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「仕事の自分が苦手」という感覚

俺には各環境ごとに自分を使い分けている感覚がある。
例えば、実家に帰った自分は信頼関係を前提としただらけきった自分に自然となる。
中学の友達の前では、昔やっていたような馬鹿なノリを平然と行えるようになる。
これらはどれも私であり、偽りはない。無理もせず、ただ使い分ける。それが自然と出来ているのだ。

そして「どの私が好きか」というのもある。
嫌いなやつと会っているときの自分は攻撃的で不快感を全面に感じているから苦手だ。逆に彼女と会っているときの自分は優しさと多幸感に包まれているから好きだ。そんな具合で、私は誰と何をしているときの自分がいい状態かをときどき考えている。

そんな中、仕事の自分はどうかと考えると非常に苦手だ。
仕事のわたしは理屈っぽい。数字ばかりを気にして怯えている。誰も信用が出来ていない。

だから私は仕事が苦手なのだろう。仕事の人と遊ぶのも苦手なのだろう。
それは「苦手な自分」が常に出てきてしまうから。休日なのに忘れることが出来ないから。

私は私を避けるために、日々現実逃避として本を読んでいるのかもしれない。

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