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一人勝手に回顧シリーズ#小津安二郎編(18)一人息子/一旗上げよ

【映画のプロット】
▶︎母一人、子一人
人生の悲劇の第一幕は、親子になったことにはじまっている
               侏儒の言葉
1923年、信州。春繭を背負い、道を歩く、笠を被った女たちの一行。製糸工場で、繭から糸を紡ぐ女たち。
おつねは、臼を挽く。
息子の良助が話しかける。"母やん、組から4人、中学校に行くんだと。"
"ほだな。"
先生が、おらに、どうするか聞いたんだが。"
"で、おめえ、何てって言った?"
"黙ってた。"
"中学なんか、行かんでもええ。"
担任の大久保先生(笠智衆)が、尋ねて来る。 
"お構いなく。"
"いつも良助が、ご厄介になりまして。"
"いや、どういたしまして。良助君は、よくお出来になるんで、僕も楽しみにしています。"
"でも、からっきし。"
良助は、立ち上がり、先生に、礼をする。
"今日、学校で聞いたら、中学にやると言うのが、非常に嬉しく思いますね。"
"なにしろ、これからの世の中、上の学校に行かないと、相手にしてくれませんからね。"
"良助君くらい出来がよくて、上に行ったら、いいと思いますがね。"
"お母さんも、よく決心が出来ました。"
おつねは、呆気にとられる。
"これから何をするにしても、学問がないと始まりませんからなあ。"
"僕も、東京に出て、もっと勉強したいんです。""何てったって、こんな田舎にいては、先が知れてますからなあ。"
"お母さん、本当に、よく決心してくれました。"
先生は、辞去する。
"良助"
おつねは、物置の良助に、呼び掛ける。
"良助、良助。"
おずおず現れた良助を、おつねは、ビンタする。
"なんだって、こと言うんだ。なんだその面。"
"小学校なんか行けるもんか。馬鹿。"
製糸工場で働くおつね。同僚が、声を掛ける。
"大久保先生は、いつ行くだね."
"明日のお昼の上りだとさ。"
"そうかね。""ええ先生だったな。いつかは出て行くと思ってただども。東京、東京って言いなさってたからな。"
"うん。"
良助は、柱に足を掛けて、横になっている。
"おめえ、やっぱり小学校行くだよ。""かあやんも、夕んべ一晩、考えたんだが。"
"ほかの子が4っ足りも、中学校行くってのに、級長のお前が行かないってのも、母ちゃん、面白くねえからな。"
"わんだるも中学校行くだ。その上の学校だって行くだ。そんだんで、勉強すんだ。そんで、偉くなるんだ。""わんだるが、偉くなれば、死んだ父やんだって、きっと、喜んでくれるだ。"
"わんだるの勉強のためだったら、母ちゃん、どないなったって、構いやしねえ。""うちの事など考えんと、勉強すんだ。""小学校行くだ。"
"わんだるを中学校にやるくらいの事は、母やんだってできるだな。""それぐらいのこと、できねえでどうすんだ。"
"な、分かっただな。"
"かあやんも、もうじきおばんになるだに、いつまでもわんだるにそばにいてもらいてえだども、でも、大久保先生のいわっしゃるとおり、これからの人間は、学問がなくちゃダメだしな。"
"うちのことなんか考えんと、うんとうんと勉強すんだ。" 
"な、分かっただな。"
良助は、うなずく。
"な、分かっただな。"
"うん。"'なあ、母やん、俺、きっと偉くなる。"
"うん。"
親子は涙を流す。
▶︎東京へ
1935年、信州。機械化が進んだ製糸工場。
おつねは、仲間と手仕事をする。
"あの子も、東京でええ人見つけたと言ってきただ。"
"そうだっか。それは良かっただ。""早いもんだすな。"
"早えだすかな、おらには、随分長かったし。"
"なあ、春にでもなったら、東京に行かずかと思うだ。"
"そりゃ、ええだな。"
"あの子ももうじき、27になるだに、そろそろ嫁の心配してやんねえとな。"

1936年、東京。おつねが乗った汽車が、東京に着く。
車の中で、大きくなった良助と母。
"随分、久しぶりでしたね。夜行では、疲れたでしょ。"
"う、うーん。そんなでもなかったし。一緒の人が、えらく親切にしてくれたしな。""高崎か、お弁当も買って来てくんなすしな。"
"そうですか。良かったですね。''
"うちの方は、どうです?"
