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中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その6/春と赤ン坊


隅田川を行く遊覧船。

「雲雀」を読み返したからには
「春と赤ン坊」を読まないわけにはいきません。

春と赤ン坊

菜の花畑で眠っているのは……
菜の花畑で吹かれているのは……
赤ン坊ではないでしょうか?

いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑に眠っているのは、赤ン坊ですけど

走ってゆくのは、自転車々々々
向うの道を、走ってゆくのは
薄桃色の、風を切って……

薄桃色の、風を切って
走ってゆくのは菜の花畑や空の白雲
――赤ン坊を畑に置いて

昭和10年(1935年)という年。
中原中也は、
精力的に雑誌新聞へ詩を発表します。

前年には、
長男文也が誕生していますから
お父さん振りも
堂に入ったものになってきました。

「文学界」4月号に、
発表した「春と赤ン坊」は、
独特の不思議さのある
作品になりました。

実に味わい深く
味わい尽くせぬ奥行きがあり、
詩を味わうことの愉しみを
知ることになる作品です。

穏やかな春の日
ポカポカ陽気の菜の花畑
蜜の香りを運ぶ風に吹かれてさ
きっとあの中では赤ん坊が眠っているのさ

いいえ、空で唸っているのは、電線です
一日中、空で鳴っているのは、電線です
菜の花畑に眠っているのは、赤ん坊ですけどね。

この、いいえについて
あれやこれや、思いめぐらすだけで
けっこう、楽しいのです。

ほら、あそこを走ってゆくのは自転車だよ
淡いピンクの風を切って、
向こうの道を、走ってゆくのは
自転車だよ自転車だよ

淡いピンクの風を切って
走ってゆくのは
菜の花畑や空に浮かんだ白い雲

この、視点変換!
ダダではなくて
これは、シュールです!
菜の花畑が、走るんです
白い雲が走るのは、いいですが、
菜の花畑が走るのです!

赤ん坊は
菜の花畑に
置き去りにされたままです。

この赤ん坊は、
長男文也のことでしょうか?
いや、
詩人自身のことでしょうか?
どちらでもあるようですし……

そのあたりを
あれやこれやと考えたりしていると
ふっと、浮かぶものがあったり……
そのこと自体が
楽しくシュールな時間になります。

そういえば
詩人大岡信が言及した「春と赤ン坊」には
二高生(京大生)が「春と赤ン坊」を好み
一高生(東大生)が「湖上」を好んだというエッセイがありましたね。

➡一高生が読んだ中原中也・大岡信の場合
http://nakahara.air-nifty.com/blog/2014/02/post-2e98.html

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