなかいいよ、これ。"
"何てったって、マクレガーですからね。"
"うん。" 
"少し、傷付いてますけどね。買い物ですよ。"
"そうだね。"
"ほんとは、僕が欲しいんですけどね。金ないからな。"
"機械部の塩川さんに聞いてご覧よ。あの人欲しがるから。" 
"あんた、ダメですか?" 
"欲しいけどね。今ちょっとまとまった金、困るんだよ。"
"奥さん、反対ですか?"
"うん。"
"いいけど。これ。マクレガーだからな。"
"いいよなあ。"
"思い切って、どうです?"
"まあ、やめとくよ。"
"奥さん、そんなに怖いんです?" 
"怖かないけどな、後、祟るから。おい、ちょいと、もう一遍、貸せよ。"
"もう、いくらも時間ありませんよ。"
"まだ、大丈夫だ。"

幸一のアパート。秋子は、掃除し、幸一は、寝転がって、タバコを吸う。
"あんた、時計巻いといてよ、もうじき止まるわよ。"
幸一は、動かない。
"何?膨れてんのよ。行きたきゃ、行ったらいいじゃないの。ゴルフしちゃいけないって、言ってやしないのよ。何さ、子どもみたいに。早く、早く自分の好きな物が、買える身分になりゃ、いいじゃない。ノーコメントか。時計。"
幸一は、起き上がり、掛け時計のネジを巻く。
路子がやって来る。ドアがノックされる。
"はい。"
"こんちわ。""こんちわ。"
"いらっしゃい。いいお天気ね。"
"ええ。"
"どうぞ。"
"こんちわ。兄さん、よくいたわね。ゴルフかと思ってた。"
"ご機嫌悪いのよ、兄さん。折角の日曜。"
"どうして?"
"聞いて、ご覧なさい?"
"どうしたの?これ、持って来たわよ。お父さんからの。"
"それ、こっちにちょうだい。ありがと。"
"兄さん、ほんとにどうしたの?"
"当てが外れたのよ、折角のお金。"
"うるさい。"
"兄さんね、欲しい物があったのよ。それで、余計にお父様から、拝借して。"
"うるさい。"
"それでね。"
"うるさい。" 
同僚が、ゴルフクラブを抱えて、幸一を訪ねる。
"はい。" 
"いらっしゃい。"
"こんちわ。"
"兄さん、三浦さんよ。"
"こんちわ。"
"よお、何だい?"
"これですけどね、友達に、そう言ったら。あ、こんちわ。"
"いらっしゃい。なあに?"
"これなんですけどね、折角、約束したんだし、友達としても、是非って言ってるんです。"
"あ、それ、要らないの。でも、まあ、お上がりなさいよ。"
"はあ。"
"上がれよ。"  
"じゃあ、まあ。"
"昨日、あれから、友達んち、寄ったんですよ。そしたら、奴も当てにしてたんで、困ってしまいましてね。"
"三浦さん、あんた、押し売りに来たの?"
"冗談じゃない。違いますよ。これ、奥さん、ほんとにいいんですよ。ほかの奴に、渡したくないんだ。月賦でいいって言うんです。" 
"月賦?"
"ええ。"
"月賦だって、ダメよ。ダメダメ。"
"そうかなあ。ダメかな?2,000円で10か月。安いんだけどな。"
"ダメダメ。ダメよ。"
"そうかなあ?僕だったら、買うけどな。"
"じゃあ、あんた、お買いなさいよ。" 
"いや、ダメなんです。金ないんです。"
"じゃあ、勧めないでよ。兎に角、それ、要らないの。持って帰ってよ。"
"そうですか。悪かったですね、奥さん怒らしちゃって。" 
"いや、いいよ。あいつ、朝から、機嫌悪いんだ。"
"でも、悪かったなあ。"  
"はい。2,000円、1回分。"
"いいんですか?"
"いいのよ。この辺で、買っとかないと、後、うるさいもん。"  
路子は笑う。
"良かったわね、兄さん。"
"いいよな、これ。"
"いいですよ。絶対ですよ。じゃあ、奥さん。2,000円確かに。" 
"覚えといて、今月からってこと。後9回よ。"
"そりゃあ、大丈夫ですよ。じゃあ、僕、帰ります。"
"何だ、帰るのか?"
