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一人勝手に回顧シリーズ#ヴィム・ヴェンダース編(17)#アランフェスの麗しき日々/男女とは

【映画のプロット】
▶︎初体験
ルー・リードの"Perfect Day"が流れる。朝のパリ、ところどころ。
パリ市内を遠望する高台に立つ屋敷。カメラは、屋敷の中に入る。
男が、タイプライターの前に座っている。紙をセットし、"再びの夏"と、タイプを打ち始める。
テラスには、男(レダ・カテブ)と女(ソフィー・セミン)は順番を確認し、対話を始める。
男は、初夜はいつと尋ねる。
女は、"夜でなかったし、相手は男でもなかったが、私も女ではなかった。しかし、あれは完璧な肉体の結合だった"と言う。話したいが、それを迫られると、嫌になる。
女が、"ここで過ごす最後の夏"と言い、タイプライターに向かう作家は、"最後の"を反すうする。
やっと10歳になった頃、誕生日か何かのアニーバーサリーだった。果樹園でと、女は語る。
私は、リンゴ園でブランコに乗っていた。ブランコが頂点で失速し、私は、ブランコの軌跡の中で、何かに貫かれた。血は🩸流れなかった。
ブランコが木々より高くなり、幼い私は女王になった。それは、今も続いている。今でも、亡命の女王であれ、違う惑星の別の世界の女王であれ、女王になった瞬間に、私は子ども時代を奪われ、そのうえ、この地球に住むすべての権利を奪われた女王として未知の宇宙に投げ込まれ、この地球で、家族の間で、私は、違法な存在になってしまった。最初に私を襲ったのは甘い恐怖、そして、甘い恐怖の後には、強い不安、おののき、世界の起源が出現した瞬間から、この住み慣れた地球に、私の居場所はなくなってしまった。
あの稲妻は、上からでなく、下から私を貫いた。稲妻は、私の骨を焼かなかった。むしろ第二のより強い背骨を与えてくれた。そして、私をムチ打った。ムチの一撃、でも罰でない。
作家は、タイプを打つのをやめ、ジュークボックスにコインを入れる。
それでは、"肉体を備えた相手と、いつ、どこで、誰と?"と、男は尋ねる。
女は、覚えていないと答える。
真昼だった。むしろ時を超えた夏の日。夏だけがそうであるような今日のような夏の日。でも、どの日とも違う。風景が違う。海辺の塩田、木はない、いや、茂みが一つ、桑の木の茂み、キイチゴに似た赤い実がいっぱい、キイチゴほど甘くなく、柔らかい。どこまで見ても、茂みの下だけが、唯一の日影。桑の茂みに隠れて小屋があった。小屋は、錠がかかって、窓はなく、扉を破るしかなかった。かつて塩を運搬していた鉄道のレールを使った。塩田は見捨てられ、レールは、錆びていた。二人で無言で、扉を破った。レールを拾うときから、無言のまま。私は、男のシルエットを見て、立ち上がった。それまでは、木陰に休んでいた。予言は、私に、翼を与えた。男は、私に気づく前から、茂みに向かっていた。私を見つけると、反対方向に歩き出した。3歩進むと、振り返った、強力な力に引き寄せられたかのように。でも、私の存在が引き寄せたのではなく、場所の持つ磁力が。打ち捨てられた広大な塩田が。欲望に引かれて、欲望に満ちて。圧倒されて。塩の色をした空っぽな空間が生み落とした欲望に。立ち昇る塩気に。空っぽの空間で、一つに結ばれたいという欲望に。セックスそのものよ。男と私の間に、何の違いもなかった。何の質問もなく、いわば前戯もなく、遊びの要素もなく、ただもう、真剣だった。怖いほど真剣。笑い出したくなるほどに真剣。そう記念碑みたい、場所のお陰で。場所のお陰で、男と私のお陰で。
男は、質問を促される。あなたの質問で、私は、あの時を見始める。
男は、塩田の小屋で、何を見たと聞く。光を通して見るが、小屋は閉じていた。
でも、板壁のあちこちに隙間はあったし、節穴が開いているところもあった。その丸い穴を通して、太陽が差し込んでいたわ。床には、縁がギザギザした桑の葉の影が落ちて、私たちのうえにも影が落ちた。小屋の床は、黄土色の粘土で、葉陰が見える。縁がギザギザの桑の葉。ギザギザしながら、丸い形。影もまた独特の形。どんな形とも違う。あの光は、黄土色の床からも立ち昇っていた。そして、光は次々と物質になった。私と彼の身をつつむ布となっていったの。光は床から立ち昇り、私たちは、同じ衣装をまとった。そして、ゆっくりと優しく、光は、かつて着たことない完璧な衣装となった。後にも先にもない、この世で、一番優美で、高価な衣装に。
突然、板壁に落ちている桑の葉に色が着いた。知らない色、見たことのない濃い色。聞いていたの。塩田の音を、かなたの音を聞いていたの。
男が語る。
夏リンゴの季節だ。他の種より早く熟す。夏リンゴの果肉と皮は、ほとんど白に近い。しかし、中心に黒いタネがある。このタネは、どの種よりも黒い。僕には、夏そのもの。夏休みの最初の日々。宿題もなく、自由で。肩に背負う勉強道具もなく、手には夏リンゴ一個。とても軽かった。夏リンゴは、少なくなった。絶滅したのか?
