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My Twitter Henreki(遍歴)

【写真:カナダ・キャンモア】キャンモアにもJapanese Restaurant、あります。


今回は、私のツイッターとのこれまでの歩みを振り返り、ツイッターにおける自分の原点や、自分が今ツイッターにおいて何に悩んでいるのか等の思いを、はっきりと、正直に、文章化しようと思う。

最初に断っておくが、この記事は自分のために、自分の考えを、思いつくがままに長々と言葉にしたものであって、読んだ人の役に立つとか、面白いとか、そういったことは多分ない。それでもお読みいただける方は、安直な言い方にはなるが、神である。

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私が最初にツイッターを始めたのは、2014年2月24日だったか、私は当時高校生で、弓を引くか学校の課題をやるかの生活で―即ち部活と勉強で、かなり忙しい日々を送っていた。

ツイッターは前々からやりたいと思っていたんだったっけ?そして確か、そのときハマっていたボーカロイドプロジェクト「終焉の栞」の二次創作やツイートを見る目的で、始めようと思ったのだ。クソ真面目な私は、母に「ツイッターやっていい?」と聞いて許可を得てからツイッターをインストールしてアカウントを作成した。

早速人をフォローしようと思ったが、何人くらいフォローできたのか記憶にない。多分1桁だったと思う。(はっきり言って、自分がフォローした人にフォロー通知がいくことが怖かったのだ。)数多くのフォロワーを持つ、いわゆる”神絵師”や、私好みの絵柄で漫画を描いていらっしゃる方など数人をフォローした覚えがある。そこには、当時仲良くしていた、部活での友人1人も含まれていた。また、ちょうどツイッターを始めたてでまだフォローフォロワーの少ない、素敵な絵を描かれる方1人とも繋がって、少しリプを交わしたことはあった。

当時の私はツイッター上のいわゆる”絵師”に憧れていた。自分も二次創作の絵や漫画を描けるようになり、ふぁぼ(=現在の「いいね」)を沢山もらいたいとの思いから、ペンタブを買ってもらって絵を描いて、一度だけツイッターに上げたことがある。「終焉の栞」のキャラを描いて、もらえた1ふぁぼは部活の友人からだった。懐かしい。そういえば、PCを買ってもらったのもちょうどこの時期だった。まあそんな経験から私は、絵や小説を描いて/書いてツイッターにあげている人ってメンタルが素晴らしく強いな!と思うようになった。

最初は楽しかった。好きなジャンルの二次創作やツイートをみるのはまるでお宝がザクザク出てくる発掘作業であり、時には「金塊」を掘り当てることもあった。ピクシブで大好きな作品を描かれて/書かれている方をツイッターで見つけたときには、「その人が実在していること」を確認できて嬉しかった。自分のツイートはそこそこに、ほぼ見る専のツイッタラーであった。

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しかし、そのうちモヤモヤする経験が2つほど起こった。トラブルというわけではなく、私が勝手に思い悩んだことである。

1つ目に、ツイッターでも繋がっていた部活の友人が嫌になったことだ。そう、私が、「彼女とは、もう友人していたくない」と思ったのである。その理由はツイッターではないので、話は少しそれるが簡単に言えば、その子はかなり私にべったりで、私はうっとうしくなってしまったのだ。(この話は私にとって根深いので、今度別記事に詳細を書こうと思う。)だからツイッター上で繋がっているのも嫌になったというわけである。

2つ目に、上記で「ちょうどツイッターを始めたてでまだフォローフォロワーの少ない、素敵な絵を描かれる方」と言及した方についてである。私がツイッターを始めた当初に繋がってちょいちょい交流をしていたその方は、そのうちどんどんフォロワーを増やしていった。当然である、だってその人の描く絵はとても素敵だったからだ。そしてその人は、どんどん色んな人とリプを送り合ったり、ガンガンツイートしまくったりして、楽しそうであった。私はそれに嫉妬してしまった、それが理由である。「私は初期からこの人と交流していたのに…」とか、「(ビビっていたのが原因だが)私も本当はもっと色んな人と話したいんだけどな…」とか、そういうことを思っていたのである。

ただ、ここは複雑な心境だ。なぜならば、もしこの方がフォロワーを伸ばしていかなかったとしたら、それはそれで私は「こんなに素敵な絵を描くのになあ」「もっとフォロワーを増やして幸せになってほしいなあ」「それとも私が好きになったのは間違いだったのか?」等とモヤモヤしただろう。どちらにせよ、私はモヤモヤすることになるのだ。ここはいつも難しい。