"現金ね、あんた。"
"いやあ、昼から約束があるんです。じゃあ。"
"じゃあ、私も。"
"何だ、お前も帰るのか?"
"いいじゃないの、路子ちゃん。まだ。"
"ううん。これからお友達のとこ行くの。"
"じゃあ、お父さんによろしくって言っといてくれ。"
"ええ。"  
"ありがとうございましたって、ね。"
"ええ。" 
"一緒に行きましょう。"
"ええ。じゃあ、失礼します。" 
"さよなら。" 
"あ、さよなら。""さよなら。"
"さよなら。"
"おい、いいのか?これ(ゴルフクラブ)。"
"欲しいんじゃなかったの?"
"いやあ。欲しいんだ。"
"その代わり、私も買うわよ。"
"何?"
"白い革のハンドバッグ。割に高いのよ。買うから。買っちゃうから。"
幸一は、嬉しそうに、クラブを手にする。
三浦と路子は、ホームで、電車を待つ。
"お兄さん、奥さんには優しいんですね?"
"でも、私たちには、結構、威張るのよ。"
"やっぱり、奥さんには、優しくした方がいいのかな?" 
"そうね。でも、あんまり優しいのも、嫌ね。" 
"そうですか。難しいな。"
"あ、電車、来た。"
  
▶︎路子の縁談
平山のオフィス。
"はい。"
OLの田口が、入って来る。
"よう、どうしたい?"
"あの、長い間、色々お世話になりましたけど。"
"そうだってねえ、お嫁に行くんだって?おめでとう。"
"ちょっと、ご挨拶に。"
"そう。君は、3だったかね?4だったかね?"
"4で、ございます。"
"そう、それじゃ、うちの娘とおんなじだ。ま、幸せにね。しっかりおやんなさい。"
"ありがとうございます。" 
"はい。" 
"この方が、ご面会です。" 
名刺を差し出す。
"あ、そう。こっちへお通しして。"
"はい。" 
田口も辞去する。
"あ、田口君、君、後でまたちょっと、寄ってくれないか。"
"はい。失礼いたします。"  
佐久間がやって来る。
"はい。" 
"やあ、いらっしゃい。"
"どうもお忙しいところ、突然お邪魔しまして。"
"いやいや、どうぞ。"
"はい。先日は、どうもわざわざお越しいただいて。後で気が付きましたら、箸立ての下に。"
"まあ、いやいや、どうぞ、どうぞお掛けください。"
"はい。誠に過分なお志をいただきまして。"
"いやいや、さあ、どうぞ。"
"はい。只今も、皆さんの所へ、お礼に伺ったような次第で。"
"そりゃどうも、わざわざ。河合いましたか?"
"あの方は、ちょっとお出掛けになっておりまして。"
"そうですか。先生、もう、これからお宅にお帰りですか?"
"はい。こちらが、最後になりまして。どうも。"
"じゃ、ご一緒に帰りましょう。同じ方向だから。"
"はい。でも、まだお仕事が。"
"いや、いいんです。"
平山は電話をかける。
"あのね、大和商事の河合さん、呼んで。あ、常務の河合さんだ。それからね、うちの田口君、もう一度、来て貰ってくれないか。"
平山は、財布から札を取り出し、封筒に入れる。
料亭"若松"。
佐久間、平山、河合。佐久間は、もう酩酊している。
"先生、どうしました?まあ、一杯行きましょう。" 
"どうも。はあー、嬉しい。嬉しいもんだ。ご迷惑、かけちゃった。"
"おい、瓢箪、もうダメだぞ。"
"はあ?"
"先生、どうです?もう一本。"
"ありがと。いやあっ、あんた方は、幸せだ。私ゃ寂しいよ。"
"何がです?何が寂しいんです?"
"いやあ、寂しいんじゃ。悲しいよ。結局、人生は、一人じゃ。一人ぽっちですわ。いやあ、私は失敗した。失敗しました。つい、こう便利に使こおうて、しもてね。"
"何がですか?"
