徒然

思考整理も兼ねて今の状況を振り返っていく。

転職を考えた3月。思い立った理由は「何に時間を費やすのか」という問いであった。現職では職務に満足感、納得感を得ることができずただ浪費しているように思え、その要因は大きく3つ「貢献度」「何に影響を与えるか」「どのくらい自分のやりたいようにやれるか」が現在不足しているからだと考えた。

結果として転職はしなかった。自身の活動と関連もあり関心もあった地方創生系の企業から内定をもらったが、著しく収入源することが分かったからだ。当初はそれでも転職するつもりで、周囲の意見は3割工程7割批判であり、そこから考えた結果であった。
そこでも要素を切り出してみた。それは現在貯蓄をする段階ではないかという仮説であり、詳細としては「金銭」「経験」「人とのつながり」「精神」「スキル」であり、現職は「金銭」「経験」「人とのつながり」の観点では転職するより優れていると判断したからである。

つまり、私は今の仕事は貯蓄の観点では納得しており、満足感では納得ということだ。ただ、貯蓄の観点で納得した分、3月の頃より息苦しさは感じなくなった。新自由主義が求める個人への自己責任感と成長を即す流れに優位性を持てている、というのが安心感になったのかもしれない。今ある状態をアドバンテージとして捉え、この納得と不納得のグラデーションをうまくコントロールできている気がしている。面白い本を読む。面白い映画を見る。うまい飯を食う。それを前より楽しめている感覚はある。

3月の転職活動の目的は自己の現状から脱却であった。ただそれは思い返すと危険な状態でもあった。考えの極端化が進み、現職にいる人間をリスクヘッジしない連中とみなし、そこから脱却することを美徳と捉えていた。(大企業へのアンチテーゼ的な)それは自覚もあったので、会社の人、お世話になった人、内定先との対話を行った。
内定先はひたすら「決断」することの美徳と、リスクは将来的にリターンがあるということを述べ続け、しかし現状の待遇は優れていない点に言及はないため不信感を抱いた。一方、現職は納得と不納得のグラデーションと追い求めることを許容してくれた。功さんもグラデーションを推奨したし、私もおそらくどこかでそれを求めていた。

もちろん後悔もある。「結局リスクから逃れただけなのでは?」「変化を恐れない勇気がないだけじゃん」「本当にやりたいことではないんだな」そんな声が頭に鳴り響く。俺のグラデーションは納得と不納得だけではなく、肯定と批判、後悔と満足、リラックスと焦り、強気と弱気など色々な相反する感情が同居している。

常にそんな「批判する自分」といるのはつらい。俺は今もう少し自分の関心事に近い取り組みをしたいと考えているのかもしれない。でも、これはなんでだろう。 普通、安心できる生活の中で美味しいご飯と人間関係があれば幸福であるはず。書きながら整理していく。

①心のなかにある不納得、批判、弱気な自分の声を聞き出し、少しでも肯定してあげたいのかもしれない。つまり、自己肯定としての手段
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・お金のために会社にいるけど本当はお金を使うことにそんなに興味はなくて、でもお金は今後必要になるだろうし無いことは弱者として選択肢が狭まる可能性にびびりがんばるしかない、弱気な発想が嫌だ
→金銭を考慮しない「やっていることが幸福な状態」という境地への憧れだろうか
・でも今の自分の仕事は学歴や運という自己努力以外の要素で構成されており、かつたいした努力をせず得た結果であることも自覚している。それゆえに、もらっているお金は「ずるい」という感覚。
→ホワイトカラー、ブルシットジョブへの嫌悪感(今の仕事の貢献と影響度に納得していない、、)
→ほかに必要、優先すべき仕事がある、つまり今の仕事をし続けるべきではないんじゃないかという葛藤
→今の仕事で身につくことだけじゃあな、、、という焦り?不安?新自由主義からくるリスクへの怯え。。(たぶん俺はこれが出来る!というのが欲しい
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②単純に今の環境だけで見えている将来像と選択肢に辟易としているのかもしれない。つまり刺激を求めている情動
アイロニーとユーモア。
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・今の仕事、サラリーマンという立ち位置、仕事による社会への影響度に対して「面白い!」「こうなりたい!」がないんだろうな。。じゃあ何が刺激的で求めていることなんだろう?・


③本や自身の経験から、課題として捉えている事象に何もしない自分に歯がゆさを頂いているのかもしれない。かつ、現状は自身のためだけに頑張っており虚無感を抱き始めているかも。つまり利他を求めている繋がりへの意欲。
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・社会に対する怒りの感情をただ放置していることに違和感?
・複雑化しすぎて成果が見えない現職に対するシンプルにわかりやすいものを求めている?(悪に立ち向かう正義の行動的な)
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④自身が世話になった人たちと同様のことをしたい、それは問題解決みたいな大規模はもちろん、単純にご飯を奢るや話を聞くみたいなミニマムだけど誰かに何かを残すという救いと、人の心に残るということ。つまり自分が受けた恩を還元したい

⑤知りたいって感情もあるんじゃない?仕事というのをIT企業以外からも多面的に見てみたいと思っているのもある気がする。金目的だけじゃないんだぜって視野を入れることは将来の兆しにもなる気がする。つまり実践知の欲求

⑥憧れもあるね。お金のために頑張り続けるのはしんどいよな、と時々思う。今もそのためにがんばれている自覚はそこまでない。自由という言い方は間違えているかもしれないけど、他者から強いられている状況でやる、ということ以外の行動、つまり自発的な意思決定のみに憧れがある。

こう考えると、私がしたいのは成長ではない。具体的な事象を叶えたい、世界を変えたいのではない。自分が世界をもっと違う見方をして世界を肯定したい、過去に自分を肯定してくれた人を世界に還元したい、という非常にナルシズムでシンプルかつ小さいこと?責任のないこと?
もっとこうしたいということ。そしてかもしれない自分で選びたい方向性。




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