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夏のピアノ

ようやく梅雨が明けたら、遠慮のない夏の日ざしが降り注ぎ、エアコンをつけていてもピアノを弾くと汗が噴き出る。おとなしく座っているようでピアノの演奏もまた、体を使った運動であることがわかる。

近所に住む姪のピアノをときどき借りて、およそ30年ぶりに練習を再開してから1ヶ月になる。

何の屈託もなく目の前に現れたピアノに心が踊り、ずいぶんと素直で前向きな気持ちで練習をはじめた。今度はたしかに、自分で弾きたいと思っている。

とりたてて弾いてみたい憧れの曲があるわけではない。脳裏にこびりついたメロディを頼りに、かつて弾いた練習曲の中からお気に入りだった一曲を探り当て、それは「ブルグミュラー25の練習曲」のうちの「スティリアの女」で、この1ヶ月はほとんどそれに費やした。とはいえ、実際に鍵盤に触れるのは週1回程度。

譜読みはおろか、手指の動きもおぼつかなく、弾きはじめたはいいけれど最後までたどり着けないのではないか、今度こそ楽しく弾けるような気がしたのは何かの勘違いだったのではないか、と急に心細くなってしまった。

そこで手を止めなかったのはなぜだろう。

一小節ごとにぽつりぽつりと音を拾い、少しつながったら今度は右手だけ、左手だけで曲の流れをつかむ。どうやったらこの心細さから抜け出せるのか。完成させるためではなくて、心細さを手放すため、楽しさを取り戻すために考えた。

弾きたい曲、好きな曲、延々とその曲だけを練習しても苦にならない曲であることが、この地味な取り組みができることの大前提だと思う。「スティリアの女」は初級者向けの短い曲ながら、踊りの要素が多分に含まれた魅力あふれる曲だ。

今回、作曲者のブルグミュラーのことを改めて調べて、バレエとの深いつながりを知ることとなり、そのこともまた力強く背中を押してくれた。ただピアノの前に座って指を動かすことだけが、ピアノの練習ではない。もちろんそれがいちばん大切な練習ではあるけれど、鍵盤に触れないときにその曲のために何ができるか、工夫することはとても楽しい。

五線紙ノートを買って楽譜を書き写してみたり、YouTubeでいくつもの演奏を聴き比べてみたり、いろいろな角度から光を当ててみると、次に弾いたときに少しだけその曲と距離を縮めることができたような気がする。

なんとか最後まで通して弾けるようになり、そこここで弾き方に気を配る余裕も出てきて、完成はないとは言えいったん丸つけてもいいかなと思えるくらいには満足した。

こんなに自由に弾けるんだ、と驚いたのはピアニスト反田さんの演奏で、「ブルグミュラー25の練習曲」についての詳しい解説noteもあって、今まさに出会うべき時だったのだとひとり確信する。


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