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Goldilocksパートナー 坂本彩さん インタビュー

Goldilocksの新しいCI(コーポレート・アイデンティティ)を見つけるために、メンバーの考えや人となりを第3者目線でじっくり聞いていく『DEEP  INTERVIEW』。プランナー/プロジェクトマネジャーの坂本彩さんにお話を聞きました。

< 聞き手:永野広志(Paul.)

父の周りのコミュニティ

ー幼少期の印象的な出来事からお伺いできますか?

建築家の父が、私が小さい頃から、地域のお父さんたちや小学生たちと小学校の図書室のリノベーションやニワトリ小屋づくりに取り組んだりしていたんです。今も「工作クラブ」という活動を続けていて、毎月子供向けに工作やDIYの学校をやってるんですよね。

ーそれは無償の取り組みですか?

ほぼ無償ですね。あまり裕福な家ではなかったんですが、父親の生き方はとても豊かだなと思っています。今も実家に帰って父親と家の周りを歩いていると、小学校の子供達が「坂本のおじちゃん!」とか言って話しかけてくるんですよ。地域に子供がたくさんいる感じ、すごくいいなと思ってます。

ー坂本さん自身はどういう子どもだったんでしょう?

あんまりいい思い出ないんですよね(笑)いじめとかもあったし。どちらかというと人間嫌いな子どもだったように思います。ずっとお兄ちゃんと遊んでました。

ー今日初めて対面でお会いしましたが、暗い感じはまったくないですね

(笑)今の自分と小中学時代の自分は、隔たりがあるかもしれません。

ーどんなことに夢中になってたんですか?

ずっとバスケをやってましたね。努力したことが成果につながるのが嬉しくて。

ー努力家だったんですね

ちょっと不器用なタイプですよね。人より飛び抜けた才能やセンスは自分にはないなと思っていたので、やればやるだけ成果につながることを頑張っていました。勉強も、運動も。

なんでも68点を取れる子でした

ーそのことを若い時から客観視されてたんですか?

すごく意識的でしたね。私、なんでも68点くらいをとれる子だったんですよ。

ー70点ではないんですね

70点とれたら特技じゃないですか!?そこまではいかない感覚というか(笑)何かが飛び抜けているわけではないけど、なんでもそこそこできるタイプって感じでしたね。主役ではないけど、その能力でプロジェクトをまとめていく役回りだったのかな、と思います。

ー何か思い出に残っているエピソードは?

高校3年生の時に、文化祭で「アラジン」の舞台をやったんですが、脚本・監督・演出という裏方全部を統括したんです。それが結構話題になって。その時に、人が楽しむ空間やコンテンツをつくるのってとてもいいなと思いました。

ー基本的には人をまとめるリーダー気質だったんですね。

そうですね。なんか自分にも人にも厳しい時代がありましたね。才能に頼らない分、とにかく努力をするタイプで、それを人にも求めるような。


浪人時代に捨てたプライド

ー今は、厳しいタイプには見えないですけど

大学受験で1年浪人したんですけど、その時に一気にラクになったというか。プライドを捨てられたんですよね。予備校の1回目のガイダンスで「お前たちは何者でもない!酸素を二酸化炭素に変えてるだけの存在だ!」って言われて。「そうか、何者でもないのか〜それはいいな!とにかくやるだけってことね!」と思って。そこから、すごくポジティブになりました。性格も明るくなりましたね。学力もバックグラウンドも全然違う人たちともつながりができて、楽しく遊んだりもして。

ーそこは遊んじゃうんですね(笑)

イケメンのバンドマンの彼氏ができたりして調子乗ってましたね(笑)浪人時代は、人生が楽しくなったターニングポイントでした。

大学時代に広がった世界と好奇心

ーそして大学へと

第一志望の大学に見事に落ちて、後期試験で受かった大学に行ったんです。国立駅にキャンパスのある大学だったんですが、受験の際に初めて実際に訪れたんですよね、実は。だけどそこでキャンパスの環境がとても気に入ってしまって。公園の中に学校があるような、素敵な空間で。絶対ここに入る!と思いましたね。試験も正解・不正解じゃなく、考え方を問う形式で、自分に合ってました。

ー研究室や大学名じゃなくて、環境が決め手だったんですか?

たまたまですけどね。それが大切でしたね。人がたくさんいる大学じゃなくて、ちょうどいい規模感だったのもよかったです。基本的には人づきあいが得意じゃなかったので(笑)

ーどんな大学時代だったんですか?