"いやあ、娘ですよ。娘をね、つい、便利に使こおうてしもた。嫁の口もないにはなかったじゃが、なんせ、家内がおらんのでねえ、失敗しました。つい、やりそびれた。あ、私、失礼しよう。"
"お帰りですか?" 
"はっ。"
"まだいいじゃないですか。一つ行きましょう。" 
"そうか。いただくか。陽のあるうちに、馬草は干せか。思うなかれ、身外無窮の事。ただ尽くせ、生前一杯の酒。"
佐久間はひっくり返る。
"先生、先生、先生。"
"まあ、寝かしといてやれ。瓢箪も寂しいんだよ。"
"うん。"
"お待ちも、気を付けないと、こうなるぞ。"
"いやあ、俺は。"
"路子ちゃんが、瓢箪の娘みたいになったら、どうするんだ。"
"やあ、あいつだって。"
"なるよ。早く嫁にやれ。お前が、瓢箪みたいになっても、困るからな。"
"え?瓢箪。ここは、どこですか?"
"まあ、先生。お休みなさい。お送りしますよ。"
"あ、そう。河合さんか?"
"まあ、よく考えろよ。"
"うん。"
平山は黙って、酒を飲む。
平山が帰宅する。
"お父さん?"
"ああ。ただ今。"
"閉めないで。和ちゃんまだなの。"
"お帰りなさい。"
"ああ。"
"なあに?" 
"うん。" 
"ねえ、おい。"
"なあに?"
"お前、お嫁に行かないか?"
"え?"
"お嫁だよ。行かないか?"
"何言ってんの?"
"いや、ほんとだよ。ほんとにだよ。"
"お父さん、酔ってるのね、また。"
"ああ、少し飲んでるけどね、本気なんだよ。"
"少しじゃないわよ。どうして、そんな事、考え付いたの?"
"どうしてって、色々ね。まあ、こっち、おいで。"
"ちょっと待って。もうすぐだから。"
"お父さん、色々、考えたんだけどね、まあ、ちょいとおいでよ。"
"でも、私が行ったら、困りゃしない?"
"困ってもね、もうそろそろ行かないと。お前も、24だからね。" 
"そうよ。だからまだいいわよ。"
"しかしね、まだいい、まだいいって言ってるうちに、いつの間にか、年を取るんだ。お父さん、ついお前を便利に使って、すまんと思っているんだよ。"
"だからどうしろって言うのよ。あたしね、まだまだ、お嫁に行かない積もりでいるのよ。行けやしないと、思っているのよ。お父さんだって、そう思ってたんじゃ、ないの。"
"何?" 
"私が、このままでいるのが、いいって。"
"どうして?そんな事、ないさ。"
"だって、そうじゃないの。私が行ったら、お父さんや和ちゃん、どうするのよ?"
"そりゃ、どうにかするさ。"
"どうにかって、どうするのよ?どうにもなりゃしないわよ。お父さん、一体、いつからそんな事、考えたの?" 
"じゃあ、お前、お嫁に行かない積もりかい?"
"行かないって、言ってはしやしないわよ。そんな積もりないわ。お友達の中に、お嫁に行った人、随分いるのよ。赤ちゃんのいる人だってあるわ。" 
"そうか。だったらお前。"
"いいの。あたし、今のままで、いいの。" 
"うん。それはね、お父さんも、今が一番いい時だと思っているけどね、やはり、それじゃいけないんだ。お父さん、考えたんだよ。" 
"考えたのなら、そんな勝手な事、言わないでよ。"  
"勝手じゃないよ。"
"勝手よ。"
路子は席を立つ。
"おい。おい。路子。"
和夫が帰宅する。
"ただ今。姉さん、もう閉めていいかい?"
"ああ、もう閉めていい。"
"何だ、お父さん、もう帰ってるのか。" 
"ああ。"
"姉さんは?"
"いるよ。" 
"姉さん、俺、飯食うよ。"
路子は、口を聞かない。
"どうしたんだい?" 
"うん。"
"なあ、おい。"
"うん?"  
"姉さんね、誰か好きな人でもあるのかな?"
"あるだろ。"
"あるかい。"
"知らないけどさ、俺だってあるもん。"
"おっ。お前あるのか?"
