私が短文系というかSNSで議論しない理由
この楠木氏の言葉、大事にしています。
で、短文系SNSの黎明期のイメージはもっと軽いというかイベントの告知や集客的などに使われている感じでしたが、今はイデオロギーの戦いというか議論のエンタメ化しているように思います。
レスバと呼ばれる言い合いを周りが焚きつける、もしくはちょっとしたことへの揚げ足取りレベルの反論。
見ているだけで、しんどくなるというか、「一理レベルの殴り合い」のようなものに時間を取られるのがもったいないので、議論はしないと決めています。
過度な一般化が起こりがちな短文系だと特に注意しています。
より一層思ったきっかけがあります。
コロナ禍で何度も取り上げている「自分の正義が絶対」の社会福祉士さんが、特定の産業を一方的に「全ての事業所が無条件に搾取に加担している。従業員は騙されている」と決めつけて廃業を迫るということがありました。
「あんたの事業所はどうやねん。嫌な噂も多いやないか」という方で、普段は相手にもしないのですが、本も書いてて業界では有名な方ですし、あまりにも極端な言い方をするので、私もブレーキを踏んでもらいたいと思ってコメントをしていました。
「色んな産業でも、『働きたくない』とか『しんどい』ということは起こるもの。そのうえで、その産業が『潰れてほしい』とまで思っていますか?
本人たちの意思を聞かずして、全てを搾取で片づけるのは無理があると思いますよ」
的な内容です。
当の社会福祉士には暫くブロックされることになるのですが、私のコメントに対して、ある方から次のような反論がありました。
確か、
「私は元当事者です。私は酷いお店で搾取された経験があります。どの分野ともいうが、この分野は特別なところなんです。何もわからずに他の分野と一緒にするほうがおかしい。この産業はなくなるべき」
みたいな内容でした。
「当事者と非当事者、当事者性」については、どこかで書きたいところですが、私からすると、
「それ、あなた個人の経験の一般化ですよね。そりゃそういう経験をする人もいるでしょう。」
くらいのもの。
いわゆる「一理ある」という話です。
なんですけど、もし相談援助で話を聞いていた場合は、その方の個別性も尊重しますし、元当事者の方を傷つけるのは本意ではない。
自分も分断を促進してしまう。
ただ、本意ではないことを伝えたところで、十分に伝わらないかもしれない。
何度も書いていますが、「何かを書くことは何かを書かない」ことですので、短い文章で表現すると乱暴になるし、途中から参加してきた人が言葉尻だけ捉えて別の文脈で燃やされるのも嫌。
いろいろ考えると・・・面倒くさいですよね。
その時は、反論も一切せず、コメントへの「いいね!」的なリアクションだけしました。
それ以降、この内容については、
可能な限り誤解も修正できるリアルベースでしか、扱わないようにしています。
それでも、言葉が独り歩きすることはありますけどね。
「どんな影響を期待してコメントするか」は大事にしたいところです。
本日は以上です。
最後までご覧いただき、ありがとうございました☆
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