力を出し切って負けるか、力を出し切れず負けるか。悔しいのは…


何事においても、自分の力を出し切れなかった時は当然悔しい気持ちになるだろう。不本意な結果に終わった時はなおさらだ。
反対に、自分の力を出し切った時は結果の善し悪しに関係なく達成感が生まれるもの。良い結果を得た場合は最高級の幸せに違いない。


こと競馬においても、複数の馬たちが横一線のゲートからスタートし、競い合って勝敗を決める。故に、スムーズなレース運びで力を出し切れる馬もいれば、周りとの兼ね合いで力を出し切れずに終わる馬もいる。
馬上に跨るジョッキーは馬自身が力を出し切れるようエスコートをし、もっと言うと馬が力を出し切れるようにレース前から厩舎関係者が調整を施す。



騎手や調教師がレースを終えた後にするコメントは様々だ。

馬自身が力を出し切った時は「この馬の走りはできた」といったコメントがセオリーだろう。
このコメントにはエスコートした騎手、調整を施した調教師の「自分のやるべき仕事はできた」という意味も当然含まれている。騎手が上手くエスコートできなかったと自分で思ったならば「上手に乗れませんでした」といったコメントをするし、調教師が上手く調整できなかったと自分で思ったならば「中間の調整が上手く行きませんでした」といったコメントをするからである。

反対に、馬自身が力を出し切れなかった時は「この馬の走りができなかった」といったコメントがセオリー。スタートが悪かった場合、道中で不利があった場合、直線で進路が開かなかった場合、等々…。
スムーズならもっと上の着順だったのではないかと内心感じているのだろうし、そうなると自ずと悔しい気持ちになる。


これらの例は“プレイヤー”として戦う人たちが勝負の世界において芽生える感情。勝てば嬉しい、負ければ悔しい、それをコメント化したものである。




これをふまえた上、ファンである自分が様々な馬を応援している場面において、その対象馬が力を出し切った時と力を出し切れなかった時の状況下で芽生える感情は、プレイヤーの方々とは少々異なる。



結論から言うと、力を出し切れなかった時はポジティブな思考になる事が大半。
これは賛否両論あるかもしれないが、「力を出し切れなかった=次への上積みがあるという考えが生まれるから」と言うと分かりやすいだろうか。

力を出し切れなかった場合、そこで見せたその馬の走りというのは当然の如く“真の実力”ではないため、負けたとしても決して悲観する必要はなく、仮に勝ったとしたら将来性は計り知れないものとなる。
上級条件に行けば行くほど力を出し切れずに勝てるという事は当然少なくなっていくが、そもそも上級条件にいる時点である程度能力が高いことは間違いないわけだし、その時は力を出し切れなかったとしても実力馬であればまたいつかチャンスは訪れる。


むしろ力を出し切った時に自分の想像していた実力ほどのパフォーマンスでなかった時の方が、複雑な気持ちになるのではないだろうか。
「強い馬と巡り逢う」という大きな目標を持って競馬に向き合っている自分としては、真の実力はできる限り最高峰の舞台で見せて欲しいというのが応援馬に対する願望でもある。無謀な理想論だということは重々承知しているが、レースで敗れたとしても勝った時と一切変わりなく真摯に向き合い、それぞれの馬の未来を真剣に考えている自信があるからこそ、こうした大きな理想を掲げている。これは誰にも負けない、そして譲れない想い。


その他の理由として、そもそも競馬はスムーズに行くことの方が少ないという大前提を持った上で自分が競馬を見ているからというのも、この考えに至る要因のひとつである。



反対に、応援馬が力を出し切って負けた時は「他に成す術がない」という事の表れでもあるため、自分としては力を出し切れなかった時以上にすごく悔しい。
仮に勝った場合でも、全てが上手くいっての勝利だと思えば今後も油断や過信はできないし、むしろ喜んでいる場合では無いとさえ感じる。

だからこそ、力を出し切れずにレースをしていた方が気持ち的な面でポジティブに考える事ができるというワケである。
間違っても力を出し切れない=嬉しいではないので誤解しないよう注意して頂きたい。




とはいえ、最高の競馬をして勝利してくれたその瞬間は、何物にも代えがたいほど嬉しいもの。
むしろ、力を出し切れないレースがあるからこそ、修正に修正を重ねて最高の勝利を手にする事ができるのである。「勝利を収めた馬には最大限の敬意を表す」という自分のポリシーもここから生まれたものだ。



ただただ馬券や出資という形でお金を投資し、第三者として応援している身だからこそ、勝敗に関係なく馬と向き合っていかなければいけない。そこには勝敗以上に大切なものが必ずある。
このような事から、勝って嬉しい、負けて悔しいというのはプレイヤーならではの感情なのではないかと、ふと感じた次第である。




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