飽きたからという理由

飽きたからという理由で安定を投げ捨てるのは人類史上よくある動機なのだろうか。
狩猟民族は飽きたからという理由で開拓をしたりしていたのか。
文化は飽きたからという理由で発展もあったのか。
飽きたという感覚そのものは傲りなのか。物事は必ず探究のできる奥深いことなのか。それとも適正次第なのか。

今の自分に飽きている。ただ心地良さもある。基盤は固まっている。つまらない不満はあるが不安はない。こんな感情は共通認識の違う時代はどうだったのだろう。

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