女が語る。
場所と小屋のお陰で、男と私のお陰で、私の聴覚が研ぎ澄まされた。そして、全体の中から、パートを聞き分けた。あの音、この音、時には同時に。音は、重なり合い、遠くへ広がっていく。緑の葉叢の中で、一枚の葉が立てる乾いた音。気づいたの、私たち二人。私たちは、気づいたの、排泄物の層の上に寝ていることを。人間の糞よ、古くて、乾き切った。塩を含んだ空気のせいで、よく保存された人糞。色も形もそのまま。私たちの体は、もうそれに、触れていた。そして私たち二人は、気づいたわ。屋根から漏った雨水の水溜りが足元にあって、その中で、ミミズがのたうっていた。実は、それは、ヒルだったの。黒い腸詰めみたいに、ぶくぶくだった。ヒルは、あの間、彼に吸い付いていたのよ。満腹になって、水に落ちるまで。
私たちは笑ったわ、二人で笑った。二度目の笑いよ。真剣に笑った。私たちは、神意を満たしたのだから、しばらくは、しばらくの間は、あの遠い夏の日からしばらくは。私たちは、結婚して幸せに暮らした。少しずつ、神性を失いながら、最期まで。すべては、真実よ。もし知りたいなら、私たちは一緒だった。"私たち"が消えるまで。男もシルエットも消えるまで、残ったのは、"他人"。
作家は、立ち上がり、ジュークボックスを触るが、レコードは、選ばない。
男は、立ち上がる。
俺は、絶え間なく悲しんでいる男。人生は、トラブル続き、なじみのケンタッキーに別れを告げる。俺が、生まれ育った土地に。俺は、6年もの間、俺はトラブル続き、この世には、何の喜びもなく、当てもなく、さまよい歩くだけ、手を差し伸べてくれる友人もいない。お別れだ、愛しい恋人よ。アランフェスに行った。小さな街だよ。マドリードにほど近い。スペイン🇪🇸王の夏の宮殿だった。庭園のほかは、何もない。タホ川の支流が流れている。タホは、イベリア半島最大の川だ。庭園の真ん中に王宮がある。僕の目的は、王宮ではなかった。その庭園に、"農夫の家"があると聞いた。労働者の家だ。どうしても、行きたいと思った。何よりも名前に惹かれた。王宮の庭園に、"農夫の家"だ。その家は、残念ながら、庭園の先で、藪に隠れている訳でもなく、草に埋もれている訳でもない。逆に、奇妙なほど、青々とした空間に建っていた。王宮よりも手入れが行き届き、"もう一つの王宮"にほかならなかった。規模は少し小さいが、内装はもっと豪華で、大理石の広間にも、壁の窪みにも、労働者の痕跡はなかった。農民の痕跡は、どこにも。後になって、この家の名は、壁のフレスコ画から来ていると知った。絵の題材は、17世紀ののどかな、牧歌的な田園風景、カードに興じる人々などだ。そのレンガ造りの建物のどの部屋にも遊戯室の雰囲気があった。チェス、タロット、ビリヤード。生活の痕跡などどこにもなかった。たぶん板小屋を期待したのかな?見たこともないような小屋。どんな城よりもずっと大きな小屋。あるいは、君が語った光。愛の形。塩男と君との間と違う形の。現在ではない、未来の住居としての過去の小屋。どんな博物館にもない農具。僕に運命付けられた道具、僕を未来に運ぶ道具。その聖堂のような小屋の床は、おそらく巨大な糞の上だ。人間でなく、コウモリの。旅は、後で実を結んだ。
男は、女に話を促しつつ、自分が喋る。
夏も冬も、君の愛欲の年月。ある女が、僕に言った。"食事して、踊ってやったわ"、ある女は、スキーの後で"した"の。
女が言う。"私は、一度もヤッたことがないの"。私は、"愛の子"として生まれ、今時の子になったの。ええ、続いている。あの頃は。矛盾ばかり、一日ごとに、一時間ごとに、一秒ごとに。欲望。欲望に対する嫌悪。優しさ、偽りの優しさ。暴力、優しい暴力。暴力的な暴力。すべてが突然に現れる。突然の欲望、突然の喜び、突然の暴力。あの時代は、すべてが"突然"。私を止めて。
男が言う。"あの頃を後悔してる?"
