エヴァンゲリオン

3/5にALLESWITZのライブがあり、それからバタバタと用事が詰まりに詰まっていた為、今日は絶対に制作をやろうと進めていたが行き詰まる。行き詰まってる場合ではないので気分転換の為にこれを書いている。

3/8、公開初日にシン・エヴァンゲリオン劇場版を見に行った。
俺はアニメファンではないが、エヴァンゲリオンに関しては極めて強い思い入れがある。
初めて見たのは11歳で、旧劇場版も含め、全て映画館で見ている。
どれだけ面白い映画であっても、その映画を見たシチュエーションだとか、その映画を見た事時代が人生の重要な思い出になる事は俺にはないが、エヴァ旧劇場版、そして今回のシンエヴァは人生を振り返った時に必ず思い出す事になると思う。

何故、それほどまでにエヴァが好きなのかは俺にももはや分からないが、一番は碇シンジに感情移入できるからだろう。アスカだ綾波だはあまり興味が無い。好きなキャラを選ぶなら碇シンジ、葛城ミサト、渚カヲル君になる。

俺も小学校に上がるまでは内気で、人がとにかく怖かった。スポーツは何をやっても周りに勝てず、その上肥満児で、自分をゴミだと思っていた。それを変えてくれたのは7歳の頃に出会ったマサルやスグルといった今でも仲のいい友達の出会い、あとは小学四年生の頃の担任寺原先生のおかげであり、彼らには永久に感謝している。いわばケンスケとトウジである。

長いことエヴァを見ていたせいか、こうしてついつい自分とエヴァをトレースしてしまうのである。

年下との付き合いが多くなったり、恋人が出来たりすると人間的に成長できていないのを葛藤するミサトに感情移入したり、何もかもうまくいかない時に「カヲル君みたいな奴がいたらなあ」と思ったりした。

年がら年中エヴァを見ているわけではない。むしろ最後に見たのは数年前だし、シンエヴァ前にした予習も中田のあっちゃんの解説を見たくらいだ。
何故なら染み付いてしまったエヴァはわざわざ塗り直さなくてもしっかりと俺に紫色の痕跡を残しているのだ。

シンエヴァを見る前、正直「せっかくだから盛り上がらないとな」みたいな冷めた部分もあった。俺も大人になった。そうそう、心から感動する事もなくなってしまった。何処かで冷静な自分になっていた。
だが、ここで俺は自分の中のエヴァがどれほどデカい物だったのかを目の当たりにする事になる。

酒も飲まず、全神経をスクリーンに向け、一つの情報も取りこぼさない様にする俺がいた。ふとした時に「何を俺はアニメにこんな真剣になっているのか」とも思った。だが画面にシンジが出る度に涙が込み上げ「頑張れ」と応援している俺がいる。エヴァに興味がない人であれば正気か?と思うかもしれない。その時だった、不意にスマートウォッチにLINEの通知が入った。目に入ったその連絡に心がバクついた。それは俺にとって夢への挑戦状みたいな内容だったのだ。いきなり心がエヴァから離れる。すげーいい所なのに。「いけます」と、早く返事がしたい…、しかし今は…。

その時、画面に久々の初号機が映し出された。シンジは自ら「僕がエヴァに乗ります。」と言った。この瞬間をどれほどこの劇場に集まった人々が待っていただろうか。というか、主人公がロボットに乗るまでここまで長いロボットアニメがあるだろうか、ましてや乗ると宣言しただけで客が泣き出すアニメがあろうか。いや、ない。

そしてシンジの最終決戦が始まる。俺は勝手に自分の夢に対する想いも載せて「頑張れ」と応援した。きっとみんなそうなのだろう。25年、その余りに長い年月の中で、いつしかエヴァは沢山の人から色々な物を背負わされているのだ。こんな事ならエヴァなんか作るんじゃなかった、と監督の庵野秀明も思ったかもしれない。
日本のアニメの技術力を全て注ぎ込んだ様な凄まじい超大スケールの最終決戦に俺は自分の過去、現在、様々な想いを勝手に乗せている。
旧劇場版を見た時、「本当はこういうのが見たかった」みたいな、待ち望んでいた決戦だ。それは何だか、アニメと関係ない自分のイケてなかった過去や、「もっとこうなりたかった」みたいな思いまでもが昇華されるようで、全然泣く所じゃない画面がわけわからん宇宙みたいなのがぐしゃぐしゃしている所で泣いてしまった。
全然好きじゃなかったマリがどんどん近く感じてくるのも、大恋愛が終わった後、不意に過去の同級生と付き合う様な妙な懐かしさを感じる。
そこまでで気づいたが、俺はエヴァンゲリオンを人生を考察するのに使っていたのかもしれない。

映画が終わった後、エヴァが終わった実感が無く、ただ凄く寂しくなり、ウェンツに電話をかけた。ウェンツは初日なのに既に2回見ていたが、それでも興奮していた。その後、何故か全然エヴァを好きじゃない持山氏に電話をし、エヴァと全く関係ない話で1時間くらい話した。

旧劇場版からQまで、全てのエヴァを誰かと見に行ったが、今回は最初で最後の一人で鑑賞をした。
しかし、夜になると家に友達が集まり、エヴァの話をした。その感じが何だか懐かしくてたまらなかった。

エヴァを見て数日が経ち、まだエヴァの事を考えている。
今後、こうまで俺が夢中なるアニメ、というか創作物は現れないだろう。
エヴァを見た層はみんな大人になっている。その為、エヴァが創作である事も重々に理解している。そのメタ的な部分も非常に多く、もはや「エヴァ」という象徴が創作を超えてしまい、一種の仮想現実になってしまっている様に感じた(ここまで言うとヤバイ奴みたいだが)。

エヴァを見終わった後、俺は前述の2通の電話の後、余韻に浸ろう、などとは思わなかった。「写真を撮ろう。俺の新しいアー写を。ライブがあるんだ。」と思った。エヴァは終わった、俺も新しい事を頑張るんだ。作品から貰ったこのパワーを新しい創作へと、人生へとぶつけていくんだ、と思った。
過去のエヴァは暗く終わった。それが心地よかった、綺麗事だらけの世の中へのカウンターだと思ってカッコよかった。
しかし、そんなエヴァが全く違う形で誰からも文句を言われないほど完璧な終わり方をした。逃げちゃダメだから戦ったのだ。そして勝った。人生は勝ち負けじゃない。それでも、ギリギリまで勝とうと闘う姿勢こそが美しいのだ。

さようなら、そしてありがとうエヴァンゲリオン。
エヴァンゲリオンが好きで本当に良かったです。

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