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1050人/7715件、あり得ぬ夢、『武漢日記』抜粋2、記録と記憶~389日目

 再再宣言7日目。
 都内新規感染1050人/7715件、土曜の1000人超は1月23日以来。都基準重症者63人(前日比2人減)。死亡6人(累計1897人)、うちひとりはN501Y。
 大阪府、過去最多の1262人感染、死亡41人
 クルーズ船「飛鳥Ⅱ」で60歳代男性感染(4/30)。クルーズ中止、横浜に帰港。
 インド、1日の新規感染が初の40万人超。

 午前、スマホがピーピー鳴り、しばらくしてゆらゆら。東京は震度3。宮城県沖震源で最大震度5強、M6.8と推定。津波は起きず。しばらく警戒要(気象庁)。

「音源」家と仲良くしている夢を見る、あり得ない

 外出自粛を破ってまで出かける場所もない。
 相変わらず、ネット上の騒音の書き込みが気になり、見る。心がすさむのだが、騒音に悩む「同類」を探す。ごろごろ。

 ……気が付くと夢を見ていた(起きてすぐ気づき、記憶が消えないうちに慌ててメモる)。
 「音源」家の人が我が家を訪れ、今は別に住んでいる自分の実家の家族と一緒に和気あいあいとしている光景だ。途中で脈絡なく、昔の木造旅館の中に入り込んだりする。
 なぜか、母と「音源」家の人を家に我が家に残し、自分と家人が外の道を歩いている。家に早く帰らねばと焦る自分に家人が言う。「きっと(「音源」家の人も)、引っ越してきて間もないから、知り合いも少ないし、仲良くしておきたいんじゃないか」と。自分も「うーん」とやや納得、「じゃ、急いで帰らなくても大丈夫かな」。

 ……その辺で目が覚める。フロイトはあまり信じないが、深層心理ってやつなのかな。けんかするなという。自分は優しいのか?、だから、なめられるのか? それとも偽善者か? 現実はこんなに甘くないだろう
 いずれにしても、自分の脳みそが四六時中、音問題で占められていることは間違いない。あまり、幸せな状況ではない。音は人を壊す。

 できれば、最近のニュースも見聞きし、音はこんなに大変なものなのだと、「音源」家の人に気づいて、(がくぶるして)抑えてほしい。切に願う。

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『武漢日記』抜粋その2~3月前半

 やたら眠い。自分も疲れているので、知的な作業ができない。
 従って、抜粋という作業を続ける。それ自体が疲れるのだが。

2020
3/1
・彼(漢方医)が治せると明言しているなら、あれこれ議論する必要はない。試してみればいいだろう(略)なぜ、機会を与えようとしないのか? その場で彼の化けの皮がはがれ、真相が暴露されるとしても、それでいいではないか?
3/2
・(感染症の経緯の再検証について)時間の流れにつれて、痛みも忘れられてしまう。私は心配している。人は気持ちが楽になると、それまでの苦しみを思い出すことを望まない。
・「プラスのエネルギー」という棍棒が(心のうちを)さらけ出した者の頭上にときどき降りかかってくる。それは大義名分のある棍棒だ。多くの人がそれを振りかざす。泣きながら訴えると「混乱を引き起こした」「感染症との闘いを邪魔した」「マイナスのエネルギーだ」と言われてしまう。(略)ああ、世の中のことがそんなに単純に割り切れるなら、生まれてきた意味がない。
・「農民工(出稼ぎ農民)の復職推進チーム」設立すべきアピールの転記
3/3
・感染症が猛威をふるっていたときは、だれも責任の追及をしなかった。調査する時間もなかった。人々は思いやりの心を持ち、こだわりは全部捨てた。しかし、いまは局面が好転し、心の中にしまっていた問題が表面にでてきた。回答を必要としている。
3/4
・「文学は個人の表現だが、無数の個人の表現を集めれば、一つの民族の表現になる。そして無数の民族の表現を集めれば、一つの時代の表現になる」。無数の個人の記録を集めれば、あらゆる角度からあらゆる過程の真相を明らかにすることができるだろう。
3/5
・上の組織だって偽装しているのだから、末端も(偽装)しなければ生き延びることができなくなる。
3/7
・武漢の指導者は市民に、党と国家の恩義に感謝するよう求めた。まったくおかしな考え方だ。政府は市民の政府であり、市民に奉仕すべき存在である。

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3/8
・多くの(武漢の)女将は、社会的地位が男将よりも低い。だから、もめごとには女将が対処したほうがうまくいく(男将には社会的な立場、れっきとした職業がある。だから表に出るのは都合が悪い)。
3/9
・引責辞任は本来、常識である。
・反省と追及はセットである。厳しい追及がなければ、深い反省もない。
3/10
すべての人が社会的責任を負うのに適した性格を持っているとは限りません。胆力と見識、能力がなくて、性格が弱く、臆病で心配性の人は責任を負うことなど不可能です。
3/11
・官僚や専門家は、愚かなのか、職務怠慢なのか、不注意なのか、責任逃れなのかは別として、事態がここまで来たら、すべて同罪である。厳罰に処し、戒めとしなければならない。
3/12
・(極左の人からブログへの)告発がなければ、人はデマを信じてしまう。告発されることで、私の優位が明らかになるのだ。
3/13
・ゴミ収集車で市民に食料を配布したという事件
3/14
プロの記者はとりわけ敏感になるべきだ。彼らには、李文亮のバトンを受け継ぐ責任がある。だが、彼はどこにいるのだろう?
3/15
・「ここ数日、仕事復帰についての議論が増えた
ネットには記憶が残る。素晴らしいことだ。しかも、この記憶は長く持続する。だから、私のブログのコメントを観察し、この時代の生々しいサンプルとして残すのがいいと思う。

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記録と記憶

 この方方の日記は実に興味深い。今は、せっかく抜粋したので、たとえば研究メモみたいなものだが、とりあえずアップしたが、後ほど余裕あれば、面白いポイントを整理したい。
 この、3/4と3/15の抜粋は自分のnoteとも通じるものがある。

3/4
 無数の個人の記録を集めれば、あらゆる角度からあらゆる過程の真相を明らかにすることができるだろう。
3/15
 ネットには記憶が残る。素晴らしいことだ。しかも、この記憶は長く持続する。だから、私のブログのコメントを観察し、この時代の生々しいサンプルとして残すのがいいと思う。 

 方方のブログ(日記)自体は、記録だ。しかし、このコロナ禍では記憶ともなり、自分以外に無数の記録、記憶があるはずだから、それを集めよ、自分の記録は記憶の一部として参考にせよ、という。方方は、自分がすべてと思わず、しかし、謙虚すぎず、冷静に世の中を見る力があると自負し、こう書く。極めて理知的な能力の持ち主、かつ、日本人の平均より強い人と見る。

 比較すると笑われそうだが、自分のこのnoteも記録だ。
 途中から「音」にとらわれているが、それまでは、コロナ禍のプーのどうでもいい物覚えだった。万が一にもコロナにかかったら、途中からコロナ療養日記にするつもりだ(今でも)。そんなに狂っていたとは思っていない。
 しかし、「音」問題が勃発した今年1月下旬以降、明らかに音にとらわれ、冷静さを欠く。それを含めての記録であり、間違ってこのnoteを見てしまった人には、一瞬の記憶である。

 幸あらんことを。
 皆様のご健康を。

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