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2514人/8315、猛暑、お別れの仕方~813日目

 都内新規感染2514人/8315、都基準重症者5人、死亡2人
 病床使用率16.5% (834人/5047床)、オミクロン株の特性を踏まえた重症者用病床使用率3.6% (15人/420床)
 ……何気に病床使用率とオミクロン重症者が微増中だ。

 猛暑日(35℃以上)は全国の100地点
 山梨県甲州市・勝沼で38.7℃、東京都心は35.1℃で4日連続の猛暑日
 明日29日も猛暑。埼玉県熊谷市などは40℃に達する予想

 東京電力、29日も「電力需給ひっ迫注意報」を継続、3日連続
 東京電力、東北電力、30日に「需給ひっ迫準備情報」(注意報、警報になるかは明日29日に判断)
 サハリン南部で日本人とみられる遺体、知床観光船事故の乗船者か
 千葉・八街で小学生児童の列に飲酒運転のトラックが突っ込み2人が死亡、3人が大けがを負った事故から1年。運転手は懲役14年確定 

「危険な猛暑」に一発勝負で外出

 昨日は「まだ涼しい午前中に出かけて必要な買い物を済ませてから、できればもう一度外出」と思って出かけたら、ちょこちょこ2回近所への外出でへばって、午後は籠ってしまった。手持無沙汰でもあり、NHKオンデマンドで『17歳の帝国』を全5話視聴。なかなか。
 ちなみに、必要な買い物は「エアコンのほこり除けフィルター(使い捨て)」。エアコン使用が続くので必須だ。と言いつつ、それ以外も買ってしまったが。
 は、さておき、その反省から、本日は一発勝負の外出に挑んだ。既にお金を払ってしまっているイベントがあるので、もったいない精神。命を天秤にかけるか、くらいの気持ちでいざ外出!!

 実のところ、行ってみると、拍子抜けのほど、なんとかなった。
 行きこそ、公共交通機関までの道のりが暑くてへばりそうだったが、行った先の施設冷房にしばし浸り、「電力ひっ迫か」で戦々恐々の帰りはそうはいっても6月の夕刻なのでそこそこの風を感じつつ帰ることができた。そう、陽射しは痛いが、夏真っ盛りの、「空気が全く動かないじっとり感」はまだ出現していない。
 何より、街にたくさん人が出ていて、帽子もかぶらない半袖姿に驚いたり。こちらは日よけ止め塗って帽子かぶってUVパーカー着てるのに。。
 家に籠って、ネットやラジオで「危険な暑さ」と聞いてると、外にはこんな世界があったかと思うが、いやー、狭い世界に籠るのもよくないな。

 でも、明日はもっと暑そう。明日は籠るか。

葛城ユキさんの死に「死に方」「死期」を思う

 6月27日、歌手の葛城ユキさんが腹膜がんのため都内病院で死去。73歳。合掌

 1983年、「ボヘミアン」が大ヒット
 2003年、テレビ番組収録で胸椎粉砕骨折。引退覚悟も翌年に復帰
 昨年4月、ステージ4の原発性腹膜がんが判明、2度の手術
 今年5月からステージに復帰
 6月17日、千葉県内の公演が最後
 6月24日~ 死期を悟り、学生時代の恩師らに感謝の電話
 6月27日午前8時過ぎ、救急車で都内の病院(「自宅マンションで死ぬと周囲に迷惑をかけるので病院で息を引き取りたい」)
 死去当日6月27日午前9時ごろまで、電話

 6月27日午後2時16分死去

ぎりぎりまでやりたいことやり、最後はお別れして

 がんは、病気はとても辛かっただろう。無念だったろう。
 しかし、どこかで、ぎりぎりまで自分のやりたいことにまい進し、死期を悟り、自分の意思で周囲の人にお別れを告げて世を去った彼女は、ある種「理想的な死に方」ではないかと思う自分がいる。
 多くの人がそう思っているかもしれない、いや多分そうだろうとも思う。

 2018年2月に俳優の大杉漣が66歳で急死した時に、ふと思ったことに似ている。倒れる当日まで主演のテレビドラマ『バイプレイヤーズ(無人島編)』ロケをし、仲間と飲食した後の出来事。
 家族や周囲の人とお別れの話をする時間も多分なかっただろうことは大変気になるが、それを除くと、どこかで「一番いい時に亡くなったのでは」と勝手に思う、不遜な自分がいた。彼は、俳優の下積み生活を経て、脇役の頂点に立ったところだった。
 周囲に泣く人もいた。が。

「もういいかな」と思った時に死ねるわけでもないだろうな

 長生きをしたらしたで、認知症になったり、健康でも無用で邪魔者ごくつぶしの扱いをされたり、されなくても自分で勝手に感じたり(真面目な人は特に→映画『PLAN 75』への道)。

 人間、動物であるので、自死(安楽死の選択も含め)以外では、自分の死ぬ時を決めることができない。
 自分は「もう人生やり切ったしいいかな、という頃に、ちゃんと周囲の人にお別れを言って、苦痛もなく、眠るように死にたい」と「今は」思っていたりする。でも、そんな風にはいかないのだろう。
 やり残したことがある、まだやりたいことがある。そう思っているうちに世を去る方が幸せな気もして。
 もうすべてやり尽くした、と感じたら、生きる気力がなくなるのではないか。
 「そこそこやった」くらいの満足感がいいのだろうか。

 人生の選択は自分でした方がいい。失敗しても他人のせいにせず、そこから何かを学んで成長する。
 「死期」は自死以外選べない、「死に方」はある程度選べる、のだろうか。
 ……まだまだ、うろうろ考えはさまよう。さまよううちは生きている。

 皆さまのご健康を。

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