後悔できればいいけど、できないわ。あのシャンソンの一節は、信じないけど、後悔はしていなわ。"何に復讐するか聞いて。""いや、聞かない"。"じゃ、自分で聞くわ"。"私は、別の男のため、ある男に復讐したかった?""いいえ、私はある男に復讐する理由がない。"
男が尋ねる。"男性そのものに復讐を挑んだ?"
男性という種は、攻撃的だと思っていたから。
いいえ、私は、復讐心を特定の男や男性全体に向けた訳ではない。この世界を支配している敵意に。日常生活のどこにでもある肉体と魂に対する陰謀。それに対する復讐よ。
"復讐のために、君は男を必要とした?"
"ええ、男の肉体を、男のセックスを""話していて、今、気づいたけど、私の復讐が計画的だったことは、一度もない。""いつも行為の最中に、いいえ、行為の後に、その時に気づくの。今、起こったことは、同時に復讐の行為だと。いつも後になって気づくのよ、そのことに。共犯者と共に。大きな喜び。まるで、私たちが人生の障害に打ち勝ったように。インチキのように。その前は、"重力"、ほかでもない二人の重力。その後は"笑い"、二人の笑いのユニゾン。自由な笑い、自由、解放。男と私は、善行を成し遂げた。誰かを、何かを守ったの。そして、時計の代わりにカレンダーを見た。日付を。それは、"肉体の祝祭日"。私たち二人は、世界に何かを与えたの。今、起こっている出来事に復讐した。"
作家は、手を止め、リンゴをかじる。
男が問う。"その結果は?新しい世界?持続的な新しい世界?""何でできてる?"
女が続ける。
二つの裸の体に落ちる雨のしずくの影。床板の雪に残る靴跡。花咲くライラックの木。帰りがけの暗い夜道で、迂回するハリネズミ。私たちは、車のライトとクラクションを浴びる。血の痕。唯一の液体。世界の中心にある涸れ川の河床の砂利。地球の四方位が一つになる。海原から上昇してくる風。ある時は、山から吹き降りる風。私たちが横たわっている温かい水の中に、ゆっくり舞い降りる雲母の銀の粒。そのすぐ後で、どんな復讐も意味を失った。二つの体は、彼方で動いていた。あらゆるものの彼方。私もなく、彼もない、肉体の宇宙だけ。
庭師が、視界に入る。
女は続ける。
無限の夜に広がっていく二つの肉体。時は、魂と肉体に変化していく。アルファとオメガは、永遠に向かってあえぐ。そうだったわ、そうよ。あえぎ、そして捕まえる。
男が問う。"数えたら要素は九つ。つまり、共犯者は9人?
数字はやめて、ここでは、今日は。どこでも、決して。もっと不思議だったのは、そんな復讐の行為の後、いつも決まって、男との共犯関係は終わる。そのたびに、行為を達成した喜びを、誰かに話したくて、ウズウズする。胸の高まり、大波のようにざわつく肌、絡み合った髪の優しい重さ。復讐の行為によって、私たちは、世界の救出に身を捧げたの。共犯は、それで終わり。別れもなく、私は、彼の女であることを止める。永遠の別れを告げることなく。
男が問う。
"復讐を果たした男も、君のように感じて、納得する?"
"いいえ。最後はいつもドラマ。"
男が言う。
"幸い、僕らにドラマはない。"
女が答える。
"幸いにね。恐らく。"
"君の共犯者たちに、共通の特徴は、あったのか?"
