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終章:源氏

夏の暑さもいくぶんかおさまりを見せ始めたある日のこと。
銘信は伊織と連れ立って、九星の説法を聞きに、長門の町はずれにある廃寺にまで足をのばしていた。
この頃になると、九星の説法を聞きに、長門の町中から、暇を持て余す者たちが集ってくるようになっていた。
九星の説法は、午前に二回と午後に二回設けられるようになっており、九星の横には九朗が手伝いに参加しているのが常となっていた。
今日も、第一回目の説法が、盛況のうちに終わりをみせたところである。
銘信と伊織は、帰途につく人の流れとは逆に、人をかきわけ九星と九朗のところまで歩み寄っていた。
「今日も大盛り上がりでしたね、九星さん」
銘信が高らかに言う。
「武士の話をすればいいってのは、すべてこの俺の案なんだよ、俺の。つまりこの盛り上がりも俺のおかげってわけ」
九星の横で、掃除をしながら九朗が告げる。
「まぁ九朗ったら」
人気のなくなった庭に水をまきながら、九星が笑う。
「その話、もう何回目かしら」
銘信の隣で、伊織は苦笑いである。
「じゃあ、第二回目の説法まで私の舞でも見てみる?」
銘信と伊織が相次いで手を挙げた。
「そうね、第二回目まで少し時間があるから、舞を見させてもらおうかしらね」
そう言うと九星は板敷にあがり、皆に水を持ってきた。
それを飲み終わると、伊織は庭に出て、二人で対となり舞を披露しはじめた。
それを寺の垣根から覗く者が幾人かあった。
多くは長門の町の者たちで、第二回目の説法を心待ちにしているのであった。

長門の町の港に大量の船が着いたのは、その日の昼頃のことだった。
波間に浮かぶその旗印は、源氏である。
突如、船から、鎧兜を着た男たちが、わらわらと降りてきた。
男たちは足早に町に降りると、そこに住まう人々にある問いをしてまわった。
その問いとは、
「ここいらで、平氏の落人を見なかったか?」
というものだった。
そう、彼らは平氏の落ち武者狩りだったのである。
鎧兜の男たちは、がしゃがしゃと鎧を鳴らしながら、たった一つの問いを携え長門の町中を闊歩した。
路上に死体の散乱する中を武者姿の男たちが歩いていく。
飢饉にあえぐ長門の町にあって、男たちは、飢えに苦しむ者たちにも同じ問いを投げてまわった。
ある者には少量の食物を与え、またある者には優しい言葉を与え、こたえを聞いてまわる。
そうしているうちに、長門の町の山奥に、平氏の落人たちがかくまわれているという話が明るみに出た。
話はすぐに上に報告された。
源氏の兵士たちは、その日のうちに山狩りをはじめた。
山狩りは一晩中続いた。
そうして、さしたる戦闘もなく、飢えた平氏たちを難なく皆殺しにした源氏の兵士たちは、明くる朝には、意気揚々と山を降りてきたのであった。

町中を闊歩した源氏の旗印を掲げた鎧姿の男たちは、山からの帰り道にも、やはり町中を練り歩き船へと戻って行った。
一等高く掲げられた槍の先には、平氏の頭と思しき男の首がかかっていた。
そんな彼らに、こう耳打ちをする者がいた。
「平氏たちに舞を奉納した白拍子がおります。今頃は町はずれの廃寺におりますでしょう」
間の悪いことに、これを聞いた男は、終りの近づく戦の中で、功を焦っていた。
「なにっ、それは聞き捨てならん」
男はそう言うと、刀を手に、幾人かの手下を連れて、町の者に案内をさせて町はずれの廃寺にまで足をのばしたのであった。