さて、この2つのモヤモヤ経験を含め、ツイッターの諸々(ふぁぼにもビビっていた)に疲れたからかもしれない。私はそのうちアカウントを削除し、アプリをアンインストールして、ツイッターに別れを告げた。

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しばらく経って(または、アカウント削除後即座に?)2015年6月、私は再びアプリをインストール、アカウントを作成し、もう一度ツイッターを使い始めた。今度は2014年8月にハマった「ダンガンロンパ」について二次創作やツイートをみると共に、(ちょうど推しキャラのスピンオフ発売が決定したため)自分も色々つぶやきたいと思ったためだ。

今回のアカウントでも、作成当初にフォローしたのは4人くらいだったと思う。フォローバックしてくれた人は1人いたが、挨拶する勇気はなかった。その方とは推しキャラが被っており、お互いに妄想ツイートを「いいね」しあう仲であった。そのうちこの方からは、挨拶をすっ飛ばして「その妄想いいですね(要約)」的なリプが来て、初めましてを言わないままに、時々会話する仲となった。それは私には、結構違和感あるものであったが、こういうことはツイッター上では珍しくないのだろうか…?(もちろん、「繋がったらまずは挨拶せねばならない」などという法律はツイッターにはないが、どのくらいのユーザーがそう思っているのだろうか?と疑問に思った次第である。)

私はダンガンロンパの自分の推しキャラやcp(カップリング)について、ひたすら思いついたままに妄想してつぶやいていった。素敵な小説や絵や漫画やMMDやツイートが生み出されたら、自分のフォローしている人には、比較的ためらいなく「いいね」することができるようになってきた。ただ、フォローしていない人に対しては、何となく「いいね」しづらいと感じることが大半だった。(これも実際どうなのだろう?個人的にはフォローフォロワー外からの「いいね」はむしろ嬉しいが、良く思わない人もいるのだろうか?)

それから、2回目のアカウント作成後からは、いわゆる(?)「推しエゴサ」「推しcpエゴサ」を、以前より激しく頻繁にするようになった。これは、ツイッター上で、推しの名前や推しcpの名前で検索をかけ、世界中の人の「私の推し(cp)」に関するツイートを浴びる行為である。推しが褒められたり人気だったりすると嬉しくてスクショしまくるし、一方で偶に推しへのネガティブな意見を見つけることもあって、落ち込むこともある。私のスマホには、推しに対するポジティブなツイートのスクショがガンガンたまっていった。そして事あるごとにそれをみては、ニヤニヤするのであった(ちなみに、今でもこれをやっている)。

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二度目のツイッターも、楽しいことが多い一方、上記の推しエゴサでネガティブツイートを発見したときにはかなり落ち込むことがあったり、(私の推しキャラの作品内での振る舞い上)ネタキャラのように扱われることに悲しみを覚えたりすることもあった。当時は、見えない人間からの(あまり考えて言ったわけではないかもしれない)ネガティブ意見を、いつ何時も真正面から受け取っていたのだ。(ちなみに今は、ネガティブツイートをみても引きずらないようにすることができるようになってきた。)

そして2016年夏、ダンガンロンパ3のアニメが上映されたとき、私はツイッターっていいな!と思った。そう、アニメをリアルタイムで視聴して、ツイッターで他者と一緒に騒ぐことができるのである。ツイッターの醍醐味は、まさにこの「リアルタイム性」にあると思われる。アニメをみて、その場では一人でも、ツイッターにいけば、私以外にも騒ぎたい人、そこから色々言いたい人、感想を共有したい人は沢山いる。そのときだけは、フォローしていない見知らぬ人のツイートでも、共感したらガンガン「いいね」やリツイートをしていたように思う。どんちゃん騒ぎをしていたあの雰囲気、それがとても良いなあ、好きだなあと思った。

その後もダンガンロンパ公式には動きがあり、私の推しのスピンオフが完結したり、「ダンガンロンパV3」(ゲーム)が発売されたりした。私は自分の推しのかっこよさに惚れ直して感想&妄想ツイートをしまくったり、フォロワーのツイートを見て「いいね」したりした。更に、(V3の新キャラから)推しが増えて、フォローしていない人々の二次創作を片っ端から漁ったりピクシブを見たりしていた。ダンガンロンパ公式からの供給、ファンによる二次創作やツイートはそのうち段々と減っていって少し物足りなくはなってきたが、私は引き続き「推しエゴサと妄想ツイート垂れ流し」の二本立てで、楽しいツイッターライフを送っていた。

