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他人軸より自分軸

「どうして、こんな居心地の良いお家に住んでいるに、そんなに家にいる時間が少ないの?もったいなーい!」って友人に指摘されたのは、おそらく昨年の夏かなぁ。それまでは、そんなことも考えずに、お家=眠る場所 的な考えで、あんまりお家でじっとしていることがなかった。誰からのお誘いがあれば用事がない限りは付き合うし、ちょっと位疲れていても、ま、いっか〜的に、相手に合わせて付き合っていた。

ところが!ある時から、そこに居心地の良さを感じなくなってしまった。疲れている時に無理して出かけていくと、どこか心にモヤモヤが残る。なぜなら、本心では「ゆっくりとしていたい」と思っているから。ところが、長年の習慣に慣れすぎてしまって、そこにすら気がついていなかった。断ることに対しても、何か罪悪感みたいなものがあった。

これではごきげんではいられない・・・

そこで、思い切って、自分が疲れてるときには、相手にそれを伝えることにした。友達と遊ぶのも楽しいけれど、お家でゆっくりしたいなぁ・・・これが本心。今、疲れている自分の本心を大切にし、友達と会うのは、次回にしてもらう。

「相手に悪いから、・・・・」という理由で、自分の本心をないがしろにすると、自分の本心が怒り出すよね。(笑 で、これができない時の自分は、こうしたことを平気でしてくる人に対して、なんだかモヤモヤしていた。でも、今ならなんとも思わない。「あ、疲れているのね。では仕方ない。次回にしよう!」とあっさり納得。もちろん、相手に対しての言い方も大事だけども、その根底に”誘ってくれてありがとうね”という気持ちがあれば、大概の人は納得してくれる。(あ、でもあんまり断り続けると、お誘いが来なくなってしまう場合もあるかもなので、その辺りはほどほどに(笑 )

実は、つい先日もこのような場面に出くわした。相手は、職場からのいただいたシーフードがあったので、一緒に料理して食べたかったのは察したのだが、、、すでに、その日は炎天下の中別の友人と出かけていたので、夜はお家でゆっくりしたかった。無理すれば行けなくはないけど・・・、と思いつつも、思い切って「次回にしよう!」と言ってみた。すると、気分がありありと楽になることに気づいた。また、別の機会で元気有り余る時に、友達を呼んでもてなすことはできるのだ。それこそ、そんなときはとってもごきげんタイム♪

人間は本心に従って行動すると、どっか腑に落ちるし、納得して、心がニュートラルでいられる。

相手がこう思っているだろうから、こうしよう(相手軸)ではなく、

自分の本心がこう思っているから、こうしよう(自分軸)

この意識がベースにあると、自分に責任をもち、人のせいにすることもなくなり、自分も心地良い状況で居られる。そんな風に思えるなぁ・・・。


P.S. お花の中に鳩さんが?!






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