寺では、第二回目の説法が行われていた。
男は人だかりの最後から頭を出し、九星の説教に耳を傾けていた。
「ふん、我らの力を思い知った尼が説教などしよる」
そう言うと男は、面白くなさそうにそっぽを向いた。
道端の目のくぼんだ死体が目に入る。
真っ黒い目の穴からは、うじが流れるように湧いていた。
そうだ――。
早く功を立てねば、明日は我が身かもしれんのだ――。
男の内で、青白い炎が、立った。
そうこうしているうちに九星の説法が終わった。
観衆は皆手を叩き、互いをねぎらう言葉をこぼしている。
何がそんなによかったのか、男にはさっぱり分からない。
それより、白拍子である。
男はここで、声を張り上げこう言った。
「この中に、白拍子はおらぬか。誰か、白拍子を知らぬか――」
男の野太い大声に、一時、場はしんとなった。
「お前さま、よそ者だろ。ここに白拍子なんていねぇよお」
そんな声が飛んだ。
誰もかれもが、うつむき、口をつぐんでいる。
それを見て、男は方法を変えた。
「では話を変えよう。白拍子を知っている者には褒美をやろう」
この男の一声で、場はにわかにざわめき立った。
この場にいるのは、皆、貧しい者たちばかりである。
折も折、飢饉で皆が苦しんでいた。
腹の減っていない者など、一人もいなかった。
飢えで身内を亡くしていない者がほどんどであった。
互いに目くばせをしあう者、隣の者をつつく者など、その人の動きが、やがて人込みの中の一人の少女を指し示した。
そして、人だかりの中ほどからこのような声がした。
「確か、そこの娘が白拍子じゃなかったかなぁ」
声に触発されて、一同の視線が一気に伊織に向かった。
鎧の男は、ははぁと言って、人込みの中をかきわけてゆく。
そうして伊織の手を取ると、あっという間に皆の前へと引きずり出したのであった。
男が伊織の目を見据えて言うことには、
「おぬし、平氏の残党の前で舞を舞ったろう」
――伊織は、答えない。
「やめろっ」
その様子を見ていた銘信は、思わず叫んだ。
そんな銘信を、大人たちが後ろから羽交い絞めにして制している。
それを見た鎧の男は、「よおし、そのまま抑えておけ」と言うと、刀をすっと、持ち上げた。
次の瞬間、その刃は伊織の胸元に沈んでいた。
「あっ」と言う間もなく、誰も彼もが、一瞬で凍り付いた。
思わず飛び出していたのは、九星の隣に座っていた九朗だった。
九朗は鎧の男の刀にしがみつくと、「何をするっ」と言って体をよじった。
伊織の体から引き抜かれた刀には、ぬらりと光る伊織の血潮があった。
伊織はその場に倒れこみ、口から赤い血を流し始めた。
銘信の目には、すべてが幻のように思われた。
「伊織―っ」
大人たちに制されながらも、銘信は大声で叫んだ。
しかし次の瞬間、男の刀は二人目を貫いていた。
その二人目とは、銘信の弟、九朗であった。
体を貫く刃を、九朗は目を見張って見定めた。
その視線の先には男がおり、その更に先には九星がいた。
泣きそうになる九朗のまなじりと、大きく見開かれた九星の瞳がかち合った。
九星は弱い体をおして、九朗にかけよった。
「九星、さん……」
口から血を噴き出しながら、九朗が言う。
そんな九朗を抱き寄せながら、九星がきっと目を見つめて言った。
「大丈夫、私が何とかしてあげるから」
それを聞いて、九朗はふっと笑った。
「頼りに、してます」
そう言うと九朗は、力なく九星の腕の中で意識を失った。
言葉にならぬ声が、九星の口から漏れた。
しかし、この時の九星には突如、幼い頃、同じように幼い友人に「頼りにしている」と言われて、それが皮肉に聞こえて憤った記憶がよみがえっていた。
同じ台詞を吐かれたのに、この度の台詞はとてもあたたかく聞こえる――。
伊織は地面に伏し、今、九朗の息も絶えようとしているこの修羅場で、九星はそんなことを思っていた。
何をのんきなことを考えているんだろう――。
九星がぼんやりと、そんなことを思った時であった。
「何ともならねぇよ」
男の野太い声が、九星の背後から聞こえた。
かと思うと、長い刀が、九星を背後から貫いていた。
「九星さん――」
銘信の叫びにならない叫び声が、その場にあがった。
人々は既に動ける者わずか、皆黙って男の一挙手一投足を見守っている。
男は、そんな群衆を前に、一度だけ舌打ちをすると、伊織に近づいていった。
そうして、伊織の髪の毛に触れると、その束をひと房、刀で切り取った。
それから配下を振り向き、「帰るぞ」と言うと、きびすを返して寺を後にしたのであった。
後に残された人々は、まるで不幸が移らぬうちに早くその場をあとにしたいとでも言うように、一人、また一人と足早にその場から去って行った。
やけに静かになったと思うと、気の早い日暮らしの声がひとつ、またひとつと辺りに響きだした。
「銘信、気を強く持てよ」
羽交い絞めを解かれた大人たちから、そんな言葉をかけられた銘信は、力なくその場に崩れ落ちていた。
目の前には、既に息の無い死体が三つ。
しかし、遠くに見えたそれらの一体が、わずかに動いたのである。
銘信は、がばと立ち上がると、その一体、伊織のそばに駆け寄った。
「伊織っ」
伊織をあおむけにすると、地面に大きな血だまりができていることが分かる。
その中にあって、銘信は伊織の名を呼び続けた。
やがて銘信の声に反応してか、伊織の瞼が開いた。
二人はじっと、見つめ合った。
「伊織、俺だ。銘信だ。分かるか」
伊織は言葉を発しようと口を開く。
しかしその口からは血が流れ出るだけである。
「もういい、しゃべるな」
銘信が制する。
そんな銘信の耳に、伊織の短い一言が聞こえた。
「舞を――」
銘信は目を見開いた。
「伊織、舞を、なんだ。何が言いたい」
伊織の耳元でささやくように問うた銘信であったが、再び伊織の顔を見とめた時、その顔に色はなく、息は絶えていたのであった。
一度に親しい者三人を失った銘信の耳に、もはや誰の声も届かなかった。
ただ、伊織の最期の言葉だけが、銘信の頭の中で幾度も幾度も繰り返されていた。

それからしばらく経った頃、長門の町の神社では、一人の男子により、見事な白拍子の舞が奉納された。
その舞は評判を呼び、方々からお呼びがかかるほどのものであったという。

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