"今年はひどい雪でな。"
"そうですか。"
"あ、永代橋。"
"でっかい橋だなあ。"
"ほんとによく、出かけて来られましたね。"
"うん。"
良助の家の近くで、二人は車を下りる。
"家は、この原の向こうなんですが、ぶらぶら歩いて行きましょう。""大変なうちですよ。"
"驚いちゃいけませんよ。"
"何が、何がさ。"
"いやー、実は女房もらっちゃたんですよ。兎に角、うちに行きましょう。"
洗濯物がはためく、場末。
"母さん、ここですよ。"
"おーい、おっかさんがいらしったよ。"
"いらっしゃいませ。さあ、どうぞ。"
"初めまして。"
"杉子です。"
"よくいらっしゃいました。"
"お初めて。せがれが色々ごやっけいになりまして。"
"随分、汚いうちでしょお?"
"ねえ、おっかさん、ちょいと。"
赤ん坊を見せる。
"去年の暮れに、生まれちゃったんですよ。"
"色々考えたんだけど、おとっつあんの一字をもらって、『義一』とつけたんですよ。"
"よく寝てますよ。""ねえ、母さんには、孫なんですよ。"
杉子が、良助を呼ぶ。 
"晩の支度、どうする。"
"お前、金あるか。"
"少し。"
"お母さん、何ご馳走しましょう?何、食べたい?"
"何でもええだよ。"
"そうですか。''
"鳥、買って来いよ。早く帰って来いよ。"
良助は、杉子に財布を渡す。
"洋食屋の娘なんですよ。"
"洋食屋さん。''
"学生時分に、下宿してましたでしょ。その近くの。"
"ねえ、ほんとはお知らせしなくちゃいけなかったんだけど。済みませんでした。" 
"済むも済まねえも、お前が決めりゃあいいよ。''
杉子が、帰って来る。
"頼んで来たわ。"
"足りたか?"
"ええ。"
"おっかさん、頼むよ。"
おつねと良助が話す。
"やす子とばかり聞いてたがね。"
"やす子は半年くらい前に、ダメになったんですよ。"
"そうだったか。"
"ええ。ちょいと出掛けて来ます。""やあ、すぐ帰って来ますよ。"
良助は、夜間学校の教壇に立つ。
"先生、二つの角が等しいのが分からない。"
良助は、説明する。
"わかりました。"
"分かったね。"
良助は、教室を抜けて、職員室へ行く。
"なあ、おい、10円貸してくれ。"
"10円?10円持ってかれると、困るな。"
"じゃあ、5円。"
"済みません。"
良助は、ほかの職員にも声を掛ける。
"ねえ、松村さん、5円貸してくれませんか。くにから、お袋が出て来ちゃったもんで。"
"ねえ、お願いしますよ。月給日には必ずお返ししますから。ねえ。何でしたら利子を1割つけますよ。"
"うん。"
"どうも済みません。ご迷惑と思うんですけど。なにしろ急なもんでしたから、済みません。"
教室では、生徒がおしゃべりしている。
おつねと杉子が話している。
"んで、学校の方じゃ、いくら貰っていますだ。"
"ほんのわずかですの。でも、どうにかやって行けますわ。"
良助が、帰って来る。
"済みませんでしたね、教師なんて商売は、勝手な時に休めないのでね。"
おつねに、お土産のまんじゅうを差し出す。
"どうです。一つ。""おい、お茶いれろよ。''
"母さんの枕。"
"ねえ、お杉さんや僕がいなさったら、何かお土産持ってくるだったなあさあ。"
"今年はお陰でなあ。"
"早かったですね。"  
"大久保先生は、達者かな。" 
"先生ですか、先生は、相変わらずお達者ですよ。何だったら、明日、行ってみましょうか。''
"お行きやしてえだがなあ。"
"行って見ましょう。先生、きっと驚くだろな。''
"どうです。お母さん、あんこが違うでしょ。"
翌日。良助とおつねは、大久保を訪ねる。
"ねえ、ここなんですよ。"
とんかつの旗が、はためく。
大久保は、仕込みをしている。
"こんちは。"
"やあ、これは、これは。さあ、どうぞ、どうぞ。""ねえ、君。お母さんに座布団お出しして。"
"しかし、おっかさん、よくいらっしゃったなあ。随分、暫くですか。""いつ、お出掛けになりました。"
"昨日の朝、こちらにめいりやして。"
"そうでしたか。"
"お世話になってごぜえます。"
"いや、どうも、私こそ、とんとご無沙汰しておりまして。''
"あの、良助くん、誠に申し訳ありませんがね、そこらに手ぬぐいないですかね?"