"ええ"
"『ええ』だけのセリフは、決まりに反する。"
"まず、最初に共犯者全員について、あることに気付いた。あなたの言う特徴、欠如ということ。欠けたもの、存在しないもの。それは熱い眼差し。お前がほしい、手に入れる。女はみんな俺のもの。そんな獲物を追う熱い眼差しが。"
"こうして話していて、今思い出したわ、男たちの視線にあったものは、目に書かれていたことを。いいえ、語ってない、目の中に書かれていたこと。この女は、近寄り難い。この女には手が届かない。この女を自分のものにするのは、不可能だ。悲嘆に満ちた視線のために、この悲しみの視線のために、私は男に体を開いた。"
"同情から?"
"ええ、多分""いいえ、あの希望のない眼差しが、私の心に触れたの。いいえ、心を揺さぶった。愛の話はしないで。あの頃、私は愛を信じていなかった。自分に愛する資格があると、思わなかった。とりわけ愛される資格が。愛という言葉。その言葉を口にすることもできなかった。男たちは、昼も夜もいつも口にしていたわ。信じられない?"
"それでも、愛だったのよ。愛のようなもの。一つの部屋、空間、愛で満たされた空間、でも、私の中にはない。周りだけ。愛はいたるところにという歌を、知ってる?"
♪君を愛してる、いつまでもずっと
 そう決めたんだ、心の望むままに
 始まりもなく、終わりもない
 ただ僕の愛を、君は信じておくれ
"生きてる感覚。激しさ、それは、男の弱さから来ている。私の内なる男の絶望から。愛するとは、男の弱さに心を動かされること。壊れやすい男に。"
"嫌悪することは?"
"なかった。いいえ、あったわ、一度だけ。今、思い出した。こうして話していると、自分の嫌悪感を、今、思い出した。"
"どんな風に?"
"家を出て行った後のシーツに残った男の輪郭。"
"怪物じみた輪郭?"
"いいえ、ただの輪郭。それに嫌悪感だけじゃない。軽蔑だった。二度と会いたくない。もう一度、私に触れたら"
"ここでは暴力はなしだ"
"いいわ、あの輪郭には感謝もしている。軽薄だった頃の私を救ってくれた。"
"何から?"
"死、干からびること。魂が乾くことから、軽薄な行動であっても、時々は光を与えてくれた。あの頃の私には、愛が欠けていたの。"
"愛の話はするなよ。それは決まりにない。11月のささやかな憂鬱さ。見ろ。コマドリが草地に降りた、音もたてずに。鳥の中では、コマドリが最も、地面に落ちる木の葉に似ている。"
"そうね。私は、女として愛されない。女として愛する資格がない。それが欠陥よ。ほとんどの人間は、愛する価値がないと思えた。とりわけ女たちは、価値がないどころか、憎しみを感じた。"
男が、双眼鏡で、鳥を追う。
"見ろよ。自転車レースのトップ選手。独走している。見えるか?"
"自分の性を憎んだ。女性であること。いわゆる『美しい性』を。その美はニセモノだったから。作り物の人工的な美しさ。商品としての売り物の美しさ。"
"昨日、星団の夢を見た。7つの星が王冠形に並んでいる。星団は、空で輝くのではなく、地上近く、暗い山の前で、スズメが飛ぶ高さの所で、かつてない輝きを放っていた。"
"それは、要求する美だった。条件を突きつけ、与える代わりに奪う。与える美のみが美なのに。それは、開かれた美でなく、閉ざされた美だった。他者に開くのでなく、閉ざす美。開かれた美だけが、開く美だけが美しさなのでは?
違う?"
