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我儘ラキアの2年間

どうも、極悪だぬきです。
今回はこの2年間で我儘ラキアの4人がどういう方針で動いていたかを聞かれることが多かったので、ワンマン前に部分的にではありますがお話ししようかと思います。
ライブ来られる方やお時間ある方は読んでみて頂ければ幸いです。

2020年2月29日、ワンマンライブが渋谷O-WESTにて開催予定だったのですが、自主公演ではこれを最後にコロナが蔓延し、その後すぐにライブ興行の中止を余儀なくされました。

ただ水面下では、新たなレーベル契約を進めておりました。
というのも、当時からメンバーたちには"世界相手にでも戦えるグループにならなければ"という思いがあったので、そのためにメンバー含めチーム全体のレベルアップを行わなければならない、しかもかなり大掛かりに。
結果、メンバーやチームが経験値を積むために、"この国の第一線で活躍するアーティストたちと共に作曲や共演をして直接学んでレベルアップしたらいいじゃないか"という机上の空論みたいなものに辿り着きました。
本来であれば実現が難しいその空論を実現してくれたのがJMSというレーベルであり、REDLINEなど主催しライブシーンにも影響を与えているKTR氏でした。

KTR氏は我儘ラキアに合いそうな様々なアーティストを選び、オファー。
公開されていない作曲者の方々も含めて想像を越える規模のアーティストさんたちを引き合わせてくれました。

ただこの方法には当然ながらメンバーからすれば驚きの連続でした。
つい先日まで客席から眺めていたフェスの主催やヘッドライナーを努めたり海外でも有名な規模のアーティストたちが自分たちのレコーディングスタジオに現れ、歌の指導や楽曲制作のアドバイス、ダメ出しを行なっていきます。

最初は緊張のあまり足の震えが止まらないまま歌を歌っていました。
レコーディング当日に歌詞を全て書き直したりも何度もありました。
英語詞の発音を徹底するためにぶっ続けで同じ曲を12時間歌い続けたこともありました。
そんな中、ライブも再開されます。
レコーディングをする、その次の日にはツアーに出て、そして楽屋で歌を書き、ラップを作り、その次の日にはまたレコーディングでやり直す。
レコーディングでは曲ごとにどんどんアーティストが入れ替わりながら曲を作って歌を入れていく。

元々メンバーと何かの関係性があって作曲をしてくれているわけではないので、メンバーからすれば歌うことや作ること、その何かで失望されれば今後の色んな可能性が閉ざされてしまう。

我儘ラキアを強制的に成長させるこの動きは大きな賭けのようなプロジェクトでした。
失敗すれば自分たちのキャリアも潰れてしまう、そんなプレッシャーがメンバーたちにはありました。

ただ幸いなことにライブが再開したおかげでメンバーたちはライブを通してみなさんに再会を果たします。
励ましの言葉も、ライブや音源を楽しみにしてくれていることも、コロナの期間にみなさんが置かれている状況を聞く機会も得られました。
みんながそれぞれの人生を頑張ってる。
そんなみんなが待ってくれている。楽しみにしてくれている。

だからこそ、みんなが元気になれる曲を、みんながまだ見たことのない我儘ラキアを、どんな状況でも自分のやりたいことを諦めなくて良いというメッセージを活動そのもので伝えるために、4人は挑戦し続けていました。

MIRIさんはどんどん新しいジャンルのラップを書き続け、ライブのスタイルもイベントごとにお客さんの顔を見て切り替え、常に変化をもたらします。
海羽さんはメンバーの作るものを表現しきるために自分のスキルを徹底的に磨きたいとダンスも歌もレッスンを増やしグループの進化に喰らいついていきます。
川﨑さんはバックダンサーのチームを率いてそのダンスチームと共にライブパフォーマンスを研究し、バンドスタイルにダンサーを加える新しい概念を一緒に作ってくれました。
星熊さんはグループだけでなく多方面に歌と作曲の仕事を請け負い両立させ、日本だけでなく世界中のアーティストたちに認められながら音楽とその信念でグループを牽引し続けてくれています。

私は20歳を過ぎてから音楽を始めた
周りの人たちに遅すぎるって、いっぱいバカにされた
今更売れないってみんなに言われた
でも今こうしてこんなにたくさんの人の前で歌えてる
何かを始めるのに遅いことなんかない
私が証明する
だからみんなもやりたいこと、諦めずにやってください

星熊 南巫/RED LINEにて

この2年間は3枚のリリース、4本の全国ツアー。
地球を何周もする距離を車で移動し、曲を書いて、ライブで届ける。

作曲者の1人、MY FIRST STORYのnobさんは、"ラキアはお客さんと一緒に進んできたグループだと感じたので、いつかお客さんと一緒に歌って完成する曲にしました。”と『SURVIVE』を書き上げてくれました。

そしてその『SURVIVE』から始まった経験を積む日々を経て最後に自分たちで完成させた『GR4VITY G4ME』。

この2年、我儘ラキアは我儘ラキア自身の音楽やスタイルを探す、まるで旅をしているような時間を過ごしてきました。

そしてその旅から、実に自分たちらしい答えを見つけて帰ってきたように思います。

私たちは日本のみんなを認めさせて、
日本を代表するアーティストの一つになる。

その力をつけるために奮闘していた2年間でした。

みなさんにとって、この2年は一体どんな時間だったでしょうか。
メンバーとみなさんが過ごしてきた日々は間違いじゃなかったと、節目としてゴールテープを切れるような、そんな1日になってくれればなと思っています。

どうぞ良い1日をお過ごしください。

小山


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