続・承認欲求の魔物
【写真】ベルギー・ブリュッセルのairbnb。家主は終始不在だったが、快適だった。
先日、以下の記事で、ツイッター上で人の評価がほしくて云々という話をした。
最近、ツイッターで黒い感情が湧き上がることが多いので、ここに書いて発散できればと思う。
前提として、私はツイッターでは自分の好きな漫画・アニメ・ゲームについて呟いており、フォローもフォロワーもとても少ない。そして今は、ある漫画のあるキャラクターが大好きで、そのキャラや、そのキャラ周辺の好きなcp(カップリング)の妄想をしている。SNSで人と交流することが苦手な人間である。
ただ、一つ勘違いされたくないのは、特にトラブルに遭っているとか、そういう話ではない。ただ私が一人でぐるぐると悩んでいるだけである。
希少性希求
私はいつも、少ない方、人とは違う方、マイノリティな方へと流れていく。そしてそれがマジョリティ、多数派、皆が好きな物となったとき、離れていく。なぜだろう?
希少だったものが希少ではなくなっていくことに、複雑な思いを抱くからだろうか?そのジャンルに最近ハマった人を「にわか」と叩く古参ファンのような気持ちだ。でも言葉にするのが難しい。ライバルが増えるからだろうか?つまり嫉妬が起こるからだろうか?
嫉妬
私がツイッター上で嫉妬というものを抱く瞬間が2つある。まず1つ目は、同じものを推しているという意味で同志のツイートが「いいね!」されるのに、自分はされないときだ(ちょっと語弊があるけど)。
自分の推しcpは今マイナーだ。でも最近、結構「好きだ」というツイートやユーザーの方々を見かけるようになった。メジャーになっていくのは嬉しいことなのに、喜べない。自分が有難がられなくなるからだ。絵や小説に乏しいcpでは、(言い方は悪いが)妄想ツイート程度でかなり喜ばれる。でもメジャーになっていくと、絵や小説が増えていく。妄想ツイートも増えていく。そうするとそちらの方が有難がられるようになる。
私は絵を描くこともできなければ、小説を書くこともできない。でも妄想ツイートが長くなったものを投稿しているうちに、自分がまるで二次創作者になったかのように、提供者になったかのように、思うようになってしまった。だから絵を描く人、小説を書く人と同じように、評価されたいと思うようになってしまった。だから、同志であるはずの、同じcpにおいて絵を描く人や小説を書く人に対して、嫉妬というものを抱くようになってしまった。
※大分自己嫌悪になるが、とにかくここに書いてしまおう。決意。
2つ目。フォロワーの少ない人と繋がって仲良くしていたところ、その人が、段々と繋がりを増やしていったけど自分は変化がないときだ。私は前々から仲良くしていたのに…という思いを抱いてしまう。まさにそのジャンルへの新たなファンを「にわか」と叩く古参と同じ。
どれもこれも承認欲求
何を言いたいのか分からなくなってきたが、私が上記のように抱いている黒い感情の源泉は、承認欲求にあると思う。人からの評価を望む気持ち、自分がどこか劣等であるという気持ち、人同士(もちろん自分を含む)を比べて上下をつけたがる気持ち…。そういうものが、私を悶々とさせているのではないだろうか?本当に厄介な魔物である。
現時点での打開策
承認欲求を今すぐなくすのは不可能だろう。だからそういう方面ではない打開策、承認欲求から自分の目を逸らす策を考えた。
その結果、ツイッターだけ、自分の推しだけを、拠り所や楽しみとして、依存し過ぎているから、健全な気持ちで向き合えるようになるまで、少し離れた方が良いという結論に至った。離れるとまではいかなくとも、ツイッターをみる頻度を減らすべきだ。推しとの距離感はとても大切だし、SNSとの距離感も大切だ。
しかし、ツイッターを見ないようにするだけでは、単純に楽しみが減るだけになるので、その代わりに他のドメインでも楽しむことができればいい。とにかく色々やって、それらに時間を使いまくって、ツイッターを見る暇もなくせばよい。距離感を分散するのだ。その方が、ツイッターをありがたがることができるし、健全な距離感を保てるような気がする。家にいる時間が多くて時間に余裕があるから、これは尚更必要になってくる。
だから色々とハマれるものを日々探し求めよう。中々見つからないけれど…探すことをやめない。新しいものに出会うことを拒否せず、億劫がらず、色々試してみよう。この世界に色々な好きな物を見つけて、好きな時に好きな物と触れ合うことで、幸せな時間を増やそう。そうすれば承認欲求の魔物は鎮まってくれる気がする。本当はぶっ倒したいけれど、とりあえず今はこれでいこう。私の、承認欲求の魔物との闘いは、これからも続く。
サポートはお気遣いなく。スキしていただけると感無量です。