「老害」という言葉について:memo
注:この雑文は、最近起きた一連の何かとは一切関係ありません(というか何が起きたのか、筆者はよくわかっていません)。あくまでここ数年断片的にひっかかりつづけていたことを突発的にまとめてみただけのものです。
●言葉の使われ方
「お歳をめされた方が時代錯誤的な言動で周囲の若年者を辟易させること、またはその人」といった意味合いか。
実際にお歳をめしている方々よりも、大学卒業直後とかサークル引退直後の若い子たちが自身を蔑むときに使っている印象。
※真の老害は自身を「害」と自覚していないがゆえに(むしろ善であるという確信のもと)そのような行動をとる傾向があるため、自らを「老害」と称することで「無自覚ではない」ことをアピールし、真の老害とみなされることを回避している?
●「老」が「害」なのはどんなときか
「老」とはつまりそれだけ過去を知っているということ。記述文化の乏しい我々ジャグラーにとって、ごく身近なこと以外はほんの5〜10年前の状況を遡ることですら困難である。そんな中、過去を知る人間の話はそれだけで貴重であるはず(彼らがちゃんと記録を残していればという話はそもそも論なので一旦おく)。
にもかかわらず彼らの言動が「害」となるのはどんなときなのか。
・過去の経験に基づいて、その当時の価値観を押し付けてくるとき
・現在の状況より過去の状況のほうが優れているだとか素晴らしいだとかいう評価をのたまうとき
この2つはいずれも「現在」の否定ということになると思う。誰だって否定されるのは嫌だ。これらに加えて、下記の行動も忌避されているような気がする。
・当該団体の運営学年から卒業・離脱したにもかかわらず、団体の運営方針・活動内容についてあれこれ意見する
構成員としての義務(会費支払や雑務分担)を免れているのに、構成員としての権利だけは持ち合わせている気でいる。と捉えると確かに狡いし、煩わしい。けど、社会を経験した先輩の意見って、たまにそこそこ有益。全てをシャットアウトしてしまって良いものだろうか。
●縦のつながりより横のつながり重視
大学サークル、高校部活動の増加により、仲間意識を持ついわゆる「同世代」の閾値が狭くなっている?
昔は「横」が少なかったから「縦」も貴重な仲間だった。最近は「横」が充実している分、「いま」を共有できていない相手は仲間ではなくなっている、異物、ともすれば敵…
こんな狭いコミュニティで縦とか横とか言ってるの自体、個人的にはちゃんちゃらおかしいのだが。
●「老」の「益」部分をどうやって摂取するか
・「老」ではなく「他」として受け取る
・なにかしら別の益をセットにする
↑これらの具体例は後ほど精査したい
●一番いやみなく伝えられるのは、書き残すことなんじゃねえの?
しらんけど。
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