「全てはきっとこの手にある」-別の世界線でのシドバレット- (アルバム 浜崎あゆみ/Loveppers評)

時は1999年、世紀末。
現れた世紀末覇王は革ジャンを着た李小龍もどきでは無く、色白少女の「あゆ」であった。最強の対一般向け音楽兵器・安室奈美恵が産休、痛ましい事件などによりその機能を損傷し前線を離れていた頃。avexが起こり込んだ補給こそが彼女だ。この最新兵器は前線防衛どころか、戦場そのものを一変させる程の破壊力を持っていた事を、この時人々は知る由も無かった。

デビュー作「A songs for XX」ではユーロビートと内情的な歌詞の融合による独自の世界観を確立したあゆ。
筆者が最初に思いついたのはシドバレットが唯一参加しているピンクフロイドの1stだった。
サイケデリックで極めてパーソナルな世界観を持つあゆはシドバレットを彷彿とさせる。

だが、今作「loveppears」ではシューゲイザー、ゴス、メタルなどの要素で武装し、強くなったあゆ、あるはずのない「シドバレットがいるピンクフロイドの2枚目」と言える様な恐ろしい内容だ。そう、今作はシドがバンドをやっていて、「アトムハートマザー」の無い世界線での物語なのだ。

何といっても強烈なのはイントロを挟んで一曲目の「fly high」であろう。
ハウスとユーロビートで作られた道路。そこにマイブラの馬車に乗ってTKがやって来た。しかし、良く見ると馬車を降りて来たのはTKではなくMAX松浦だったー
そんな強烈な時代交代の印象を抱かせる。アルバム中、最もTKっぽい曲調ではあるものの、サビで力強く叫ばれる「全てはきっとあゆの手にある」という独裁宣言は、前作で「居場所が無かった」と泣いていた少女とは思えない大迫力だ。そう、あゆは強くなったのだ。涙を知り、そして強くなった者は本当に強い。何しろあゆにはTK独裁市場の打倒、あゆ中心の社会の達成という大きな目標を背負っているのだ。居場所が無かった少女が今飛び立った、まさにfly highというわけだ。
間髪入れずに繰り出される必殺のシューゲイザーナンバー「Trauma」。この時点でもう「勝負あり」だ。今作以降導入される重要要素に「シューゲイザー」「ゴス」がある。
あゆの儚い歌声、トレモロとディストーションを多用した音作りなど、元々シューゲイザーとあゆは温和性が高かったのだが、この曲を持ってあゆは完全にシューゲイザー化する。破滅的な世界観と悲しいコーラスギターの調べは恐らく4ADなどのゴシックからの影響であろう。この作品から「I am…」までを筆者は「あゆ4AD期」と呼んでいる。
悲しいメロディと希望へと向かうコード進行、ダンスビート、トレモロandディストーションギターの高度な融合は、あの「Cutve」や「lush」にすら達成が困難であった事だが、2ndアルバムにして理想的な形で達成した事は快挙と言えるであろう。今でもそのメロディを聞けば桃の天然水をガブ飲みしたくなる、名曲中の名曲だ。

「and then」は作中最もコクトーツインズ色の強い曲だ。「簡単に言うけどそんな事/出来るならやってる」という歌詞は、JPOPの歌詞が虚像的だった時代に余りにも率直な少女の言葉として衝撃を与えたりと、全体的に歌詞が余りにもパーソナルなのが印象的だ。「日が昇るその前に2人して/この街を出てみよう」という歌詞は福岡市早良区から世界のあゆへと変わっていく心境とも言え、まさに家出アンセムだ。
immatureでの「あゆはそんなにも多くの事など望んではいない」という告白は、flyhighでの独裁宣言とは真逆にあたり、あゆが政治家か軍人であれば「こいつ大丈夫か?」と思う危ない奴だが、アーティストであるあゆの迷いが表現されていると言えよう。
「boys &girls」はあゆを知る者なら、と、言うよりこの時代に日本に居た人なら強制的に聞かされた記憶があるだろう、と言うほどの代表的楽曲。当時あゆに懐疑的であった筆者はこの曲が店で流れると、その店を即座に離れる程であった。この時期にはなると既に対抗馬の鈴木あみはあゆに太刀打ち出来ず、対抗でき得る目標は宇多田ヒカルくらいまで、あゆはその勢力を拡大していた。
曲としてはあゆ、シューゲイザースタイル(あゆーゲイザー)が完全に確立した楽曲の一つだ。
前作のファンも安心のアコースティック、ケルト的質感の「To be…」「end roll」も彼女を代表する作品だ。
この辺りから突如クラブモードに入り、それは暫く続く。あゆーゲイザー曲のwhateverが何故かダブミックスになっているのはクラウトロックの影響であろうか。
too lateからのアルバム展開は余りに急激にロック化し、プログレ的だ。
タイトル曲「loveppers」は後に華開くメタルあゆーゲイザー曲だ。この曲のモチーフはドラマ「M」、漫画「Deep love」などで散々ネタにされているので、必聴といえるだろう。

monochromeもおわり、もういい加減に名曲も尽きたろう、と思っていると最終楽曲「who…」が、それを更新するり
「これからもずっとこの歌声が君に届きます様に」
との祈りは、幻覚の世界にいるシドバレットに向けられた物だろうか。(※実際にはMAX松浦に対してであるというのが定説である)

独裁宣言に始まり、パーソナルな祈りで終わるこのアルバム。2枚目にして、もう脱いでるのも「右からでも左からでもかかってこい」とばかりに自信満々だ。

あゆが、矛盾と若さを武器に世を席巻した戦いの記録である。

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