日本橋メイドカフェクロニクル
「日本橋メイドカフェクロニクル」
この記事では日本橋のメイドカフェの歴史を振り返ることを主眼とする。
まずは簡単に大阪の地理について触れておく。大阪には主要駅を中心に多数の繁華街が存在する。その中でも「キタ」と「ミナミ」が特に大きな繁華街として知られる。いずれも正式な地名ではないため明確な定義はないが、キタは梅田を中心とする地域、ミナミは心斎橋や難波を中心とする地域と説明されることが多い。この記事で取り上げる日本橋はミナミの南側にある電気街、オタク街である。大阪のメイドカフェは日本橋に偏在している。他の街にも全くないわけではないが、圧倒的に日本橋が多い。
一方で大阪のコンカフェはミナミの広い範囲に存在する。コンカフェは、メイドカフェ、コスプレカフェ、ガールズバーなどをルーツに持つ比較的新しい業態である。コンセプトカフェの略称だからメイドカフェもコンカフェの一種だとする説もあるし、その解釈が馴染む時期もあった。しかし、筆者はコンカフェとメイドカフェを別の業態として考えている。特に大阪においては、オタク街である日本橋と歓楽街である裏なんばや宗右衛門町が地理的に隣接しており、相互に影響を与えていたため、明確に区別することは難しかった。しかし、現在のコンカフェは、もはやメイドカフェとは別の業態として考える方がわかりやすいと思う。メイドカフェはメイドカフェだ。なお、キタはメイドカフェもコンカフェも少ない。
さて本題のメイドカフェの歴史に戻る。2002年7月、日本橋最初のメイドカフェであるジャングルカフェが開業した。1年ほど営業していたようだが、資料がほとんど残っておらず筆者も詳細な営業模様は分からない。日本初のメイドカフェである秋葉原のキュアメイドカフェが2001年3月開業であることから、約1年後にメイドカフェが大阪に伝播したわけだ。2004年、現存する日本橋最古のメイドカフェCCOちゃの開業を皮切りに、日本橋のメイドカフェブームが始まる。2005年には、カフェドール、e-maidなど、2006年には、めいどるちぇ、もえしゃんどん、Milkcafeなど、後の有名店が多数開業した。メイド以外のコスプレカフェを含めると2005年には15店舗、2006年には11店舗が開業している。
ちょうどこの時期、東京ではあっとほぉーむカフェが開業し、「萌え~」が2005年の流行語大賞のトップテンに選出されている。萌え系作品が一定の市民権を得た時期でもある。しかし、街はまだ電気街からオタク街に変わり始めた時期で、混沌とした雰囲気だった。合法なものも違法なものも入り混じっていた。
2007年には勢いが弱まり新規開店は3店舗に留まり、雨後の筍のように開業したメイドカフェは次々に店を閉めていった。2007年には、池袋発祥のアフィリアキッチンズ、2008年には、カフェドポルテ、アンダンテが開業した。ブームこそ去ったものの、熱心な常連局と多少の観光客に支えられてメイドカフェは日本橋に根付いていった。
とはいえ、まだメイドカフェのテンプレートがあったわけではなく、各店舗で試行錯誤しながら営業を行っていた。メイドカフェとともに徐々に街はオタク街としての色を濃くし、2010年までには堺筋西側の大通りが「オタロード」と呼ばれるようになった。2011年には有名なぼったくり衣料品店の経営者が逮捕、2012年には有名なぼったくりメイドカフェの経営者が逮捕、更にJKビジネスに対する規制強化もあり、治安は徐々に改善していった。堺筋では違法コピー品を売る露天商が残っていたが、度重なる摘発と時代の変化に伴い減少していった。
2011年は15店舗、2012年は11店舗、2013年は16店舗が開業し、メイドカフェ、コスプレカフェの開店が相次いだ。地元資本の店舗はもちろん、秋葉原発祥のめいどりーみんが2店舗を開業した。開店数ベースでは第2次メイドカフェブームあるいは最後のメイドカフェブームであった。
この頃、メイドカフェは街に受け入れられつつあり、その結果の一つとして、地元商店街が主催する日本橋ストリートフェスタ、通称「ストフェス」へ複数のメイドカフェが参加した。このストフェスの一環として、2012年からの3年間は「ミスポンバシ」というメイドカフェ店員によるミスコンが行われた。これはこれとして賑わったのだが、ブロマイドの売り上げで順位が決まるシステムであったため、
~~続きは『大阪日本橋メイド界隈の記憶を残す本』にて~~
『大阪日本橋メイド界隈の記憶を残す本』とは
サークル「necorative」(主催:あやら様)による同人誌です。
横浜メイド博覧会2024 10月06日(日) F-16にて頒布予定!
BOOTHでの通販もあります(予約販売)。
ねこにゃん様、佐野和哉様、こな氏様、おてと様、あやら様の素敵なエッセイや漫画/イラストが載っています!
私も短評「日本橋メイドカフェクロニクル」を寄稿いたしました。ぜひ本紙にて全文を読んでいただけると嬉しいです。
おまけ
おまけというか、個人の感想なんですけれど、大阪日本橋のメイドカフェに特化した同人誌って今までほとんどなかったんですよね。主催のあやらさんが「紙に残しておかないと、大阪日本橋のメイド界隈の記憶が失われてしまう」と仰っていて、まさにその通りだなと共感して筆を取った次第です。
私の短評は、過去20年間の日本橋のメイドカフェを時系列に沿って記述したものです。店舗数、年月など、ある程度は定量的に示すことができたと自負しています。しかしこれはあくまで、先人たちの努力、記録に残すという情熱があってこそのものです。店舗の公式サイトやアカウント、フリーペーパーや新聞記事はもちろんですが、同人誌、個人サイト、mixiやTwitterなどのSNSも参考にして集計しました。
一方、定性的な部分はもっぱら私の肌感覚によるものです。本当に合ってるのかな。「私もそう思うよ」「俺はこう考えるよ」みたいな感想をいただけると嬉しいです。
『大阪日本橋界隈の記録を残す本』は、どの記事も素敵なのですが、特に「日本橋の記憶を辿る対談」が大好きです。こちらは日本橋20年選手のねこにゃんさんとあやらさんによる対談なんですけれど、冒頭「ジャングルのメイドカフェイベント」の話から始まるんですね。私の記事で「詳細な営業模様はわからない」と白旗を上げた店舗の「記憶」が書かれているんですよ!営業は2002年、つまり22年前の記憶がこうやって記録に落とし込まれる様子に感動しました。それ以降の話も濃密で読みごたえがありました。お二人はまさに生き字引ですね。
私は私として、それなりの記事を書き上げた自信がありますが、クロニクルという性質上、やはり淡白なものに仕上がってしまいました。そもそも日本橋に住んでいたわけでもないし、通っていた頻度も決して高くないので、味を出すのが難しいんですよね。したがって、「記憶を辿る対談」と「クロニクル」を読み比べていただくと、日本橋のメイドカフェの全体像がなんとなく見えてくるのではないかと思います。
マジで貴重な同人誌なので、現地でもいいし通販でもいいから、ぜひ手に入れてほしいです。このクオリティ多分もう出ないよ。