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ダンガンロンパの供給が少なくて物足りなさを抱えていた2019年6月下旬のある日、私は突然某キャラに一目惚れしたことがきっかけで、「ワールドトリガー」という漫画にドはまりした。ツイッターを漁って片っ端から二次創作をスクショ、スクショ、スクショ。自分の推しについて前々から(または、過去にのみ)呟いていらっしゃる方に関しては、フォローしていようがいまいがツイートを遡ってスクショ、スクショ、スクショ。公式アカウントを含め数人フォローして、時々「いいね」を押すようになった。私のフォローした人々はフォロワーの多い絵師の方々であり、フォローバックされることはなかった。でもそれ自体は別に良かった。

しかしこの漫画、(良い意味で)とても論理的で、作者の先生も既存ファンの皆様もとても頭が良い。私は一度全巻読んだだけで把握できていない部分も多く、また、ハマりたての新参者ということもあり、妄想や考察を勝手に遠慮してしまい、中々ツイートできずにいた。

それに、時々ぽつぽつとツイートしても、繋がっている人は大体ダンガンロンパの人々だったし、多分ツイッターの何らかの自動的な分析によって「こいつはダンガンロンパについて呟く人間だ」との認識がなされていたので、突然別ジャンルについて呟き始めても、人目につかないし、「いいね」されることもフォロワーが増えることも、全くなかった。むしろ、ダンガンロンパで増えていたフォロワーが(といっても極小だが)1人2人くらい減ったりして、私は少し気が沈んでいた。そして私は、「推しエゴサはするけど、ツイートはあまりしない人間」になっていった。

ただ、この漫画が一カ月に一度、最新話が更新されるときには楽しかった。ダンガンロンパのアニメをみていたときと同じく、ツイッターでリアルタイムに騒げることは、とても楽しかった。最新話の感想や考察を、(「面白かった」という意味での)叫びと共にバシバシツイートして、見知らぬ他者のツイートも覗く。そして「いいね」とリツイートだ。特に自分の推しキャラが大活躍したときには、推しエゴサも捗る。そんなときはひたすらスクショもする。

でもワールドトリガーで人と繋がることはなく、推しエゴサでも収穫ない時もあり、リアルの生活では就活だ疫病だ…などと不安定な日々が続き、やはり気が沈みがちになったときもある。そういう「心が弱ったとき」には私は決まって、「リアルの友人(または就活などの件で同世代の見知らぬ人々)と繋がるアカウント作成」を試みるのである。誰かと繋がっていたい、交流したい、もっと私のことを知ってほしい、昔の友人に会いたい、ここで新しい出会いが生まれて良いことが起こるかもしれない…そういう思いが、不定期で私の心に湧き上がってくる。だから、以前から何度か「リアルアカウント作成」を試みたことがあるが、ことごとく頓挫するのだ。どうしてもフォローの段階で手が止まり、そのままおじゃんになるパターンが大半である(誰からフォローすればいいか分からないし、例えば同じ部活動にいたのにフォローしなかったらまずいかな…とか考えてしまう)。また、「何で今更?」と思われたり、「誰だろう」と思われたりするのが怖いとか、そういう思いもある。あとはアイコンやヘッダーに困ってしまうことも多い。フリーアイコンなるものはネット上にいくらでもあるが、私はそこで変にプライドを発揮してしまい(何となく「フリーアイコン使ってる」=「アイコンないんだ」と思われることに抵抗がある、言葉にしたら当たり前なんだがな…)、中々使うに踏み切れないのである。(このリアルアカウント作成、もう3回くらいチャレンジしているが一向にできそうにないので、今はもう「向いていない」「まあなくても大丈夫」と思って割り切るようにしている。でもできるならやりたい感はまだある。)

