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一人勝手に回顧シリーズ#小津安二郎編(35)#小早川家の秋/受け継がれるもの

【映画のプロット】
▶︎造り酒屋
けばけばしいネオンサイン。バーに、ホステスと男。
"偉い念入りに叩くやないか。ちょい、貸してみ。"
"これ?"
男は、コンパクトを受け取る。
"僕のこっちの目、細く見えへん?"
"さあ?いつもと変わりないけど。"
"偉いええの、買うてもうたな。"
"自分で買うたんよ。あ、来はった。"
"いらっしゃいませ。"
"ああ、どうも。"
"何や?君一人か?"
"もうすぐ、来ますやろ。7時過ぎに来りゃ。僕も貰おか。ウイスキー、オンザロックや。"
"はい。"
"ちょっと、帝塚山のお得意さんに、絵を届けてから、来る、ゆうてました。"
"そうか。君な、よう褒めてたけど、分かってるやろな?僕の好み。"
"そら、よく知ってまさあ。死にはった奥さんも綺麗やったし、この春、皆んなで、有馬行った折にも。"
"ああ、それ言ったらいかんよ、君。そんな事、言っちゃダメだよ。"
"けど、たった一つ、たまにきず、いいなんのはな。"
"何や?きずって。" 
"死んだ主人との間に、男の子が、おまんねん。"
"ああ、そんな事かまへん。僕にもあんのやから。じゃ、死んだご主人いうのは、何しとった人や?"
"先生ですわ、阪大の。"
"先生か。あの、造り酒屋の跡取りやなかったんか?"
"家は酒屋でも、そういう商売、手配でしたんや。" 
"ほお。学者の未亡人か。インテリやね。"
"もう、来る頃やな。"
"ねえ、君。僕、ここおらん方が、ええのやないか?"
"そうでんなあ。"
"そうやったら、僕、席外してね、その人が来たらね、偶然来てたような顔して、出て来るわ。"
"あんさん、どこに?"
"向こうよ。ちょっと向こう、行って来る。その方がええやろ。"
"そんなんならなあ、磯村さん。"
"えっ?"
"お気にいったら、サインしておくれな、サイン。" 
"おっけ。鼻立てるわ、鼻。"
"お待ちどう様。はい。"
"どこ、行かはりましたの?"
"いやあ。"
"何ですの?サインって。"
"ああ、野球の話や。あ、ここですわ。"
"いらっしゃいませ。" 
小早川秋子(原節子)が、やって来る。
"遅くなりまして。"
"まあ、お掛け。"
"何ぞ、貰おか?"
"いいえ、私。"
"ほなら、後で言うわ。"
"どうぞ、ごゆっくり。"
"さっきは、電話で、わざわざすいまへんな。"
"いいえ、ご用って、何ですの?"
"いや、暫く会うてへんし、お母さんの命日も近いし、どういう事になってるか、思うてね。やあ。"
バーの奥から、磯村が現れる。
"北川君やないか?"
"やあ、暫くでんな。" 
"この前、六甲のリンクで、会うて以来やね。"
"さあさ、どうぞ。"
"いいよ、いいよ。"
"まあ、よろしがな。"
"では、ちょっと失礼します。どなた?"
"家内の里の小早川の。"
"おお、そうです。お噂は、かねがね。確か、御堂筋の。"
"はあ。お友だちの画廊のお手伝いを、しております。"
"あ、そうですか。結構でんな。僕は、こういう者で、界川で、小さな鉄工所やってます。"
"磯村さんには、いつもお世話になってま。" 
"それは、どうも。" 
"画廊とは、しかし、綺麗なお仕事ですなあ。"
"はっ、でも。"
"御宅さんの店、牛の絵、ありませんか?"
"は?"
"いや、牛ですわ、牛。僕、牛の物、集めてましてな。丑年で。あ、これ(ワイシャツのポケットの刺繍)、牛ですわ。何ぞ、適当な牛の絵ありましたら、欲しい、思いましてな。"
"あの、日本画でしょうか。それとも。"
"どっちが、ええのや?お任せしよか。""そうでんな。"
"あんさんにお任せしますわ。"
"じゃあ、お探ししますわ。""あの、今日、紀子さんが来てるかも知れませんの。ちょっと、お電話拝借して。"
"どうだす。?" 
"OKや、OKや。"
"そりゃ、良かった。"
"大OKや。君、僕の好み、よう分かっとるな。年頃も、ちょうどええし。頼むで、君、ほんまに。"
"えっ。"
"めし、食いに行こか。まあ、一杯飲も。おい、ジンフィズやね?ジンフィズ三つや。"
"はい。" 
"OKや、OK。大OKや。良かった。飲み、飲み。さあ、行こう。祝盃や、祝盃。"
秋子が、帰宅する。
"ただ今。"
"お帰り。""お帰り。"
"悪かったわね。待たせて。これでも、急いで帰って来たのよ。誘われたけど、断って。"
"ここ違うて、へんか?もう一度、考えてご覧。これは、こうやろ。そしたら、これ、おかしいやないの。よう考えてご覧。"
"なあに?相談て。"
"うん。"
"何なの?"
"うち、お見合いせいって、言われてますんけど。"
"あ、また。売れっ子ね。"
"ううん。この前のようなんや、ないの。今度のは、深刻なんよ。お姉ちゃんまで、えろう、勧めはって。"
"へえ、どういう人なの?"
"お父さんは、銀行の頭取やそうなんやけど、その人は、吹田のビール会社に勤めてはんねて。"
"そう、いいじゃない。"
"そうあっさり言わんといて、うち、困ってるのに。"
"何困ってるの?"
"うち、まだ、結婚なんて、考えてへんのに。"
"そりゃ、あなたはそうでも、そうはいかないわよ。どうなの?お見合いだけでも、してみたら?" 
"けど。"
"嫌だったら、断りゃいいじゃないの。嫌なもの、行けだなんて、お父さんも文子さんも、おっしゃりしないわよ。"
"せやろか?"
"そうよ。"
"けど、この頃、お店の方も、あんまりようないらしいし。お父ちゃんは、うちをそこに、やりたいらしいねん。"
"そう、そうなの。"
"あ、もう帰らな。"
"もう、そんな時間?そうね、急げば、16分のに間に合うわ。"
"ほな、また来ますわ。お姉さん、また相談に乗って。"
"ええ、いつでもいらっしゃい。お菓子、買って来たんだけど。"
"この次、ご馳走になりますわ。実君、さいなら。"
"さいなら。"
"少し、急いだ方が、いいわよ。"
"うん。さいなら。"
"気を付けてね。"
"さいなら。"

造り酒屋。
"岡伝さんも、桂屋さんと、合併に踏み切るみたいでんなあ。"
"そうか。そんな噂、聞いてたけど。君、誰に聞いたんや?"
"金子って、ご存知ですか?桂屋さんの。"
"ああ、知ってる。"
"昨日、あの男に会いましたら、そんな事、言うてましたんでな。詳しい事聞いたろ思て、一軒行きましてな。"
電話が鳴る。
"あ、あ、はい。いてはります。旦那さん、奥さん。"
"何や?山一さんの返事まだか?"
