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中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その5/雲雀


明石町、聖路加病院のツインタワーを遠望する。ややシュールな視点。

空で鳴るのが電線なら
空で啼くのは雲雀(ひばり)

電線とかけて
なんと解く?
ひばり、と解く
その心は、
空で鳴く

掛詞(かけことば)とか
連想ゲームとか
しりとり遊びとか
なぞなぞとか……の手法を
詩人は自家薬籠中(じかやくろうちゅう)の
詩作法として
使いこなしているようです。

雲 雀

ひねもす空で鳴りますは
ああ 電線だ、電線だ
ひねもす空で啼きますは
ああ 雲の子だ、雲雀奴(ひばりめ)だ

碧い 碧い空の中
ぐるぐるぐると 潜りこみ
ピーチクチクと啼きますは
ああ 雲の子だ、雲雀奴だ

歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ
歩いてゆくのはあの山この山
あーをい あーをい空の下

眠っているのは、菜の花畑に
菜の花畑に、眠っているのは
菜の花畑で風に吹かれて
眠っているのは赤ン坊だ?

「雲雀」は「在りし日の歌」28番詩。
その前の27番詩「春と赤ン坊」では、
この詩作法やレトリックなどによって
赤ん坊が、
いつしか菜の花畑に取り残されました。

「春と赤ン坊」で、
はじめ走ってゆくのは
自転車でしたが
いつのまにか
走ってゆくのは
菜の花畑や空の白雲です

菜の花畑や空の白雲が
走ってゆき
赤ん坊は
菜の花畑に取り残されるのです。

天と地がひっくり返ったような
めまいを感じませんか
そんな大げさでなくとも
立ちくらみのような感覚になりませんか

「雲雀」では
歩いてゆくのは
菜の花畑
次に
歩いてゆくのは
あの山この山、になり、
平気で
歩くことのないものが
歩くようになります。

視点の移動とか
視線の転換とか
なんてことよりも
時計をねじ曲げる絵、
ダリの絵とかに
繋がっているような
シュールな感覚ではないでしょうか。

あどけなき幼児の
成長は、
いまや、俄然、
創意の中に、
新たな展開をはじめます。

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