作家は、ジュークボックスのディスクを選択する。
♪神にすがるなんて、僕は信じない
 だけど知ってる、君がそうすることを
 僕だったら神の前で、ひざまずき、こう頼む
 君が訪ねていっても、相手にしないでくれと
 髪の毛一本、触れるなと
 君は君のままでいて、もし導きが必要なら
 僕の腕の中に導いてくれと
 僕の腕の中へ、神よ
 天使の存在なんて、僕は信じない
男女は、屋敷に近づき、中を覗く。作家は、屋敷の中を歩き回る。
女が言う。
"そういう時代だった。女の快楽は、性の喜びは、男を、もう一つの性を、豚に変えること。
豚になった男を軽蔑したり、反乱を起こすため。"
女は続ける。
"女が男に向ける憎悪ほど、陰湿なものは、あの当時はなかった。この世で、一番冷たい憎悪。男と女が寄り添い、互いに安らぐことを忘れた。あれほど深い安らぎを、木の上で寄り添って、サクランボを食べる喜びを。"
屋敷の中で、ニック・ケイブがピアノを弾き語る。
♪僕は、愛を信じてる
 そして知ってる、君も信じてることを
 どこかにある小路を、僕は、信じてる
 君と僕と二人、どこまでも歩いていける
 だから、キャンドルを灯し、旅路を照らしておくれ
 彼女が戻ってこられるよう、いつまでも永遠に
 僕の腕の中へ、神よ
 僕の腕の中へ、神よ 
女が続ける。
"ずっと前から、女の視線が変わった。自分の背後とか、自分の周りしか見ないで、自分は見られるまま。私には、こう思えるわ、女も男と同じように、優雅な外見の下で、肉体も頭も完全に野生になりつつあると。ひどく怖気づき、道に迷い、途方に暮れ、悲しんでる。悲しみ、そう、悲しみよ。いつだったか私は、一日中座っていたの。開け放した窓の下に。一日中、カーテンが、私の顔にまとわりつき、囁いていた『私の恋人はどこにいるの?』。『なぜ、現れてくれないの?』。『なぜ、私を見つけないの?』。カーテンは、私の顔を撫で続けた。『こうやって恋人を引き寄せろ。』、いえ、『捕まえろ』と。今では苦痛よ。女の真の顔を見るのは。"
"なぜ、苦痛だ?"
"呪われているから。一人で生きていくように。"
"今でも?"
"たぶんずっと昔から。でも、今は昔よりもっと、とても耐え難く、苦しいものなの。一人で元気に生きるのは。"
"子どもの頃は、夏と野草の間には、繋がりがあった。『夏のホウセンカ』、別名『ノリ・メ・タンゲレ』。意味は、『我に触れるな』。名前の由来は、細長いサヤ形の実だ。夏の間に丸くなっていく。たぶん名前に惹かれて、僕はサヤに触れた、そっと軽く。かすかな乾いた音を立てて、実が弾けた。かすかだからこそ、夏の森の静けさの中で、よく聞こえた。不思議な音楽のように。サヤは弾け、同時に反り返った。空中のあらゆる方向に種を飛ばしながら。
『我に触れるな』の弾ける実、飛び散る種。次々とサヤに触れた。それこそが僕の夏。夏の中心、夏の頂点、今年の夏の盛りだ。"
"あの頃の私は、絶え間なく、悲しむ女だった。時々、男はいたけど。それは、解決にならなかった。男の肉体、とりわけ男のセックスは、いつも驚きだったわ、それも悪い意味で。悪い驚きとバランスを取るために必要なおもり。愛だけが、それになり得るはずだった。それでも時たま愛を感じたわ。子どもだとか、お年寄り、とても年老いた人に、大人には感じなかった、男にも、女にも。女のかたち以上に、心温まるものがある?慰められ、力付けられるものが。でも、女の視線には気をつけて。誇り高く、支配するような眼差し。恋人と過ごした後の女が、誇らしげに周囲を見回す視線。それはまったく別のもの。世界を支配するかのように、あんなふうに見回せるのは女だけ。愛する女だけ。"
"今日のような真夏の徴が、もう一つある。たくさんの小さなくぼみだ。公園の砂場や駅のホームや空き地にある丸い穴。砂場にスズメが作った小さな窪み。数知れぬ小鳥たちが、乾燥した夏の間に、砂場で水浴びする。体に付いた虫を、振り落とすために。羽根や羽毛の間に隠れた虫を、何羽ものスズメが群れて、ものすごい速さで回転する。腹を砂場につけ、羽根を広げ、プロペラのように回って、砂浴びを続ける。熱中して、我を忘れて。こうして夏の間に、くぼみはどんどん深くなり、リズミカルな模様のように、砂場一面に広がる。そして、雨の前の日、くぼみが、一番深くなった日に、地面と同じ高さにできたそれぞれの模様。小さな穴。これこそが真夏の徴だ。そんな日にスズメが舞い降りる。どの穴も、くぼみも小さなスズメで埋まり、鳥たちは、さらに熱中して、無我夢中で回る。思い出せ。その小さな砂嵐のせいで、砂場一面が、ほとんど見えなくなる。そして、雨を察知した群れが、飛び立った1時間後も、砂粒が穴の底に、流れ落ちていく。空の穴で、鳥の陶酔が、続いているかのように。空虚の中で。"
作家は、立ち上がり、庭に出る。
女が続ける。
"あれは、言うならば、『結果のない時代』だった。お望みなら、『切断された時代』とも。その後は?『助言のない時代』。言うならば、『私は何ができるのか』の時代。『分からない』、『どうすればいい、何ができるの?』。そして、その時代は今もずっと続いている。夏の盛りには、さらに明白に、無情に。どこに隠れてる?私の恋人は?私の恋する人、私の愛しい男。私自身は?あなたが隠れた場所を教えて。"
作家は、林に入っていく。薪を割ってみたり、落ち着きがない。
"私にとって、女にとって、見知らぬ人は誰も、最初から敵かもしれない。そして、ずっと昔に、シルエットはもうない。自分が、一人の男のものだと宣言して、そんなふうに生きる女がどこにいる?西部劇の時代のように。あれはフィクションよ。でも、どんな創作も、単に創作ではあり得ない。"
"創作?"