"まだです。"
"あ、もしもし、もしもし。あ、僕や。何の用や?"
文子(新珠三千代)に切り替わる。
"今なあ、大阪のおじさん、気はってな、ふん。手空いてたら、帰って来てほしいねん。うん。ほんなら、待ってます。すぐ、帰って来るそうです。"
"そうか。"
万兵衛(中村鴈治郎)と叔父。
"先方は、どういう意向なんや?"
"2、3日前におうて貰えましたがな、偉い乗り気でんねん。" 
"そうか。で、秋子は、どない言うてん?"
"それがな、秋子さんには、まだ何も言うてまへんねん。"
"ふん。そしたら、秋子は、何も知らんと、見合いしたんか?"
"そうですわ。"
"そら、無茶やぞ。それで何か?秋子の方でも、気に入りそうな人か?"
"私は、ええと思いまんねんけどな。"
"どや、そんな人。"
"うん。上手い事、お姉さんが、気に入ったら、ええけど?" 
"ただなあ、幸一はんと違って、学者肌じゃないでな。その点がどやろと思てんけど。鉄工所の大将なんでな。"
"そんな事、お姉さんが、どう思いはるか、分からへん。"
"そら、そうや。そら、本人の考え、一つや。"
"帰って来た。"
久夫が帰って来た。
"あ、おいでやす。ご無沙汰してます。"
"こんにちわ、暫くやな。"
"弥之助はんな、秋子の縁談持って来てくれたんや。"
"そうですか。"
"僕としちゃ、ええ話やと思うんやけどな。"
"そうですか。"
"紀子の方の話もあるしな。ここで、両方一遍に決まってくれたら、願うたりかなったりや。"
"そうですな。"
"秋子の方が、どない気か、お前から、一遍聞いてみて。"
"お父ちゃんは?" 
"そらあ、わいからも、勧めてみるけど。まあ、あんじょう、頼むわ。"
"どこ、行かはんの?"
"うん、ちょっと思い出した。"
"お出掛けでっか?ほなら、私も。" 
"ああ、あんたは、ええやな。ゆっくりしてなはれ。"
"お父ちゃんも、何かに、忙しいんやな。"
"何や知らん。ここんとこ、よう出て行かはるわ。"
"ほうか。けど、達者で結構や。で、紀子ちゃんの話、見合いの日、決まったんか?"
"え、ニュー大阪でな。"
"そうか。そりゃ良かったな、めでたいな。今日も、暑なるなあ。"
大阪城の見えるオフィス。女が、電話を取る。 
"はい、はい。どこ?ふん、ふん。6時からやね?行く、誘てみるわ。"
紀子に声を掛ける。
"あんた、今日、帰り、暇か?"
"うん。何で?"
"寺本さんな、2、3日うちに、急に立つ事になったんやて。"
"札幌へか?" 
"うん。ほんでな、今晩、皆んな集まるんやて。"
"そうか。とうとう、決まったんか?"
"うん。"
"そうか。行かはんのか。"
レストランに、紀子らが、集う。全員で、山登りの歌を歌う。
"じゃあ、乾杯。""乾杯。""ご機嫌よう。元気でね。"
赴任する寺本(宝田明)に声を掛ける。
"ああ、ありがとう。ありがとう。"
"けど、よう行く気になったな。""サラリー上がんのやろ。"
"上がったって、知れたもんや。大学の助手って、びっくりするくらい、安いんや。"
"せやかて、今度は、助教授やないの?"
"助教授かて、ちょぼちょぼや。それよかな、皆んなに、一遍、スキーに来てほしいわ。"
"行きたいけど、札幌まで、汽車賃高いな。"
"まあ、君の事、偲んで、伊吹山で我慢しとくわ。"
"かくとだに。"
"えやは伊吹の さしも草。"
"さしも知らじな 燃ゆる思ひを、か。"
"今になって、モーションかけても、もう遅いわ。"
"♪荒れて狂うわ 吹雪か雪崩
 俺達ゃそんなもの 恐れはせぬぞ
 俺達ゃそんなもの 恐れはせぬぞ
 山よさよなら ご機嫌よろしゅ
 また来る時にも 笑っておくれ 
 また来る時にも 笑っておくれ "
停車場のベンチに、寺本と紀子。
"ああ、愉快やった。あの連中とおうてると、行きたのうなるわ。"
"ずっと長い事、行ってはりますの?"
"4、5年の辛抱や言われてますのんやけど。どうなる事やら。あんた、都合ついたら、一遍、遊びに来てください。"
"ええ。"
"ほんまですよ。"
"ええ。"
"ああ、愉快やった。嬉しかった。僕も、時々、手紙出しますけど、あんたもくださいね。"
"ええ。"
"ほんまですよ。ああ、愉快やった。行きとうないな。"
電車が入って来る。

造り酒屋。 
"ご破算で願いましては...3万3,455円也。そっちは?"
"同じです。"
"同じって、なんぼや?"
"3万3,455円。"
"3万3,455円。しかし、そら、偉いこってすなあ。"
"けどまあ、しょうがないがや。中小企業ってなもんは、もうあかんのや。"
"そうでっか。"
"ちょっと、伝票見してみい。"
"今のでっか?"
"違う、違う。さっきのや。あ、これや、これや。"
万兵衛が、現れる。
"ご苦労やな。偉い暑いな。"
"あ。" 
"久夫、どうしたんや?"
"へい、ついさっき、お出掛けになりました。"
"どこ行ったんや?"
"桂おさむさんへ。"
"ああ、そうか。ほな、わいも、ちょっと行って来るわ。"
"行ってらっしゃい。""行ってらっしゃい。"
"大旦那さん、この頃、よう出掛けはりますな。"
"よう出ていかはる。奈良のとこ、いてはるのか。なあ、おい、君。ちょっと。"
"はあ?"
二人は、応接に構える。
"な、大旦那さん、この頃、よう出ていかはるの、ちょっと臭いな。ほんでな、本宅でも心配してはるねん。ちょっと君な、一遍、本宅に行ってな...違う、違う、後つけんねん。後つけてな、どこ行って貼るか..."
万兵衛は、小路をとことこ、歩く。丸山が、後をつける。見失った丸山の背後から、万兵衛が、声を掛ける。
"おい、六さん。"
"ああ、大旦那さん。''
"どこ行くねん?まあ、おいで。"
二人は店に入る。
"まあ、お掛け。お掛け。" 
"へい。掛けさせていただきます。"
"何や?何がええ?"
"へい、何でも。"
"白玉どや?"
"へい、結構です。"
"姉ちゃん、白玉一つ、追加や。"
"へえ。"  
"何や今時分?妙なとこで、遭うもんやな。"
"へえ、それがちょっと、掛け取りに。"
"そうか。ご苦労はんやな。"
"へい。なかなかお暑いこってんな。"
"うー、偉い厳しいな、今年の残暑。"
"へえ。大旦那さん、どちらにおいでです?"
