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船の灯りじゃなかった

#海での時間

 誰も読んでないと思うので、中学生の頃の不思議な話を書きます。

 友人に見られたら「またその話?」と言われてしまいそうですね。とても小さな思い出です。
 閉鎖的な地方都市の、そのまた、さらに外れの海の町で育ちました。
 今の子どもたちのようにスクールカーストなどとはっきり明言されることはなかったけれど、明らかにそれは存在していて、息苦しさを感じることがありました。当の私といえば勉強ができるわけでもなく、近所のレンタルショップで毎日映画を借りて観るか、CDをMDに録音編集するか、好きな作家の本をコンプリートするくらいしか楽しみのない中学生でした。一人っ子だし、ひとり親家庭だし、とにかく一人で過ごすことが多かったのです。

 田舎の中学生は中学生のくせに飲み会というものを開催します。今だったら陰キャと呼ばれる私たちがなぜか集い、お菓子を食べたり、ジュースを飲んだり。男子はゲームをしていました。女子は仲の良さ、距離を計りつつお互い値踏みし合うようなところがあったと思います。子どもの頃からそんな能力を身につけて大人になり、所帯をもち、子を育てて、また同じような人間を生み出します。私たちの親がそうであったように、私たちもまた、そうです。

 仲良くなったのは、同じクラスになったことのない男子でした。愛想がよく、剣のない感じの男子でした。(威勢のいいのが良しとされる田舎のヤンキー文化の中ではおとなしい男子は貴重)共通の友人と共に少しなにかを話したのだと思います。その頃持っていたのはPHSだったか、携帯電話だったか…。とにかく、メールアドレスを交換して帰路につきました。たぶんいくつかのやりとりの後で、お互いの夜の過ごしかたが似ていることを知りました。私は母が夜勤の日は一人で自由に過ごしており、その子もまた一人っ子で、自由に過ごしているとのことでした。コートのいらない季節の夜、コンビニエンスストアで飲み物を買って、国道沿いを歩いて海に行きました。手をつなぐでもなく、何を話すでもなく、遠くの船の灯りを眺める時間はとても良いものでした。誰にも名づけられない、評価されない、それでも誰かがいるから怖くない、そんな自由な匂いのする夜でした。その子もまた、同じような気持ちだったのかもしれません。海、また行こう!という会話が続いたと思います。何回か海に散歩に行くことが続いたものの、学校ではまったく話しませんでした。それがまたいいような不思議な気持ちでした。そのうち、寒くなってきたので男子の自宅に招かれることになりました。とはいえなんにもないのです。お互いに好きな人がいて、その話もよくしたものです。ドキドキもしない、触りあったりもしない、けれども手放すのがなんだか惜しいような、友人でした。(卒業間近になって、私たちがそれぞれに好きだった男子と女子はなんと、付き合ってしまった!地獄!)その子のおばあちゃんがお風呂で溺れてしまったのを見つけて、慌てて引き上げ人工呼吸を施し、ことなきを得た、という話だけをドキドキしながら聞いた記憶があります。えらいねえ、本当にえらいねえと褒めたような気がします。すごく楽しい日々だったのに、その家にいたマルチーズの目が怖くて、その冬もう自宅に遊びに行くことはなくなりました。冬になり、肉まんと缶のミルクティーを買って、海に行ったのを最後に、なんとなく2人きりで出かけることはなくなりました。学校でも相変わらず話しません。高校生になり、偶然駅で会っても、話しませんでした。ただそれだけのことです。それだけのことなのですが、なんとなく心さみしい日や、自分のことをひどくたよりないと感じた日に思い出すのはあの、夜の海の暗さ、船の灯り、国道を走る車のテールライト、夜風の匂いの自由さです。

追記:大人になってから知ったことですが、あの灯りは船の灯りではなく、 灯浮標というものだったようです。

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