警察にとめられた(今年3回目)

無意味だと頭では理解しつつ、ルールに則る気分とはどんなのなんだろう。

今日の夜、本を商店街のベンチで読み、帰りに自転車に乗って帰ったら警察の方に止められた。

その警察の方いわく「夜の商店街を自転車で移動することは違反だ」ということ。
しかし、違反と言っても私のまわりには人ひとりいない。車も走っていない。違反とは本来危険性を排除するためにある。
そして私の状況に、違反が目的とする「危険」はどこにもない。
だが、規定のルールだからと罰せられ、個人情報を聞かれ10分くらい足止めを食らった。

腹立たしいとか、恐ろしいとかではなく、この人はどんな気持ちなのだろうと考えていた。彼の腰には手錠と銃がある。歳は40ほど。
正義の象徴とする職業をする中で、今自転車に乗っている私を注意している状況。それは本当に正義と思っているのか。

おそらくそこまで深くは思っていないだろう。あくまで彼の業務であり、規定通り遂行しているだけだろう。何が正義かという個人の倫理観を突き詰めて無人の商店街を走る自転車に10分間割いたのであれば、それもそれで興味深いが。私に話し、個人情報を聞いている彼はシステムを遂行している道徳の規範のような存在なのだろう。

システムについて考える。システムは社会の維持のために分断して行われる行為で、各人が自分のやりたくないことを人にやってもらう。
食べ物を自分で採るのはめんどくさいから八百屋があり、子供の勉強を教えるのは難しいから塾がある。警察はその中での「社会の安全=自分の安全を担保する」役割を担っている。

システムというのは本来無駄がないはず。無駄がないことはやらなくて良いし、金を払う義務もない。自分でやれば良い。

しかし今回の行為は無駄だと思う。これは私の感想か、システムが無駄を生み出しているのか。

そんな、ホワイトカラーで無駄と思われる高給取りな業務を行う私は今日も酒を飲んで断片的なことを考えるのであった


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