"お前、どこや?掛け取り。"
"へっ。この辺、あちこち。" 
"ふうん。お前な、タバコ持ってへんか?"
"へ、ございます。"
"一本おくれ。" 
"どうぞ。"
"ピースか。偉いええタバコ吸うてんやな。"
"すんません。"
"お前な。" 
"へい。"
"わいには、分かっとんやで。"
"何です?"
"まあいい。お前な。"
"へい。"
"若旦那に頼まれたか。" 
"いいえ、そんな事あらしません。絶対にありまへん。"
"そうか。それなら、誰に頼まれたんや?掛け取り。"
"掛け取り。ああ、そりゃあ、誰に頼まれんかて、掛け取りには参りますわ。"
"そうか。そら、感心やな。おい、白玉、まだかいな。この人、忙しいんや。これから、あちこち、掛け取りしよんねん。早よしてえな。"
"へい、ただ今。"
"ほんまに、六さん。ご苦労さんやな。"
"へえ。"
丸山をまいた万兵衛は、目的の家に入る。
"ごめんやす。ごめんやす。"
"まあ、おいでやす。まあまあ、暑いとこ。さあ、どうぞ。"
"へい、おおきに。上がらして貰いますわ。"
"さあさ、どうぞ。いつまでも暑いこっとんな。"
"ほんまやなあ。"
"お店の方、忙しいのおすか?"
"いや、1年で、今が一番、暇な時や。新米が取れな、酒屋は商売にならへん。今な、おもろい事、あってんで。"
"何どす?"
"うちの番頭がな、わいの後、つけてきょってな。"
"へい。何でどす?"
"わいな、あれから、ちょいちょい、こちらによせてもろとるやろ、うちの奴らが心配してな。"
"まあま、偉いこっちゃ。"
"そんでな、今も、付けてきた番頭、氷屋に引っ張り込んでな、タバコ持ってたけど、ピース1本、貰っとったってんねん。そしたらな、慌てくさって、白玉の代まで、払いよんねん。ははは、アホな奴やねん。"
"そうどっか、そら、よろしかったな。"
"あ、麦茶、砂糖入れよか?"
"まあええ。"
"けどなあ。妙なもんやな。''
"何がどす?"
"あの日、わいが、もう一電車早う乗ってたら、お前と会えなんだんや。"
"ほんまどんな。やっぱり、縁があったんやわ。"
"そやなあ。不思議なもんやな、縁ちゅうもんは、19年振りやで。"
"そうどんがな。しかも、あんなとこで。変わりましたなあ、お互いに。"
"うん。競輪の帰りとはなあ。水の流れと人のみわや、や。"
"世の中が、ころっと、変わってしもたさかいに。"
"しょうもない世の中や。"
"昔は、よろしゅおしたな。ほら、宇治のお茶屋。" 
"ああ、花屋敷か。昔、よう行たな。"
"へえ、皆んなとだつおいただけて。面白おしたなあ。"
"うん。蛍狩りに行たり。覚えてるか?あの月の晩。"
"忘れますかいな。うちが、初めて女にして貰おた日や。ほんまに長い縁どんな。"
"そやな。"
"百合子も、21になりますもんな。" 
"早いもんやなあ。そのうち、うち行ってみよか?二人で。"
"え、行きましょ。連れてっておくれやす。一本付けよか?"
"ああ、貰うで。"
ひらひらのドレスを着た百合子(団令子)が、帰宅する。
"ただ今。"
"お帰り。お父ちゃん、見えてるで。"
"そうか。"
"ああ、お帰り。"
"こんにちわ。お父ちゃん、いつ、来はったん?"
"うん。まあ、お座り。"
"うち、すぐ行かんな、なりまんねん。忘れ物、取りに来ましてん。お父さん、ゆっくりしてはって。"
"何や?また出て行くんかい。"
"うん。さいなら、バイバイ。"
"バイバイ。"
"お父ちゃん、ミンクのストール、いつ買うてくれますの?"
"ああ。これか?襟巻き、まだ暑いやないか。"
"けど、今のうちから、頼んでおかんと。"
"ああ、分かってる、分かってる。"
"せわしない子やな。"
表で、口笛を吹く外人。
"Yuri harry up。"
"あ、おいでやす。こんにちわ。"
"こんにちわ。"
"百合子、ジョージさん、待ってはるよ。早よおし。"
"お母ちゃん、ほな、行って来るわ。"
"早よ、お帰り。"
つねが、膳を運ぶ。
"誰やねん?"
"アメリカの人どんねん。神戸の会社の。"
"そんなもんと、付き合うとんのか?"
"へえ。あの子、タイプやってまっしゃろ、時々、けったいな物、貰うて来まんねん。"
"そうか、大事ないのかい。"
"この頃の若い子は、うちらの若い時とは、違いますわ。しっかりしとるんや。この黒い、つぶつぶしたの、食べておくれやす。"
"何やこれ?"
"百合子が、貰うて来ましてん。鮫の子たら、言うて。"
"ふーん。これ、鮫の子か?鮫の子にしては、つぶつぶ小さいな。" 
"ほんまどんな。よろしかったら、お持ちやす。うち、もう一つ、ありまんねん。"
"そうか。うん、美味いもんやな。まあ、一杯行こ。"
"おおきに。"
造り酒屋の帳場。
"それて、君、どうしたんや?"
"そこは、抜けありまへんわ。大旦那さん、僕をまきはった積もりでも、ちゃあんと、後、付けて来ました。"
"どんな家やった?"
"旅館ですかいな?門灯に佐々木と。"
"佐々木?"
"へえ、ご存知だっか?"
"まあええ。その先言うてみ。どんなおなごやった?"
"そうですなあ、細面の年の頃は、44、5。"
"もうちいと、行ってる筈や。7、8やろ?"
"ご存知ですか?"
"まあ、ええ。そうか。戦争中のごたごたで、上手い事、切れたと思ったのに。その先、奇行やないか。"
"なあ、山口さん。あの人と大旦那さんの間に娘おまんのか?"
"娘?" 
"21、2のハイカラな。" 
"違う、違う。"
"けどな、大旦那はんの事、お父ちゃん、言うてましたで。" 
"ちゃう、ちゃう。そう思てんのは、大旦那はんだけや。それから、どうしたんや。"
"その間、約30分くらいやったかな、三味線の爪弾きが、聞こえて来ましてな、大旦那はん、ええ気持ちで、長唄歌いはって。"
"ちゃう、ちゃう。それは、長唄やのうて、端唄や。♪留めてはみたが そやろ?"
"ああ、それだす。"
"そやろ。分かってんねん。大旦那はん、それ一つや。"
"あの女、何者だす?祇園でっか?宮部でっか?"
"ちゃう、ちゃう。焼けぼっくいや。"
"焼けぼっくい?"
"うん。大旦那はん、昔は、相当の道楽者でな、あの女の事では、先代、偉う手、焼かはったもんや。"
"そうでっか。" 
"ここらのところ、ええ塩梅や思うとったら。ほらまた、ややこしい事になるで、かなんな。"
小早川本家。
"着替え、ここに置いときます。"
"ああ、おおきに。♪留めてはみたが "
文夫が帰って来る。
"お帰り。何ですの?今時分。"
"山一さんからの葉書。おお、これや、これや。
おい、お父さんな、やっぱりこれ(女)や。京都やぞ。"
"どこです?京都。"
"佐々木いう女。"  
"佐々木?"  