"あるよ。清水富子ってんだ。"
"お、どこの人だい?"
"どこか、知らないけどさ。ちょいちょい、口聞いてんだ。"
"ふうん。何してる人だい?"
"毎日乗ってるバスの車掌さんだよ。名札で、名前覚えたんだ。小せえんだ、太ってんだ、可愛いんだ。"
"ふうん。そうか。"
"おーい。姉さん。飯食わしてくれよ。" 
"ああ、お前ね、台所行って、食べといで。"
"どうして?" 
"そうしろ。自分の事は、自分でするんだ。"
 
幸一のアパート。秋子が帰宅する。
"ただ今。遅くなっちゃった。何できるの?"
"冷蔵庫にハムあったんでね、ハム玉だよ。"
"私もハンバーグ買って来た。"
"ご飯着けた?"  
"ああ、もうすぐ炊けるよ。"
"今日ね、お昼に、会社に路子ちゃん来たの。"
"うん。何だい?" 
"お父さんがね、お嫁に行けって、おっしゃるんだって。"  
"ふうん。相手は誰なんだい?けど、路子が、お嫁に行ったら、お父さん、困るじゃないか。どうする積もりだろう?"
"路子ちゃんも、そう言うのよ。" 
"じゃあ、路子は、そんな気ないのか?"
"それは、分からないけど、このところ毎晩、お父さん、そう、おっしゃるんだって。嫌になっちゃったって言うのよ、路子ちゃん。"
"どんな奴なんだ?相手。"
"河合さんからのお話でね、お父さん、その人に会ったんだって。悪くはないらしいのよ。"
"路子、気に入らないのか?"
"そこんとこが、ぼんやりしてんの。あら、あなた、お嫁に行きたくないの?って聞いたら、そうでもないらしいの。" 
"どう言うんだい?そりゃ。"
"どう言うんだろ?" 
"じゃあ、路子、何のために、君のとこ、行ったんだい?"
"でも、何となく、わかる気がするじゃない?路子ちゃんの気持ち。"
"そうかな?"
ドアがノックされる。
"はい。"
周吉が現れる。
"よう。"
"やあ。いらっしゃい。"
"ああ、帰ってたか。早かったな。"
"ええ。"
"あら、お父さん。いらっしゃい。"
"やあ。"
"どうぞ。"
"これ、牛肉の佃煮だ。"
"どうも。""どうもすいません。"
"お父さん、今、お帰りですか?" 
"うん。ちょいと、話があるんだ。出られないか?"  
"僕、まだ飯前なんですがね。"
"そうか。"
"どうぞ、お父さんもご一緒に。"
"ああ。飯は、どこかそこらで食うとして、どうだい?"
"そうですか。" 
"そのままで、いいじゃないか。"
"じゃあ。"
"ねえ、きっと路子ちゃんの事よ。"
"うん。"
"お待ちどう。"
"じゃあ。ちょいと、借りてくよ。"
"どうぞ、行ってらっしゃい。"
"じゃ、行って来るよ。"
"行ってらっしゃい。"
周吉と幸一は、トリスバーのカウンターに座る。
"ご馳走さん。"
"はい。"  
"はい。"
お茶が出る。
"ありがとう。"
"よろしいんですか?" 
"ああ。" 
"これ、おくれ。"
"はい。"
"はい。"
ウイスキーのお代わりが出る。 
"似てるかな?似てませんよ。"
"うん、よく見りゃ、だいぶ違うがね、どっか似てるよ。"
"そうかなあ?で、お父さん、その男、どうだったんです?" 
"岡崎の旧家の次男でね、なかなか体格のいい、しっかりした男でね、お父さんは、いいと思ったんだけどね。" 
"路子、ほかに好きな人があるんじゃ、ないですかね?"
"そう思うかい?お前。"
"ええ。"
"そうなんだよ。和夫の話だとね、三浦って人を好きらしいんだよ。"
"三浦って?"
"お前の会社の。"
"ああ、あいつですか?"
"どんな人だい?"
"あいつは、いい奴ですよ。あいつだったら、賛成だな。路子は、何て言うんです?"
