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【みじかい小説No.5】丸の内カブトムシ

私たちはカブトムシだ。
会えば互いに角を誇り合い、必要とあらば一戦も辞さないーー。

ここは丸の内。
言わずと知れた、日本でも有数のオフィス街だ。
ここが私たちの戦場だ。

朝、どこからともなくスーツ姿の男女が、てんでばらばらにこの街に集う。
彼ら、彼女らは決めている贔屓の喫茶店などに入り手帳やパソコンを広げる。
そうして会社が始まる一時間、二時間前から業務に取り掛かるのだ。
さながら働き蟻顔負けの勤勉さを見せる彼らの顔は、朝から輝いている。
ーーといった面々ばかりでもないが、自分たちが日本の中枢で陣を張っているという自負は強いので、がぜん力が入るのは自然なことだろう。

午前中はどこも会議に追われる。
数日前から用意してあった資料などでスマートにプレゼンを終えて見せると、後は他のメンバーの発表に聞く耳を立てたり重役の言に聞き入ったりする。
そうこうして会議を終えたら自分のデスクに戻り午前の業務に取り掛かる。
メールのチェックにはじまり、本日の面談の予定などを中心にスケジュールを組み立ててゆく。
午前の業務が終われば、昼は決まって皆、少し歩く。
昼間でもデスクの前にじっとしているんじゃあ気が滅入って仕方がない。
よほど忙しい時でなければ、皆、社員食堂なり近くの小料理屋やコンビニに足を運ぶ。
食後のひとときだけが楽しみだという連中は多い。
皆、セロトニンを分泌すべく太陽の下に身を晒したりする。
会社に戻れば午後の業務が待っている。
昼休みの間にかかってきた電話の対応にはじまり、面談を難なくこなしてゆく。そのあいだに必要書類の作成なんてこともやってのけて。
午後の休憩は取る者が多い。
その方がその後、効率的に動けるというのが理由だ。
自販機の前で、給湯室の前で、思い思いに羽を伸ばす。
それから定時までは目の回るような忙しさだ。
人に会うのは大体がこの時間だし、上司からの急な要望が降ってきやすい時間帯でもある。
定時で帰れればいいが、ここ丸の内でそれは珍しい。
夕方6時を過ぎてからも、8時を過ぎてからも、ビル群にはこうこうと明かりが灯りっている。日付をまたいでいることも、多い。
すっかり日が沈んだころ、丸の内の人出はピークに達する。
皆、今日一日を戦いきったという充足感を顔に浮かべており、そうはいっても家に持ち帰る仕事を鞄の中に忍ばせているものだから、戦士の仮面ははがせない。
ビル群を樹木にたとえるなら、日が沈んでからわらわらと這い出してくる私たちはさながら夏の夜の甲虫のようで。
丸の内という甘い蜜に誘われて、今日も家路を急ぐ。

今日は21時から1時間だけ、同僚のミキと飲む予定だ。
そこでも当然、私たちは角を突き出し体の光沢を誇り、必要とあらばやりあうつもりで、そんな姿勢で、生きている。
いつか私もこの丸の内という大きな樹林帯から離れる日が来るのかもしれないが、今はまだ、ギラギラに黒光りする体を見せつけて、戦っていたいのだ。
そんなことを思いつつ、空にぽっかりと浮いた月に、私はお疲れ様と告げた。


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