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宝塚記念とガッツポーズと雄叫びと。




2005年6月26日、宝塚記念。
生まれて初めて馬単で勝負した思い出のレース。


16年前…


超ド級のブラック設備屋で働いていた。
2〜4tのトラックに乗り
無◯許でフォークリフトやユニックを操作し
基本は関東:一都六県の現場をこなしていた。
たまーに愛知や山梨、新潟の現場もあった。
どんなに遠い現場でも9時には作業を始める。
深夜から出発したり、現場を終えたらそのまま朝までの現場に合流、なんて時もある。


労基に喧嘩売ってるような環境の仕事だった。
だがしかしbut
とにかく楽しかった。
疲れたよ。そりゃ毎日くたびれた。
でも
毎月最低100時間はある時間外労働にちゃんと手当がついてきた。それだけで毎月約20万にはなった。だから文句はひとつもなかった。


現場終わりに4tユニックでそのままパチ屋に直行。閉店までスロット打ってそのまま行きつけの居酒屋にトラックを横付けして深夜まで飲んで帰る、もしくはそのままナイター現場へ。
そんな毎日が楽しかった。金もあった。
飲酒運転も路駐も今よりぜんぜん余裕の時代。
いま思うと怖い毎日を過ごしていた。
大きな交通事故も違反もなく過ごせた事に感謝。
今は日々更生の道を歩いてきた甲斐もありゴールド免許でございます。ひとりの時は多少飛ばすことはあっても人様を乗せてる時は飛ばしません、はい。


書いてて懐かしくなり
余計なことまで書き綴ってしまった
本題に戻そう


宝塚記念レース前日、
虎ノ門の現場で作業していて、遅い昼休憩の時に1番近くのWINSで同僚とふたりで馬券を購入した。


同僚はタップダンスシチー軸で買っていた。
タップはたしか1番人気だった。


「ふん。人気に踊らされてるミーハーめ。」


心でそんな性格の悪いことを考えて含み笑いをしていると『オマエはなに買うの?』と問われた。


俺は片眉と片方の口角だけを上げ自信満々に言ってやったのを覚えている。









「ゴール前、スイープトウショウが飛んでくる画しか見えない」









同僚は思い切り鼻で笑ってた。


スイープトウショウ
11番人気


そりゃ笑われても仕方ないか。
でも自信があった。


前年の秋華賞
ラストの直線に入った時点で後方三番手
そこからぶっ飛んできて1着
馬券は買ってなかった。


胸のすくような追い込み
ゾエさんの綺麗な騎乗フォーム
声が出なかった


明け4歳のこの宝塚記念
その前走の安田記念で2着
なぜ11番人気なんだ
おいしすぎるだろ


馬単アタマ固定でハーツクライ、ゼンノロブロイなど数頭に流して買って迎えたレース本番。


2分強の攻防戦
スイープ1着
馬単240倍
ゾエさんがゴール後左手で渾身のガッツポーズ
ブラウン管を通してでも分かるほどの「シャーーーーーーーー!」という雄叫び。かっこよかった…


それとまったくの同時刻
テレビの前で馬券を握りしめてるぺっぺ青年もまた、渾身のガッツポーズでゾエさんとシンクロ率200%の「シャーーーーーーーー!」という雄叫びをあげていた。


直後
タップ軸で買っていたあの同僚から着信。
『…もしもし?…やばくね?まじキタじゃん』


「見たか、このやろう!笑」


『ありがとな!オマエすげーよ!』


ん?
ありがとう…?
なぜ、礼を言われる?


同僚
俺のスイープトウショウ談義の力説に感化され馬単を300円買っていたのだという。
このやろう笑


風俗奢ってくれました(照)


自分が応援している馬で
自分が信じた馬で
勝利の雄叫びを一緒にあげるという快感
この時に初めて知った。
ジャイアントキリングが好きなのは
スイープとゾエさんのせい(照)


当時はパドックも馬場も展開もなにもクソもあったもんじゃなかった。それでも他の誰よりもパッションとロマンを抱いている自信はあった。


この時
やっぱジョッキーになっておけばよかったと何度目かの大きな後悔も味わったのである…


そうなんです
ぺっぺ青年はJRA騎手になりたかった過去があります。親にも中学の進路指導の先生にも相談しました。でもそれはまた別の機会に…


長くてごめんなさい
宝塚記念
楽しみましょう



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