研究書評【ヤングケアラーに対する教育支援の可能性】

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ヤングケアラーの孤独・孤立――アクセスしやすいサポートをいかに作るか

https://www.jstage.jst.go.jp/article/juss/16/0/16_15/_pdf/-char/ja

<内容総括>
もし自分の子どもが「ヤングケアラー」 と言われ、「支援を入れませんか?」と言われた時、おそらく多くの親はショックを受ける。 まず、自分の子どもが「ヤングケアラー」と他の人の目に映っていると知ったショックがあ り、さらに、支援を入れることを提案されたことへのショックがある。それは、「自分は親としてちゃんとできていないように思われているんじゃないか」という不安にもつながっている。その背景には、ヤングケアラー支援が、「児童虐待防止の枠組みの延長」で作られている状況がある。 実際、国や自治体のヤングケアラー支援の仕組みは、これまで児童虐待防止を担っていた 部署が中心となり、既存の枠組みを利用して作られていることが多い。しかし、そこでは、 支援対象の子どもやその家族は完全に“客体”として捉えられていて、もし自分が支援を利用する側だったらどう感じるか、という目線が足りていないように思う。たとえば、ヤングケ アラー支援においては「早期発見・早期把握」という言葉がよく使われる。これも、児童虐待防止の取り組みで使われていた言葉がヤングケアラーの家庭にも転用されている。外部の人が家庭の中に入り込んで支援をするのは、高齢者介護などでは一般化しているが、子ども家庭福祉の文脈では「問題のある家庭」的な見方がまだ強くある。支援の提案を断ることで、外部の人が家に入ってくることを防ぎ、 「普通の家族」でいられると思ってしまう可能性がある。
今の時代に必要になってきているのは、親の体面を守りながら、カジュアルに家族をサポ ートする仕組みである。かつては親戚や近所の人などが、感情的にもつれた家族それぞれの話を聞き、結果的に家族メンバーが妥協点を探ったり状況をより良い方向にもっていくた めの方法を一緒に考えたりして、調整をしていた。今日、現役世代は男性も女性も 仕事に忙しくなっている中で、こうした中コミュニティは細り、このような方法が以前に比べて難しくなっている。 今、ヤングケアラー支援において求められているのは、虐待対応のマニュアルというより は、かつての親戚のような関係性で、安心しながら日常の延長上で気軽に話せるところなのではないかと思う。親が恥ずかしい思いをしたり体面を失ったりすることなく、子どもも親 が責められるのではと気を遣うことなく、気軽にサポートを受けられる仕組みである。さらには、親子で楽しめる料理教室やバーベキュー、農業体験、古着バザー、コインランドリー などでのおしゃべり会、カフェなどでの朝ごはん会、メンタルヘルスのセミナーなど、ヤン グケアラー同士や親たちが楽しい時間を持ちながらつながり、生活上のコツの情報交換をしたり、気持ちを伝えあう方法や気分が落ち込みそうになった時の対処法を学んだり、実用 と楽しさを兼ねたイベントを仕掛けたりしていくことも、意味のある仕組みであると思われる。家族だけではそうした場を用意するのが大変でも、外の人の力を借りながらであれば、 楽しく参加できる親子もいる。親子で楽しい時間を過ごすことへのサポートは、子どもにとっても親にとっても力になる。

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ヤングケアラーサポート学校賞(Young Carers in Schools: Award Pack) ヤングケアラーを支援し、ヤングケアラーサポート学校賞に申請するためのガイド
https://youngcarer.sakura.ne.jp/img/file3.pdf
<選択理由>
ヤングケアラーを支援できる場所として有効なのは学校である。今回はイギリスの学校で行われている取り組みの一つを取り上げ、今後の参考にする

<内容総括>
「ヤングケアラーサポート学校賞」とは、イギリスの学校で行われている取り組みで、ヤングケアラーの支援が積極的に行われている学校に賞を贈るものである。
1.理解する、2.情報を提供する、3.発見する、4.聴く、5.支援するという5つの基準があり、その支援度に応じて金賞、銀賞、銅賞が与えられる。それぞれの項目には判断基準が定められており、2.情報を提供するの項目では「学校でのヤングケアラー」プログラムの地域ネットワークや専門職向けの研修イベントに参加したことを示す書類、3.発見するの項目では、転入・入学手続きの際に、家族の障害や病気やヤングケアラー に関する質問が含まれていることを示す書類を必ず提出しなければいけない。

<まとめ>
この取り組みを日本に紹介することで、日本のヤングケアラーに対する意識向上、より良い学校作りを目指すためにこの取り組みを利用する学校が増える可能性がある。

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家族介護とジェンダー平等を めぐる今日的課題 ─男性介護者が問いかけるもの
<選択理由>
前回の研究書評で、ヤングケアラーにはメディアによるジェンダー差異(男性は、介護者からの社会復帰が美談とされているのに対し女性は家にいて家族の世話をするのが当たり前だという認識)があることが分かったので、今回も引き続きジェンダーに関する論文を読み知識を深めたいと思う。

<内容総括>
日本の家族介護の現状を踏まえると,現金給付にとどまらない,多様な介護者支援の導入に ついて真摯に検討しなければならない(笹谷 2005)。そのことにかかわって,最後にいま一度, 日本の男性介護者に目を向けてみたい。 日本労働研究雑誌 45  男性介護者には,不慣れな介護での戸惑いや葛藤がある一方で,大きな強みもある。それは,介 護者になる以前の,政治・経済といった社会の中 心舞台で活躍してきた経験である。こうした男性 の経験や知識は,新しい介護システムを構築する際の大きな即戦力となりうる。先述した男性介護者同士をつなぐ地域での取り組みは,孤立を予防するという側面だけではなく,介護者支援を含む 新しい介護・政治システムを構築するための活動 拠点としての役割を担いつつある 5)。こうした男性介護者の動きは,介護者支援の議論を本格化さ せる牽引力になるかもしれない。問題は,こうした男性介護者の取り組みが,社 会制度の隅々にまで浸透している根深いジェン ダー不平等それ自体にメスを入れる力に連結して いくかどうかである。職場に自分の介護を隠し続けるのではなく,介護しながら働き続けられる新 しい企業風土を,男性自身がつくっていけるだろうか。介護というケアを媒介とする男同士のつながり,男性的な価値観に依拠した介護者運動という きわめてスリリングな社会的実践は,ジェンダー 平等にとってどのような意味をもちうるだろう か。男性自身が,介護を契機とする自らの生き方 の問い直しを,男性的な価値観に支えられた働き 方や政治のあり方それ自体の変革,すなわちジェ ンダー平等へと連結させていけるかどうかが今後問われる。

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メディアにみる「家族を介護する若者」 ――日本における社会問題化を考える 松﨑実穂
<選択理由>
ヤングケアラーの「ジェンダー差異」について取り上げられており、興味深かったため
<内容総括>
ここでは、メディア上において、家族を介護する若者がどのような主体として表れているかを考察し、今後の研究における課題や論点、ジェンダー差異、社会的排除の構造、若者への支援と介護の社会科などが提示されている。ちなみにヤングケアラーが社会問題化される動きが本格化したのは2014年2月以降と考えられる。
メディア(読売新聞、朝日新聞)に取り上げられた人には現役・元ヤングケアラーが含まれており9名が25歳以上であるが、ほぼ全ての者のライフコースに介護による影響が封じたことが描かれている。介護により退職、学業中断、修学や就職機会を逃したことが挙げられ、総じて将来に支障が出ることは間違いない。また、「介護をしているのにニートと見られてしまう」など、介護が終わってもその経験が評価されないこと、そしてキャリア中断や不形成がその後の人生に大きく影響されるためキャリア形成支援の必要が示されているのだ。つまり家族介護に取り組む若者はライフコース選択の機会を逃し、自らのキャリア形成における困難を抱えた主体として描かれていると言える。さらにこの「ライフコース選択の機会における困難」の乗り越え方にも偏りがあり、それはジェンダーによるものだとしている。職業的キャリ アが形成できて当然とされやすい若年男性が、介護でキャリアを中断または形 成すらできないことは重大事とみなされるからこそ、メディアにおいて かれらが「困難に直面し乗り越える」までが物語として成立しやすいのではないか。一方若年女性の場合、そもそも結婚や妊娠・出産、介護等によるキャリ ア中断が未だにありふれたことであるがために、介護の「その後」が注目されにくいのではないか。だが、注目されないからといってそこに問題がないわけではない。
家族を介護する若者の「キャリア形成における困難」に関しては女性 の「困難への対処とその克服」の状況が重視されづらく、問題視されない代わりに不可視化される可能性に注意すべきである。一方男性が「介護によって 失ったものを取り戻そうとする」のが当然の帰結とされるのなら、キャリアを 再形成できない場合どんなプレッシャーがかれらにかかるのかについても考えて然るべきである。「介護によって失ったものを取り戻す」という物語が家族を介護する若者(介護中であれ、介護が終わった後であれ)に与える影響について 考察し、家族を介護する若者の「困難を克服し / ようとする」物語が成立する 時に、そこに回収されないかれらの経験やニーズが何であるかを考えていく視 点が必要である。

<まとめ>
今まで、女性、男性と分けて考えたことはなかったが、キャリアを再形成する上でジェンダーが妨げになる可能性があるということを今後は視野に入れる必要があると考える。


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亀山(2021)ヤングケアラ―をめぐる議論の構造―貧困の視点を中心にー

<選択理由>
貧困との関係性について明らかにするとともに、「ヤングケアラー」と「家族に障害や病気がなくとも、貧困によりケアを担う子供」をどう捉えるかについての課題を考えるためにこの論文を選択した。

<内容総括>
「ヤングケアラー」と「家族に障害や病気がなくとも、貧困によりケアを担う子供」は、混同されやすく、そのためヤングケアラーの議論で貧困の視点は抜け落ちやすい。実際に2018年に日本で初めて出版されたヤングケアラーに関する新書には、貧困についてほとんど論じられていなかった。しかしこれらについて議論する際、家族が障害か病気かに関わらず、「貧困」は重要な要因として念頭に置く必要がある。澁谷によると、子供がケアを負担することは「その家族が存続するための資源が不足していたこと」と関わり、病気の発症というよりかは本来のケアの担い手が別居や就労によりケアが難しくなり子供に負担をかけるという構造になっている。実際に、「ヤングケアラー」の定義に該当する子供の中には貧困家庭が少なからず存在している。障害や病気なしで貧困だけでケアする子供が含まれる可能性はあるが、2017年の研究によるとヤングケアラーのうちの40%前後がひとり親世帯で、(三菱UFJリサーチ&コンサルティング2019)によると約30%が生活保護世帯に属する。さらにヤングケアラーのいるひとり親世帯の一ヶ月あたり家計支出総額は平均世帯人数2.7人で18.0万円 であり,生活保護世帯の支出額と同水準であった(渡邊・田宮・高橋2019)
こういった構造と、ケイパビリティの制約という2点で両者には共通点がある。ケイパビリティ・アプローチを提示した Amartya Sen によれば,貧困は「経済的手段が不足しているために福祉を追求する能力がないこと」と定義する。従来のヤングケアラー議論のように、家族が障害や病気を持つ場合に限定するのか、あるいは貧困などによるケアの担い手不足によってケアを行う子供も射程に入れるのか、この点はまだ検討段階にある。2020 年 11 月に公開された「埼玉県ケアラー支援計画のためのヤング ケアラー実態調査結果」では,家族に障害や病気がなくとも幼いきょうだいの世話を担っている子どもは「ヤングケアラーと見なすかどうか判断が難しい」 (埼玉県 2020:2)という理由で除外されている.一方で,貧困とケアのあいだの関係性を取り上げる近年の論考や報告の中には,この論点に明示的に踏み込んではいないが,貧困などに応じてケアを担う 子どもを含みつつヤングケアラーを論じるものも登 場している(斎藤 2019;三菱UFJ リサーチ&コンサ ルティング 2020)15).

