釧路と情動とシステムと

釧路湿原行ってきた。一度は見たかったものを見るっていうのはやはりいいね。この衝動はロマン主義ではなく「美しいものを見たい」という情動から来ていると信じたい。実際はただのシステムに動かされているだけかもしれないけれど。
完全に能動(主体的)になることなど不可能。自由意志を批判する理由はこれに尽きる。私が北海道に行きたいと思ったのは人が行っていたからからもしれない。漫画の影響かもしれない。私はそうやって知らず知らずのうちに流されていくかもしれない。しかし、この景色を見て感じた人との競争や比較ではない感動は無視したくない。私は一人で色々なところに行き、自分の目と肌で感じで判断をしたい。意思の所在が重要なのではなく、どう解釈したのかを大切にしたい

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