"佐々木つね。"
"ああ。それやったら、お父ちゃんが、昔、大阪で。"
"うん、それらしいねん。"
"そうですか。それやったら、うち、まだ小さい時やったけど、お父ちゃん、夜遅うに、よくその人に怒られて、帰って来たり、お母ちゃん、よう泣いてはったわ。"
"そうや。その女や、焼けぼっくいらしいんや。"
"しょうがないな、お父ちゃん。ええ年して、ふらふらと。お店の事、一体、どう思てんやろ?"
"うん。これやったら、競輪に凝っといて、貰った方が、良かったな。"
"次から次と。嫌やな、ほんま。"
"けどなあ、君なあ、あんまりお父さんに、きつい事言うたらあかんで。"
"何で?"
"そら、言わん方がええ。言うんやったら、ええ折見てな。"
"ううん、言うたる。"
"あかん、あかん。何というても、年やさかいな。"
"ほんなら、年寄りらしゅうしてたら、ええんや。"
"けど、お父さんの性格やったら、そうもいかんやろ。"
"性格?性格って何です?性格やったら、何してもかましまへんの?"
"せやないけど。なあ、君。お父さんのあの性格、今更直らへんで。"
"ほんなら、直るまで言うたるわ。"
"やめとき、やめとき。反発されたら、敵わん。"
"ああ、いい風呂やった。"
"あ、あのな。今な、風呂の中で、考えたんやけどな、お母ちゃんの今度の命日な、年会は、去年済んだ事やし、お墓参りは、ちょこっと済まして、嵐山で、飯でも食うか?"
"ああ、そうですな。"
"お母ちゃんも、嵐山好きやったしな。え。"
"嵐山って、京都でっか?"
"京都に決まってるがな。"
"お母ちゃんも好きやったけど、お父ちゃんもお好きですな。京都。"
"何がや?"
"京都に、なんぞええ事、ありますの?この頃、よう行かはるけど。"
"何?" 
"それなあ、君。"
"黙ってて。"
"けどなあ。" 
"黙ってて。"
"なあ、お父ちゃん、昔、お母ちゃんを泣かしたような事、やんなはる気ですか?"
"何がや?何のこっちゃい?"
"何もかもちゃあんと、分かってます。"
"何が分かってんねん?嵐山で法事するのが、何があかんねん?"
"ふん、どこの嵐山か分からへん。"
"おい、おいこら、こっち向け。お前らな、わいを疑ぐうてんのやろ?そやろ?"
"いえ、そんな事あらしません。"
"何や?人の後、六太郎につけさせて。"
"つけられて、困るような事してますの?"
"何?わいがここんとこ、しげしげ、京都に行くのはな、昔の友達に会うて、店の事、色々相談してんのやで。何言うとるか?"
"昔の友達って誰です?何と言う人ですか?佐々木さんですか?" 
"違うわい。山田君じゃい。知ってるやろ?"
"知りまへんな。"
"知らんのは、お前の勝手じゃい。その人にな、店の事、色々頼んでるんじゃ。お前らには、任せておけんからな。"
"そんならお父ちゃん。"
"もう、ええやないか。"
"ええ事ありません。あなたは、少し黙ってて。"
"なあ、お父ちゃん。"
"何や?"
"ほんとにお店の事、ほんまに心配してるのでっか?"
"当たり前じゃ。"
"そんなに心配やったら、今日、もう一度行かはったら、どうです?"
"何?"  
"はい。早う支度して。"
"今日は、もうええわい。昨日頼んで来たばっかりじゃい。"
"あきまへん。そういう事は、早い方がええ。どうぞ、今日も、行っとおきくれやす。"
"今日は、もうええ。風呂に入った事やし。"
"風呂は、いつでも沸かします。"
文子は、万兵衛の着替えと扇子を放りだす。
"さあ、どうぞ、お父ちゃん。行って、よおく、お願いしておくれやす。"
"お前ら、わいをそこまで疑ごおてんのか?よし、行ったるわい。お前らな、そこまで疑ごおんなら、6人でも、7人でも後、つけさせてみい。何言うてるか?親の言う事、信用できんなったら、もうお仕舞いじゃい。おい、行くで。つけて来い、つけて来い。どこ行くか、よう見届けてくれ。おい、行くで。つけて来い、つけて来い。行くで、見届けてくれ。阿保だら。何ゆうとんのじゃ。"
"なあ、ええのか?大丈夫か?"
"大丈夫、大丈夫。がま口、持ってはらへん。その辺、ふらふら歩いて、戻って来はるわ。"
"そうか。そんならええけど。"
"年寄りには、ええ散歩や。"
京都の家。
"邪魔や、ちょっとのいて。"
"なあ、お母ちゃん、あの人、ほんとにうちのお父ちゃんか?" 
"何で?"
"うち、今、ふっとそう思たんだけど。うちが小さい時、も一人、お父ちゃんがいたのと違うか。うち、その人にも、お父ちゃん、お父ちゃん言うてた気がするねん。"
"そやったかいな?そんな事が、あった気もするな。"
"なあ、どっちが、ほんまのお父ちゃんやの?"
"そんな事、どっちでもええやないの。あなたがええように、思てたら、ええやないの。"
"お母ちゃんにも、分からんのか?そりゃ、どっちがお父ちゃんかて、ええけど。うちが生まれた事は、事実やもんな。もう、こんなに大きくなってるし。"
"そやそや、そのとおりや。そんな風に思とき。"
"なあ。"
"何?"
"今度のお父さんな、お金あるやろか?"
"そりゃ、あるやろ。造り酒屋の旦那さんやもん。"
"そうか。それにしては、ミンクのストール、遅いな。
"あんじょう、頼んで見。頼み方一つや。"
"そうか。ほな、ミンク買うてくれるまで、お父ちゃんにしとくわ。当分。"
"ああ、そうしとき。"
万兵衛がやって来る。
"来たで、来たで。また来たで。"
"あ、おいでやす。お父ちゃん、おいでやす。"
"何や、拭き掃除?よう、今日、うちにいたな。"
"うん。"
"ああ、俺がやっとく。貸して。"
"よろしおす。"
"かまへん、かまへん。うちわやがな。" 
"お父ちゃん、足袋脱がな。おいども、まくって。"
"そやな。お前、よく気がつくわ。今さっき、がま口忘れて、出て来てしもうてな。偉いスカタンや。駅前のタバコ屋で、1,000円貸してきて貰とんねん。ほら、まだあんねん。白玉当たるか?" 
"白玉、どうでもええわ。なあ、お父ちゃん、ミンク、ほんとに買うて。"
"うん、買うたる、買うたる。"
万兵衛は、拭き掃除を始める。
"お父ちゃん、廊下拭き、上手やな。"
"へへへ。""ヘヘヘッ。"

▶︎秋子の再婚話
千種画廊。
北川が、訪ねて来る。 
"こんにちわ。"
"あ、いらっしゃい。こないだは、すっかり失礼しちゃって。"
"いやあ、こっちこそ。あん時の話の丑の絵、何ぞ、ええのありましたか?"