<総評>
ヤングケアラーと貧困は密接に関わっている。しかしヤングケアラーに対して経済的な支援を行っている国は未だゼロで、この問題の解決の難しさを改めて知った。私の研究にはヤングケアラーの教育格差をなくすという目標があり、そのためにはこの二つの存在を含めて研究を進めていく必要があると思う


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<参考記事>
ヤングケアラーたちのSOS地域に「居場所を」
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20211209yc.html

<選択理由>
今回選択したのは論文ではなく、NPO法人居場所作りプロジェクトだんだん・ばぁ理事長の加藤雅江さんのNHKによるインタビュー記事である。NHKではヤングケアラーに対する調査を積極的に行なっており、インタビュー記事も豊富なため、今後の研究に活かせるのではないかと感じたため選択した。

<内容>
ヤングケアラーたちが抱える課題に大人がどうアプローチできるのかは、まだまだ発展途上の課題である。しかし、せっかく勇気を出して相談したのに解決しない、現状が変わらないとなると、2度と相談できなくなる可能性がある。子供が子供らしく生きるためにはどうすれば良いのか。深刻な状況を食い止めるために、「居場所」が必要であると考えた加藤雅江さんは、都営住宅の一部に「子ども食堂」を始めた。「ヤングケアラーの支援をしています」と書くとためらう子供がいるため、「誰でも来ることができる場所だよ」と伝えている。少しでも安心できる場所、そして地域の大人たちと繋がれる場所にしたいという思いがある。

<総評>
ヤングケアラーへの対策として、誰でも来ることができる場所として居場所を提供するという方法は新たな知見であった。もっと様々なインタビュー記事も参考にしていきたい・
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埼玉県福祉部地域包括ケア課 「埼玉県におけるヤングケアラー支援施策」
<選択理由>
今回は論文ではなく、令和4年埼玉県におけるヤングケアラー支援施策の報告書を取り上げる。今までヤングケアラー対策が進んでいる海外の事例ばかり調査し、解決策を探っていたが、いきなりそのような政策を日本に取り入れることは難しいと判断した。そのため、現在我が国でどのような取り組みが行われているのかを知り、改善の余地として何ができるのかを探っていくことが重要であると考えた。

<内容総括>
埼玉では、令和元年に全国初の埼玉県ケアラー支援条例が制定された。主な取り組みとしては、①ケアラー支援WEBセミナー(支援体制強化のため、ケアラーからの相談に対応できる人材を育成するためのオンライン研修を実施)②ケアラー支援WEB講座(当事者による体験談をまとめた動画の制作)、③「地域包括ケアシステム」についての漫画を配信④ケアラー支援に関する有識者会議⑤ケアラーに関する実態調査などを行なっている。また、同時期に行われた実態調査について述べる。ヤングケアラーの存在割合は全体の5.3%である(ただし本人に自覚がない可能性があるため正確な数字とは言えない)そのうちの4人に1人が平日に2時間以上ケアをしている。学校生活に影響が出ているのは全体の3割。意見箱には、「勉強の負担が大きい」「変に気をつかわれると息抜きの場である学校までも失われるから、本当に大変な人はそっとしておくべき」「気軽に相談できる場所やサイトを作って欲しい」との声が寄せられた。認知度は「全く知らない」が70%だった。認知度を上げるために啓発リーフレットの作成・配布を行なっている。またケアラー同士で話し合えるオンラインでの居場所づくりやNPOによるサロンの立ち上げ、運営方法をまとめたマニュアルを作成、要介護者の受け入れ施設を運営している・

<総評>
家庭問題は非常にデリケートであるため、対策する側もプライバシーを保護しながら慎重に行うべきである。埼玉県が掲げる大きな目標は、「みんなで支える社会を目指して」である。そうするとやはり認知度が低いことは問題視するべきである。県や市での取り組みが重要である。目全ての都道府県で対策が取れるようなマニュアルを作れるのが理想
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佐藤(2023) メリデン版訪問家族支援を受けた家族の変化
<選考理由>
メリデン版訪問家族支援とは、イギリスで行われている家族支援のプログラムである。バーミンガムでは実際に多くの効果がもたらされており、日本にも少しずつ普及が進んでいる。今回はその理解を深めるためにこの論文を選択した。

<内容総括>
メリデン版訪問家族支援とは、イギリスにおいて開発された「訪問による」「本人も含めた一家族」への行動療法的な家族心理モデルである。1)今ある課題を家族が解決しストレスへの対処能力を高めることで、家族内のストレスを軽減し精神疾患の再発率を減少する、2)将来、家族が自分たちの力で困難を乗り越えていくためのより効果的な問題解決や目標達成のスキル習得の機会を提供する、3)精神障害者本人、親、きょうだい、子ども、配偶者などが自立し、それぞれの生活を生きることを支援する、の三つを目的とし、精神障害者本人を含めた「単家族」に対し、10から14のセッションの支援を提供するプログラムである。具体的には、1)家族一人ひとりと家族全体のアセスメント、2)精神疾患や治療などの情報共有、3)コミュニケーショントレーニング、4)家族の話し合いによる問題解決と目標達成、5)よりよくいるプラン(再発予防プラン)等のセッションが取り組まれる。その他のメリットとして、家族の困っていることの解決につながる内容から取り組むなど、家族のニーズに応じて柔軟に提供されることも特徴である。メリデン版訪問家族支援は日本においてもその普及が期待されるが、日本における効果等についてはいまだ明らかにされていないのが現状。そこで日本でこの支援を受けた九つの家族に対し、その変化についてインタビュー調査を実施した。結果として、結果があまり出ないケースが見られつつも、良好ではない家族に対して第三者が間に入りセッションをともに繰り返し行うことで家族に小さな変化を生む可能性や、家族間で話し合う練習をすることで本人と家族が相互に適切なコミュニケーションを取り合うことによって円滑化する可能性、そして 【家族全員が本人の体験している世界を内側からとらえる】ことによって本人の病状などについて家族 全員で対処する術を身につけ実践していく可能性などが浮かび上がってきた。

<まとめ>
今回新たな政策であるメリデン版訪問家族支援についての論文を読み、理解を深められたことが大きな成果であった。日本ではまだこの支援について研修を受けているのが数人しかいないという現状もあり、普及には時間がかかるだろう。また、全ての家族に対し効果が得られるわけではないので、成功確率を上げるため改善の余地がある政策であると感じた。


4/18
安部計彦(2019) ヤングケアラーと子どもへの権利侵害―ネグレクト調査の再分析からー
<選考理由>
ヤングケアラーの教育格差問題について、今までは教育面、精神面について研究していたが、この問題のそもそもの根底にあるのは「家庭環境」であると考え、これらについての知見を深めるため、今回はネグレクト(育児放棄、ここでは虐待)とヤングケアラーの関係性について書かれているこの論文を選択することにした。
 
<内容総括>
要保護児童対策地域協議会「要対協」によると、ヤングケアラーは中学生が一番多く全体の4割を超えるが、未就学児の子どもも存在する。また、それらのうち50.3%は「ネグレクト(育児放棄)」を受けていると分類されており、心理的、身体的な虐待を含めると全体の8割が該当する。そして学校生活において「支障が見られない」と回答があったのは3割程度で、学力不振や遅刻が学校生活における影響として最も多かった。さらに、自身がヤングケアラーであると認識できているのは11.8%であり、4割を超える子供が自覚できていないことが明らかになった。またヤングケアラーは「ひとり親家庭」で多く発生することが証明され、ネグレクト事例の4割の家庭環境が「実母のみ」で、「実父のみ」を加えると全体の過半数に及ぶ。また、発見者の約4割が学校であり、遅刻の多さや宿題の提出率の悪さが原因である。また、複雑な家庭環境が多く、「借金」「貧困」など経済的な問題や「対人関係」「薬物・アルコール」などメンタル面においての課題が関わっている。この課題の中心にあるのは「子どもの権利侵害」であることである。また、日本においてネグレクトが生まれるのは、家族の「ケアニーズ」が起きた場合に起きる。また、学校だけでは不十分なため児童相談所の家庭訪問が有効であるとされる。

<まとめ>
ヤングケアラーになる子どもには、障害や病気を抱えている親や兄弟がいる場合ではなく、劣悪な家庭環境も関係があることがわかった。また、ヤングケアラー数を減少させるには、「ひとり親家庭」に焦点を当てることが重要であると考える。また、ネグレクトについて大きな関わりがあることがわかった為、今後研究対象の視野に入れる予定である。また、補足だが、人が虐待やいじめで受けた傷を回復するためには10年以上かかるという。

1/18
三富(2008)「イギリスの在宅介護を担う児童」

<選択理由>
より知見を深めるためイギリスのヤングケアラーに関する論文を選択し、日本での支援方法を模索するための参考にしたいと考えた。

<内容要約>
この論文は、イギリスの自治体や大学関係者の資料をもとに、在宅介護を行う児童の実態についてまとめたものである。
家族のケアを行うことのデメリットは、教育面や交友関係はもちろん、就業に影響を及ぼすことも少なくない。パーキンソン病の親を持つ子供の半分が仕事をやめている。親が被介護者である場合、低所得と貧困が待ち受けている。また、15歳以下は介護者手当の申請資格がないため低所得を補う術もない。また、将来に対する夢や計画を失うため、介護は児童の思考を狭めると言える。このため、金銭的な支援は必須に行われるべきである。
また、ヤングケアラー同士の交流や心のケアを行うことも支援を行う上で重要である。
介護を担う他の児童との接触は、同じ経験をわかち合うことによって一人ではないことを実感させてくれ、勇気づけられる。イギリスでは遠足やゲームの企画、心のケアとして定期的な面談や家庭訪問が行われている。
また、別の問題点をあげると、親の考えとして、「我が子が普通の子供のように外出できない」ことは承知の上で、「動き回りたいなら家で十分だ」「子供が出かけている間、動けないまま1人でいるのは寂しい」といった回答が見られ、介護しなければならないことは仕方がない一方で、子供の本来の考えを無視した親の意見の押し付けが背景にあるとも言える。

<総評>
現在一番支援が進んでいるイギリスでも金銭支援は行われていない。日本ではヤングケアラーの認知度が少ないことや、財政赤字の背景も含めると、財源確保は難しいのではないかと推測される。このことから、実現可能性があるのは直接的な金銭支援ではなく、ヤングケアラー向けの就活支援の機関を作流ことではないかと考える。しかし、働ける年齢ではない児童の対策ではないし、親が働けないからといって子供にその負担を負わせるのも違うのではないかと思い、さらに先行文献を読んで勉強しなければならないと感じた。
また、親と子のすれ違いをなくすことが大事であるが、このことで注意しなければならないことは、第三者の介入は、複雑な家庭環境を悪化させる可能性があることである。