"想像よ。西部劇に登場する女たちも、中世の叙事詩の女たちも、男に服従するだけの存在ではなかった。ましてや奴隷では。想像上の女の要求ほど、気高いものはないわ。もう一つの帝国万歳。『男のもの』である女の帝国。継承されない帝国。立憲制でない帝国。つかの間の帝国。権力もなく、思い込みだけの想像上の帝国。その想像を生み出したのは物質。欲望という物質よ。空も大地も消え行くでしょう。だけど、私の欲望は、決して消えない。そのような女王を具現化するためなら、存在させるためなら、私は、すべてを投げ出し、すべてを犠牲にするわ。窓ふきの女王。靴べらの女王。髪をカットして、ヒゲの手入れをする女王。自分の髪の毛を解く女王。ベッドを温める女王。馬の毛を手入れする女王。犬のノミを取る女王。両腕を広げる女王。果物を盗む女王。ジャガイモの皮をむく女王。ティーカップの柄を貼り付ける女王。家中を歩き回りながら、本を朗読する女王。"
"アランフェスの"
"歴史に反して"
"ずっと前から、アランフェスには、王も"
"女王もいない。"
"だが、ある日、僕は、街を、特に街の外を歩きながら、かつての王国の徴に出会った。命のある生きた徴。死んではいない、生気に満ちた徴。今日のような美しい夏の日。ついに王宮も庭園も、アランフェスの街も、ぼくの背後に退き、最後の家々、物置、給油所、犬小屋を後にして、草原を突っ切る。草地は、岩の大地に変わり、森に至る。森の木々は、王宮の木に、似ているようで、全然違う。森の木々は、野生だ。競い合うように枝を伸ばし、絡み合い、もつれ合って、原生林を形作る。アランフェスに来る前、王宮の周りのあちこちに、菜園があると聞いていた。『王の菜園』だ。昔は、野菜や果物が作られていたが、今はない。そんな昔の果物と原生林で出会った。森の暗さに慣れると、すぐに、木々の足元の茂みの中に、水平に差し込む光のおかげで、一面に光り輝くルビーの色が見えた。動かないかと思えば、風が吹いてくると、揺れ始める。まるで振り子のように。何だと思う?"
