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一人勝手に回顧シリーズ#ヴィム・ヴェンダース編(9)#都市とモードのビデオノート/ファッションと映画

【映画のプロット】
▶︎東京とパリ
高速道路を走る車から前方の映像。ビデオで撮られた別の車の前方の画像が、並べて置かれる。
ナレーションは、語る。"独自性"は、安穏と仕切った言葉だ。絵画の時代には、原画と複製しかなかったが、映画、TVが、画像の洪水をもたらした。現代においては、氾濫する画像がすべて原画だ。
映画とファッションは、関係があるのか、ないという立場で、軽やかに映画を撮る。

東京。山本耀司が、好きな都市を聞かれる。生まれ育った東京の無国籍な感じ、無責任な感じが好き。パリが好き。とっ散らかった"勝手にしやがれ"風の感じが好き。パリの空気は、いつも冷たい。
ヴェンダースと山本耀司が、ビリヤードをする。
ヴェンダースは、語る。youji Ymamotoのシャツと上着を身に付けると、新しいのに、長年着古した服のようであった。服には、父親や先祖の思いが綴られているようであった。
山本耀司は、語る。服を作るとき、身に付けてくれる人のことを考える。それを、15年やってきたので、やることは、やり尽くした。

パリの大道芸人や鋪道に絵を描くアーチストの見物で賑わう広場を見下ろしながら。山本耀司は、語る。
人の弱さ、ダメさに惹かれている。山本が服を届ける人、全員が好きかというと、分からない。分かってくれなくてもいいという、無責任さを感じている。

山本耀司の東京のオフィスの壁には、多くの写真やイメージが飾られている。本棚には写真集。中でもお気に入りは、A.ザンダーの『20世紀の顔』。ヴェンダースも持っている。
職業や経歴が、顔、衣装に現れる。山本耀司は、写真から職業を想像し、答えを確認するのが、楽しいと言う。ヴェンダースは、山本耀司が好きなのは、ジプシーの写真でないかと想像する。その目つきといい、ポケットに手を入れた姿といい。

日本の休日。空には飛行船、校庭で野球の練習をする少女たち。山本耀司は、夏のコレクションの準備をする。以前は、日本人の体型に合わせた衣装を作ったが、今は、欧州人に合わせた服を作る。発表が終わった後、日本人体型の型紙で作り直す。
山本耀司は、素材とフォルムを融合させる。素材とフォルムのどちらを優先するのかは、分からない。多分、山本の場合は、まずタッチが来る。山本耀司の仕事には、パラドックスがある。ファッションとは、今なのに、参照するのは、過去のモードだったりする。十分な新しさと永遠のクラッシック。それを発見したのは自分だと自覚している。ヴェンダースも多言語で、撮影機器を使い分ける。小型撮影機は、古さ、しかし、短時間しか撮影できない。ビデオカメラは、臨機に、効率的に撮影ができる。
コレクションの中にいいものが出来ると、誰かが与えてくれたもののような気がする。
黒を使うのは、タッチやフォルムを表現するのに、色彩は邪魔だからだ。
ヴェンダースも、すっとその場に入っていけるビデオカメラの撮影が、楽しくなって来る。
東京の夜。埋設管工事、駅、ネオンサイン。

パリ。ファッションショーの前日、ルーブルに向かうヴェンダースは、"ポン・デサール"で、Youji Yamamotoを身にまとった日本人女性に会う。
ファッションショーの会場では、リハーサルが行われる。花道を歩むモデルの足、足、足。
会場の裏側には、モデルの靴、靴、靴。モデル、ヘアメイクやらで、ごった返す舞台裏、少し背の低い山本耀司は、歩き回り、必要な修正を指示する。素材がいけていたら、それだけで、ショーは成功と思える。しかし、いくら寄せ集めても、まとまらない時もある。
ショーの表舞台と裏側、山本耀司の独白の3シーンで、画面を分割。山本耀司は、語る。自分の服は、無国籍だと思ってきた。しかし、いざ、パリに来てみると、日本を🇯🇵意識せざるを得ない。"日本のモードの代表"と言われるが、そうではない。葛藤がある。
ビリヤードの対戦中に、二人が対話。ヴェンダースが、"デザイナー間の競走はあるか?"山本は、答える。"ビジネスの世界と同様。2位では負け。ビジネスとして成功すると共に、リスペクトも勝ち得なくては。映画も一緒では?"
"新しいアイデアを、次のショーまで、極秘にすることはない。例えば、三宅一生の型をコピーしても、三宅の裁断はできない。みな独自の技術者を抱えている。山本のファッションも盗まれようがない。"
▶︎山本耀司の生い立ち
再び、ショーの様子の3画面からビリヤード対戦、そしてパリのテラスでの独白に、切り替わる。山本耀司は、語る。"4、5歳の頃を思い出すと、女の人に囲まれていた。母は、仕立て屋で、服が身近にあったが、嫌だった。
父親は、出征して戦死し、シベリア抑留された方の伝記など読むと、自分の中では、戦争は終わっていない。"