1/11
佐藤(2019)「うつ病の親を持つ子どもがヤングケアラー化し 精神疾患を発症する場合」『日本教育心理学会第61回総会発表論文集』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pamjaep/61/0/61_607/_pdf/-char/ja
<選択理由>
今まではヤングケアラーについての「教育」の面で研究を進めてきたが、この問題の根本的な解決のためには「精神的」な面でのサポートも大事であると考えた。きっかけは、「ヤングケアラーは普通の人よりも不安を感じやすい」という研究結果が明らかになったという記事を見たからである。調べてみると、その弊害として、精神的苦痛を抱える子供は多いという。例えば、学校に行けないことから交友関係が希薄になり孤独感を感じやすくなるなどが挙げられる。そこで、今回は、ヤングケアラーの精神的な部分に関して調べ、心のケアの方法を今後研究していくにあたっての参考にするためこの論文を選択した。

<本文要約>
精神科心理臨床の中で、子ども時代にうつ病の親に対するかなりの量のケアを担う経験をし、現在は自身が精神疾患を発症したという成人たちを対象にカウンセリングが行われた。
各対象者の面接の全記録から、「うつ病の親のケアをめぐる経験」に関するものを抽出し、「親がうつ病になってから地震が精神疾患を発症するまで」のナラティブを作成し、これらを複線径路・モデルで分析した。

分析の結果、親がうつ病になる→子供は親の変化に動揺し、親の治癒を切望する→親のケアに関わるようになり、それを周囲に肯定的に評価され自己効力感を得る→親へのケア提供行動量を増大させることが明らかになった。しかしケアをすればするほど、学業が疎かになり孤独感が深まり、精神疾患へとつながるため悪循環になる。一方で、親の自傷行為を目の当たりにしないことや、責任を自分1人で背負いすぎないこと、有効な助けの得られる窓口に関する情報を得て相談しにいくことによって、ケア行動の増大を防ぐことができるとした。以上から,当該の子どもが,いつでも自分自身や家族にとって有効な助けが存在すると認識できる環境を構築することの必要性を考察した。それには,親のうつ病治療を担う医療機関における家族に対する心理教育の推進,家族と子どもを含めたチームカンファレンスの継続実施,子どもの生活の観察によるそのケア提供行動量の把握,医療機関で得られる情報を教育機関で共有することによる子ども個人の問題の背景に存在する家庭の要因の可視化が求められる。以上のような,多機関連携を軸とした環境を構築することで,子どものケア提供行動の過剰な増大を阻止し,子どもの情緒の安定に寄与するソーシ ャルサポートを充実させることが重要性であり,これらによりうつ病の親を持つ子どもへの効果的な介入が可能となることを考察した。

<まとめ>
「子供の親に対するケアを肯定してはならない」ことは以前の書評でも明らかになっているため、この研究において重要なポイントであると言える。また、ヤングケアラーの精神疾患は、世話の対象が精神的な病気であった場合に起きるのか、身体的な病気であった場合にも起きるのか今後調べていきたい。また、ヤングケアラー対策が一番進んでいるイギリスでは、ヤングケアラーを集めてパジャマパーティーをするなど、「孤独感」を埋めるための企画が行われており、子供達に寄り添うような支援が求められる。


1207
齋藤美重子(2022)学校教育におけるケア学習プログラムの視点 ―イギリスにおけるヤングケアラー支援及び日本における ケア教育研究の動向をふまえて―

<選択理由>
今回は日本以外の国におけるヤングケアラーの対応を調べてより知識を深めるためにこの論文を選択した。

<内容統括>
ヤングケアラー概念とヤングケアラーに対する教育の位置づけを検討する。イギリス国内ではヤングケアラーの存在が認知され,国連の「子どもの権利条約」(1989 年国連採択・1991 年イギリス 批准)を背景に,ヤングケアラーへの支援の必要性が認識された。「1995年ケアラー法」においては,ケアラーとは「年齢に関係なく,相当量のケアを恒常的に提供し ている,あるいは提供しようとしているすべての人々」であると定義された。Beckerら(2000)はヤングケアラーとは「家族のケアや援助,サポートを行っている,あるいは行おうとしている18歳未満の子ども」とした。ここでヤングケアラーとは,家族のためにケアする18歳未満の子どもを指した。「2014年子どもと家族に関する法律」では、ヤングケアラーの定義は「他の人のためにケアを提供している,または提供しようとしている18歳未満の者。ただしケアが契約に基づく場合,ボランティア活動として行われる場合は除く」とされ,ヤングケアラーを要支援児童として法的に位置づけた。また対象外となる18歳以上のケアラーに対しても,適切な支援を実施することが記された。Beckerら(2000)よりもケアする対象者を幅広く捉えたことがわかる。しかしNHS(イギリスの国民保険サービス、外務省)ではヤングケアラーとは「慢性的な病気や障害,精神的問題やアルコール・薬物依存などを抱える家族の世話をしている18歳未満の子どもや若者」と定義された(NHS, 2018)。ケアラーは「家族の世話」なのか「他の人」にまで広げるか,「18歳未満」なのか「18歳以上」なのか,世話を「行おうとしている」人も含むのか「している」人のみか,その範囲は同一ではないことが明らかになった。Newman(2002)はケアを必要とする人の問題には病気そのものだけでなく障害者差別や貧困,多文化的差別等の社会的排除があることを指摘した。社会保障政策の課題を浮かび上がらせたのである。確かにケアされる人の支援がおざなりになるのは本末転倒であるが,子どもによる過度なケアが問題となっている現在,子どもの権利に則りヤングケアラーへの支援は明らかに必要であろう。同時にケアを必要とする人への支援も必須であると考えられる。

次にヤングケアラーに対する教育についての位置づけを確認する。 戦後のイギリスでは 1944 年「教育法」に基づき, 地方教育当局が教育全体に責任を負い,具体的な教育内容は実 質的に学校現場に委ねられていた。しかし 1970 年代後半からの「イギリス病」といわれる経 済の停滞や社会の活力低下が表面化し,1988 年「教育改革法」によりナショナルカリキュラムができ,経済的競争力強化という経済政策の一環,雇用政策としての教育に変容した。 1994 年ユネスコとスペイン政府が開催した国際会議で採択された「サラマンカ宣言」 (Salamanca Statement on Principles, Policy and Practice in Special Needs Education and a Framework for Action )ではすべての人のための教育(Education for All)実現のためにインクルーシブな教育(inclusive education)が提案された。障害のある子どもだけでなく「特別な教育的ニーズ」(Special Education Needs:SEN)のあるすべての子どもの教育権保障であった。指導方略,資源の活用,地域社会との協力を通じ,すべての子どもたちに対し,質の高い教育を保障しながら生徒の多様なニーズを認識し,それに応じなければならないことが提言された。その際,すべての学校内で出会う様々な特別なニーズに ふさわしい様々な支援やサービスがなければならないとした。「すべての子どもたち」には「障 害児や英才児,ストリート・チルドレンや労働している子どもたち,人里離れた地域の子ども たちや遊牧民の子どもたち,他の恵まれていないもしくは辺境で生活している子どもたち」も含まれた。つまりヤングケアラーもここに位置づく。単なる統合教育(integrated education) ではない公平観があるインクルーシブ教育といえる。イギリスでは,1979 年「ウォーノック報告」や 1994 年「サラマンカ宣言」を受けてイン クルーシブ教育への機運が高まり,1995 年「障害者差別禁止法」が制定された。イギリスでは現在,学校において教職員やソーシャルワーカーがアセスメントシートを使い 児童・生徒に聞き取りを行い,ヤングケアラーを見落とすことがないようにしている。また国 から資金提供を受けている団体がヤングケアラーの放課後の交流場を設けたり,介護サポートにつなぐ団体もある。イングランドとウェールズでの義務教育期間は 5 歳から 16 歳までで, 初等教育( 5 歳から 11 歳まで)と中等教育(12 歳から 16 歳)である。16 歳から 18 歳は教育 あるいは訓練に従事することが義務付けられているため,実際の離学年齢は 18 歳である(文 科省,2019)。そのなかで,「学習における困難さ」(learning difficulties)により異なる支援が ある。通常の学校の中で,ステートメント(=学習の困難さが大きい子どもに発行される認定 証)はないが特別の教育的ニーズのある子どもに対して,校内の体制を整備する教員である SEN コーディネーターと段階的な教育的な手立てを用意するスクールアクション,スクール アクションプラスがある。ここに学習遅滞のヤングケアラーも位置づく。2011 年の国勢調査(Census, 2013)ではイングランドとウェールズのヤングケアラーは 177,918 人で,2001 年に比べ 18.7%増加した。現在イギリス国内にはおよそ 100 万人いると推計されているが,支援に繋がっているのは 5 万人程度といわれる(Becker, 2021)。ヤングケ アラー当事者がケアをしているという自覚がなければサポートにはつながらない。貧困や階層 間差別,人種差別等により言い出しにくい場合もある。また人をケアすることは悪いことでは ないにもかかわらず,ケアを必要とする人が「子どもにケアさせる人(親)」と言われ批判さ れることが予想されれば,ヤングケアラーは親を庇い語らないだろう。即ちイギリスにおける インクルーシブ教育はヤングケアラー支援を担っているとは言い難かった。ヤングケアラー自 らが語れる環境とヤングケアラーへの個別最適な学びを保障していく必要がある。 2021 年オンラインで行われた第 3 回国際ヤングケアラー国際会議が行われた。教育政策の中で十分な教育がなされているとは言い難かった。学校教育の中ではカリ キュラムの調整や授業方法の開発,地域社会との連携,個別最適な学びの保障の必要性が示唆 された。そもそも潜在的ヤングケアラーを表面化させるヤングケアラーの定義及び範囲につい て,世界全体で議論し再考していかなければならないのではないだろうか。
日本におけるヤングケアラー 日本では「児童福祉法」「母子保健法」「教育基本法」「少年法」など子どもに関わる個別対 応の法律はあったが,「子どもの権利条約」(1989 年採択,1994 年日本批准)の理念に則り, 2009 年「子ども・若者育成支援推進法」が公布されたがただし年齢については定められていなく不明確である。インクルーシブな教育を障害児だけに特化してしまうことは今後ますます増加が 見込まれるヤングケアラーや外国籍の子ども,移民・難民,あるいは不登校の児童生徒を排除 することになるのではないだろうか。多様な子どもがそれぞれ生き生きと学べる学校がインク ルージョンであるならば,通常学級でも,特別支援学級でも,特別支援学校でもそれぞれの立 場を尊重しつつ,改めてインクルーシブ教育の対象を再考する必要がある。 日本ケアラー連盟では,ヤングケアラーとは「家族にケアを要する人がいる場合に,大人が 担うようなケア責任を引き受け,家事や家族の世話,介護,感情面のサポートなどを行ってい る,18 歳未満の子ども」と定義し,ケアが必要な人は,「障がいや病気のある親や高齢の祖父 母,きょうだいや他の親族の場合もある」とした。澁谷(2018)はイギリスを参考に子どもや 若者と介護の実態を明らかにし支援策を提案した。今後さらに平均寿命が延びてくればケアを 必要とする人も増える見通しで,世帯人員の縮小化やひとり親家庭の増加,共働き家庭の増加 によりヤングケアラーの増加も予測されるところである。それ故イギリスにおいてはヤングケ アラー支援が法的に整えられていたが,日本では未だ整備されていない。2020 年に厚生労働省・文部科学省によって行われた全国規模のアンケート調査では, ヤングケアラーについて法令上の定義はないとしながら,一般に「本来大人が担うと想定され ている家事や家族の世話などを日常的に行っている児童」とした。2021 年に公表された調査 結果では,中学生 5.7%,全日高校生 4.1%,定時制高校生 8.5%,通信制高校生 11.0%がヤン グケアラーであった(三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング,2021)。また「相談した経験が ない」という生徒は中学生 67.7%,高校生 64.2%で,その理由として「誰かに相談するほど の悩みではないから」が最も多く,次いで「相談しても状況が変わるとは思わない」という回 答だった。ヤングケアラーにとってケア行為が当たり前になっていることや,相談しても状況 が変わらないと諦めていることが窺えた。ヤングケアラー支援には厚生労働省と文部科学省と の連携のもと,「早期発見・把握」「相談支援・福祉サービスへのつなぎ,スクールソーシャルワーカー等を活用した教育相談」「社会的認知度の向上」等が挙げられた(厚生労働省・文部 科学省,2021b)。2022 年度から予算事業として全国の自治体での取り組みがされる予定であ る。しかし宮川・濱島(2019)は高校生への質問紙調査を行い,ヤングケアラーはケアを要す る家族がいることを隠そうとする場合があること,家族のケアを担っている高校生は,自分自 身をヤングケアラーだと認識していない場合があることを明らかにした。換言すれば全国調査 も実態よりも少ない可能性が高く,ヤングケアラーの認知度を高めるためにも,学校教育でケ アとは何かを学ぶ必要があると考えられる。 日本におけるヤングケアラー研究では,1996 年に保健福祉学分野においてはじめて登場し, 2018 年以降は年間 10 本以上になったが,実態調査と支援策に関する研究がほとんどであっ た(齋藤ら,2021b)。また自身がヤングケアラーであることに気づいていない時に,他者と の対話によってケアラーとしての気づき・認識が起こったことが明らかにされた(齋藤ら, 2021b)。ヤングケアラーとしての気づきを促す対話型学習とともに,ヤングケアラーと申し 出ることに違和感や恥ずかしさを感じずにすむような環境を整えなければならないだろう。片 田江(2010)は家庭科におけるケアについて学ぶ家族分野の学習において,教師が様々な家庭 環境に配慮し誰一人傷つけないようにしようと恐怖心を抱いていることを明らかにした。誰一 人傷つかないように配慮することは教室にいる様々な背景をもつ生徒を思う教師の優しさである半面,当事者性を避け生徒が自分事にできない授業に陥る面もある。教師もまたケアされケアしているという当事者性を生徒に示し,語り合い鬩ぎ合うことが必要ではないだろうか。 小括すると,日本における法令上のヤングケアラー概念は埼玉県の条例が初で,日本全体に ヤングケアラーの人権保障が行き渡っているとはいえなかった。イギリス同様隠れたヤングケ アラーがおり,ヤングケアラー概念の見直しと法的整備,学校教育上のヤングケアラーの位置 づけを確立させることが求められる。またヤングケアラーであることへの気づきにはヤングケ アラー周知と他者との対話ができる環境,ケアを考える学習が必要であることが示唆された。

