ゴッキンゲルゲル・ゴキ博士の知らんけど日記 その21:『私の家政夫ナギサさん』にみる「家事道」

 現在、民放で放映中のドラマで視聴率がダントツのトップは『半沢直樹』、2位が『私の家政夫ナギサさん』だ。テレビドラマ評論家の私としては、このドラマについても言及しないわけにはいかない。昨日、最終回を迎えた。私からすると、まさかのめでたし、めでたし。来週、追加の2時間スペシャルが放送されるとのこと。やはり人気作だったのであろう。それほどインパクトのあるストーリーではない。男女が逆転している構図は面白いが、それも極めて斬新というほどのことではない。仕事のできるOLがスーパー家政夫に支えられる・・・。これだけでは、高視聴率とはなり得ないであろう。

 さて、相原メイ(多部未華子)は優秀で仕事熱心なMR(Medical Representative;医薬情報担当者)。28歳の彼女は仕事一筋。ひたすら仕事に邁進する。寝る間も惜しんで勉強する。だが、その副作用か、本来の性質なのか、家事が一切できない。食事もインスタントもの等で適当に済ましている。自宅マンションのとっちらかりようは半端でない。勉強道具以外は、どこに何があるかさっぱりわからない。と、ある日、帰宅してみると家がきれいに片付いている。姉(メイ)の惨状を見かねた妹(家政婦)が同僚のとても優秀だがおじさんの家政夫(鴫野ナギサ;大森南朋)を姉のもとに送り込んだのである。素晴らしくきれいさっぱり片付いて、美味しい料理も出てくる。が、下着を勝手に洗われていたりするので、葛藤たるや半端でない。しかし、それにも徐々に慣れてきて、段々とナギサさんを重宝がるようになる。

 ところで、家政婦モノは人気が高い。有名なところでは、『家政婦は見た!』(1983年~2008年)、『家政婦のミタ』(2011年)、『家政夫のミタゾノ』(2016年~2020年)がある。ここで面白いのは、前2作品においては、家政婦は女性。ところが三作目では松岡昌宏さんが女性の格好はしているが、男か女かどうもはっきりしない。そして、この度のナギサさんは、紛れもない男。男女をめぐるここ数十年の社会変化はめまぐるしい。家政婦=女性の図式が受け入れられづらくなってきているのかも知れない。リアルな家政婦さんは圧倒的に女性で占められているようだが、イメージとして提供しづらくなってきているのか。

 ナギサさんは、メイを完璧に支える。メイの体調にも気を配る。仕事上の愚痴なども聞いてあげる。

『ウルトラマン・ガイア』の主題歌より
   ギリギリまで頑張って
   ギリギリまで踏ん張って
   どうにも こうにも どうにもならない
   そんなとき ウルトラマンがほしい

 「ゴッキンその9」でも書いたが、ギリギリまで頑張った人のところには「ウルトラマン」がくるのだ。メイは睡眠も削り、食事も適当で健康を損ねる一歩前。自分の城(自宅マンション)が荒れ放題のため、存在がどこか不安定。安心して見ていられない。そこに救世主・スーパー家政夫が現れ、「城」は整備され、バランスは取り戻される。
 と、まあ、こんな話なのだが、この話のどこに視聴者を引きつける魅力が潜んでいるのであろう。

 30年ほど前、河合隼雄先生の分析を受けていた頃の話だ。その日も分析を受けるためご自宅に伺い、しばらく時が過ぎると、奥様が料理をする音が分析室に聞こえてきた。トントントンと、キュウリか何かを切っておられるのか。その音を共に聞いた先生は「ああいう仕事こそが本当に大切。僕なんかのする仕事よりも遙かにすごい」の旨のことを言われた。河合隼雄は、日本のみならず、その当時すでに世界的な活躍をされていた大学者である。それが、自分の仕事より「家事」の方がすごいとおっしゃるのだ。毎日毎日、掃除・洗濯・料理等々の繰り返し。それを何十年もにわたってする。お言葉通り、これは本当にすごい仕事なのだ。
 「砂曼荼羅」というものがあるが、これは砂で曼荼羅を造形し、出来上がったあと惜しげもなく壊し、川に流す。家事は砂曼荼羅に似ている。特に料理は、出来上がるや否やその形を崩され、跡形もなくなる。これはまさに砂曼荼羅と通ずる。「料理曼荼羅」と言いうる。曼荼羅とまではいかないにしろ、掃除や洗濯も日々の繰り返し。「造形」はされないが、なされている行為は砂曼荼羅のそれに通底する。
 ナギサさんの仕事ぶりは実に端正で所作の一つ一つが美しくさえある。そして、部屋は美しく片付き、美しい盛り付けの料理が提供される。豪華である必要は全然ないが、家事を美しくこなせるには愛情が必要。美しい家事と美しい家は「精神」を支える。ナギサさんの家事は「家事道」までに昇華されている。それは、視聴するものの精神をさえ支える。高視聴率の一番の要因は、ここのところにあると思う。

 30数年前になろうか。ある患者さんが診察の時に、こんな風に言った。「僕の母は、僕が仕事から帰ってきたとき、門灯をつけてくれていない。やはり寂しい。母も働いているので仕方がないと思うが、スーパーで買ってきた惣菜を皿に入れ替えずにそのまま出す。心がざわつくし、悲しくなる」と言われた。お母さんも必死でその日その日を生き抜いておられた。とても咎める気にはなれなかったが、その二点に関してはさほどエネルギーを要する所業でもないので、タイミングを見てアドバイスをして差し上げた。

 ナギサさんの夢はお母さんになること。母のぬくもりを提供したいのであろう。前述の患者さんの言葉は、今でもはっきりと耳に残っている。おっしゃり方も脳裏に刻まれている。だもので、私は門灯をつけることだけはしている。まだかなり外が明るくってもつけ忘れてしまうのが嫌で、日の入りだいぶ前から門灯をつける。と言うと、いいお父さんと思われそうなので、白状しておくが、その他の家事は一切しない。というか、できない。何かをしようと試みたこともあるのだが、エベレストに登るよりもおっくうに感じる。もう一つだけ、家人がつけっぱなしにしている部屋の電灯はこまめに消す。おそらく日に20回くらい。パチパチと消していく。当初、家人が電気を消さぬことにいらだちを覚えていたが、今ではそれが楽しい。どうして楽しいかよくわからないが、おそらく「家事」の一端をごくわずかながらでも担えていることが嬉しいのかもしれない。

 「家事道」と書いたが、日本人は何をしても、それを「道」にまで高めてしまう能力を有している。ナギサさんは超一流の家政夫であり、そこには超一流ならではの「美」が備わる。それらが、テレビ画面から視聴者に感じ取られるゆえ、それが高視聴率の一要因となったのではないか。知らんけど。

© 2020 秋田 巌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?