"ああ、探してますのですけど。"
"どうです?あの人。面白いでしょ。"
"はあ。"
"面白い人でねえ。あの、文子ちゃんから、聞いてくれましたか?"
"はあ。" 
"そうですか。どうです?"
"あの、あんまり急な話なんで、よく考えさせて、いただいて。"
"あ、そら、もっともや。よく、考えてください。どうぞ、どうぞ。お父ちゃんは、あんたの事、心配してますしなあ。"
"皆さんに、色々ご心配を掛けて。"
"いやいや。あの、もう一遍どうです?どこぞで、改めて。"
"ああ。" 
"先方も希望してましてなあ。どないです?"
"はあ。"
"こないだもなあ、あんた、先に帰られたんで、偉う残念がってました。へへ。"
"ああ、お母さんの命日、今度は、嵐山だそうでんな。"
"はあ。そうだそうで。"
"あんた、行きはりますなあ?ええやろなあ。今頃の嵐山。"

嵐山の料亭。小早川家の会食。
"おい、それ取って。はい、久夫君。"
"ええ、もう結構です。"
"案外、いけんねんな。"
"やあ、ビールは、いけまへんわ。すぐに、腹張ってしもて。"
"しかし、兄さん。苔ちゅうもんは、案外、すぐに生えますな。"
"苔?"
"だいぶ、お墓が、青うなってますやないか。"
"おお、そやったな。"
"苔のむすまで言うけど、割と早いもんでな。"
"ああ、早いもんや。幸一が死んで、秋子が後家になってからも6年や。秋子、どこ行きおってん?"
"紀ちゃんと、出て行かはった。"
"そうか。"
"ああ、秋子さんのこっけどなあ、先方の大将、だいぶ乗っとりまんのや。その大将にも、子どもが二人おましてな、上が女で下が男や、連れ子があった方が、気が楽や言いまんねん。"
"そらあ、結構やな。どや?お前。"
"そりゃ、ええやないすか。けど、問題は、姐さんの気持ち一つやなあ。"
"けどなあ、君。気持ち、気持ちとも、言うてられんで。秋子さん、まだまだ先長いしなあ、若いしな。第一、君、この先、一人でいられるか?気の毒やないか。"
"そりゃそうですけど。"
"秋子もそやけど、紀子は、どんな気でおるのやろう?見合いも済んだのに。"
"文子、お前、尋ねてみたか?"
"うん、聞いた事、聞いたけど。"
”どない、言うてんの?"
"承知したような、せんような。"
"まだ、はっきりせんのですわ。"
"そうか。"
"そりゃ、君、至急、はっきりせないかんな。僕は、絶対、ええ相手やと思うな。相手が乗り気なら、尚更や。"
"僕もそう思いますけど、事はせいたらあかんって言いますからな。"
"そら、せかないかん。早い方が、ええやないか。なあ、兄さん。"
"ふん。それに越した事は、ないけど。"
"船頭がおおうて、船が山に登るわ。もちっと、親切に紀ちゃんの気持ちも聞いてやらな。お父ちゃん、折角の京都、ほかにご用があるのと、違いますか?"
"何じゃい?" 
"秋子さんと紀ちゃん、あんなとこにおるわ。"
二人は、川べりを歩いている。 
"へえ、そう。それで、その人どうした?"
"出て来るご馳走、皆んな食べて、後から、ベルト緩めてますの。よう食べる人。"
"よっぽど、お腹空いてたのよ。"
"そうかも知れんけど、ホテルのご飯が済んだ後、二人で、中之島歩いていた時。"
"二人きりにもなったのね?" 
"ええ。皆んなが、行って来い、行って来いって。"
"そう。それで。"
"あなた、洋食お嫌いですかって、うちに聞くの。あなたは?って、聞き返したら、あんなに食べたのに、僕は、洋食、好きではありませんって、おかしな人や。"
"でも、面白そうじゃない。それから、どうしたの?"
"それで、人のいないとこ、行ったら、いきなり、うちの手、ぎゅうと握って。"  
"で、あなた、どうした?"
"うちは、ぎゅうと握り返した。"
"そしたら、あなたの手、偉い冷たいですなって、なかなか離してくれないの、生暖かい手でな。その癖、人のいるとこ来たら、急いで離そうとするのよ。うち、わざと、ぎゅっと握ったままにしてやった。"
"そしたら?"
"嫌やわ、お姉さん。うちにばっかり言わせといて。お姉さんの方、どうですの?"
なあに?"
"おじさまからの縁談。"
"あ、あたしなんか、こんなお婆さん。"
"はい、100円。" 
"なあに?"
"こないだ約束したやないの?お姉さんが、お婆さん言うたら、100円貰う。"
"ああ、そうか。はい、100円。"
"おおきに。"
"正夫ちゃん、危ないわよ。実さん、ダメよ、よく見てあげなきゃ。"
"ねえ、どうですの?お姉さんの縁談。"
"私なんか。"
紀子が、手のひらを差し出す。
"まだ、何も言やしないじゃないの。"
"手を出すの、ちょっと早過ぎたわ。"
二人は笑う。
"ああ、いいお天気。"
造り酒屋に戻り、万兵衛らが、車座になり、食事をとる。
"今日は楽しかったな。たまには、皆んなでああいうとこ、行くのもええもんやな。"
"そうですなあ。時々やりまひょか。"
"やろ、やろ。" 
"お天気も良かったし。"
"ほんまに良かった。ええ気持ちやったな、姉ちゃん。"
"うん。でも、お父ちゃんには、少し気の毒やった。"
"何がや?"
"折角、京都まで、行っといて。"
"まだ、言うのか。しょうがない奴ちゃ。"
"お父さん、そろそろお休みになったら。"
"そやな、そうしよか。この辺が潮時や。"
"紀ちゃん、見てあげて。"
"お休みなさい。"
"お休み。"
"君、いちいち、あんな事、言わないな。折角ご機嫌やのに。"
"言うたった方がええのよ、まだ足らんぐらいや。"
"じゃ、私もそろそろ。"
"まだ、ええやないすか。"
"ええ、でも。さ、実さん、そろそろお暇しましょう。お暇するのよ。"
"まだよろしいや、おませんの。"
"でも。"
紀子が慌てて降りて来る。
"お父さんが、急に倒れはって。" 
全員二階に上がる。
"お父ちゃん。""お父さん。""お父ちゃん。""お父さん"
"紀ちゃん、電話、お医者さん。"
万兵衛は、肩で息しながら座っており、何も答えない。
"お父さん。"
"もしもし。30の1051。もしもし、30の1051。"
10時過ぎ。医者が万兵衛を診る。
"どんな塩梅でっしゃろ?"