<まとめ>
イギリスではヤングケアラーについての法整備が整えられており、日本も見習うべき点があると感じた。教育的な観点についても調べてみたい。

<選択理由>
今回は、前回の書評から新たな着眼点であるヤングケアラーについて知識を深めるためにこの論文を選択した。

<内容総括>
ケアの相手を親世代と祖父母世代に限定した場合、日本におけるヤングケアラーの実態として、身体障害・病気の親をもつ子ども、聴覚障害のある親をもつ子ども、親に精神疾患がある子供、祖父母の介護をする子供が主に存在している。
16歳の頃から現在までの14年間,ケアラーとして生活をしている宮﨑(2020)は,自分がヤングケアラーである自覚ができている人は少ないのではないかと指摘しており,辛かったとしてもアラートが出しづらいと述べている。つまり,ヤングケアラー(18歳未満)の課題としては,介護の自覚がなく,誰かに相談できない状態であるということである。ヤングケアラーは自身の介護の状況をうまく認識できないので,教職員や介護関係のスタッフ等,周囲の大人たちが早期に気づき,日常のことを話せる環境づくり,また必要な時に必要な支援を養成できる環境づくりが必要である。佐藤(2019)によると,うつ病の親を持つ子どもが精神疾患を発症する場合に,その途中段階で,子どもの心理社会的不適応が多数表れていたことを見いだしており,不登校や仲間との関われなさ,学業不振といった兆候を見逃なさいことも必要である。
発見後の支援方法について、1つ目は「話を聞く」ということである。ケアをしていることへの労いは必要であるが,過剰に褒めると子どもはあたかも最良の行動であるかのように感じ,自身のケアへの従事により自己効力感を得,自分の将来を狭めてしまう可能性がある。また,ポジティブな評価を与えられすぎると,子どもは教員にネガティブなことを相談してはいけないのではないかと考えるかもしれない。話題もケアのことだけであれば,子どもは結局ケアラーである自分に価値があると思い込むかもしれない。 ケアをしているから褒めるのではなく,子ども自身の存在全体を肯定する接し方と辛さや悲 しさ,いらだちといった感情も吐露できるような接し方を心掛けたい。2つ目は,「他職種他機関とのつなぎ」である。学校に福祉についてはスクールソーシャルワーカーが配置され,心理についてはスクールカウンセラー,病気等に関することであれば養護教諭等が存在する。学校内であっても他の専門職がいることを子どもに伝え,実際につなぐ支援が必要であろう。そして,さらに学校以外の他機関とのつなぎが必要となれば,学校内の専門職からつないでもらう支援が有効だろう。教員が家庭への介入をどこまで行うかは非常に難しい問題であるが,ヤングケアラーにおいては家庭への介入が必要になることも多いと予想される。その際,教員はひとりで抱え込むのではなく,他職種他機関とつながり,必要な機関が家庭へ介入するということも考えられる。また,同じ経験をしている子どもたちとつなぐことも支援のひとつである。現在はSNS等で,ヤングケアラーについて検索し,オンラインでつながることもできるため,教員がそのような情報を提供し,子ども自らつながるという支援の方向性もあるだろう。3つ目は,キャリア教育についてである。学校からサポートが得られていたとしても,ヤングケアラーには,それ以降の人生の方が長い。ヤングケアラーに対する継続的な支援が必要であり,大学進学をした場合は,大学においてもヤングケアラーへの配慮が必要であろう。就業して社会に出る選択について も閉ざされないようなキャリア教育が望まれる。そして,社会人になる場合は,児童生徒学 生である時以上に,仕事による時間的制約も大きく,ケアと仕事の両立は困難になるだろう。それを見越して,就職以前にケアが分有できるような具体的な方法を検討することも含めた キャリア教育を実施していくことが求められる。

<まとめ>
I CT教育を推進していく対象としてヤングケアラーと不登校性に焦点を当てたいと思っていたが、それぞれ特徴がかなり異なるためどちらかに絞る必要がある。そのためもう一度I CT教育について調べ直し、絞る対象をどちらにするのかを検討していく必要がある。

11/16初等中等教育におけるオンライン教育の可能性と課題〜地域格差・学校間格差を生まないために〜

<選択理由>
前回の時点で読みきれなかったため。

<内容総括>
「GIGAスクール構想」が実現することにより、大きく変わる学びの特徴として「学びのシームレス化」がある。これまでの子どもたちの学びは、授業を中心とした「学校での学び」と家庭や課外での「家庭での学び」に分けることができた。これらは今までも関連付けられていたが、「1人1台の端末」時代を迎えこれまで以上にシームレス(つなぎ目なく連続的なもの)になることが予想される。教師主導型一斉学習中心の学びのスタイルから、「学びのDX」ともいうべき新しい学びのスタイルが創り出されようとしている。「1人1台の端末」に加え「1人1アカウント」が重要であり、クラウド活用が前提の「GIGAスクール構想」では必須条件である。「1人1アカウント」で次のようなことが実現できる。
・授業の資料や課題等の瞬時に配布や回収 ・個別に最適化された課題の提示
・学習の成果物等の継続的な保存や蓄積 ・安全な環境でのオンライン学習の実現
・教師による子どものリアルタイムの学習状況の把握と確認
・学級全体またはグループごとのファイル作成や編集などの協働学習
・子どもによる学習データや成果物のアクセス
ICT機器を活用する際に上手くいかないのは、ICTのリテラシーが低いからではない。重要なのは、段階や目的に応じた運用をすることである。そのために、SAMRモデルによる活用を解説する。SAMRモデルとは、ICT環境ごとにどのような学習 が可能になるかを4つのタイプに分けて説明した授業や学習者への影響を測る尺度である。Ruben R. Puentedura (2010)が考案したモデルである。SAMRモデルには、4つの段階がある。
1. Substitution(代替) 紙のプリントを配るのはなく、PDFに変換して子どもの端末に配信する。
2. Augmentation(増強) iPad に配信された教材に生徒が回答したり自分の考えを入力したりして返答する。先生はそれを集約し、ピックアップして教室で共有する。
3, Modification(変容) 先生はさらに生徒に考えさせる時間を確保するために事前に教材や情報を配信するほか、生徒同士の学び合いが起こりやすいような設計を行う。
4, Redefinition(再定義) 先生が一方的に情報を与えるのではなく、生徒にいかに考えさせ ることが大事かという本質に気付く。空間的、時間的にとらわれ ない授業を再設計する。
次に、学習機会をやむを得ず失っている子どもたちとして最近注目されている、ヤングケアラーについて述べる。2020年、ヤングケアラーの実態調査行われた。ヤングケアラーの法令上の定義はないが、本調査では、「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話など を日常的に行っていることにより、子ども自身がやりたいことができないなど、子どもの自身の権利が守られていないと思われる子ども」を意味している。学校に対して洋国ケアラーの定義に該当すると思われる生徒(中学校、全日制高校、定時制高校、通信制高校)の有無を質問した結果、いずれの学校種でも「いる」が最も高く、定時制高校と通信制高校の割合が高い。「自分がヤングケアラーにあてはまると思うか」という質問に、「あてはまる」 と回答した生徒は、中学2年生が 1,8%、全日制高校2年生が 2.3%、定時制高校2年生が 4,6%、通 信制高校生が 7.2%であった。ヤングケアラーと自覚していない生徒や家族の世話 をすることが当たり前であると考えている生徒がおり、周りの認識とは大きく異なることがわかる。すなわち、子供たちは自分がヤングケアラーである意識はないことから、この問題は深刻で困難な問題だといえよう。そのため、学校の勉強や受験勉強などの学習のサポートについては今後の課題である。

<まとめ>
前回に引き続き同じ論文を選択したが、違う論点からICT教育について学ぶことができた。また「ICT教育」というテーマで研究を進めるにおいて、不登校生徒だけを対象にするのではなく、新たな視点である「ヤングケアラー」についても理解を深めることが必要であると感じた。
11/16初等中等教育におけるオンライン教育の可能性と課題〜地域格差・学校間格差を生まないために〜
<選考理由>
日本のICT教育の格差問題について調べる必要があると思ったため。