女子バスケ部のない大学だったので、ラクロスを選びました。

ーまた激しいスポーツですね

そうなんですよ。日焼けするし、あざだらけになるし。

ーでも、続けられたんですね

ストイックにやるのが好きで、楽しかったですね。結構頭を使うスポーツで、個人としてもチームとしても戦略性が重要なスポーツなので、やればやるほど結果が出て。自分ならではの能力の伸ばし方や活躍の仕方があるところに魅力を感じていました。4年生の時は部長をやっていましたし、日焼けがなければ今でもやりたいくらいです。

ーバイトはされていたんですか?

「つり舟」という個人のお料理屋さんでバイトしていました。代々部活の先輩から引き継ぐバイトだったんですが、親方と女将さんとバイトの仲間たちが家族のように仲の良い環境だったんですよね。バイトがない日でも「ごはん食べにおいで」っていう連絡が来て、みんなで集まって食べたりしていました。

ーそれもまたひとつのコミュニティですね

社会人になってからも一番会っているコミュニティかもしれないですね。仕事の相談もしたり、近所に住んでいるバイト仲間もいたりして。ラクロス部も然り、大学では本当にいい出会いに恵まれました。ここで初めて「コミュニティっていいな」って思いました。バイト先のつながりからできたお仕事とかもあるんですよね。

正解のないことがやりたかった

ーその後、三井不動産へ入社されました

人間的にいい人が多くて、そこに惹かれました。入社後は、商業施設「ららぽーと」の営業部に配属されました。テナントとしてどの店舗に入ってもらうかを考えたり、実際に営業をしたりする仕事です。

ー楽しそうな仕事ですね

そうですね。小さい頃から、ららぽーとにはお世話になってたので、というか遊ぶ場所がららぽーとくらいしかなかったので、思い入れはありました。でも、基本的にはあまり自由度がなくて、あれ、こんな感じなんだっけって思ってました。正解がある程度絞られるような業務だったんですよね。床面積あたりの売上と賃料を最大化していくことを考えると、AIでも導き出せる結果に近づいていくというか。もちろんつくっている側としては色々な工夫をしているんですけどね。もっと指標を多様化させて、正解自体を議論できたらいいのに、とちょっと思ったりしていました。

ーそうなんですね。意外です。

逆に、区画からテナントさんに退去していただくための交渉業務の方がやりがいを感じていて…

ーむしろ人が避けそうな仕事のように思えますが

この業務は結構クリエイティブだったんですよ。テナントや会社に対する提案次第で意外と泳ぎしろがあったんです。先方の担当者にどうやったら納得・理解してもらえるだろうか?と考えながらストーリーとロジックを設計して、資料を作成する形で言語化して…という作業には戦略性とクリエイティビティが必要で、「あ、この仕事、意外と自分にあってるな」と思ってました。テナントさんの売上を分析しながら真剣に考えていくと、「この施設からは退去してもらうべきだけど、あっちの施設では当たるかもしれない」みたいなことも出てきて、それを社内でプレゼンして、新しい落とし所をつくっていく、みたいなことも結構楽しかったんですよね。

ー努力を積み上げること、新しい正解をつくること、一見すると難しそうなことが得意なんですね。

手前味噌ですが頑張り屋さん気質はありますね(笑)今は楽したい気持ちの方が大きいけど(笑)

ロジックと「伝える力」を大切に

ー仕事上で、特に大切にされていたのは何でしょうか?

ゴールに向かうために必要なことを「伝える力」でしょうか。日本橋の地域の商店や企業の方々とつながりをつくる仕事をしていた時に、強く実感したのが、それぞれの立場によって、伝わりやすい言葉が違う、ということでした。日本橋を担当していた時は、地域のイベント企画やPRなどの領域も担当していたのですが、結果関わる人がかなり多岐に渡っていたんです。個人商店の方や地域の様々な企業の方、クリエイターの方々・・・みなさん大事にしていることや、モチベーションを感じるポイントが違う。それぞれの方にとってわかりやすいロジックと言葉があると感じていました。

ー仕事でのお付き合いが多岐に渡ったんですね

配属されてすぐに地域の方に協力いただいてイベントを企画したんですけど、最初は反発もあって。「なんで三井のためにやらなきゃいけないの?」みたいな。でも3年もすると、地域の方主体で「やりたいことがあるから手伝って」と言われるようになって、関係性が変わってきたのが本当に嬉しかったですね。そうやって人の変化に触れるようになった時くらいから、いい仕事だなって思えるようになりました。社外のネットワークもすごく広がりましたし。

ーここまでお話をお聞きすると、すごく会社勤めに向いているように思うんですが

日本橋での仕事はすごく自由にやらせていただいて楽しかった部分もあるんですが、どこか、自分自身のやりたいことと、会社から求められることの間にギャップを感じるようになりました。私自身は人の変化や人のつながりが増えていくような、現場にしかないものに価値を感じていたんですが、会社はそういったわかりづらいものを評価しづらいですよね。一定の評価はいただいていたんですけど、上司との面談でも「そういう評価なんだ〜」とずれを感じることが多々あって。あとは、日本橋の仕事を通じて一気に知り合いの数が増えたのが大きかったですね。全く違う業界、全く違う働き方、生き方をしている人たちと出会って、そうした方たちと過ごす時間が楽しくなってしまいました。

人の心が変わる瞬間をつくる

ー「現場」にもこだわりが?