"聞いてみたんだがね、はっきり言わないけど、何となく、好きそうなんだ。" 
"あいつなら、訳ないがな。"
"そうかい。じゃあ、お前、一つ、三浦君にそれとなく、聞いといてくれないかな?"
"ええ、いいですよ。あの男なら、いいですよ。"
"そうかい。やっぱり好きな人と一緒にさせて上げた方がいいからね。その方が、路子も幸せだよ。"
"そうですね。じゃあ、早速、聞いてみましょう。" 
"ああ、そうしておくれ。"
"今日は、お静かね。こないだのあれ、かけましょうか?" 
"いや、まあいいよ。"
"何です?"  
"いやあ。"
"しかし、あいつが行っちゃうと、お父さん、寂しくなりますね。"
"でも、もうやらないとね。"

居酒屋の2階の座敷。幸一と三浦。
"どうです?"
"ああ。君、強いね。"
"強くはないですよ。まあ、ビールなら、2本かな。"
"君ねえ。"
"何です?"
"結婚する気ないかね?"
"誰かあるんですか?いいの。"
"いいか、悪いか、ない事は、ないんだがねえ。"
"そうですか?ほんとですか?"
"ほんとだよ。あるんだ。どうだい?もらわないかい?"
"そうか。弱っちゃったな。"
"何が?弱る事は、ないだろ?どうだい?"
"ええ。"
"もう、貰っても、いいよ。"
"そうですね。実はね、あるんですよ。"
"あるのかい。"
"女房じゃないですよ。でも、いるんです。"
"そうかい。" 
"あんたも知ってる人ですよ。"
"誰だい?"
"庶務課の井上美代。"
"ああ。あの子。"
"いけませんか?ダメですか?"
"いや、いいよ。いい子だよ。"
"皆んなに、黙っててくださいね。まだ、誰にも言ってないから。"
"ああ、そりゃ言わないよ。"
"約束しちゃったんです。"
"ふーん。いつだい?"
"この夏、皆んなで、伊香保行ったでしょ。会社で。"
"ああ、あの時からか。"
"あの時からかって、何もしてませんよ。"
"嘘つけ。"
"そりゃ、手くらい、握ってるけど。"
"そうか。"
"あんたの話って、誰です?"
"まあ、いいよ。"
"聞かせてくださいよ。僕だって、言っちゃったんだから。"
"うん。"
"誰です?" 
"うん。妹なんだ。"
"妹って、路子さんですか?"
"ああ。"
"路子さん、知ってるんですか?その話。"
"ああ。まあね。"
"だったら、もっと早く、言ってもらいたかったな。僕、あんたに、それとなく、聞いた事があるんですよ。そしたら、あんた、あいつは、当分行かないよって、言ったじゃ、ありませんか。"
"そうかな?そんな事、言ったかな?"
"言いましたよ。言ったよ。路子さんも、そんな事言ってたし、だから、僕は、もうダメだと思ったんだ。ねえ、ビール、もう1本貰いましょうか?" 
"ああ。そうか。それは、いけなかったな。"
"惜しい事、しちゃったなあ。もっと、早く言ってくれりゃ、良かったんだ。"
"まあ、うまくゆかないもんだよな。"
"そうですね。とんかつ、もう一つ、いいですか?"
"うん。いいよ。" 
"美味いですね。"
"うん。" 
周吉の家。周吉と幸一。
"そりゃ、悪かったな。もっと、早く、お父さんが、その気になれば、良かったんだ。"
"けど、路子に言わない訳には、いかないでしょう。"
"うん。困ったね。どうだろう?お前から、言ってくれないか。" 
"僕がですか?" 
"ああ。路子、だいぶ、決心もつきそうなんだよ。今朝も聞いてみたんだがね。"
"それは、やっぱり、お父さんから、言ってやってください。けど、ちょっと可哀想だな。"
"そうなんだよ。何て、言えばいいかね?" 
路子が、やって来る。
"紅茶でも淹れましょうか?どう?兄さん。"
"ああ、まあいいよ。"
"ねえ、路子。" 
"なあに?"
"ちょいと、おいで。お座りよ。"
"なあに?" 
