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五井先生の文

たくさんの妙好人の出現を願う

妙好人の行為には、全く立派な行為だ、と拝みたくなるような行為がたくさんあります。しかし数少ない妙好人では地球世界の危機を救うわけにはまいりません。妙好人といわれる程の立派な人々でなくともよい、常に自分の業想念を消えてゆく姿とみて、世界平和の祈りの中に投げこめる人々が、この世に充満することを私は願っているのであります。

妙好人のように特別に立派な行為をしろといってもなかなかできないが、日々の生活をそのまま平凡につづけていながら、世界平和の祈りだけを常々にしてゆく、ということなら、一般人の誰にでもできることでありましょうし、この祈りをする時には、自分の現世利益も伴ってくるのですから、誰も容易にでき得るわけなのであります。

この世界平和の祈りの中からは、今では、浄土門妙好人に比しても劣らぬ、立派な行為の人もかなりでておりますので、力まず、気ばらず、神との一体化が実現されていっているのであります。川越の故本多むらさんのように、どんな悪いことが現われようとも、人の為に尽して逆恨みされようとも、みんな過去世の因縁の消えてゆく姿と、その悪いことが現われるたびに、それこそ心の底から神への感謝をささげた人もありますし、小田原の富沢さん御夫妻のように、火事で丸焼けになった時、自分の家から出したのではなくてよかった、と、少しも嘆きも、恐れもせず、自分たちのことを一切かまわず、人の為に働いた、という人もおります。

これらの人々など、全く妙好人そのままの人々であります。

自分の中にない業というものは絶対に出てくる筈のないもので、出てきたものは、すべて自己のうちにある業因縁なのであります。そこで、この業因縁が現われて消えてゆく時のその人の心の状態が問題なのでありまして、その時の心の状態が悪ければ、折角消え去っていった業因縁が、また違った形の業因縁になって、再び潜在意識層にひそんでゆき、何かの機会で、再度現われてくることになるのです。ですから、その時の心の状態によっては、業因縁はいつまでたってもすっかり消え去ることはないということになります。これを輸廻転生というのであります。

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