ヨゼフの砂利均し
日曜日、ミサが終わって帰ろうとしていると、信徒会長さんが寄ってきて、「今度の土曜日、教会の駐車場の地面がへこんで、雨降りに水がたまる箇所に砂利を撒くのですが、来ることができますか」と言った。その土曜日は仕事が休みで他に用事もなかったので、行きますと言い、集合時間を確認した。
土曜日は晴れたいい天気になった。軍手をはめ、剣先スコップを持って、10時に教会の駐車場に集合した。六人ほど集まってきていた。事前にチャーターしたダンプカーが砂利を積んでやってきて、広い駐車場敷に三箇所に分けて砂利を降ろしていた。山になった砂利を剣先スコップで、地面のへこんでいる箇所に運んだり、平らに均したりしていく。見た目より重労働だ。秋になって涼しいが、軽く汗をかいてジャンパーを脱いだ。
いつもならこうした活動が終わったら、集まってお茶を飲むのだが、コロナウィルスが蔓延している中では、集まることが見合わせになっている。日曜日のミサも信者が住んでいる地域で二手に分けて、午前と午後に二回行われていたが、今週からミサは午前一回のみで、信者は二週間に一回ミサにあずかることに変更になった。一日に二回ミサを行うのが四か月間続いたが、神父が体力的にきつくなってきたのが、一日に一回のミサにする一番の理由だろう。神父は八十歳の外国人だった。コロナウィルスの時代になってから、ミサの様子を中継する取り組みをする神父が増えている。ミサにあずかれない週はYouTubeでオンラインミサだ。
「おみ堂で祈っていっていいですか」と断って、聖堂に入る。空気がヒヤリとしている。中央に磔刑像、左にマリアさま、右にヨゼフさま。ヨゼフさまの前の座席に腰かけて、しばらく静かに過ごす。それからいつも持ち歩いている小さなボロボロの祈祷書をひざにひろげる。
幸いなるヨゼフよ、われら困難のうちに御身によりすがり、かつ御身のいと尊き浄配の助けを求めたれば、また御身の御保護をも頼もしく願い奉る。御身は天主の聖母なる汚れなき童貞と結ばれたるいつくしみあり、幼きイエズスに尽したる父の愛あれば、またイエズス・キリストが、その御血をもつてあがない得たまえる家督を、一層あわれみて顧み、かつすべてわれらの急に迫れる時、助力と救援とを下し給わんことを、伏して願い奉る。(公教会祈禱文)
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