"お父さんね、余計な事だったかも知れないけど、三浦君がお前の事、どう思っているか、兄さんから聞いてもらったんだよ。"
"あいつもね、お前の事、嫌いじゃなかったらしいんだけどね、もう決まっちゃったんだそうだ。"
"いや、お父さんが、もっと早く、その気になりゃ、良かったんだけどね。悪かったよ。"
"俺にしたって、お前が三浦を好きだって事、まるで、気が付かなかったしな。"
"いやあ、お父さんが、うっかりしてたのが、一番、いけなかったんだ。済まなかった。"
"いいのよ、父さん。それならいいの。あたし、後で、後悔したくなかっただけなの。聞いて貰って、良かったわ。"
"そうかい。" 
"じゃあ、どうだい?お父さんの話の人に、一度、逢ってみないか?"
"逢ってみるか?" 
"ええ。"
"じゃあ、いいんだね。"
"ええ。お任せします。"
"良かったですね。"  
"ああ、良かった。" 
"泣かれでもされたら、困ると思ったけどな。"
"うん。もっとがっかりすると、思ったけどね。" 
"案外、平気な顔してましたね。"
"うん。良かったよ。" 
和夫がやって来る。
"どうしたんだい?姉さん。"
"何?"
"泣いてたみたいだったぜ。"
周吉は、2階に上がる。路子は、背を向け、机に向かっている。
"おい、どうした?どうしたんだ?お父さんの方の話、無理に勧めているんじゃ、ないんだよ。逢ってみて、嫌だったら、断っていいんだからね。兎に角、一度、逢ってみておくれよ。いいね?"
"ええ。"
"いいんだね?下へ来ないか。お茶でも飲もうよ。おいで。"
路子は、物憂い。

平山が、河合の家を訪ねる。
"ごめんください。ごめんなさい。"
"はい。あ、いらっしゃいませ。さあ、どうぞ、どうぞ。堀江さんもいらしてますのよ。"
"そうですか。"
"どうぞ。"
"来たのか?"
"ええ、お見えになった。さ、どうぞ。"
"どうも。よう。"
"遅かったな。"
"うん。堀江、いつ来たんだ?"
"お前が来るってんでね。"
堀江と河合は、碁を打っている。
"そうか。こーっと。" 
"どっちもどっちだな。"
"いや、俺の方がいいよ。"
"それ、勝手にやってくれ。"
"ああ。"  
平山は、ウイスキーを注ぐ。
"あのなあ、さっき電話で、ちょっと言ったけど、あの話な。"
"うん。"  
"本人同士、逢わせたいと思うんだけどね。"
"そうだね。"
"一度、先方の都合、聞いてみてくれないか。"
"おい、何の話だい?"
"うん。路子ちゃんのね。"
"そりゃ、困るよ。二股かけちゃ困るよ。俺の方の返事、聞いてからにしてくれなきゃ。"
"何?"
"お前の方が、ぐずぐずしてるもんだから、俺は、河合に頼まれて、昨日ちょうど、土曜日だったんだんでね、お昼から見合いさせたんだよ。いいのがあってね。なあ。"
"うん。" 
"いいだろう?あの子。"
"ううん。いい子だね。" 
"俺の助手の妹なんだけどね。路子ちゃんより、ちょいと背が低いかな。綺麗な子なんだ。"
"そうか。"
"24なんだ。" 
"こっちも急がれてたもんだからね。"
"そうか。それで、もう、決まっちゃったのか?"
"うん。決まりそうなんだ。まあ、決まるな。両方とも、馬鹿に気に入ったらしいんだ。"
"そうか。"
"なあ。"
"うん。"  
"お前、遅かったよ。気の毒だけど。"
"そうか。"
"ははは、悪いわよ、堀江さん。"
河合と堀江が、笑う。
"何だい?"