"手ぬぐいですか。"
"はい、手ぬぐい。"
"あ、ありがと。"
大久保の侘び住まい。洗濯ものが、はためく。
"あれから、随分になるので、くにの方も変わったでしょうね。"
"ええ、先生が、これなんかと遊びやんした斎川の土手も、すっかりセメンになりましてな。"
"ほおお、あそこの月見草は、きれいだったですがね。"
"講堂も、立派なんが立ちやしてなあ。"
"ほほお。"
"なにしろ、東京にいて、戸隠山のホトトギスが聞けるようになったんですからね。"
"ああ、あれは、私も聞きましたよ。"
"私も、蓮華の咲く時分に、帰ってみたいと、いつも思うんですがね。"
子どもが泣きながら、帰って来る。
"どうした?"
"あーん、これ食べたい。"
"こいつが、次男です。さ、泣くんじゃない。"
子どもは、泣き続ける。大久保が、小遣いを渡すと、出て行く。
"こういう育て方はいかんのですがな、手っ取り早いんで、つい。"
"そりゃ、どこの子ども衆も。おいくつになりんやす?"
"6つなんです。どうも柄ばかり大きくなりまして、困ったもんです。"
"先生、お忙しいんじゃありませんか?"
"いや。"
"いや、東京に出て、こんなことするとは、思いませんでしたよ。""いや、なるようにしか、ならんもんですな。あっはっは。"
子どもを背負った大久保の妻が、家に帰って来る。
"あ、お帰りなさい。"
"妻です。良助君のお母さん。"
"いらっしゃいませ。"
"お留守に上がりまして。"
"なに、いただいて。"
"ありがとうございます。"
"こいつが、四男です。"
"まあ、お利口げだ。"
"いや。お母さんも、また孫ができなさって、お楽しみが増えましたな。"
"あ、そうそう、こないだ話した夜泣きのおまじないだがね。"
大久保は、一枚の絵札を手に取る。
"これですか。"
"うん、これを逆さまに張るんだな。"
良助の家。夜泣きのおまじない札を逆さまに張る。杉子は、縫い物をする。
良助は、母親とオペラ映画を鑑賞する。おつねは、こっくりこっくりする。

良助の家で。
"お隣がやかましくて、お母さん、お休みになれるかしら?"
"うん。これで家賃が安いんだ。仕方がないよ。"
"なあ、明日からどうしようかな。借った金もあらかた使っちゃったし、給料日には、まだ間があるしな。"
"・・・"
おつねが帰って来る。 
"ただ今。"
"お帰りなさい。"
"お帰り。""どうでした。"
"ええお湯でごわした。"
"混んでなかった?"