"まあ、後、発作が起こらな、いいですがな。何分、お年ですからな。"
紀子は、氷を砕く。
"あ、おばちゃん。"
北川夫妻が駆けつける。
"どうしたの?""どないしたんや。"
"昼間、あないに機嫌良かったのに。"
"うん。あれから、帰って来て、急に。"
"で。どんな様子や?"
"心筋梗塞やて。夜明けまで、変化なければ、ええがって。お医者さん。"
"そうか。あちこち皆に知らせたか?"
"うん、電報は打ちましたけど。"
"そうか。おうてこ。"
翌朝。紀子は、一人、玄関口で泣く。
造り酒屋の帳場。
"偉い急な事でしたな。"
"全くな。わいもびっくりしたわ。全く。"
"大旦那さん、前から悪かったですかな?心臓。"
"違う、違う。悪いのは、肝臓やったんやけどな。"
"さっき来はった旦那さん、あれ、誰だす?"
"あれは、大旦那さんの弟や。"
"名古屋の?"
"違う、違う。東京のや。名古屋のは、今朝早く来はったおなごの人や。あれが、大旦那さんの妹や。"
"すると、大阪の旦那のお姉さんですか?"
"違う、違う。君、よく覚えとけ。大阪の旦那の奥さんはな、名古屋の妹さんのやな、違う、違う、これは、わいの方が間違えた。いいか?大阪の旦那の奥さんはやな、うちの大旦那の、大旦那、よろしいやろ、死にはった奥さんのやな、妹さんや。"
"そうですか。ややこしいですな。"
"そうや、小早川家は、ややこしいんや。"
親戚ら一同は、西瓜を食べる。
"おばちゃん、お疲れですやろ、もうお床敷きましょか?"
"ううん。要らん、要らん。"
"兄さん、どう?"
"俺はいい。"
"けど、ちょっとでも、お休みになったら、どうです?夜汽車でお疲れでっしゃろ。"
"ううん。ええの、ええの。兄さん、忙しいの?この頃。"
"うん。割にな。お前は?"
"相変わらずよ。いつも、ごたごたしとってね。"
秋子が降りて来る。
"どんな様子です。"
"今のところ、すやすやお休みになっておられます。"
"そらあ、いい塩梅だわ。ようなって貰わんとな。"
"しかし、久夫君も、大変やな。大事な時に。"
"はあ、何とか、ようなって貰わんと。"
"けど、峠は越したんじゃないだろうか?ええ塩梅に、発作も起こらんし。"
"うん。だとええけどな。もう、5時か。"
"持ち直すようやったら、わしゃ、ちょいと、名古屋に帰りたいんだけど。用事半分で出て来たもんで。"
"それやったら、俺も、一遍、帰って来たいんや。"
"お忙しいんですか?"
"うん。あいにく、総会前でな。"
"おばちゃんも?"
"うん。そらあ、おっておれん事ないけど。今、ちょっと、工場、建て増ししとるもんで。"
"それやったら、おってほしいわ。おじさんも、おばさんも。いつどんな事になるか、まだ分からへんし。"
"そらそうや。そら、そうしてもろた方がええ。いつ何時なあ。"
"うん。"
紀子が、困った顔して、降りて来る。
"どしたん?どないしたん?あ、お父ちゃん。"
万兵衛が、降りて来る。一同、立ち上がる。
"お父ちゃん。""どないしはったん?""ええんですか?"
"ああ、よう寝た。ちょっとおしっこや。"
"どうしたんや?""ええのかいな?""止めたんやけどな。""けど、良かったわ。"
"良かったな、姉ちゃん。良かったな。"
紀子と文子は、泣く。

秋子と紀子。
"お父様、すっかり元気になって。ほんと、あんなに心配したのが、嘘みたい。" 
二人は、笑う。万兵衛が、孫とキャッチボールしている。
"何や、おじいちゃん、ちょっとも、ええ球、ほってくれんやないか。"
"今度は、ほったるぞ。"
"今日は、実ちゃんは?"
"ハイキング。"
"どこへ?" 
"六甲だって。"
"私も行きたいわ。折角の日曜。"
"私も誘われたんだけど。折角、子どもだけで行くのに、私みたいな、こんな。"
"はい。"紀子が、手を出す。
"なあに?" 
"100円。"
"まだ、言わないわよ。"
"こすい、こすい。"
"何か、お手伝いしましょうか?"
"これで、お仕舞いですの。お姉さん、それ、ちょっと、取って。"
"これ?"
"日曜でも、久夫さん、忙しいのね。"
"ええ。何やかやと。やっぱり、小さい会社は、自分だけでは、やってけんそうですわ。お父ちゃん、合併には、反対らしいんけど。"
"大変ねえ。"
"岡伝さんも、そうやったけど、そのうちに、うちも。"
"やっぱり、大きな資本は、強いのねえ。"
"お父ちゃんが、達者な間は、何としても、このまま続けたいと言うてますねんけど。どうなることやら。"
万兵衛が、戻って来る。
"ああ、ええ気持ちやった。ええ運動したわ。"
"ほんとに、すっかりお元気におなりになって。"
"ああ、偉い心配かけたけどな。もう何ともない。このとおりや。"
"なあ、お父ちゃん。"
"何や?"
"うち、お父ちゃんに、謝らんならんわ。"
"何を?"
"うち、何のかんの、意地の悪い事ばかり、言うて。"
"何の。かまへん、かまへん。慣れとるわい。"
"そう言われると、辛いけど。あのまま、お父ちゃんに死なれたら、うち、かなわんなと、思てたんよ。"
"ふ、ふん。何言うて、けつかる。あんな事で死ねるかい。これでも、気に掛かっている事が、色々あんねん。秋子の事も、紀子の事も。"
"どうも、済みません。"
"どや?まだ決心つかんか?ちょっと、ここ(脇の下)縫うてんか。綻びよってん。"
"お爺ちゃん、へばったんか?"
"へばらへんわい。"
"何かして、遊ぼ。隠れん坊しよう。"
"隠れん坊か。まあ、待っとれ。"
"早よ、早よ。"
"待っとれ。"
"早よ、早よ。"
秋子は、二階の紀子の所へ行く。
"お邪魔?何してるの?"
"ちょっと、手紙。"
"誰に?"
"言えん人。"
"分かった。"
"なあに?"
"誰に、手紙出すか。よく、ご飯食べる人でしょ?"
"違う、違う。"
"どうなってるの?その後。"
"まだ、そのまま。もう、返事せな、いかんのやけど。"
"どうなの?あなた。"
"うーん。断る理由、一つもないし。"
"じゃあ、行っちゃいなさいよ。"
"お姉さん、人の事やと、思うて。" 
"どうして?だって、良さそうなじゃない?その人。"
"そりゃ、私が行けば、お父ちゃんやお姉ちゃんたちは、安心してくれはるやろけど。そうもいかんし。"
"あなた、誰か、好きな人があるのじゃないの?やっぱりそうね。そうだと思った。その人、どこの人?どんな人?"
"この冬、高子さんらと、伊吹山にスキーに行った事あるでしょ。"
"あ、その時の人?それなら、阪急のデパートで遭ったわね。あの人?あの人ね。時々、逢ってんの?"
