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ごほち、煙草辞めたってよ。

なんだかんだ7年ほど、
雨の日も風の日も雪の日も、
病める日も健やかなる日も、
ほとんど毎日吸い続けていた煙草を辞めることにした。
特に深い理由なんてない。
強いて言えば準備のためだ。

今までも煙草を「やめるかやめないか」みたいな話をする時、決まってぼくは
「この先将来を考えられる人や、心の底から好きになった人が煙草嫌いなら辞めるつもり」と言っていた。

先日、仕事終わりの職場には僕と上司の二人きりだった。
僕はいつも通り待ちに待った一服の時間に
心を躍らせながら、上司と雑談をしていた。

一服をしながら上司とぼくで煙草の話になった。
上司も数年前に卒煙したという話はよく聞いていた。
上司曰く「喫煙は自傷行為で、自分で自分を大切にできないくせに、他人から大切にしてもらえるはずがない」とのことだった。
大切な人に彼は同じ話をして、一緒に辞めたらしい。

その日の仕事中の上司たちの会話が頭をよぎった。

「○○だったらと仮定して行動しても遅いよね」
「いつ○○が起きても大丈夫なように行動しなきゃだよね」

点と点が繋がった気がした。

いつかぼくが愛せる人が現れて
ぼくを愛してくれる人が現れた時
ぼくはぼくを大切にしていなかったら。

ぼくは愛してもらえないなあって思った。

かなしくなって
「卒煙します」って言った。
残り1本が入ったラッキーストライクを上司に渡した。

非常に恥ずかしい話だが
ぼくは他人を好きになってはいけないと
ずっとどこかで思っていた。
ぼくはぼくを、何年経っても愛せない。
だから誰もぼくを愛そうとしないのだろうし
そもそもぼくが誰かを愛そうと思えなかった。

煙草を吸うと
そんなぼくを少しだけ赦せた気になれた。

朝起きる。
口をゆすぐ。
煙草に火をつける。
1日がはじまると同時に
ぼくのたたかいがはじまる。

結局ぼくは7年もの間
自身を責めはすれど
許せていなかったのだと気がついた。

帰り道にふと
窓ガラスに映った自分の
心底つまらなそうなカオ。
誰かと会っている時も
きっと同じ顔をしてるのかなって思って
卒煙を決意した夜、涙が出た。

これを読んでくれた誰かに
ぼくを愛してくれなんて
言うつもりは毛頭ない。

他力本願で生きてきた。
煙草に縋って
過去に縋って
ナニカに縋って惨めたらしく生きながらえていた。
死ぬために煙草を吸っていた。
傷つくことは、ぼくにとって赦しにはならなかった。

7年間、穏やかに緩やかに死に向かった分
時間をかけて同じように、穏やかに緩やかに
ぼくはぼくを愛する準備を始めようと思った。

いきなり誰かに愛の言葉なんて吐いたりしない。
そんな資格は今のぼくにはないからね。
ゆっくり。
ゆっくりとぼくはぼくを抱きしめて
そんなぼくをみて一緒に寄り添ってくれる人が
いつ現れても大丈夫なように
ぼくは煙草をやめたのでした。

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