<内容統括>
文部科学省の「端末離活状況などの実態調査」(2021年8月)によると、約96%のほとんどの自治体で整備が進み、ほぼ「1人1台の端末」が実現している。しかし、見かけ上「1人1台の端末」で授業しているようでも、その内容まではこの調査からはわからない。アプリケーションがオフィス系だけなど、一人一アカウントの設計になっていないため、クラウド保存ではなく各自で保存して共有することができないなど、いくつかの課題が生じている中での数字である。また、端末はChrome OS(40.1%)、Windows(30.4%)、iOS(29.0%)、その他(0.5%)が、学校ごとに使用されている。また、iPadにはセルラーモデルがありWi-Fi環境がなくても使用可能である。セルラーモデルは校内外でも活用可能であり課題解決学習や探究学習に活用できるが価格が高い。また、以下に挙げる文書は、「ポストコロナ(新型コロナウイルス感染症が収束した段階)」の基本方針である。
・児童生徒の学習活動の質を高めるため、授業時間内において、教師による対面指導に加え、 目的に応じ遠隔授業やオンデマンドの動画教材等を取り入れた授業モデルを展開する。 (遠隔授業の実施例)
・児童生徒の習熟度に差が出やすい単元を指導する場面において、習熟度別の遠隔授業やオン デマンドの動画教材等の活用の時間や、教師や学習指導員が個別対応する時間を設けるなど、個別最適化された授業を展開。
・遠隔授業において、海外の児童生徒と交流することにより、多様な国や地域の文化に触れる 機会を設ける。
が掲げられ、多様な個別最適化が求められ教員のリモートワークを感じさせる内容である。
次に、オンライン学習が進んでいる熊本市の先行的な取り組みとオンライン教育のポイントを紹介する。一つ目は、スモールステップである。スモールステップとは、1から5のステップに分けて学習をスムーズに進めることを目的としている。二つ目は、教育行政の方向性、推進力を明らかにすること、三つ目は、研究機関の迅速性である。熊本市には教育センターが存在し、この機関は、学校から教員への研修要請はペーパーによる申請が必要なく、教員への情報はフェイスブックを活用して情報提供する。このような軽やかな対応は、教 員のICT活用能力を高めるとともに、子どもの端末の活用をゆとりをもって見守る構えを醸成させることにつながっている。4つ目は、教育コンセプトである。整備の根底にあるのは、「教えてもらう」から「学びとる」授業への転換というコンセプトである。 ICTの活用を管理し統制された授業を展開するのではなく、子ども自らが判断して最適なツールを 活用する「情報活用能力」が、新学習指導要領が掲げる「主体的」を具現化することになる。ICTの整備は授業改善を推進することであるというコンセプトがある。
次に、SDGsの目標4「すべての人々への包括的かつ公平な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を 促進する」は、「誰も置き去りにしない(leaving no one left behind)」を掲げ、国際社会が2030年までに貧困を撲滅し、持続可能な開発を実現するための重要な指針である。図 5-1 が示すように、日と本も子どもの貧困が年々増加している。「子ども貧困大綱」の作成など、政府の取組は国際的に評価されているが、他国の課題として捉えるのではなく自国の課題として捉えなければならない。ICT機器に触れる機会が少ない貧困者は、仕事や日常生活に最低限のITリテラシーを身につけづらい。スマートフォンの普及とともに、社会全体にICT機器が 普及しつつある一方で、低所得者のICT機器保有率・使用頻度は依然低いままなのが現状である。2017年3月時点で世帯年収400万〜550万円未満の世帯ではスマートフォンの保有率は80%弱で、パソコンの保有率は80%強、タブレットの保有率 30%強だったのに対して、世帯年収300万円未 満の世帯では、スマートフォンの保有率は40%弱で、パソコンの保有率は50%弱、タブレットの保有率10%強にとどまる。また、子どもの貧困率は、ひとり親家庭の半数以上が貧困家庭で、貧困家庭全体の20%近くも占めている。以前は、ICT機器を使わなくても、学校や家庭・地域で人々は容易につながりあうことができた。しかし今では、格差社会がもたらす多忙感や絶望感が拡大し、近所づきあいに基づく伝統的な地域コミュニティは崩壊しつつある。非正規雇用者や転退職する人々が増え、労働組合の組織率が低下した 職場コミュニティも弱体化している。さらに、生活保護受給者などの貧困問題に対して「自己責任論」を当てはめる風潮も強まっている。こうした背景のもと、貧困者の「孤立化」が進んでいる。 ICTの恩恵によって多くの人々が日常生活を便利に過ごせるようになっている一方で、十分なIT リテラシーを持たない貧困者は、地域コミュニティや職場コミュニティからの保護も受けられず、孤立したまま社会に適応しにくくなりつつあるといえる。

<まとめ>
ICT教育の格差を埋めるためには貧困の問題や都会と田舎の違いなど様々な問題があり、その解決は難しい壁がいくつもあることを実感した。知識をつけるために
もう少し先行研究を読む必要があると感じた。11/9
但田:オンラインによる学習支援の可能性〜稚内市、浜頓別町における宙が卯制の実態調査・学習支援から〜

<選択理由>

<内容総括>
「ICT教育」の定義とは、パソコン・タブレット端末、インターネットによる情報通信技術を活用した教育手法のことである。ICT教育を実現するにはコンピュータ・電子教科書・電子黒板・インターネット環境が必要であり、電子教科書を使うには生徒1人につき1台の端末が必要である。しかし、文部科学省「平成30年度学校における教育の情報化の実態等に関する調査結果」によると、教育用コンピュータ1台当たりの生徒数は平成31年3月で5.4人に留まっている。現時点の課題は三つある。一つ目は、『ICT環境整備の地域格差』である。平成30年度「学校における教育の情報化の実態等に関する調査」内の「都道府県別インターネット接続状況の実態」調査では、教室内のLANの整備率は全国平均で89.9%と高いが、無線LANは全国平均で41.0%とまだ半数にも達していない。これは、学校の中にICT環境を整えても学力向上につながらないため、現状のままで良いという認識が拡がっているのではないかと考えられる。2019年度の全国学力・学習状況調査の都道府県別正解率とICT環境の整備が進んでいる都道府県には相関関係が見られないことからも推測できる。二つ目は、『整備に対する学校の意識格差』である。ICT環境整備は私立校と公立校では違いがある。公立校では、自治体や教育委員会と学校の思惑が異なり、一体となって進まないことが要因と考えられる。また、教育委員会から学校に裁量が委ねられることが多いため、機器等が導入されても活用されず、活用のための研修等で時間と労力をかけなければならず整備が一層進まない。これらの実態が全国ICT教育首長協議会「わがまちのICT教育の課題と取組」の中で課題として挙げられている。三つ目は。『ITリテラシーの格差』である。教師は労働時間や業務量が多く、ITリテラシーを持ちづらい傾向にある。また、文部科学省「公立小学校・中学校等教員勤務実態調査研究」によると、2016 年度の教師の平日の勤務時間は、小学校教師11時間15分、中学校教師11時間32分である。そのため、ICT活用のための準備や研修の時間を確保することが困難であることが明らかである。
2021年2月文部科学省で行われた「児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議」で、2020年の小中学生、高校生の自殺者数が過去最多になったことが明らかにされた。前年度の1.4倍にあたる479人である。特に、8月は例年の2倍以上になる64人であった。成績不振や進路など学業に関わる理由もあるが、コロナ禍における学校への不安、仕事がなくなったことによる家庭への不安が大きいのではないかと分析している。オンライン教育に警鐘の意味を込めて、国連/子ども権利委員会は次のような声明を発している。

3. オンライン学習が、すでに存在する不平等を悪化させ、または生徒・教員間の相互交流に 置き換わることがないようにすること。オンライン学習は、教室における学習に代わる創造的な手段ではあるが、テクノロジーもしくはインターネットへのアクセスが限られているもしくはまったくない子ども、または親による十分な支援が得られない子どもにとっては、課題を突きつけるものでもある。このような子どもたちが教員による指導および支援を享受できるようにするための、オルタナティブな解決策が利用可能とされるべきである。

オンラインによる学習支援の実態や環境の中で、不安と葛藤している子どもたちに端末を活用した「個別最適な学び」は効果的なのだろうか。オンライン教育はどうすると全ての子どもたちの可能性を引き出すことができるのであろうか。稚内市子どもの貧困対策プロジェクト会議や教育連携会議など、稚内市の教育の特性を生かしながら、次のような可能性を生み出すことができるのではないかと考える。1.子どもたちの実態を把握し、地域格差、教育格差が生じない環境を整備することで多様な支援を必要とする子どもたちへの支援を工夫する。2.ICTの活用では、教員・学校の研究や交流に軸をおいた連携で子どもたちの意識や実態は変化し、実態に即した「個別最適な学び」の創造が生まれる。3.学校と大学・教育機関が連携し学びの機会をオープンに発信することで、不登校など学びに悩む子どもたちへの「学び直し」の機会になる可能性が生まれる。

<まとめ>
今まではICT教育において生徒視点での問題点を調べてきたが、教師側の問題点も詳しく調べることができた。また、ICT教育の存在価値について深く考えたことが無かったが、子供たちの視点に立って考えることが重要であると感じた。



11/2
本間優子(2022) 子供に対するICT活用の現在と未来―学びの継続と進化:リアルとバーチャルの統合―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsoft/34/2/34_55/_pdf/-char/jas

<選択理由>
ICT教育の知見をさらに深めるため。

<内容統括>
子供に対するICT活用について、日本では幼児期に対して与えることは悪とされる風潮がある。しかし諸外国では研究が進んでおり、0歳から6歳を対象にしたICT活用に対する調査が2003年にアメリカ、2005年にイギリスですでに行われている。電子機器を遊びに使うことで機器に関する使用法に関する知識を学んでいる。
アプリを通して子供達が学習することを目標に作成されたアプリについて。「こころえほん」(2018)は、他者の気持ちや立場を思いやる能力、役割取得能力を促進することを目的としている。しかしMarshらによると、トレーニング目標よりも、大人と子供、そして子供同士がインターラクションを取りやすいように設計することが大切であり、そのために、ICT端末の大きさにも配慮することが必要である。家庭においてのインターネット接続は半分がスマホ、半分がタブレットという割合で使用されているが、画面を共有しやすい10インチ以上のタブレット端末が必要であると述べた。コスト面においても、絵本などとは異なり、家庭でタブレット端末さえ所有していれば物の購入や貸し借りがなく、子供園と家庭での共有が可能になる。
・不登校と病児に対するオンラインスペースの活用について
文部科学省が発令した「不登校児童生徒への支援のあり方」によると、不登校児童、生徒がICTを用いる場合一定の要件を満たせば出席扱いとして認められる。また熊本市教育委員会は、2020年「学校に行くことができない児童、生徒の希望者には、授業のライブ配信を行うこと」を全小中学校と特別支援学級に通知した。熊本市はライブ配信に加えて不登校性のオンライン学習支援を2021年9月から施行している。不登校だけではなく病気のため学校にいけない事例に対しても、復学への不安感を低減させる上でオンライン上でのコンタクトは重要である。
また、ASDやADHD児についてVRを用いる事例もある。VRは現実世界と比べて安全で、気が散るような刺激も少ないため長時間集中できる。

<まとめ>
今後は研究のために熊本市のオンライン学習支援について具体的に調べる必要がある.