現場好きですね。ららぽーとをやっていた時も、最後1年現場に入らせてもらってたんですが、めちゃくちゃ楽しかったんですよね。日々現場で起きることに対して、みんなで考えて対応して、明日にはカタチにできちゃう、そういうスピード感や臨場感が。
あとは父親のコミュニティ活動への憧れもあるかもしれないですね。

ーその後どういう経緯でGoldilocksに?

三井不動産を退職する前に、顔見知りだった川路さんに挨拶に行ったんです。そしたら「俺も半年後に辞めるから手伝ってよ」と言われて。そこはノリで「いいですよ〜」と(笑)

ー軽いノリで参加されたんですね

あ、そうですね。ほぼ何も考えずにジョインしてます(笑)川路さんの人との付き合い方というか、ネットワークの持ち方というか・・・すごい能力だなと思うんですよ。私は人との集まりとかにでてくのあんまり好きじゃないし苦手なので、軽やかに人との関係性を拡充していけちゃう川路さんはすごいな〜っていつも思います。軽やかすぎるのでオフィス散らかして出てくのはイラっとしちゃう時もあるけど(笑)

ーGoldilocksではどのような業務を?

日本橋のプロジェクトなどではプランナー兼PMっぽい感じですかね。あとはバックオフィス的な部分を整える仕事もやったりしてます。こぼれ玉拾うセッター的な感じでしょうか。

ーここで「なんでも68点でできる力」が活きてくるんですね。

整っていないのを見ると色々と気になっちゃうんですよね・・・。けど気になり続けると自分の時間がいくらあっても足りないので、あえて目をつむる部分もつくるようにしました。
いつかは自分でも起業したいので、その時の練習にもなりますし。そのあたりは文句いいながらも、なんだかんだ楽しくやってます(笑)Goldilocksの魅力は「半径100mの人と人のつながりを」の言葉通り、どんどん新しい人たちとも出会えることだと思ってます。

実験し続け、人と人のつながりを科学する

ーいまのGoldilocksに足りないものや、変えたほうがいいことってありますか?

私は何事もある基準までは深掘って行きたい気持ちが出てきてしまうし、それをチームのメンバーと一緒に取り組みたい思いがあるんですけど、ここではもっと広く、どんどん複数の事業をスピーディーに展開していくので、そこにはストレスやギャップを感じることが多々ありますね。もっと目的に対してロジカルに仕事が整理されていて欲しいという感じでしょうか。

ーすべての要素がバランスよくオーガナイズされている状態が心地いいんですね

そういう気質に近い気がしますね。あと、ここでは良くも悪くも、川路さんの人間力で仕事が集まってきてしまう。でも、ある程度選んでいかなくちゃいけないし、来る案件の質を高める必要もあると思うんです。だから何か「これ」というものをわかりやすく作ることも大切なんじゃないかなと思っています。

ー真ん中に何かが欲しいんですね

真ん中というか軸というか・・・。それがないと困惑する人も出てくるんじゃないかと思っています。どんどん別のプロジェクトが並行して動いていくので。

ー川路さんのやりたいことの中心って、何なんでしょう?

人と人をつなぐっていうかなり抽象度の高いテーマの中で、どんどん新しい実験をされたいのかな、と思ってます。

ー実験。ちょっと研究所っぽい感じなんですかね。

そうですね…会社なんですけど、それぞれの実験的なプロジェクトは、ひとつの研究をまとめるための要素と考えるというのはあるかもしれませんね。これまで感覚的にしか扱われなかった「人と人のつながり」みたいなものを科学する場所。

ー新しいCIをつくるためのインタビューだったのですが、事業の中心を「研究」とおくのがソリューションだったのかもしれませんね。すぐに収益にならなくても納得感がありますし。

それはありそうですね。CIというより、考えるべきは、組織の考え方まで含めた会社の在り方っていう感じなんでしょうね。


坂本彩 プロフィール
フリーランスとして地域のエリアマネジメント(法人立ち上げ、コミュニティ活性化、イベント・メディア開発等)や施設の企画・運営に携わる。行政機関や民間企業とコンテンツの作り手の間に立ち、上流企画から現場運営までを担う地域プロジェクトを複数担当。

坂本さんが企画・運営で携わった+NARU NIHONBASHIが2023年7月7日に日本橋にオープンします。

Instagramもやっています。ぜひフォローを!

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