"ううん。"
"疲れやした。"
"随分、引っ張りましたからなあ。揉んであげましょうか。"
良助は、おつねの肩を揉む。
"どうです。" 
"ああ。"
"私、いたしましょうか。"
"いいよ。お茶でも淹れとくれ。"
"大きな手になっただなあ。"
"いやあ。"
"効きますか。もっと強くしましょうか。"
"ううん。"
"今日は、お陰で、あちこち見せてもらいやした。浅草寄って、上野に寄って、九段にお参りして。"
杉子は、楽しそうに聞く。
"お前、おっかさん、何に一番感心したと思う。"
"雷門の提灯がでっかいのに、驚いたんだよ。"
"でっかい提灯だな。" 
"屋台の夜泣きそば、食べたことあります?いいもんですよ。"良助は、席を立つ。
"あたし、いたしましょう。"杉子が代わる。
"浅草の観音さんは、でっけえな。" 
良助は、屋台に注文する。"おい、ラーメン3つ。"
"チャーシュー、たんと入れろよな。"
"こんばんわ。"
良助は、隣家を覗く。
"こんばんわ。"
"勉強してるのか。"
"おくにから、お母さん、お見えになったんですってね。"
"ええ、ひょっくり、出て来ましてね。弱ってますよ。"
"まあ、あははは。" 
ラーメンが出来た。
"ごめんなさい。さよなら。"
"さよなら。"
"やあ。さあどうぞ。熱いうちに。"
"お母さん、お上がりになりません。"
"いただこうかな。"3人は、ラーメンをすする。
"うまいもんでしょ。"
"うん。"
"ねえ、明日どこ行きましょ。見たい所ありませんか。"
"さあなあ。でも、偉く散財かけてしもうただら。"
"いやあ。さあ、どこがいいかな。"
"そうね。"
"おつゆがうまい。ね、ちょいと、うまいもんでしょ。"
"うん。"
翌日。良助とおつねは、また原っぱを横切る。
"ねえ、あれが東京市のゴミ焼き場ですよ。"
"なんせゴミだけだって大変ですからね。"
二人は、原っぱにしゃがむ。
"ねえ、母さん。何か気に入ってもらえたかしら。"
"ああ、大人しいええ人じゃないか。"
"東京なんか出て来なかった方が良かった気がするんです。"'学校出て、こんなことでは、おっかさんにも気の毒ですからね。""無理して、東京の学校まで来ること、なかったんです。"
"なぜだ。どうしてだ。おめえ、そんな風におもってただか。おめは、これからだと思っているだに。"
"僕だって、そう思ってます。でも、そうすると、僕は、小さい双六の上がりに来ているんですよ。"
"おめえ、呑気なこと言っちゃ、困るじゃねえか。"
"おっかさんと一緒に、田舎で暮らしたかったなあ。"
"よくひばりが鳴いてますね。"
おつねも空を見上げる。二人は、歩き始める。
良助のクラスでは、生徒は問題に取り組み、良助は、ぼんやり窓際に立つ。
良助の家では、おつねが難しい顔をして、座る。
教室の窓からネオンサインが見える。
良助らは、寝ているが、おつねは、起きあがっている。
おつねの顔は、さえない。火鉢に行き、火をおこす。
"おっかさん、どうしたんだ。"
"なんだかねつかれねえもんで。"
"どうしたの。もう遅いですよ。"
"昼間、僕が言ったことを気にしているんですね。"
"ううん。"
"さあ、寝ましょう。"
おつねは、動かない。
"おっかさん、やっぱりがっかりしてるんでしょ。""でも、僕はやらることだけは、やったんですよ。おっかさんに苦労かけてることが、励みになったんですよ。でも、東京では夜学の先生になるのさえ、やっとのことだったんです。そりゃ僕も、夜学の先生で満足してないんで、これから先。でも、何になるか、見当もつかないんですよ。"
"そうかな。"
"ええ。"
"けんど、お前、まだ若いんだもの。そう諦めること、ねえじゃねえしか。"
"やあ、諦めちゃいませんよ。やるだけのことは、やったんです。でも、この人の多い東京では、焦ったってしょうがないんですよ。"
"そうしょうがないって決めちゃうことは、ねえだよ。わちゃだって、この年になるまで、一度も諦めたことはねえだよ。女の手一つ、おめえを東京の学校にやろうなんて、てえげえのことでなかっただし。そりゃ、そんな気でいたんだら。"
"そりゃ、おっかさんから見れば、不甲斐ないとお思いでしょうが、大久保先生だって、あの時分は、大きな望みをお持ちでしたよ。東京じゃ、トンカツを揚げてるじゃないですか。あの青雲の志が、5銭のトンカツ揚げてるなんて。ねえ、おっかさん。人の多い東京じゃ、しょうがありませんよ。"
杉子も目を覚ます。
"そりゃ、先生は先生で。"
"いや、誰だって。しょうがありませんよ。これが東京なんですよ。"
"おめえ、そう、東京、東京って言うけんど、東京で出世している人だって、うんといるじゃねえしか。"
"そりゃ、中にはいますよ。"
"いるじゃねえしか。お前だって出世したいばかりに東京に出て来たじゃねえしか。"
"そりゃ、そうです。でも、その思うようにいかないのが。"