"ううん。今、札幌やもん。"
"札幌?随分、遠くに行っちゃったのね。じゃ、手紙、その人の所ね。"
"ただの返事や。"
"どうだか?" 
"ただの返事。"
"お父さんや保夫さんたち、どう思ってるか、分からないけど、どちらに転んでも、後悔ない結婚する事ね。結局、自分自身の事ですもんね。" 
"私も、そう思てますんやけど。"
"でも、迷うわよね、誰だって。"
"お姉さんも、そうだった?"
"私は、幸せだった。迷わなかった。今だって、幸せよ。皆さん、同情してくれるけど。"
"ほんなら、お姉さん、これから、ずうーと?"
"考えてるのよ、このまま、一人で暮らしていけるかどうか。"
万兵衛と孫。
"じゃいけん、ぽん。あいこで、ほい。あいこど、ほい。"
"お爺ちゃん、鬼やで。"
"何や?また鬼か。くたびれた。も、やめよか?"
"こすい、こすい。"
"お爺ちゃんな、今な、ちょっと用事思い出した。"
"あかん、あかん。鬼や。早よ、目つぶれ。"
"もう、これぎりやで。"
"見たらあかんで。見たら、あかんやないか?"
"見やへん、見やへん。"
"向こう向いとりや。"
万兵衛は、着替えを探すが、文子に見咎められる。
"何してんの?" 
"隠れん坊や。鬼や。へへ。もう、いいかい?"
文子が立ち去り、万兵衛は、また着替えを取り出し、文子が戻って来るのを見て、座布団の下に隠す。
"もう、いいかい?"
"もう、いいか?"
"もう、ええよ。"
"もう、いいかい?"
"もう、ええよ。"
"もう、いいかい?もう、ええよ。"
万兵衛は、家を抜け出す。
"もう、ええよ。もう、ええよ。"
秋子と紀子。
"今の若い人たちの気持ち、私には分からないけど、お酒も飲まず、タバコも吸わないって人だったら、かえって、窮屈じゃない。私だったら、例えばよ、結婚前に、少しくらい品行が悪くても、そう気にならないけど、品性の悪い人だけは、ごめんだわ。品行は、直せても、品性は、直らないもの。"
"そうね。"
正夫が二階に、上がって来る。
"何?"
"お爺ちゃんは?"
"知らん。"
"いてなかったか?"
"何してんの?"
"隠れん坊や。お爺ちゃん、けえへんかったか?"
"知らん。"
"どこ、行ったんやろう?おらへんのや。"
"そう。" 
"あ、お爺ちゃんや。あんなとこ、行きおるわ。ばん、ばん、ばばーん。ばーん。"
競輪場。つねと万兵衛が、スタンドに座る。
"残念やったな、これ。裏目も押さえときゃ、良かったな。"
"ほんまどんな。うち、3-2かと、思ったんやけど。"
"しゃあない。くよくよしても、しゃあない。大阪いて、飯でも食おうか?うどんすきどや?"
"それよか、うち帰って、風呂など入って、一杯やりましょ。"
"行こ、行こ。大阪行こ。大阪や。"

バーに、北川と磯村。
"偉い、遅いやないか?"
"遅いでんな。"
"遅いな。"
"どうしたんやろ?"
"どうしたんやろって、君。僕が聞きたい事やで。どないしてん?"
"どないしたんやろな?なるべく伺います、言うてたけどな。"
"なるべく?何で、君、それ、早く言わんのや?なるべく、言うてたんか?そりゃ、君、ちいと無責任やないか。え?そうは、思わんか?この話はやね、そもそもね、君から言い出した話やで。違うか?"
"そりゃそうですけど。"
"それやったら、君、もっと責任持てよ。責任を。こんな事やったら、初めから、あの人に会わなんだ方が良かったんや。何で、紹介するんや?何で?男がやね、一目見て。男がやね、一目見て、おなごに惚れるという事はやで、よくよくの事やで、よくよくの。違うか?どやねん、僕の言うてる事は、無理か?間違うてるか?ひっく。あー、おもろない。河岸変えて、どこぞで、飲み直そ。"
"けどなあ、牛の絵も見つかったって言ってましたし、もうちょっと。"
"もうちょっと、もうちょっとって、2時間と4分も待っとるんやで。牛の絵なんか、要らん。行こ、行こ。"
"せやけど、もう一杯。"
"ああ、もう要らん、もう要らん。腹、がぼがぼやで。ひっく。今になって、君、なるべくなんて。来やへんよ。君。" 
▶︎万兵衛の死
文子と久夫。 
"けど、まあええやないか。そのくらいの元気出たら。"
"そりゃ、そうやけど。出掛けるなら、出掛けるって、一言言ってくれれば、ええんや。" 
"そやなあ。皆んな、心配させといて、呑気なお父ちゃんや。"
"今朝も、自分で、地獄の1丁目まで、行って来たと言うてながら、困った人や。" 
電話が鳴る。
"あ、電話やで。"
"もしもし、はい、そうです。はあ、はあ、え?何です?はあ、はあ、はい。すぐ伺います。紀ちゃん。"
"誰や。" お父ちゃんが、具合悪いんやて。"
"どっから?"
"京都の佐々木から。若い女の声や。すぐ来てほしいって。"
"どうしたんやろ?"
"よう、分からんけど、お父ちゃん、また倒れはったんやて。" 
"そりゃ、いかん。行かないかん。"
"電話、何やったん?"
"お父ちゃん、また具合悪いんや。"
"あんた、兄さんと、すぐに行って来て。支度して、早よう。"
"よし、行こう。"
"うん。"
京都。佐々木の家。つねと百合子が、縁側に座る。
"偉い遅いな。"
"うん。"
"もう、来はりそうなもんや。"
"うん。けど、私、偉い損したわ。"
"何を?"
"ミンクのストール、ふいになってもうた。こんな日やったら、もっと早うに、買うといて貰えば、良かった。河原町に、ええの出てんのに。"
"そんなもん、ジョージさんに、買ってもろたら、ええやないの?" 
"ジョージには、買えへん。せいぜい買うてくれても、ハンドバッグ程度や。"
"あ、来はった。"
ハリーが、やって来た。  
"コンバンワ。Hello Yuri."
"ハロー。"
"何や、ジョージさんか。"
"今日のは、ジョージじゃなく、ハリーや。ほな、お母ちゃん、行って来るわ。"
"こんな時やから、早よお帰り。"
"うん。"
"約束したんなら、しょうがないけど。"
"早よ、帰って来るわ。"
百合子は、万兵衛に手を合わせ、十字を切る。 
"ほな、お母ちゃん、行って来るわ。ハロー。"
万兵衛の顔には、白い布がかかっている。
"偉いこってしたな、ほんまに。こんな事やったら、あんなとこ、行かなよろしおしたな。あんたが思たほど、ええ日やなかった。ついてまへんな。それに、暑おしたな。"
久夫と紀子が、到着する。
"ごめんください。ごめんください。"
"おいでやす。"
"あの、小早川ですが。"
"どうぞ、どうぞ、お上がりください。"
"どんな塩梅でっしゃろ?"