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そんな感じで、ものすご~く稀に「いいね」がくる、推しエゴサ中心の、半分見る専のようなツイッターライフを続け、2020年7月になった。ある日私が何気なく、(ワールドトリガーの)とあるcpが好きだと呟いたら、フォロー外の人から「いいね」が来た。その人のことは、以前より推しエゴサで知っていたので(しかもそのcpが好きな、数少ない人だった)、嬉しくなった。調子に乗った私がガンガンそのcpについてツイートしていったところ、リツイートしてコメントツイートをしてくれたりしたし、ある時遂にその人が私をフォローしてくれた(この人をAさんとしよう)。私はすかさずAさんをフォローバックした。フォローバックの日後、私はAさんに挨拶のリプライを送った。まともにリプライを送り合う経験がなかったため、手に汗握りながら。そして我々は無事、「知っている人同士」となったのである。

Aさんは別の漫画をメインに絵や漫画を描かれている方で、フォロー数に対してフォロワーが多く、時々絵や漫画を上げると、そのフォロワー数より多くの数の「いいね」がくるような人だ。時には私の推しcp(=Aさんの推しcp)の絵も描いてくださる。そしてAさんは私のツイートにガンガン「いいね」をしてくれるため、私はいよいよ嬉しくなって、そのcpについての妄想ツイートばかりするようになった。

最初は妄想すること自体がとても楽しく、自分のことを天才だと思いながら妄想して文章にしていた。プライベッターやふせったーに好き勝手長文を流したり、一度だけピクシブに小説を公開したりもしていた。更に、妄想したら必ず「いいね」が来るし(Aさんだけでなく、もう一人見知らぬ方も頻繁に「いいね」してくださっていた)、時々Aさんからのリプライもくる。Aさんご自身も、以前より頻繁にそのcpについてツイートしてくださるようになり、私はガッツポーズであった。

更に更に、もう一つ嬉しいことが。以前から、時々そのcpの絵を描いてくださっている別の方(この人をBさんとしよう)をフォローしたところ、なんとフォローバックされたのである。Bさんもフォローに対しフォロワーが多いタイプの人だったので、私は全くフォローバックを期待していなかったので、かなり喜んだ。早速私は挨拶のリプライを送って、Bさんとも「知り合い」になったのである。

そしてAさんとBさんも、お互いリプライを送り合う仲になったようで、我々は3人でそのcpについて語り合う者たちということになった。この繋がりによって、お二方がそのcpについて語ってくださる頻度、絵や漫画を描いてくださる頻度は更に増え、私もガンガン呟き、時にお二人とエアリプを交わし、ますますツイッターが楽しくなってきた。

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しかし私は、4つほどモヤモヤすることがあった(念のため断っておくが、「AさんやBさんが悪い」という話では一切ない)

1つ目に、我々3人が推しているcpに関して、Aさんと私は「恋愛は起こらないだろうが、起こっても好きだし、スケベなネタも好き」、Bさんは「恋愛では一切ない」という解釈を抱えている。多分Bさんは、たとえ妄想だとしても、このcpに恋愛やスケベを持ち出すことはない(好きではない)のだろう。だから私は、何となく恋愛やスケベの妄想ツイートをしづらくなってしまったのだ(もう一度言うが、これはBさんが悪いとかいう話では絶対にない)。自分の好き勝手につぶやけばいいのに、それができなくなってきたのである。

2つ目に、「人間の欲望に限りなし」とはまさにこのことだが、私が勝手に不満を感じてしまうことが結構ある。「BさんはAさんに比べ、「いいね」してこず、私の妄想ツイートにはあまり反応をもらえない。私がBさんの作品に反応したときだけ反応してくださる。」とか、「私が渾身の自信作だと思って、エアリプまたはリプが来るだろうと思ってしたツイートに、Aさんの『いいね』だけがついて終わりかよ」とか、「我々3人と繋がっていない人で、そのcpを好きになった人がいるようだが、その人の『いいね』欄にあるのはAさんとBさんのツイートが大半で、私のツイートは少ししかないじゃん」とか(しつこく言うが、これもAさんBさんが悪いとかいう話ではない)。それに、「いいね」が1つもつかなかった自分のツイートを見る度に落ち込むこともあった。最初は相互フォローになれただけで大喜びしていて、自分の好き勝手に呟いて楽しくなって、「いいね」なんて二の次だったのに、こんな風に思うようになってしまった。私のツイートの後にBさんのツイートがスッと来たとき、それだけでネガティブな気持ちになることも少なくなかった。これに関する話は、以下の記事にも書いた覚え。