10.26
GIGAスクール構想におけるICT活用の小学校・中学校比較
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsetstudy/2023/1/2023_JSET2023-1-B5/_pdf/-char/ja

<選択理由>
GIGAスクール構想の知見をさらに深めるためと、PSエキスポで小学校と中学校の違いについてご指摘をいただいたため。

<内容総括>
校種を比較してICT活用の実態を捉える研究は未だ少ない。その中で、「小学校に比べ、中学校のICT活用は少ない」ということは明らかになっているが、小学校・中学校という校種間において、ICTが「どのような場面で活用しやすく、また、どのような場面で活用が難しいのか」は明らかにされていない。また、小学校では学級担任制、中学校では教科担任制を採用していることや、教員コミュニティの在り方が校種間で相違していることを踏まえると、やはりそれぞれの環境ごとに活用しやすい場面がある。そこで、川崎市の小学校、中学校の「授業を担当する教員」に対しICT環境の推進状況について調査が行われた。
結果として、GIGAスクール構想によるICT環境の整備後、ICT環境の活用場面が広がっており活用の実感が感じられている。また、「教師が課題を提示する場面」「実験や観察、制作の手順を説明する場面」、「子供の活動や作品などを提示する場面」「子供同士が相互に教え学び合う場面」において小学校の方が中学校よりも平均値差が高い。これらの結果から、授業でのあらゆる活用場面において小学校の方が中学校よりも活用頻度が多いことがわかった。理由は教科担任制のためそれぞれの教師が柔軟にICT環境を変更することが可能だから。また、中学校は小学校と比べて生徒の不適切な使い方をする懸念が高く、活用に着手しにくい。また、小学校・中学校の活用に積極的な教員で威嚇した場合に以下の2点が示唆される。①実験や観察,制作の手順説明や 生徒に発表をさせることについては小学校の方が中学校よりも活用されやすいが,教師 による課題提示や学習の理解を深める場面に関していえば,小学校と中学校ともに差がなく,両校種ともに活用の実践ができていると考えられる。また②子ども同士が相互に教えあい学びあうことに関しては,全体的に平均値が低いことからも,ICT環境の整備後の2021年の段階では両校種ともに着手が難しかった活動だった可能性がある。

<今後の課題>
本分析では,ICT活用の度合いが高い教員を抽出し、両校種の活用場面や指導の実態について比較することで,教科特性等による活用のしにくさの影響に対処したが,今後は担当学年や担当教科等を考慮した詳細な分析が求められる.GIGAスクール構想実現後の,ICT 活用の 実態把握やそれを踏まえた学校現場への支援策(校種特性を考慮した活用促進や児童生徒の ICT 活用スキル習得についての円滑な移行の支援)を行っていく際には,校種に独自な環境を意識しつつ活用促進の在り方を検討することが求められる。


1012
不登校対応における直接的コミュニケーション促進のためのICT活用
https://bunkyo.repo.nii.ac.jp/record/2356/files/BKK0002343.pdf
<選択理由>
前回に引き続き、ICTを用いた不登校の生徒についての文献を読みたいと思ったから。

<内容総括>
子供たちの学習においてタブレット型情報端末の有効性が明らかにされている。小中学校の不登校児童生徒すうは11万人を超えており、釈迦復帰のためには、人や物事との直接的なつながりを支援していくことが重要であるとされている。こうした中、『不登校生徒と人や物事との直接的なつながりを促すためのICT活用』として、不登校対応においても電子メールやテレビ電話といったICTを活用した実践が行われてきた。しかし、数々の実践が行われているものの、それを統括するような具体的な機器やシステムまで含めての提案はまだないのが現状である。そこで、ICT活用票が作成された。不登校進行段階を、①予備期、②混乱期、③安定期、④葛藤期、⑤社会復帰期の五つに分類し、それによって使用する機能やアプリを決定する。このICT活用表に基づき、七人の児童に対して継続的な実践が行われた。本実践の結果、子供同士のコミュニケーションにおいては、お互いの様子を見ながら操作を行ったり、全員が触れるような配慮が生徒たちの中で自然に行われるなど、これまでになかったコミュニケーションが自然と見られた。子供と支援者とのコミュニケーションにおいては、インターネットや生徒に興味のあるアプリを一緒に行うことによって、自然と話しやすい環境を作り、何もない状態で話をするよりも緊張を和らげることができた。また、生徒各々のICT機器への興味関心においては差があったにもかかわらず、どの生徒においてもコミュニケーションが促進されたことは、タブレット型情報端末の「人と人を繋ぐツール」としての普遍性を示唆していて、不登校対応において有効な知見であると捉えることができる。一方で、不登校である生徒と、不登校でない生徒において差異が見られたのはICT機器への興味関心である。不登校でない生徒は興味津々である傾向であったのに対し、不登校の生徒は冷静で、自由に触れる時もお互いに譲り合ったり他者に促されるパターンが多かった。これは、自分に自信がなかったり、周囲の人間関係について何か悩んでいる場合、目の前に新しいものが現れても興味が湧かないということが推測される。

<まとめ>
文部科学省によると、不登校の原因として一番多いのが「無気力・不安」(約半数)である。
ICTを活用しながら、最終的には生徒自らが学校に行きたいと思えるようにサポートすることが大事であると考える。
検証の結果、ICTは学校復帰や直接の投稿刺激になるような万能なものではなかったが、その土台となる支援者や不登校生徒同士のコミュニケーションを促進することに大きな効果を発揮した。不登校対応において何が学校復帰や状態の好転につながるのかはわからない。しかし「関係性を深めるという点において、ICTが大きな力を発揮する」という結果は有用な知見であると言えるだろう。


2009)科学研究費補助金研究成果報告書
https://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&as_sdt=0,5&q=アニメ 不登校&btnG= - :~:text=ICT を活用した美術教育の研究%3A 不登校対策とユビキタス社会へ向けての実践
<選択理由>アニメと精神病についての研究として進めていたが、対象を精神病にするのではなく不登校の学生を対象にすることで不登校問題にアプローチしていきたいと考えたため。

<内容総括>
不登校を理由に一ヶ月以上学校を休んだ生徒は小中学校で約14万人であり、熊本大学では平成17年より「大学・大学院における教員養成推進プログラムー不登校の改善・解決に資する教育力の育成」が行われた。ここでは、美術、絵画療法、陶芸療法など、芸術療法(アートセラピー)による活動を通して、表現や鑑賞の喜びを味わいながら治療的な側面も期待できる。研究の方法について、熊本県内の不登校に関する施設を調査訪問し実態を把握する。
次にICT環境の整備を行う。次に美術の授業においてパソコンを活用して行うことを念頭に置き内容を検討する。内容は、水彩画や陶芸作りなどに加えてアニメ制作とそれを上映し感想を述べ合うアニメ鑑賞も行われた。授業形態は対面授業とインターネットを介して行う遠隔授業を用意し、遠隔授業ではテレビ電話授業と文字チャット授業を展開する。最後に各授業において生徒に対しアンケートを実施し、集計データから授業内容の比較検討及び分析を行う。アンケート内容は生徒の気持ちや意向を大切にするため授業前後の興味関心や理解度、積極的意欲の向上、などについて数値で測る項目を設ける。また、適応教室指導員の意見も参考にする。この授業は3年間行われた。アンケートの結果によると、遠隔よりも対面授業の方が好評であり、授業の理解度については拓版画とアニメ鑑賞が最高である。意欲の向上や満足度調査の項目おいても、「アニメ鑑賞」は高い数値が見られた。アニメ制作について、制作は進めなければ終わらないことから生徒たちが受け身にならず能動的に作業を行い終わった後には達成感を得られる。アニメ鑑賞については、鑑賞会によって対話する機会が生まれ人と人との関わりの場として意義が生まれている。
<まとめ>
ICTを活用することにより学校でアニメ鑑賞を行うことにより不登校の生徒に対して少しでも学習意欲が見られることが知れたので大きな収穫となった。また、遠隔授業としてテレビ電話や文字チャット授業を行うことは、不登校の生徒に対して利点であるが、テレビ電話では生徒がカメラを避ける傾向にありカメラに移り続ける生徒はほとんどいなかった。文字チャット授業では意見交換が活発に行われたが生徒の表情や語気はわからないなどが課題である。【6.29】(2013)小山内秀和、楠見孝「物語世界への没入体験―読解過程による位置付けとその機能―」『心理学評論』56巻4号
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjpr/56/4/56_457/_pdf/-char/ja
<選択理由>
先行研究では、「没入現象」においてその用語も指し示す概念も一貫していなかった。 そこで物語の没入について調べるために本論文を選択した。

<内容総括>
小説や文学作品などの物語を読むとき、我々はその内容をただ理解するだけでなく、感情生起をはじめとしたさまざまな経験をする。その経験には、読みながら物語の情景を生き生きとイメージし、登場人物に共感することで、積極的に物語世界へと入り込み、物語の世界をさながら現実の世界であるかのように感じるといった体験をしばしば伴う。それは時として、作品とその登場人物とに人間の本質を見出すといった体験にもつながることがある。近年では、この体験によって個人の態度変化や対人スキルの獲得などによって大きな役割を果たしていることが指摘されるなど、心理学やコミュニケーション学の面において物語に対する注目が集まっている。本論文ではこの体験を「物語世界への没入」と定義する。Tellegenらによると、没入とは、ある特定の注意現象を体験し全ての表象機能(目の前にないことを思い浮かべること)が用いられてしまうことを指す。また、近年になって「移入仮説」「フロー体験」という二つの概念が提唱されており、没入現象を取り上げる上では重要な理論である。「移入仮説」の「移入」とは、全ての心的システムが物語内の出来事に集中するプロセスであるとされている。物語を読む間読者は時間の感覚を失い、自分の周囲で起きていることを知ることができなくなる代わりに、物語世界にすっかり入り込んでいるような感覚を抱く。移入することの効果としては検討段階である。精神障害者が起こした殺人事件を描いた物語によって、読者が精神障害者の保護政策においての態度が変化することや、禁煙に関する物語映像への移入によってその後の禁煙行動を予測することが検討されている。また、「フロー体験」について、フローとは全ての注意が特定の行為に注がれることで、没入や移入ともよく類似した概念である。これらのような現象が起きた時、しばしば作中の登場人物になったかのような体験をしたり登場人物の感情を共有したりすることがあり、これを「同一化」と呼ぶ。Busselleらは没入現象として「移入」「フロー体験」「同一化」の三つを例示している。没入において物語に求められることは「物語の一貫性が破綻されないこと」である。これにより読者は読解活動に対してフローを体験できるようになり、その過程で同時並行的に同一化が進んでいく。読み手は読解時やその後に楽しみや喜びを感じ、知識や態度の変化が起きる。物語読解プロセスについて、状況モデルの構築によって没入が生じると同時に、没入することによって状況モデルの構築が封じるという「物語没入―読解モデル」が提唱されている。このモデルが基盤となればより包括的な読解プロセスの解明も期待ができる。

<まとめ>
今回は物語の没入システムについて知ることができたが、没入研究についてはまだ発展途上であることが多い。特に物語への没入による対人的能力の促進については検討の余地があり、社会的スキルや共感能力の獲得支援などに応用することも可能になるだろう。

