おぎのは


 いつのことだったかはもうわからない。




 その夜は十三夜だった。月がとっても明るくて、光の行き届かないところなどないというくらい、あたりは一面青く、透明な夜だった。不思議なことに、いつも合唱しているようにうるさい虫の声が、どこからも聞こえなった。

 家の人がみんな寝た夜更け、閑々とした縁側にわたしと姉だけが座っていた。横から見た姉の顔は、月の光を吸収したみたいに美しく照り映えていて、耳にかけた流れる髪の毛がくびれの方にすこしもつれていて、変に色っぽかった。わたしと姉は手をつないでいた。つなぐ姉の手、つめたい。姉はそらをつくづくと眺めて、



「ああ、どこか知らないところに飛んでいってしまって、消えたいなあ、ねえ、どう思う?」



と言った。そのときの姉のようすは神妙で、なにかおそろしい気配がしたのを覚えている。わたしはこわくって、姉のことばに対する返答をごまかして、違う話をし始めた。


 庭の隅には、白い荻たちが月影を受けて、青く、じっとうごかない。風は吹いていなかった。



 すると、垣根のむこうで、荷車をひくような、かたかた、かたかた、という音がどこからともなくはっきり聞こえて、


「荻の葉、おぎのは」


と、男の子とも女の子とも言えない、しかし子供の声が、かなしいほど透き通った声で、誰かをさがし求めているように、月の光に乗じてあたり一面に響いた。


 澄んだ空気にことばの余韻が残る。


 声が聞こえたかと思うと、次は笛の音が、とてもうつくしく高いのが、鳴った。

 
 ぴーひょろぴーひょろり

 笛の音が吹かれると、庭の荻がさあさあと揺れて、庭にうつっていた荻のほそい影も、二人の足元で揺れた。風は吹いていなかった。




 気づいたら、もう荷車の音も笛の音も聞こえなくなっていた。わたしと姉はしばらく口を開けて呆然としていた。そして二人で顔を見合わせて、おたがいがあまりに間抜けな顔をしていたので、思わずぶっと噴き出して笑った。足元の細い影は、じっと動かなくなっていた。

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