無知は解毒剤
行動せよ。
学校の宿題を提出しなければならない時をイメージして欲しい。
しっかりと宿題を終わらせて、いつでも提出できる者。
宿題をやって来ておらず、先生に怒られるとドキドキしている者。
今日が宿題の提出日だとも知らずに、悠々と余裕綽々の者もいる。
そして今の君は、今日が宿題の提出日だとも知らずに、悠々と余裕綽々の者である。
ドキドキしている者達からすると、『なぜ宿題をやって来ていないのに、そんなに余裕なの?』と思われるに違いない。
だがこちらからしてみれば、そんな事は至極当然、あたりまえなのである。
なぜって、まさか今日が宿題の提出日だなんて思ってもいないからである。
故に先生が『宿題を集めるぞ〜』のザラキの呪文を唱えるまでは慢心の余裕綽々は続く。
そしてそんな平穏な心情に終わりの時が来る。
先生は徐に『宿題を集めるぞ〜』と言い始めた。
ここで初めて、今日が宿題の提出日だと気づくわけだ。
『まじか、やばい、。』多くの者が宿題を提出していく中、自分は提出できず焦りを覚えるかもしれないが、これは宿題をやっていない者はみんなこう思うものだ。
ここで、わかったことがある。
宿題はやった方がいいという事。、ではなく。
まあ、もちろんやった方がいいとは思うが、そうではなく。
宿題の提出日が今日だと知った途端、ドキドキや焦り、『やばい』と初めて感じ思ったという事である。
かみ砕こう。
宿題の提出日が今日だと知らなかった時は、ドキドキや焦りなんてなく、
悠々の余裕綽々の者としていることができた。が、
知ったとたん、余裕のないドキドキしている者に成り変わった。
何故か。
理由はたくさんあるだろう。
人によっても違うだろう。
成績が落ちる。先生に怒られる。自分だけやっていない。など、
だけれど、大事なのはそこではない。
本当に大事なのは、
キミが宿題の提出日が今日であると知るときまでは、
心は平穏であり、澄んだ湖のように落ち着いていたということである。
何故、落ち着いていたのか。
逆に、落ち着かない理由があっただろうか。
皆無。
知らなければ、いつもの日常。
イレギュラーのない、平穏な日々。
いつものように、授業を受けて家へ帰るんだ。
そう思っていた、いや、
もはや当たり前すぎて、そんなことも思っていなかった時に、
知らされる現実。『今日が宿題の提出日です。』
この一言で、平穏な日々は破壊される。
澄んだ湖に突如、嵐が舞い踊る。
悲しいかな、これが現実である。
けれど、キミがこの現実を知るまで、
心は平穏だった。
落ち着いていた。
現実を知るまで、心は晴れやかでいられたのである。
宿題をしてきておらず、今日が提出日だともともと知っていた者達は、
きっとずっと心の中は、曇り、焦り、焦燥感に襲われ続けていただろう。
それと比べれば、キミはラッキーだ。
知らなかったのだから。
苦しくなかっただろう?
良いじゃないか。辛いのは嫌いだろ?
知っていて、宿題をやっていなかった者達は、あまりいい気分、
心情ではなかったはずだ。
けれど、キミは知らなかったし、しょうがない、
そのおかげで、知るときまで心は晴れ、落ち着けていたのだから、
良しとしようじゃあないか。
けれど、ひとつ問いたい。
『キミは、本当に知らなかったのかい?』
知っていて、行動しなかった者は、期限が来るときまでずっと心は晴れず。
期限が来た時も心は晴れないまま。
何も知らず、行動しなかった者は、期限が来るときまでずっと心は晴れ。
期限が来た時、嵐が来る。
知っていて、行動した者は、期限が来るときまでずっと心は晴れ。
期限が来た時でさえ、晴れている。
ここで言う期限とは、自分が死ぬときである。
無知はあくまでも解毒剤である。
解毒剤はどんな時に使用するのか。
毒を消すために使うのである。
では、毒とは何か。
行動しないことである。
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