<追記>
①フロー体験の構成要素
専念と集中、自己認識感覚の低下、活動と意識の融合(思ったことがすぐに実行に移せる)、状況や活動を自己制御感覚(自分でコントロールしている感覚になる)、時間感覚の歪み(時間を忘れる)、内的報酬(活動に本質的な価値を感じる)
②没入することの暗黒面
・没入することに依存してしまうと、内的な空想が自分にとって安心できる場所になり、逆に対人コミュニケーションを避けてしまうことや現実とのつながりが失われる可能性がある
さらに
③没入することは幸福である
・アメリカの調査から、今現在やっていることと、それと違うことを考えていると不幸せになることがわかっている


【6.22】(2012)堀尾良弘 『学校におけるスクールカウンセラーの活用とその展望』
https://aichi-pu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1132&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1

武井倫子、水野康樹、市川哲、西口スクールカウンセラーは学校での相談活動において、どのような問題点・不満を抱えているかースクールカウンセラーの視点から見た問題点―
https://suzuka.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1466&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1&page_id=13&block_id=84 - :~:text=そこでは、教員に対する理解,などを挙げている。

<選択理由>
アニメーション療法の研究対象は成人以下が多いため、今研究の対象も若者(小学生〜大学生まで)に限定することにした。日本では若者の自殺率の高さが目立ち、さらに若者の自殺未遂の原因の約半数が「学校問題」であることから、学校から生徒への心理的なサポートが不十分であると言える。そこで今回は、アニメーション療法から離れて、現在の学校のスクールカウンセラーの状況を把握するために本論文を選択した。

<内容総括>
2009年当時全国のスクールカウンセラーは5838名おり、その中で臨床心理士有資格者は4708名、約8割となっている。地方に行くほど臨床心理士の比率は低い。福島県内の中学校において、スクールカウンセラーを含めて生徒指導、養護教諭などとどのような連携を行なっているかを調査したところ、「スクールカウンセラーが参加できる日に会議を設定し専門的な見解を得ながら情報を共有することで足並みを揃えた対応を目指す」としているのは160校中8校であり、「サポート委員会を設置し、スクールカウンセラーも含め定期的に会議を開きながら特に特別支援を要する生徒について支援する方法を決定する」と回答したのは一校しかなかった。このように職員とカウンセラーが情報共有しともに語り合える場が少ないことや意識の低さが問題点であると言える。
また、先行研究から、「スクールカウンセラーとして困ったこと」について、「校内の相談体制づくり」「校内の連携」「管理職の無理解」「反社会的な問題行動を起こす生徒への関わりのあり方」などが挙げられている。また、「やりにくさ」という観点からは、「教員や児童に対する把握のしにくさ」「関係性を理解することの難しさ」「組織理解の難しさ」さらに「支援体制における相互調整」としては「方針の食い違い」「不安定な相談体制のあり方」などが挙げられている。
スクールカウンセラー11名に対して、学校で活動する中で感じた問題点について調査したアンケートの結果を以下に示す。
①    身分・待遇の不十分さ
予算削減により勤務日数・時間の減少、それによる収入も減少。超過勤務への予算措置や交通費手当もなし。また個人事業主としての契約のため労働基準法は適用されず。臨床心理士所有者とそうでない人では給料にも大きな差がある。
②    学校への偏った配置
配置のあり方について現場に沿った計画性が見られない。必要のない学校に配置された結果、仕事がないSCもいる。学校の実態に合わせた配置にするべき。
③    勤務日数・時間が少なすぎる
週一回の勤務のため継続的な支援ができない。
④    心理臨床教育への不満
心理臨床教育は学校臨床の場ではうまく行かないことが多い。
その他には、環境の悪さ、心理査定用具の不備、仕事内容が明確ではない、仕事内容が学校によって異なる、教員との連携の難しさなどが挙げられた。
(個人的に思うこと)
私の中学校にもSCはいたが、利用するには教員からの許可証が必要だった。生徒も教員も多数いる職員室に行かないともらえないため、生徒のプライパシーが保護されていないと感じた。

<まとめ>
SCの配置を全国で一律に配置すること、勤務日数を増やすことなどSCの問題点や改善点が多く見られた。また、SCに頼ろうとしてもプライパシーの観点から相談できない生徒もいるのではないかと思った。実際に、誰にも相談できなかった、または相談しても解決につながらなかったために自殺してしまうと思うので、根本的にSCの制度の見直しや、学校臨床の教育に力を入れるべきなのではないかと感じた。



【6/15】
(2018)泉順子 ビブリオセラピーにおける文学作品の効能―文献レビュー―
https://meiji.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=8692&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1

<選択理由>
クライアント(患者)がまだ未発達の子供や重度の精神病を患っていた場合、集中力の低下でストーリーを追えない場合や、そもそも画面を見る気力がない可能性もある。また、アニメを見続けることで視力の低下が起きることなども懸念される。それに加えて、健常者と同じ感覚でアニメを視聴できるのか疑問に思った。そこで、今回は「アニメ」に拘らず絵本などを用いる「読書療法(ビブリオセラピー)」の先行研究を選択し、アニメ療法と比較していくことを目的とする。

<内容総括>
ビブリオセラピーとは本を用いながら心身のレジリエンスを高める療法である。「医学・精神医学療法の補助手段として選出された読み物を用いること、指導にあった読みを通して個人の問題解決を導くこと」が定義づけされている。先進国における慢性疾患数の増加に並行して、より経済的で持続可能な、かつ体への負担が漸減できるような良好への期待が増していること、患者中心の段階的なケアを推進する医療政策がセルフ・ヘルプ的な機能を持ち認知療法と相性の良いビブリオセラピーを積極的に導入し始めており、特に21世紀から認知度は高まりつつある。ビブリオセラピーの機能については以下の通りである。

  1. スピリチュアリティ これまでの人生経験の次元では解決できないことが人智を超えた何かしらの力によって解決されうることを認識する。

  2. 認知 改めて周囲を捉え直し、自分がこれまで予想もしなかったであろうことを受け入れる

  3. 洞察 自分自身とその生活を新たな側面から見つめ直し考えを深めつつ、自分自身を見つめ直す機会を得る

  4. 関連性 どういう言葉が自分に響くのかを探究する

  5. 統合性 自分と世の中の在り方、自分の考えていることと自分が今やっていることのバランスが取れていることを確認する

  6. 全体性 ①〜⑤の機能を通じて人格が陶冶され、事故と世界の関係が再構築され自分お内面が外の世界に与える影響を認識する

次に、先行研究で用いられた書籍のジャンルはフィクションが多いが、アニメ療法にもフィクションが効果的であることがわかっている。(理由は、生々しさが和らぎ感情移入しやすくなるからである)また、成人以下の対象にした研究報告が多かったが、なぜなのかはわかっていない。そして、親の離婚やこころの問題、自身の病気など、いかなる苦境にもかかわらず、「自分なりの生のストーリーを模索し、時には再編集する」ために文学作品が有効であった。
Rossiterの論文では、セラピーに利用された作品はどれも簡潔な文法で書かれ、口語的で、理解しやすい詩ばかりであったが読み手が否定的な反応を見せるものがあった。分析したところ、読者に直接呼びかける二人称小説は抵抗感を与えることが明らかにされた。景色と人物を遠くから描写するような詩がより適していること、詩を両方に用いる最大の強みは、その理解しがたさ、捉えにくさであり、読者が反芻するうちに個々人の歓声が立ち現れてくるのをゆっくりと待つことにビブリオセラピーの効果が期待されると指摘している。
また、Holman(1996)の研究では、エスニック・アイデンティティの問題を抱えた極めて自己肯定感の低い若16歳の若者が、彼と同じエスニシティの詩人であることに感銘した青年が、雄大な詩にエネルギーを吸収し勇気づけられていく様子が描かれている。
KramerとSmithの論文では、両親の離婚を経験した子供の傷を治癒するにあたり選書で留意すべきガイドラインを提案している。①内容が古臭くなく現実的であり、文学的に優れていて面白いもの。②読者である児童の年齢に沿ったイラスト、内容と長さであること。③大人の離婚について適切な情報と配慮が盛り込まれ、当事者に向けて前向きな道筋が描かれていること。
Goddardの論文では、慢性疾患の子供たちを取り上げている。死と隣り合わせの生活を余儀なくされている子供には、病状を告知した上でカエラと似たような状況ある子供の本を紹介し、読み進める上でのさまざまな感情をセラピストと共有し病児の抱える問題をオープンに話せることができると述べている。

<まとめ>
アニメーション療法の先行研究だけではわからなかった物語療法を知ることができた。アニメの良さは、その完成度の高さと映像のクオリティが良いこと、そして必ずと言っていいほど友情、愛、忠誠、正義、死といったテーマが扱われ感情移入しやすいことがあげられ、
読書の良さは、語彙力を豊かにし、点字を使えば目が見えない人にも治療が可能であることが考えられる。また先行研究での共通点で、対象が若者であることから若者向けの療法であることが言える。


【6/8】
(2021)論文:アニメ視聴による心理学的体験の生起に関わる要因の探索的検討
薮田 拓哉(大阪大学)、佐々木淳(大阪大学)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjas/22/1/22_A-21-011-R3/_pdf/-char/ja
<選択理由>
今回選んだ論文で行われた『アニメによる心理学的体験はどのように生起するのか』
というアンケートが自分の研究の参考になると考えた。また、大学生を対象に行われており、その平均年齢が21.9歳で私たちと近い年齢であることから興味を持った。

<内容総括>
『アニメによる心理学的体験はどのように生起するのか』
調査対象:大学生、大学院生54名。
調査方法:Googleフォームを使い質問紙を作成。
調査目的:どのようなアニメ作品が提供され、それを視聴者が自身の内的状態をもとに、どのように受け取り、反応するのかを調べ視聴者の体験の生起にどのような違いが生じるのかを明らかにする。
質問内容:選択式→(A)生起した体験の選択と体験についての質問。
自由記述式→(B1)作品名、(☆B2)作品要因、(☆C)視聴者要因(自分自身のどのような点が体験を引き起こしたか)、(D)体験により生じた状態(視聴中どのような状態になっていたか)について。  複数回答可、☆…回答必須
結果:AとDは補助質問のため割愛。

1.作品要因について
【キャラクターの生き様】
《キャラクターの特性》は、<キャラクターの外見>、<キャラクターの人柄><キャラクターの信念>
《キャラクターの勇往邁進する姿》はキャラクターが目標や苦難に立ち向かい、成長することに関するテーマである。<目指すものに突き進む>、<キャラクターの人間的成長>、<苦難から立ち上がり、乗り越える>、<苦難に負けず、前進>
《キャラクターの繋がり》はキャラクター同士の関係性とその描写に関するテーマであった。<キャラクターの関係性の描写>、仲間との絆などの<温かな結びつき>、キャラクターの楽しそうな関わりといった<和気あいあいとした関係>、そしてキャラクター同士の人間関係の葛藤といった<揺れ動く人間関係>
《キャラクターの心の特徴》はキャラクターの描写に関する<キャラクターの心理描写>、<それぞれのキャラクターの描写>、主人公のために行動する<各キャラクターの立ち振る舞い>や<キャラクターの決断>
【作品の様式】
《作品の壁》は作品の物語の構造に関するテーマである。
<思い入れのある作品>、<テーマ>、<物語の内容>、<物語の展開>、<ジャンル>、<シーン>、<世界観>
《現実性と虚構性》はアニメに描かれる現実性と虚構性(ファンタジーなど)の表現に関するテーマである。人間や生についての描写といった<現実性>と現実にはあり得ない<ファンタジー要素>
《作品の表現性》は音楽などアニメの構成要素や作品を引き立てる表現に関するテーマである。音楽、作画、映像美などの<作品の構成要素のよさ>、エンディングの演出などの<作品の演出>