3つ目に、AさんとBさんは絵や漫画を描かれるが、私がそのcpについてツイートした直後に、偶々お二人のうちどちらかがそのcpの絵及び漫画をアップした場合、タイムラインの話題をかっさらうのは間違いなく後者である。その絵や漫画に関するツイートをお二人が沢山することになる。そのせいで、大好きなはずのcp及びその作品に対し、私は黒い感情が湧き上がってきてしまったこともある。(何度でも言うが、AさんとBさんは全く悪くない、私が勝手にモヤモヤしているだけである。)

4つ目に、私は、AさんとBさんが会話されていたりエアリプを交わされているところをみると、即座に嫉妬してしまうようになったのである。AさんとBさんが会話した回数は何回で、Aさんと私は何回で、Bさんと私は何回で…などとカウントするという、傍からみれば誠にヤバめなことをしていたときもある。それもあって、タイムラインに置いて行かれていないかなあと気にして、更にツイッターに入り浸ってしまったのである。

この4つのモヤモヤを抱えつつツイッターをしていて、また嬉しいことがあった。また別の人がフォローしてくださったのだ。私はその人に関しても、以前より存在を知っていて、その人が時々描かれている絵に私が「いいね」をしていたわけである。

ただ、これまた別のモヤモヤなのだが、その人は私が呟くcpの片方のキャラ(Yとする)が単体で推しだという人なのだ。そして私は元々、そのcpのもう片方のキャラ(つまりYではない方)を単体で推している人間だ。だから私は、承認欲求のためにYのツイートを増やすという、これまた気疲れするようなことをしてしまいかねない。そこが懸念点である。

それに関連して、大切なことを書き忘れていた。そう、私は元々、そのcpだけが好きというよりかは、そのcpの片方のキャラを単体で推していて、そのキャラに関するcpなら何でも好きですよ、という人間である。しかし上記のように承認欲求にとらわれ、そのcpについてのツイートをしまくった結果、「(私の推しているキャラ)単体が好きです!」という、”真の同類”とは中々繋がれずにいる

そう、上記の色んなモヤモヤを改めてみてみると、「やはり好き勝手にツイートするのが一番なのではないか?!」と思えてくる。そう、人からの評価ではなく自分がそうしたいからする、と考えられたら最高である。

ただ、ここでも一つ、私を悩ませることがある。それは「一体どの程度気を遣うべきなのか?」という点である。私は今まで、「自分の大好きなcpは人の地雷となり得るから、配慮しましょうね」とのツイートがバズっている姿を、幾度となくみてきた。だから、cp何でも大好き、自分の推しがいれば何でもOKな私は、他の「より許容範囲が狭い人」に向けて気を遣うべきなのか?と考えてしまうわけだ。そうすると最早、何をどうやってツイートしたら良いのか迷子になってくる。

そんなわけで、ツイッターとの距離感、交流あるフォロワーの方々との距離感に悩むことが、私にはいつだって多いのだ。この他にも、いまだにフォローフォロワー比率を気にして、変にプライドを持って「フォローする」という行為をためらうとか、繋がっている人の人数が極端に少ないと人からどう思われるのか気になるとか、まだまだ色々思い悩むことはある。なまじ細かいところに気づけてしまう人間なので、考えすぎてしんどくなることはまあまああるのだ。

HSPにSNSは向かないからやめるべき…という意見もあるが、楽しいことには間違いないので、やめたくはない。ただ、楽しくやっていくのが難しいというだけだと思う。でもまあ、いつかはスパッとやめるのもありかなあ。

逆に、成長した点も多い。上記でもちょいちょい書いているが、「いいね」をすることをためらわなくなったし、フォローも少しずつしてきたし、リプもできるし、ツイートのスクショを以前よりもしなくなってきた(ツイートのスクショも多分、根底には承認欲求があるので…)。それに自分がマイナス感情になっているとき、それを自覚して対処する行動を起こすことができるようになってきたし、自分があまり書きたくないようなことも、少しずつだが正直に言語化できるようになってきた。

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以上が、私の現在までのツイッター遍歴と所感である。やはり「依存」は、「これがなくなったら私は終わり」と思わせるという点で良くないと思った。世界はここだけではないから、もっと気楽に付き合っていければいいなあ。この世にある素晴らしいものに沢山触れる、その中の1つがツイッターである、そういう風に思えれば、最高だなあ。

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。貴方には感謝してもし切れません。またどこかでお会いできましたら嬉しいです。

サポートはお気遣いなく。スキしていただけると感無量です。