"嘘なんですよ、今の。皆んな嘘。あなたが、いらしたら、担ごうって、二人で相談していたんですよ。"
"そうですか。悪い奴らだ。"
"お前だって、俺を殺したじゃないか。弔いの花輪の相談までしやがって。お互いだよ。"
"そうか。ちょいと慌てたよ。やあ、嘘で良かった。"
一同、笑う。
"でも、平山さん。路子ちゃんがいなくなると、お寂しくなりますわね。"
"いやあ。"
"だからって、いつまでやらない訳にもいくまい。"
"路子ちゃんが、気に入ってくれるといいんですがね。"
"そりゃあ、気にいるよ。"
"私も、気にいると、思うんですがね。"
"そんな時ゃ、お互いに気にいるもんだ。俺だって、そうだった。はは。"
"おい。お前の番だよ。"
"うん?そうか。俺か。"

"ああ、もしもし。ああ、そうだよ。え?何?だからさ、2台はもう来てるんだよ。そのほかにだよ。分かったね。小型でいいんだ。もう1台。うん。そうだ。すぐだ。頼んだよ。"
和夫は、電話を切る。 
"かけたよ。すぐ、来るって。"
"そうか。車はいいと。もう、裏の方、戸締りしとけよ。"
"急に忙しいんだから。"
"誰か見つかるまで、時々、秋子よこしますよ。"
"まあいいよ。秋子もお勤めがあるんだから。お前んとこ、まだ、出来ないのかい?"
"何です?" 
"赤ん坊だよ。"
"ああ、まだです。今、生まれても困るけど。"
"出来ないように、してんのか?"
"ええ、まぁね。"
"そらあ、もうこさえた方がいいよ。50になって、やっと子どもが、中学校を出るようなんじゃ、困るからね。"
"そうですね。僕が生まれたのは、お父さん、いくつの時です?26だった。"
"26か。"
"あの、お支度出来ましたけど。"
"そうですか。そりゃ、どうも。" 
二人は、2階に上がる。
"やあ、あ、ご苦労さん。"
"じゃあ、私ども、先に。"
"やあ、どうも。"
"じゃあ、お願いします。"
二人は、花嫁姿の路子を見やる。
"やあ、出来たね。うん。" 
"綺麗だな。路子。"
"ほんとに、可愛い。"
"うん。じゃあ、出掛けるか。"
"お父さん。"
"ああ、分かってる、分かってる。まあ、しっかりおやり。幸せにな。"
"ええ。"
"さあ、行こう。" 

河合の家。平山、河合、堀江。
"そうかい?"
"そうだよ。"
"今度は、お前の番だな。"
"何が?" 
"若いの。どうだい?若いの。"
"お薬飲んでか?あの方の。"
"そう。貰っちゃえ、貰っちゃえ。"
"俺はな、堀江。お前がこの頃、不潔に見えるんだがね。"
"不潔?どうして?"
"何となくな。"
"いやあ、俺は、綺麗好きだよ。"
"綺麗好き。夜は、すこぶる汚な好きか?"
"あ、そうか。あはは、は。なるほどね。"
"何がなるほどだい。"
一同笑う。 
"平山さん。いずれは、幸一さんたちと、一緒にお住まいになるんでしょ?"
"いや、和夫がいますからね。当分、このままで、やって行きますよ。やっぱり若いもんは。若いもんだけの方がいい。"
"そらあ、そうだ。年寄りが邪魔する事ないよ。" 
"うん。"
"いいお父さんね。平山さん。"
"やあ、どうも。"
"恐れ入ります。"
"ねえ、奥さん。やっぱり子どもは、男の子ですな。"
"そうですねえ。"
"やあ、女の子は、詰まらん。"
"そらあ、女だって男だって、おんなじだよ。いずれは、皆んなどっかへ行っちゃうんだ。"
"で、年寄りだけが残るのか。" 
"お前、言うとこないよ。"
"いや、俺だって、娘、嫁にやったよ。"
"やあ、育てがいが、ないもんだ。"
"ほんとですねえ。" 
"瓢箪も、そう言ってたじゃないか。結局、人生は一人ぼっちですわって。お前、瓢箪にならなくて、良かったよ。"
"うん。瓢箪か。俺、失敬しよう。"
"帰るのか?"
"うん。失敬する。"  
"大丈夫ですか?自動車呼びましょうか?"
"いやいや。いやあ、奥さん。今日は、ご迷惑な事お願いして。"  
"いえ。"
"やあ、済まなかったな。"
"おい、大丈夫か?"
"大丈夫。駅までぶらぶら歩いて行くよ。"
"俺も、一緒に行こうか?"