"今日の謎々はなしよ。"
"スグリの実だ。昔は、王の菜園の垣根として栽培されていたが、菜園が放置されると、野生の森に広がっていった。街を抜け、タホ川を越えて、高原に移った。時空間を超えた長い旅の間に、スグリは、変異した。明らかに樹形が小さくなり、実の数が、栽培種よりずっと減った。その一方で、ルビーの輝きは、千倍も濃くなった。真珠のような実の1粒ずつが、光り輝いている。そして、他のどんなベリーより野生的だった。あの強烈なルビーの色は、移住の間に実が、縮んだせいではなく、あの小さな難民のすべてが凝縮されているからだ。僕は、スグリを1粒味わってみた。口の中で、酸っぱさと甘さが同時に爆発して、一瞬にして僕の体を貫いた。王宮のどんな果物とも違う、後に残る味だった。あの味は、いつまでも残るだろう。最期の日まで。アランフェスへの帰り道、かつて王の菜園から、逃亡した野菜に出会った。何種類ものインゲンや、エンドウマメ。トマトやキュウリが、草原を縫って広がり、とりわけ黄色や赤と黒の縞模様のカボチャが、様々な大きさで転がっていた。こうして文明から草原へと、逃げ出した野菜は、野生児のように育ち、例外なく円形を作っていた。昔の植物学者が、『魔女の輪』と名付けた形だ。場所によって接したり、絡み合ったりしながら、カボチャの輪がコールラビと重なり、黒いナスの輪が、先の尖った真っ赤なパプリカに寄り添っていた。あの夏の日、歩きながら、僕は、いくつもの魔女の輪を追った。何という歩きだったろう。今でも、よい魔女は、存在しているんだ。そして、この輪から繰り返しスズメが飛び立った。こんなふうに歩くべきだ。"
男は、走り出し、広場で回る。
“それは、アクションよ。アクションは、なし。セリフだけの決まりよ。"
"小さなアクションは、必要だ。"
騒音が聞こえてきて、男は、耳を押さえながら、"夏の風に揺れる木々のざわめきとは、お別れだ。今日、いつの日か。近いうちに、永遠に。髪を掴んで別の場所へ連れていくような。震えから切り離される。現代という時代よ、僕らを放っておけ!花よ。死者のための花よ。死者のための花よ。花よ。死者のための花よ。花よ、花よ!"
"アランフェスでの美しい日々は終わりだ。我々は、いたずらに時を過ごした。"
"時の深淵で、まどろむ者を誰が知ろう。幸せな愛などない。ただ飢えた牝狼がいるだけだ。"
男が続ける。
"そして、今度は巨大な鳥の影。飛行機か?太陽の瞬きか?時折、子どもの悲痛な泣き声。死にゆく前の叫び声、死者の叫び。2匹の猫の唸り声。"
"どんな生き物も、相手を求めるのよ。"
"高い所をガンが飛んでいく。南を目指して。"
作家が、林から帰ってくる。
"最初は、愛を失っている。常に、永遠に、たとえ失わなくても。"
男が語る。
"人は、最初から愛を失ってる。たとえ失わなくても。"
"いいえ!中世では、愛を表す言葉は、女性形だったのよ。『愛 ラ・アモール』"
"幸せな愛などない。幸せな愛はない。『裸の大地を』、『青ざめた魂が、飢えた牝狼のようにさすらう』。飢えた牝狼。飢えた牝狼だけ。"
"あなたとあなたの永遠の夏の物語。フェルナンド、見て。もう一つの永遠が。"
"シルエット?もう一つの?美しい日々は終わり、僕らは無為に過ごした。僕は満足しない。時の深淵でまどろむのは誰か。空腹だ。ソレダード。"
"私は、喉が渇いた。裸でいるのは、奇妙ね。一人きりでも。"
作家の部屋に、カメラは寄る。
“裸でいるのは、奇妙だ。一人きりでも。"
作家は、一人、テラスのテーブルに座る。
♪言うべきことは、もう何もない
 世界は燃え上がり、僕は君を愛してる
 決して変わらないものがあるんだ
 世界は燃え上がり、僕は君を愛してる
 言うべきことは、もう何もない
 世界は燃え上がり、僕は君を愛してる
 決して変わらないものがあるんだ
 世界は燃え上がり、僕は君を愛してる
 君は僕が求めるもののすべて
 世界は燃えている
ジュークボックスの緑に照らされた山の絵に、カメラは寄っていく。
♪言うべきことは、もう何もない
 世界は燃え上がり、僕は君を愛してる
 決して変わらないものがあるんだ
 世界は燃え上がり、僕は君を愛してる
 世界は燃え上がり、僕は君を愛してる
【感想】
男女の“初体験“を巡る応酬。カメラは、ほとんど庭のテラスを離れることはない。男女の会話は、噛み合わない。私的なインスピレーションに基づき、とうとうとしゃべる女。女の方が優位との見解のようだ。男は、アランフェスの旅の思い出を語り、時に、生き物の営みに、執着する。男は、ナイーブで、女が受け入れるのを待っているかのようだ。映画の中にシンガーが出てきて、演奏される歌は、男から見た男女の愛。男女が寄り添う。永遠のテーマを、終始語り続け、映画は終わる。

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