無理矢理自分のダメだったところを考え出して書くのってどうなんだろうという話
自らの感想や反省を書くという作業は昔から行っていたと思う
行っていたというよりは、やらされていたと言った方が自分の感覚的には正しい
学校の行事、出来事がある際には必ず「感想」というとてつもなく大きな空白を埋める作業が発生し、始まる前から気持ちを憂鬱にさせた
如何にして空白を埋めるか
如何にして先生に捕まらない文を書けるか
如何にして早く終わらせるか
そんな考えの元、埋められた空白
そこに書かれた「感想」「反省」の文はもはや一片の感情も入っていない、ただ無意味な文字の羅列でしかない
これが次第に読書感想文への苦手意識や、自らの考えを喋ることへのめんどくささを生んでしまうのではないかと思うのだ
自分も現在進行形でその愚かな行動を続けてしまっている
出来たことは出来たことで終わらせ、如何に自分に課題があるかを考え、できなかったことを考える
もちろんこれは悪いことではない、自分の課題を見つけて向上しようという意識が明確にあれば絶対必要なプロセスではある
しかし、前述した通りただの作業になってしまってる場合
マジで無駄な上に、ただただ自分の至らない部分を捻り出して書きなぐるだけのマイナス時間になってしまわないだろうか
てかなってると俺は思う
そりゃ、そんなことしてるヤツが悪いと言ってしまえばそこまでだが、ここを変えることが何かに繋がる気がしてるんですよ
最近実践していることは、ポジティブな部分を全面に押し出した反省にすること
ここが出来なかったじゃなくて、ここ出来ましたよ!今までの積み重ねですよ!いやー頑張ったな俺!
って文章で提出してる
これはこれで問題はあるが、わざわざ自分のダメなとこを考える時間は減らせた
多分正解ではないがまあいいだろう
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?