"いや、いい。お前、残ってろ。"
"こちら、平山さんのですか?"
"いや、それ、僕んだ。"
"いや、どうも。じゃ、失敬。"
"どうだい?"
"うん。"
"どしたんだよ?あいつ。"
"一人になりたかったんだろう。寂しいんだよ。娘が嫁に行った晩なんて、やなもんだからな。"
"そうだね。" 
"折角、育てた奴をやっちゃうんだからな。"
"うん。"
"あっけないもんだよ。"
平山は、トリスバーに寄る。
"いらっしゃいませ。"
"やあ。"
"いらっしゃい。"
"やあ。"
"つい、さっき坂本さん、お帰りになったとこ。"
"そうかい。一杯貰おうか。"
"水割りにします?"
"いや、そのままでいい。"
"はい。"
"今日は、どちらのお帰り?お葬式ですか?"
"まあ、そんなものだよ。" 
"はい。かけましょうか?あれ。"
"うん。"
"薫ちゃん、かけて。マーチ。"
"はい。"
マーチが流れ、ほかの客がつぶやく。 
"大勢発表。" 
"帝国海軍は、今暁5時30分、南鳥島東方海上において。" 
"負けました?"
"そうです。負けました。" 
周吉の家で、幸一夫妻と和夫が、周吉の帰りを待つ。
"遅いなあ、親父。どこ行きやがったんだ?"
"うん。遅いな。"
"まだ、きっと河合さんのとこよ。"
"それにしても、遅いよ。"
"そうね。あ、帰ってらした。"
"あ、お帰りなさい。"
"うん。"
"随分、お酔になって。"
"うん。"
"どうしたんだい?お父さん。"
"うん。"
"お帰りなさい。" 
"あ、来てたのか?"
"ええ。遅かったですね?"
"やあ。"
"お疲れでしょう。" 
"うん。"
"しかし、良かったですね。"
"ああ。良かったよ。何とか、やってってくれるといいがね。" 
"そりゃ大丈夫ですよ。やってきますよ。"
"路子ちゃん、しっかりしてますもん。大丈夫ですわ。"
"うん。大丈夫かね。"
"そりゃ、心配要りませんよ。きっとうまく、やって行きますよ。じゃあ、そろそろ。"
"そうね。じゃあ、時々来てみるけど、用があったら、電話してよ。"
"OK。"
"じゃあ、お父さん。帰ります。"
"何だ?帰るのか。"
"ええ。""また、時々、伺いますけど。"
"ああ。" 
"じゃ、帰るよ。"
"さよなら。"
"ああ。"
"さよなら。気を付けてな。"
"お休みなさい。"
"お休みなさい。"
"おい、お父さん。俺、もう寝るぞ。"
"ああ、寝ろ。"
"おい、お父さん。"
"うん?"
"あんまり酒飲むなよ。"
"うん。"
"身体、大事にしてくれよな。まだ、死んじゃあ、困るぜ。"
"やあ、大丈夫だ。♪守るも攻めるも 黒金のか。"
"おい、もういい加減に、寝ろよ。"
"うん。♪浮かべる城の 頼みなるか。"
"何言ってんだい?ほんとに、もう寝ろよ。俺、もう寝ちゃうぞ。風引いたって、知らないから。
"うん。"
"俺、もう寝ちゃったぞ。明日も、早ええんだから。俺が、飯炊いてやるから。"
"うん。やあ、一人ぼっちか。♪浮かべるその城 日の本の。"
平山はうとうとする。
平山は、台所に立ち、コップに水を注ぎ、飲む。そして、椅子に腰を下ろす。
【感想】
妻に先立たれた男が、娘を嫁にやるまでの話だが、専ら、父親の視点から描かれる。"晩春"などとの違いが、際だっている。周吉は、恩師を同窓会に招き、その娘が婚期を失したことを知り、動揺する。また、たまたま海軍時代の部下と遭遇し、また心を揺さぶられる。更に、こるまでの小津作品では、娘の恋人として登場した佐田啓二が、家庭を持った長男役で、ほぼ、全編にわたり出て来るのも、特異な点である。娘は嫁ぎ、父親の喪失感は大きい。

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