東京で、改装した店舗の開店準備に立ち会う。最後に、思いを込めて、看板をチョークで自書する。何度も消して、書き直す。
山本耀司は、語る。"僕は、山の頂には、いない。山の麓にいる。だから、山と共に崩れるか、山を小さくして支えやすくするしかない。"
"何でも非対称であるべきだ。左右対称を人間は、作り出すことはできない。上品さ、親切、優しさ、思いやりといったことは、非対称から来ている生じていると思う。"

東京の夜。ガード下、パチンコ屋。ヴェンダースは、気付く。東京の街に有効なイメージは、電子による像で、聖なるセルロイドのそれではない。
映像言語は、映画の特権ではなく、全てを見直さなければならない。独自性や言語、イメージ、原画の意味を問い直さなくては。未来の作家は、CMやビデオ、コンピュータゲームの作者か。そして、映画は?映画の言語はどうなる?職人たちは?すべてを忘れるべきなのか?電子やデジタルの職人が生まれるのか?新しい映像の言語は、20世紀の人々にとって、A.ザンダーの写真やカサベテスのカメラなのか?

ヴェンダースは、問う。"仕事を休んだらどうなるか"。山本は、"奴は、死んだと言われる"と言う。
山本耀司は、語る。ハイヒールを👠履いたような女性は、子供の頃から、自分より年長に見え、何もしてあげれない。
ほかの仕事に就くとしたら、女性に絡む仕事がいい。家で、TVを見て、家事をして、女の帰りを待つ。日本語で"ヒモ"という職業。

山本耀司は、スタッフに囲まれ、型紙を切る。
ものづくりの本質は、そのモノを見つけることだ。作るだけでなく、アシスタントに教える仕事でもある。山本は、心の中で叫ぶと言う。"ファッション屋でなく、仕立て屋だ。女性論なんか知るか"。
日本のコレクションの仮縫い作業。山本は、専ら弟子をコーチする。学校で、オートクチュールを勉強して、卒業し、パリに渡った。その頃は、ケンゾー、サン・ローラン、ソニア・リキエルらが台頭。プレタ・ポルテも新しい動きとして起こり始めていた。山本は、日本に帰り、母の仕事を手伝った。毎日、打ち込めて、楽しかった。
"スタイル"について、時に牢獄となるが、山本は、受け入れることで、罠を抜け出た。"牢獄が、大いなる自由に開かれた。"牢獄こそが、先生だった。"語るべきことがある人が、語る技術を身につけ、強さと必要な傲慢さも備えた時、その人は、牢獄をわがものにできる。
山本は、カルティエ・ブレッソンが撮ったサルトルの写真を見て、コートの襟に興味を持った。
山本は、中学生の時に買った世界百貨辞典のどこかの工場労働者の女性たちのスナップがお気に入りだ。
山本は、三つのラインを走らせ、男物も作る。
男物は、考えなくても、同僚や兄弟に接する感じで、できると言う。
山本が、古い写真を参照するのは、そこに、本当の男、女がいるから。当時の人は、衣装を消費せず、一生着通した。服に、現実があった。そういう服を作りたいと思う。昨今の、いつでも買えるという考えは間違っていると思う。
時間をデザインできたらと思う。
古着が好きだが、着古された風合いを出すのに、10年はかかる。時間をデザインできたら、どんなに素敵なことか。
19世紀の寒い土地では、コートは、生活する上で欠かせないものだった。そんなコートに、嫉妬を感じる。

パリのテラス。山本耀司は、語る。"僕は、未来を、極端に言えば、明日明後日の自分を信用しない。過去を引きずりながら、ここまで来た自分しか信用できない。現代の人間は、過去と明日の瀬戸際で、バランスを取ろうとしているのだろうが、山本は、早く年を取りたかった、早く終わりにしたかったので、未来にあることは、"終わりにさせる"ことしかない。
パリの墓地、セーヌ川が映る。

東京の街並みを遠望。
山本耀司は、語る。"私は、母親の一人息子で、私の人生は、母という偉大な女性のものだった。母親にとっての世間は、男の世界だったので、私は母親を守らなければいけない。"
"私は、多分、敬愛の念から、女性に、何をして差し上げましょう?という気持ちで、衣装を提供している。"

ショーは、成功裡に終わる。スタッフらは、アトリエに戻り、ショーの画像を見る。明日からは、東京に戻り、翌日から、次のショーの準備を始める。
山本の優しく、繊細な言語がいかに服に息づいていくかを支えるスタッフたちを見ると、僧院のようだ。山本耀司の考えを伝える伝道師たち。童謡が流れる。映画と同じく、山本耀司は、終わりのない映画を撮る監督だ。映るのはスクリーンでなく、鏡を使えば、君自身が映っているのが見えて来る映画。君は、自分のイメージを見つめて、自分自身の体型や経歴を受け入れ、自分自身を認める。それは、ヴェンダースにとっては、山本耀司の手になる脚本なのだ。
とっておきの画像として、型紙に調整を加える守護天使たちの手、手、手。
ポータブルTVに映るモデルたちの足、足、足。

"ソルヴェイクに捧ぐ。"
【感想】
服作りは、映画の制作に似ているというのは、凡庸だが、山本耀司の制作ぶりを通じて、それが、実感された。
遠い幼い頃の思いが、山本耀司をモードの世界の第一人者に押し上げた。繊細な山本耀司が、今日も女性に寄り添う。"ヒモ"稼業ではないが。

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