ガロ 白取千夏雄「全身編集者」を読んで

今は亡き(枝分かれした実質継続誌の「アックス」は健在)伝説の漫画雑誌「ガロ」の編集者で、青林堂(現在は運営が変わり、何故か右翼系出版社になっているが元々は完全な漫画出版社)社員の白取千夏雄著の自伝「全身編集者」(おおかみ書房)が面白かった。

漫画編集者としての誇りと信念、編集者であり師匠である編集長の長井勝一氏への深い尊敬(しかしそれでいてコミカルな関係でもある)、97年に起きた「ガロ」分裂騒動、そして漫画家であり妻であるやまだ紫さんへの想い、晩年の自身の病気についてが軸となっているこの自伝だが、俺としてはガロの編集者である事、物作りに携る事への情熱に感慨を受けた。

「ガロ」を知らない人も多いと思うが、「ガロ」は1960年代に創刊された漫画誌である。

と言っても、マガジンとかジャンプの様に大衆的な内容の漫画ではなく、哲学的な内容であったり、シュール、エログロ、ナンセンスな内容を志向した、日本の商業誌としては先駆的な、マイノリティに向けた漫画雑誌である。

故に商業誌なのに発行部数が3000部しかない時期もあったが、その存在感は当時の手塚治虫に同じコンセプトの雑誌「COM」を創刊させるなど、強いものであった。

かのルーリードは「ベルベットアンダーグラウンドのアルバムは全く売れなかったが、買った奴は全員表現を始めた」と語った様に、マイノリティにこそ先進的表現がある。

白取氏は本著で何度も「作家さんが第一」「作家さんにこっちの方が売れますよ、というような作品介入はしない」と語っている。

「全身編集者」と言いつつも、俺たちが想像する様な所謂漫画編集、権威的で作家を叱咤し無理矢理ヒット作を書かせる様な存在とはかけ離れている。

こう書くと、白取氏が謙虚で草食な人物の様だが著の冒頭での自信溢れる学生時代のエピソードなどを読む限り、むしろオラついた印象を受けるし、実際体育会系の性格なんじゃないかなーと思われる。

そんな白取氏が「作家が第一」というのは、本当に漫画が好き故にだと思うし、それこそ全身編集者だったのだろう。

また、売れる漫画を出す、のではなく、面白い漫画を出す、という「ガロ」の独自の性質故、他に無い苦悩に苛まれる逸話の数々も面白い。

「売れる」というのは資本論だからマーケティングすれば良い事だし、先見と世情のバランスを見て、「うわ失敗だー」「おっし売れたー」の話であるが、「面白い」というのは個人の価値観なので、商売なのにそれを成功の基準にするといきなり判断が難しくなって行く。

「ガロなら分かってくれる」と思って集まってくる変態の中から、本当に才能がある奴(変態)を判別する。その為には自身の感覚を磨き、それに自信を持たなければ行けない。

師である長井さんとのセンスのズレが生じてくる話はちょっと切なくなってしまった。

俺の話になるが、俺は「ねこぢる」の漫画の掲載誌である事で「ガロ」を知り、とっくに廃刊になっていた「ガロ」を古本屋で探して買った。
その内容は一言で言えばマニアックで、今の感覚なら到底商業誌とは言えない様な物だった。

ただ、俺は少産多種の時代に産まれた小僧なので、感覚としては余裕のあるインテリが作った雑誌の様に心の何処かで思っていた。

しかし、本著を読めば実際には非常に泥臭い環境で、精神と肉体を削りながら、ただ「面白い表現」を求めて作られていた本である事が分かる。
実際、製本の話などはこんなアナログな方法で作られていたのかと驚いた。

それらとは全然違う切り口で、17歳上の妻であるやまだ紫さんとのエピソードは涙無くして読めない。真実の愛について深く考えてしまった。
俺はやまだ紫さんの事を作品のタイトルくらいしか知らなかったので、本著を全部読んだ後に「そういう事だったのか」とブックカバーを見直し、少々涙が出てしまった。

白取氏の病気に関する話は冒頭から出てくるのでネタバレも何もないと思うが、コミカルにそれをやり取りする白取氏とおおかみ書房の人には笑ってしまったが、同時に尊敬してしまう。(ちなみに本著を出版しおおかみ書房はインディーズな存在です)

この本、友人のデス川君が「是非読んで」と貸してくれたんだけど、読んで凄くなるほど、と思いました。
そして読んでないならば稗田氏も是非読むべきだと思ったので、ここで忠告しておきます。
けんちゃん、これ読もうぜーー。
こんな面白い本を紹介してくれて、デス川君ありがとう。


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