"はあ、どうぞ。どうぞ。"
二人は、呆然と万兵衛の遺体を見下ろす。
"偉い、急なこってしたな。8時23分どしたわ。穏やかなお顔どすわ。何時頃でしたかな、旦那さんがお見えになりまして、お供して、外出ましてな、旦那さん、大阪行くいはりましてんけど、無理にお止めして、帰って来まして、私がそこんとこで、手洗ってましたら、旦那さん、そこに座っておいやして、何や気持ち悪そうやな思たら、急に、こう、胸押さえて。"
"そうどすか。"
"すぐに、お医者さんに来て貰たんですけど、間に合いなまへんだ。"
"そうですか。"
"偉いお苦しみでな。"
"そうですか。すると、遺言のような事は?"
"え、これで、仕舞いか、仕舞いかってな事、二度ほど、お言やしてな。" 
"そうですか。"
"ほんまにあっちゅう間で。儚いもんでんなあ。"
紀子は、泣く。

農夫の夫婦が、川で、道具を洗う。
"ねえ、あんた。偉い烏、多い事ないか?"
"ああ、そやな。"
"また誰ぞ、死んだんやろか?"
"そうかも知らんな。でも、火葬場の煙突、煙、出とらんな。" 
"あ、そやな。"

万兵衛の葬儀に、一同が集う。
"文子ちゃん、疲れたやろう?"
"ううん。それほどでもない。"
"久夫君も、これから大変やな。"
"はあ。"
"会社、どんな事になるんや?"
"その事も、考えているんやけど。何やかんやと、頭が痛いですわ。"
"やっぱり、合併か?"
"まあ、そういう事に、なりますやろな。"
"偉いこっちゃなあ。"
"お父ちゃんも、心配してたけど。"
"こうなったら、この辺で、大きな会社に助けてもろて、私もそこで、働かして貰う方が、ええんやないかと、思てんですけど。"
"サラリーマンか?"
"うん。"
"そやなあ。"
"頼りないお父ちゃんや、思てたけど、小早川の家が、今日までもったんは、やっぱりお父ちゃんのお陰やったんや。"
土手の上に、喪服の秋子と紀子。
"久夫さんも大変ね。せめて、あなたのお嫁入りまで、このままだったらなあと思ってたんだけど。"
"夕べ、うち、一晩中考えて、そう思ったんやけど、やっぱり自分の気の済むようにやるのが、一番ええのやないかしら?"
"どういう事?それ。"
"お父ちゃんに死なれてみると、皆んなが勧めてくれてる方に行くんがええのやないかとも思うんやけど、それじゃあ、うちの気が済まんし。そりゃあ、うちが行けば、小早川のうちには、ええのか知れんけど、自分の気持ちに正直じゃなかったら、きっと後から、後悔するんやないかとも、思うし、色々迷うてしもて。"
"じゃ、あなた、どうする?"
"やっぱり。" 
"やっぱり?"
"札幌に行こかしら?"
"そう。私も、それが一番いいのじゃないかと思ってた。"
"お姉さん、ほんとに、そう思てくれはる?"
"うん。あなた、若いんだし。できるだけ、幸せに暮らす事よ。"
番頭と六太郎。
"それ、こう見てくれたんか?"
"へい。"
"じゃあ、告別式、明後日に決めよう。新聞公告の方が、ええな。"
"それ、明日の新聞に出ます。"
"そうか、それは、ええと。あ、皆さんの昼のお食事は?"
"へえ、それは、電話掛けときました。車どないしましょ?"
"それは、ええやろ。川向こうや、ぐるっと回らなならん。近いんで、歩いて貰おう。君、お供してや。"
"8人さんでしたな。"
"違う、違う。9人や。あ、名古屋の奥さんや。いらっしゃいませ、さあ、どうぞ、あちらでございます。"
"これは、ご苦労さん。"
"あ、おばちゃん。""どうぞ。"
"偉いこったったな。どないしたった?やっぱり、ここ(心臓)か?"
"うん。あっけないもんや。"
"けど、寝込まれて、長引いても、敵わんけどな。"
"そりゃそうやけど。"
"それじゃあ、遺言も何かもなしか?"
"うん。ただ、これで仕舞いか、もう、仕舞いか、2度ほど、言うて。"
"それだけか?"
"はあ。"
"呑気な人だ。あれだけ散々、好きな事しといて、もう、仕舞いかは、ないもんだわさ。虫のいい話だわ。ははは。またなんぞしたかったんだろうけど、そうはいかんわな。兄さん、欲が深いわ。"
"いや、私も、その話、聞きましてな。"
"あ、こんちわ。" 
"や、どうも。人間てものは、死ぬ間際まで、なかなか悟れんみたいですなあ。兄さんみたいに、好き放題やって来た人でも。太閤さんでも、死ぬ間際には、難波の事は、夢のまた夢と言いはったんですのになあ。"
"ほんと、そうですな。東京のおじさんは?"
"まだ見えんけど。"
"そう。きっと忙しいんだわ。こんな事なら、手間かけんと、こないだ皆んな集まってくれた時に、死んだら良かったのになあ。ははは。若い時から、好きな事して、先祖代々の道具手放して、身上使おて、ほんとにだらしない、嫌 腹の立つ人やったけど、今時、あんな幸せな人も、滅多にあらせんわ。でも、死んでしもたら、何もかも、仕舞いだわ。"
しげは、顔を覆い、泣く。
"あ。"
全員立ち上がり、火葬場の煙突から上がる白い煙を見る。秋子と紀子は、外で、煙を凝視する。
農婦が言う。
"なあ、あんた。やっぱり、誰か死んだんだわ。煙が上がっとる。"
"うん、上がっとるな。"
"じいさまやばあさまやったら、大事ないけど、若い人やったら、可哀想やな。"
"やあ、死んでも、死んでも、次から次に、せんぐり、せんぐり生まれて来るわ。"
"そうよなあ。よく、出来とるわ。"
遺骨を先頭に、葬送の列は、橋を渡る。
秋子と紀子。
"あなたが、行っちゃうと、寂しくなるわねえ。"
"お姉さん、うちが札幌行ったら、ほんとに来て。時々来てほしわ。"
"うん。きっと行くわ。でも、遠いな。"
"お姉さんは、どうするの?"
"私?私はこのままよ。このままでいいのよ。実も、だんだん大きくなるし、その方が一番いいと思うの。"
"お姉さんらしいわ。"
"らしいかどうだか?さ、行きましょう。あんまり遅れると、いけないわ。"
葬送の列は、橋を渡った。
地蔵の上に、烏が止まる。
【感想】
結婚適齢期の娘と、寡婦のおば。二人は、姉妹のように、語り合い、娘は札幌の恋人の元へ、おばは、一人でいる事を選ぶ。
このテーマのほか、道楽者の造り酒屋当主の急死に至るまでの行状が、全編通して、描かれる。稀代の遊び人は、後を追う者なく、難局にある造り酒屋の経営には、実直な娘婿が当たる。時代は、引き継がれる。

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