"思うように、行かずか。その性根がいけねえでしか。"
"かあやんにしてみりゃ、そう簡単に諦めてほしくねえがや。かあやんが、この年になるまで働いてきたのも、おめえの出世が楽しみだったからだよ。この楽しみがあっただし、働き甲斐があっただし、いきげえだってあっただし。それをお前のような性根じゃなあ。な、かあやんはな、おめえに隠していたけども、在郷には、うちは、ねえんだよ。とうやんが残ささったうちも桑畑もみんな売って。かあやんは、おめえに黙っていたけんど、今じゃ縄手の工場の長屋にいるんだ。けど、そんなこと、どうだってええだだ。おめえが、しっかりしてくれりゃ、かあやんがは、うちだって、桑畑だって、んなもの、何もいりやしねえだ。かあやんは、おめえきりが、頼りなんだし、すんだのに、すんだのに、そんな気でいたんじゃ。"
おつねは顔を歪める。
杉子も泣く。
朝になる。おつねは、赤ん坊を抱き、あやす。
"坊や、でっかくなったら、なになるだ。坊やも、東京に暮らすんかね。"
隣の富坊がやって来る。
"おばあちゃん。"
"こんにちわ。"
"おばあちゃん、どこから来たんだい。"
"信州から。"
"信州なら中部地方からだろ、県庁所在地なら、みな知ってらあ。新潟県が新潟、長野県が長野、岐阜県が岐阜、山梨県が山梨..."“主な産物は、生糸だろ。"
おつねは、嬉しそうに聞いている。
"富ちゃん、富ちゃん。"
隣家の妻が呼ぶ。
"ちぇっ、またトンカツか。さよなら。"
家でふさぎ込む良助に、杉子が声を掛ける。
"ねえ、あんた。ねえ、これでお母さんを、どっか連れて行ってくだすいな。"
杉子は、蓄えを差し出す。
"ねえ、お天気もいいんだし、どこか連れて行ってあげなさいよ。""折角、出ていらしたのに、あんな所で孫のお守りでは、お気の毒ですわ。"
"どうしたんだ、急に。" 
"いいんです。あんな着物、どうせ着ないんですもの。"
"お前が行けよ。"
"私?"
"金なんか、どうだっていいじゃないか。"
"小さい子は、前のおかみさんに頼んどきゃいいよ。なあ、一緒に行けよ。"
"ええ。"
富坊は、お母さんに、早く勉強しろと、言われる。遊びの誘いを断るフリをするが、すぐに家を飛び出して行く。
上級生のキャッチボールを、小さい子が見守る。
"今日は、ミット貸してくれよな。"
"嫌だ。"
"けっ、ケチなの。貸してくれりゃいいじゃないか。"
馬が、草を食んでいる。
"来いよ、おい、みんな来いよ。"
"いいかい、見てろよ。"
富坊は、"行きは、よいよい"を歌いながら、馬の腹の下をくぐる。
"ミット貸せよ。"
"嫌だよ。"
"こんちわ。"
良助は、隣家の奥さんに、窓越しに声を掛ける。
"また留守にしますんで、よろしくお願いします。"
"よござんすよ。"
赤ん坊を背負った杉子も挨拶する。
子どもが駆け込み、"富ちゃん、馬に蹴られちゃったよ。"
"どこで。" 
良助も、聞きつけ、子どもに、"どこで"と、問う。子どもは、泣き出し、3人は現場に向かう。 
近所の人が、富坊を囲む。
''富ちゃん、富ちゃん。''
富坊の意識は戻らない。
"こりゃ、すぐ医者、行きましょ。" 
良助は、富坊を抱き抱える。
病院では、手術が施される。 
"あの子は、この頃、口癖のように、ミットを欲しがっていた。そんなことなら、買ってやれば、良かった。"
"ねえ、お母ちゃん、あたいに、鞠買ってね。"
"うん。"
手術が終わり、富坊は、担架で運ばれる。
"とんだ災難でしたね。"
"でも、案外、軽くて、結構でした。2、3日入院してりゃいいんだそうです。"
良助は、杉子からもらった金を差し出す。
"失礼ですが、差し当たり、これを使ってくれませんか。"
"いや、いいんです。困っている時は、お互いさまですよ。"
"人手が要ったら、遠慮なく言ってくださいよ。杉子を来させますから。"
"すいません。"
"やあ。"
"お母さん、ありがとうございました。色々、ご親切にしていただきまして。"
"いえいえ。"
"けんど、ほんとに身体、大切になすって。"
"じゃあ、どうぞ、お大事に。"
"母ちゃん、鞠買ってね。"
良助の家。みんな黙って、うつむいたりしている。
"おっかさん、済みませんでしたね。折角、楽しみにされていた一日が、こんなことになっちゃって。"
"ううん、そらどこか、かあやんはな、お前のような子どもを持って、今日は、鼻が高かっただよ。"
"いやあ。"
"ううーん、今日一日どんなにええとこ、連れてってもらえても、あんなええ目に、きっと会えなかっただ。な、貧乏してるとな、ああいう時の有り難みが、ほんとに嬉しく、なるもんだ。おらもうんと、貧乏しただからな。"
"な、事によると、お前もお大尽になれなかった方が良かったかも、知れねえだ。おめえ、ほんとにええこと、してくれただし。これが、何より、在郷への土産だし。"
良助と杉子が、原っぱを歩く。松葉杖の富坊と母親が、続く。
"おじさん。"
"やあ、どうです?"
