中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その29/お会式の夜
西行や芭蕉が
健脚だったことは有名ですね。
中也も結構歩いています。
東京の街ですけれど。
大正12年より昭和8年10月迄、毎日々々歩き通す。読書は夜中、朝寝て正午頃起きて、
それより夜の12時頃迄歩くなり。
――と「詩的履歴書」に記したのは
伊達(だて)じゃありませんでした。
■
お会式の夜
十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、
太鼓の音の、絶えないその夜を。
来る年にも、来る年にも、その夜はえてして風が吹く。
吐(は)く息は、一年の、その夜頃から白くなる。
遠くや近くで、太鼓の音は鳴っていて、
頭上に、月は、あらわれている。
その時だ 僕がなんということはなく
落漠(らくばく)たる自分の過去をおもいみるのは
まとめてみようというのではなく、
吹く風と、月の光に仄(ほの)かな自分を思んみるのは。
思えば僕も年をとった。
辛いことであった。
それだけのことであった。
――一夜が明けたら家に帰って寝るまでのこと。
十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、
太鼓の音の、絶えないその夜。
(一九三二・一〇・一五)
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
■
中原中也は、
1932年8月に
豊多摩郡千駄ヶ谷町872(現千駄ヶ谷2-29-30)から、
荏原郡馬込町北千束621(現・大田区北千束2)に
転居しましたが、
日蓮上人入寂の地として有名な
池上本門寺はこの新居の近くにあり、
この年もお会式の
通夜客がピークに達する
10月12日の夜を、
テンツクテンテンツク……と
お太鼓の鳴り響く本門寺界隈で
過ごしたのに違いありません。
その様子を
1932.10.15の日付入りで歌ったのが
「お会式の夜」です。
□
第3連、
その時だ 僕がなんということはなく
落漠(らくばく)たる自分の過去をおもいみるのは
まとめてみようというのではなく、
吹く風と、月の光に仄(ほの)かな自分を思んみるのは。
――には、
落漠たる自分の過去をおもいみる
と
仄かな自分を思んみる
――のとの二つの内省が
この日、バーンアウト(燃え尽き)に至ることなく
寝所にたどり着いて静かな眠りへ入る
充足感さえ漂います。
□
最終連、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとほす、
――には、
太鼓の音を
遠くに近くに聞きながら
夜が明けるまで歩き通すほど
お会式に魂の休まるものがあったことがうかがわれ、
毎年、ここを訪れては
夜をふかし、
眠い朝を迎えた詩人が
くっきりと目に浮かんできて和やかです。
池上本門寺の太鼓は
夜通し打ち鳴らされるはずですから
その音の消えるまで
詩人は近辺を散策して回ったのでしょう。
時には見知らぬ大道の香具師(やし)と
口をきいたりしたかもしれません。
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