父が入院しました..が。

26日(日曜日)の夜、高校生の娘と息子を連れてそれぞれの寮とワンルームマンションへ送り届けに行きました。あくる日の27日の午前に京都で子供たちの住むマンションを契約に行かねばならんので今夜は娘のワンルームマンションへ泊まります。
行く途中、父の住む介護施設から電話があり、父が急に40度の発熱を起こしたのだと聞きました。
その後、ワンルームマンションに到着と同時に介護施設から電話が。
救急車で大きな病院に搬送するので、搬送先の病院に来て欲しいとのこと。
A方面、B方面どちらにしますか?との問いに、僕は
「A方面でお願いします」とお願いした。
A方面の[1]の病院が、ベッドが無いので断られてしまった。と電話があった。「B方面にしましょうか」と言われたが、僕の今いる場所からは3、4時間かかるし、そっちの病院はこれまで生きてきた経験から『絶対に行きたくない病院』である。
「A方面の[2]、[3]病院をお願いします」とお願いしたが、なぜか[2]、[3]病院も受け入れ出来ないという。
しかし、[1]、[2]、[3]病院という3病院断られてしまったら大学病院が条件付きで受け入れてくれるというルールがあるそうです。

大学病院では真夜中1時であるのにもかかわらず、「この熱の原因は何なのか?」を調べるのにとても時間をかけて調べてくれました。
原因は腎臓にある結石でした。
血圧の超低下、敗血症などの改善に全力をかけてくれました。
とりあえずの処置を行い、ICUに入りました。
ICUへの入院手続きなどを終え、朝6時には僕も帰宅することができましたが、介護施設長もずっとそこに居てくれました。なんということでしょう。
どうやら入所しているお年寄りは家族のように思ってくれている感じに見えました。家族が「眠たい」だの「用事がある」だの言えませんねw

いずれにせよ、3病院断られて大学病院に来たことはとても運がよかったとしか思えなかった。命を助けてもらえたと感じました。

いろんな人にお世話になった結果、容体が落ち着いたのだと思うと、いろんな人に感謝の気持ちが湧き上がってきた。
B方面に行かない判断は、亡くなった人の助言もあった。

帰宅して仕事をしていたら、お客さまとの話で「お父さんは玉置神社へよく散歩に来てらっしゃいましたよね」と聞いた。
そう言えば僕が働き出してたまに実家帰省した時、知らない人が家にいて「そうそう、玉置神社で会った人が『今日泊まるところが無いんですよ』と言うから泊めてるんだ」といったことが何度かあった。男の人だったり女の人だったり。
とにかく玉置神社で出会った人が多かったなぁ。
そうだ、父はよくそんな小さな人助けをしてきたんだった。
その人たちの気持ちなんかもあるのかな?
と、生きてきた善業をこじつけて考えてしまうものです。
そうなんです。
生きている間に善業をしていると運が良いと思うことがあれば「それをしてきたから」となるんですね。

僕も生きている間に人の役に立ち、困った人を助けられる人になろうと父の生き方を見て思うようになりました。
父よありがとう。

今日、ICUから電話があった。
電話の後ろで「ピッピッピッ」と鳴っている。
「お父さんの容体が安定し、酸素マスクも外れましたので転院を考えています」「転院し、退院するまでにはもう少しかかりますが」と。
は〜良かった。
とりあえず一命を救われた思って良い。

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