"お陰様で、ただ今、退院なりまして。本当にお世話様になりやした。"
"いやー、それは良かったですね。"
"お兄ちゃん、おばあちゃんがよろしくって言ってたよ。勉強して、偉くなれって。"
"お母さん、お帰りになったんですか。"
"ええ、今、送って来たとこなんですよ。" 
"ああ、そうですか。お目にかかって、色々、お礼申し上げたかったんですが。"
"ああ。" 
"ほんとに、お母さんには、親切にしていただいて。" 
"やあ、留めてはみたんですがね、やはり田舎の方がいいみたいなんですよ。" 
"さあ、それじゃ行こう。"
良助らは、家に帰る。
"お母さん、もうどの辺までいらしたかしら。"
"さあ。"
良助は、腰を下ろし、哺乳瓶を手に取る。
"ねえ、お母さん、私、気に入ってくれたかしら。"
"うん、それは大丈夫だよ。"
"ねえ、お母さん、満足してお帰りになったかしら。" 
"うん、多分、満足してお帰りにはならないよ。"
"な、ほんと言うと、俺は、おっかさんに、まだ東京に来てほしくはなかったんだよ。こんなみじめなところは、あまり見せたくなかったからな。な、そうだろ。例えばさ、俺が年を取って会った奴が、夜学の先生では、大して嬉しくないからな。"
良助は、母が、孫に小遣いを置いていったのを、見つける。杉子に、置き手紙を渡す。
"おい、俺、もいっぺん勉強するぞ。中等教員の免許でも取ってみろ。な、おっかさんに、もう一回出て来てもらうんだ。こいつだって、いつまでも赤ん坊でいる訳でない。大きな双六をやらしたいからな。" 
"あんたは、いいお母さんをお持ちになって、幸せですわ。"杉子は、泣く。
信州の製糸工場。
"おめえさん、東京は、どうだった?"
"やっぱり、東京だしなあ。てえしたもんだ。朝から夕んべまで、とげたもない人が歩いとる。てえしたもんだ。"
"ふーん。"
"あの子も、うんと偉くなってなあ。"
"そうかね。お前さんも、長い間、苦労しただになあ。"
"うん、お陰さんで、とってもええ嫁が見つかってなあ。おらも、これでもう安心だし。いつだって、旅立てるわ。"
"ほんとに、おめえさん、幸せ者だ。"
"うん。"
おつねは、工場の外にバケツを運び、腰を下ろし、一服する。
【感想】
夫に先立たれたおつねは、一人息子の良助を抱え、世を渡っていく必要からか、攻撃性と言ったものを、身に帯びる。良助に学問で身を立て
させようと決めると、自分のことを省みない。東京に良助を訪ねた時、おつねの口から明らかにされるが、おつねは、家、桑畑を手放して、良助の学費に充てる。だから、良助が夜学の先生にとどまり、将来を諦めていることを、知ったとき、その攻撃性は、良助に向かった。 
深夜の良助とおつねの口論。信念のおつねの口が、良助を上回る。徐々に良助は、無口となり、はたで聞いていた杉子は、泣く。本作で一番エモーションが高まるロングショットである。

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