2.視聴者要因について
【視聴者特性】
《視聴者特性》は視聴者の性格や反応性に関するテーマである。
日常の雰囲気・空気への敏感さなどの<共感性>、想像力の豊かさなど<想像力>、」のめり込みやすさなどの<没入性>、そして<集中力>、<内向性>、<懐古性>、<好奇心旺盛>
《人間的成長への魅了されやすさ》は<努力とその過程、成長に惹かれる>、<物事に向き合う姿勢>、応援したくなる気持ちなどの<他者を想う気持ち>
【作品に対する視聴者の態度】
《視聴者の好み》は<ストーリーの好み>、<世界観の好み>、<ジャンルの好み>、<キャラクターの外見が好み>
《近くされた視聴者の類似性》は物語で描かれるキャラクターと視聴者の特徴や体験、状況との類似性についての視聴者の認識に関するテーマである。
【視聴者の欲求と探求】
《視聴者の探求》は<自身と異なる世界への探求><刺激の希求><キャラクターに向けられる欲求><視聴者の満たされたい欲求>
《自分・人生への考えと一つの答えの探索》<自分とは何かを考える><人生のあり方を探求><新たな価値観を希求>
《認知的関心》<哲学的テーマに関心><考察への関心>
【日常における心身の負担】
《心理的ストレス》<精神的な疲れ><日々の憂鬱な状態><強い不安><熱中できるもののなさ><人間関係の悩み><躊躇している自分><厳しい日常>
《身体的しんどさ》
<身体的疲労><活力の低下>

3.阻害要因について
【視聴者の嗜好性】
《キャラクターの好み》<キャラクターへの不快感>、<魅力のないキャラクター>
《物語の好み》<好みでない物語>、<好みでないジャンル><好みのシーンのなさ>
《作風の好み》<雰囲気の合わなさ><好みでない絵><好みでない音楽>
【視聴中の不満感】
《作品に抱く違和感》<押しつけ感、あざとさ><内容の粗><テンポの悪さ><キャラクターへの違和感>
《視聴者の信念、期待との齟齬》<機体の大きさと裏切り>
《共感できない要素》<感情移入のできなさ><共感できない主人公><共感できない言動><共感できない作品のメッセージ>
《アニメ化によって生じる不満》<原作から納得のいかない変化><原作との比較><アニメーション表現を用いる理由のなさ><キャラクターの声の不満>
【作品への距離感】
《視聴意欲の低下》<集中する余裕のなさ><継続視聴の面倒さ><関心の低下><飽きる><置き去り感>
《入り込めなさ》<バイアス><一歩引いて視聴><没入できなさ><感情の揺れうごかなさ>
《難解さ》<内容の理解できなさ><伝えたいことのわからなさ>
《リアリティの程度》<現実味の欠如><リアリティ>
《物足りなさ》<面白さのなさ><ギャグのつまらなさ><内容の薄さ><ストーリーが平坦><ストーリーが想定通り><感情や関係性の動きのなさ>

<まとめ、考察>
アニメには良い効果だけでなく、逆に視聴することで不快感など悪い効果をもたらす可能性があることがわかった。視聴者によってその作品の受け取り方は何通りもあり、その中からベストの選択をすることには限界があると感じた。ただし、【視聴中の不満感】【作品への距離感】などの阻害要因の裏には期待や欲求、価値観など視聴者の内面が反映されており、その作品の需要できなさに込められた心理を理解することで、アニメの心理学的体験に繋がることはなくても意味のある結果をもたらす可能性がある。


【6/1】
笹倉尚子(2010)「漫画やアニメについて他者に語るプロセス:他者に語る行為の背景について」
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/108480/1/eda056_195.pdf

<選択理由>
中間発表であまり分析できていなかった「語る」行為について詳しく調べるため。

<内容総括>
笹倉(2010)によると「語りのプロセス」について、【作品について伝えようとする語り】【作品に対して生じた内的体験についての語り】【作品にまつわる現実の体験についての語り】【自分についての語り】の4つのカテゴリーがあった。【作品について伝えようとする語り】は「主人公の女の子は〜」と言ったアニメの構成要素を主語とした並列的な語りであるのに対し、【作品に対して生じた内的体験についての語り】【作品にまつわる現実の体験についての語り】や【自分についての語り】の多くは、語り手の代名詞である「私」や「僕」を主語とした語りであることに着目し、漫画やアニメの語りに語り手自身の体験が組み込まれていることによってより自身に関する内省(起きた出来事に対し、自らの言動を省みること)が深まり、自己と統合されたものとして語ることが可能になる。このことから、心理臨床においてクライエント(患者)が不確かな「自分」を徐々に定位し、その主体や同一性を安定したものとしていく行為になりうるのでは無いかと考察している。一方で、語り手が何を思い、いかなる気持ちで作品について語るのかという心性について探るべく調査を行なった。
漫画やアニメについて他者に語る行為と思春期心性の関連性がうかがわれたため、青年期の大学生を対象に、「あなたは、自分の読んだ漫画や、見たアニメについて、誰かに語ったり、語りたくなったりすることがありますか」という質問をし、漫画・アニメについて語る行為と心理臨床の接点について明らかにした。
【語り手の気持ち】
『作品への思い入れを表現したい』「作品を知ってもらいたい」『他者と語り合うことが楽しい』『他者と議論を交わす中で新たな気づきが得られる』という概念があることがわかった。
【共通項を持つ他者の存在について】
『作品を共有している人に語る』場合は、語り手は自分の語りをより正確に理解してもらえるだろうということ、自分がその作品を好きなことを否定されないということ、受け入れてもらえるだろうという気持ちが語ることに安心感を与える。『漫画やアニメに関心がある』『親しく感じる人に話す』場合にも、その作品に興味はなくとも親しい間柄であれば否定せずに聞いてもらえるという安心感が見られ、心理的距離の近さから生まれる安心感が重要な要素であり、語り手は上記のような対象の選択を行なっていると考えられる。
【共通項を持つ他者の存在について】【語り手の気持ち】という二つのカテゴリーが見出されたことは、安藤(1986)が自己開示の機能の特徴を「対人関係において重要な役割(個人間関係)」と「個人内部の過程において重要な役割(個人内過程)の二つに分類していることにも重なる。心理臨床場面はクライエントの自己開示のための場でもあり、セラピストが自分の話題を受け入れられる「仲間」であるかどうか無意識に吟味している可能性がある。

<まとめ>
漫画やアニメについてクライエントがセラピストに語る際、クライエントは何らかの方法で「自分」のありようを提示しようとするが、今まさに揺らいでいる「不確かな自分」のありようを明らかにしセラピストと語り合うことは容易ではない。クライエントは無意識のうちに自分との心理的距離を考え、自分の語りを理解してもらえるか不安に感じている可能性がある。また、セラピストがその作品をどう思いどう考えるか表現することはセラピスト自身の「自分」のありようを確かにすることにもつながる。

【5/25】
林秀樹、西野将史、藤森旭人(2019)漫画『新世紀エヴァンゲリオン』からみる思春期のこころー情緒的引きこもり状態を呈する思春期男子の精神分析的一考察―

https://shujitsu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=440&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

<選択理由>

アニメ療法の仕組みは、「物語の鑑賞→没入→感情移入」を経験し自己認識の変容や行動・態度の変化を期待するものである。そこで、より効果的なアニメは何かと模索した結果、中間発表にて『新世紀エヴァンゲリオン』は精神医学と深い関わりのある作品であるということがわかった。その作品のシーンを具体的に分析し、そのキャラクター自身の背景や、どういったシーンが精神医学や心理学と関係しているのか調べる必要があると感じたのでこの論文を選んだ。


<内容総括>

思春期の情緒揺れ動きには個人差があるため思春期に突入した子供の心を理解することは極めて困難であるが、その手がかりとして『新世紀エヴァンゲリオン』を取り上げ、対象喪失や強い孤独感によって情緒的引きこもり状態となった思春期男子を理解する。アニメ版のエヴァンゲリオンでは、明らかに夢落ちで終わっていることから全てシンジの夢である可能性があるため、この物語を夢と捉えることにする。Freud(1900)は、夢の内容を解釈することで人の無意識に接近できると考えた。Kleinも、夢が人の内的世界を描写していることを示唆している。また精神分析によると、人のこころの中にはいくつかのパーソナリティが存在しそれらが複雑に絡み合うことで個人が形成されていると考えられている。そこで、この物語の登場人物をシンジの心のパーソナリティの一部であるとする。

ここで、「エディプス・コンプレックス」について述べる。男児は3歳から6歳にかけて、母親を異性として意識し始め、父親を競争相手と認識し嫉妬心や憎しみを抱く。このことを「エディプス・コンプレックス」と呼ぶ。しかし父親は男児にとって偉大な存在であり、自分が敵意を持っていることに罪悪感を抱く。この現象はシンジと父親の関係にも描かれている[レイ(シンジの母ユイの肉体を持つ)ーシンジーゲンドウ(シンジ父)]。作中で、シンジは母親の魂が取り込まれたEVAに乗ったに母親の暖かさに触れ父親を刺し殺している。思春期は「エディプス・コンプレックス」が再燃しやすく、これは両親との三角関係だけではなく同世代との恋愛関係にも現れやすい[シンジーレイーアスカ][赤木―ゲンドウーレイ]。また、シンジは幼い頃母親を亡くしている。母親の死後叔父の家に預けられるが、その家庭は「家族を失った痛み」を抱えてくれる環境ではなかったことに加え、父は大変厳しい人間であったことでシンジのこころの発達は十分であったとは言えない。

さらに、使徒が襲ってくるタイミングはシンジが他人と情緒的絆を感じた場面であることがわかった。つまり、前述したように登場人物をシンジのパーソナリティの一部と考えると、情緒的絆を感じたパーソナリティが動き始めた時その関係を破壊するパーソナリティが活動している。これは「病理的組織化」と名付けられている。このような状態になった時、悪い対象が理想化されることがある。実際にシンジはカヲルという使徒に急接近する時期があった。さらにSteiner(1993)によると、このような人にはこころの中に退避所があるとされる。シンジも自分のこころが傷つきそうになった場面ですぐに叔父家族に帰ろうとしていた。(叔父家族はシンジにとって良い環境では無いため「病理的組織化」が現れている)

また、こころの退避所から抜け出した時圧倒的な劣等感や無力感に苛まれ「恥」の感覚を抱く。「恥」の描写は使徒との戦いの中で描かれている。Rosenfeld(1964)は、「病理的組織化」の背景に自己愛の傷つきがあり、Kohut(1984)は自己愛が傷つく一因として母子関係における外相的な共感不全をあげている。このことからシンジは自己愛が傷つきやすく、これが情緒的引きこもりに関連している可能性もある。


<まとめ>

引きこもりの思春期の子供たちにおける心理状態について、『新世紀エヴァンゲリオン』を通して詳しく理解することができた。このように多くの思春期の子供たちに何か共感を得られるシーンの多い作品はアニメ療法に用いられるべきだと感じた。しかし、この作品を思春期の子供たちに見せるには少し内容が難しいかもしれないのが問題点であると感じた。


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