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使徒の大活躍

講談社文芸文庫の「新約聖書外典」という本を、大変楽しみながら読んでいる。その中に収録されているマリアの誕生の物語とイエスの幼時物語については、別の投稿で紹介したが、それ以外にもたくさんの物語が収められている。主に使徒(イエスの弟子をこう呼ぶ)の活躍が描かれている。新約聖書の正典は27の文書からなっている。イエスが行った奇蹟や説教や生涯の出来事が書かれている福音書は4つあるが、その中で使徒たちは愚鈍な輩のように描かれている。イエスの説教をなかなか理解せず、トンチンカンな受け答えをしたり、イエスが逮捕され十字架刑に処せられる時には、みな逃げ出してしまう。新約聖書正典の福音書の後に、使徒言行録という文書があり、イエスの十字架刑、復活、昇天後の使徒たちの活躍が描かれている。しかし、使徒言行録は全部で28章あるが、そのうち、イエスの直弟子ペテロなどが活躍するのは、前半の12章だけで、後はパウロという弟子の宣教の旅の様子などが記されている。他の新約聖書正典はそのパウロが各教会に書き送ったとされる手紙などが収録されている。新約聖書正典の中ではイエスの直弟子はあまり活躍していないのである。

しかし、新約聖書外典ではイエスの直弟子たちが大活躍している。使徒ヨハネが宣教の旅をしながら、病床にある人を治したり、死者を生き返らせたりする。使徒ペテロがローマで、魔術師シモンと対決する。使徒アンデレが朗々と説教する。使徒トマスがインドまで宣教の旅をする。

新約聖書正典では、イエスの言葉として、「すべての人がこのこと(独身)を受け入れるのではなく、ただその恵みを与えられた人たちだけが、これを受け入れる。これを受け入れることができる者は受け入れなさい」(マタイ19・11〜12)と書かれているし、パウロもそのような趣旨を述べている(例えばIコリント7・25以下)。新約聖書外典を読んでいると、地方の有力者などの妻が使徒の宣教を受けて、夫と「寝床を共にする」のを避け、怒った夫である地方の有力者などが、使徒を逮捕し死刑にする、といったもの、またそれによく似た定型が見られる。殉教の主な原因はそれなのである。2世紀当時、キリスト教の広まりの中で、民衆の中にそのような風潮があったのだろう。

新約聖書外典はややもすると滑稽で通俗に過ぎる感じがするが、これが当時のキリスト者大衆の現実であったのは確かなのだろう。大変楽しく読んでいる「新約聖書外典」はもう少しで読み終わる。続いて、これも講談社文芸文庫の「使徒教父文書」を読もうと考えている。

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