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クォーツは言った(2)

 彼はおしゃべりだった。わたしが裁縫をしていても、草刈りをしていても、テレビを見ていても、ずっとしゃべっている。それが、返答を期待した言葉の投げかけだったのかは今になっては分からないが、ただ彼が言葉を発することを好んでいた事実は動かない。
 そういえば、彼が静かになる場所がひとつだけあった。台所である。
 台所、といってもそれはシンクの上とか、食卓の上ではない。台所にある窓のへり。窓の向こうには、山吹が咲いていた。クォーツはその黄色い花が好きだった。
 たとえばわたしが夕食を作りに行く。まだ、光が残っている午後五時ちょっと前、台所に入るとクォーツは熱心に自分の居場所について語り始める。
 ——思うんだ。やっぱり自分がいるところはできるかぎり愛おしいものと近いところがいいって。ほら、わたしはちょっと前まで中にいたからさ、できるかぎり”今”には中にいたときには感じられなかった。愛おしいもの、いや、そういってしまうとちょっと違うかな、美しいもの、わたしを満たしてくれる美しいものの近くにいたい。君だってそうだろ、ちょっとでも”美しいもの”を食したいと思っている。手に入れたいと思っている。だからそんなに君自身しか食べない夕食のためにそんなに頑張ってさ、好きな器に、キレイに盛りつけてる。そうだろ。だからさ、君はわたしをあの窓の、できるだけ近くに置くべきなんだ。このちっちゃな袋に閉じ込めたりなんかしないでさ
 当時わたしは、クォーツを赤い小さな巾着に入れて首からさげていた。不思議と他の人間にクォーツの声は聞こえていなかったようだったが、それでも用心して自分のそばに置いておくことにした。”しゃべる石”は少し気味悪くとも、やはり”しゃべる”だけあって万が一のことを思うと邪険にできなかった。
 「わたしが思うに、君はわたしに感謝の気持ちが足りないと思う」
 ——そんな、怒るなよ
 ハハ、と乾いた笑いが聞こえてきそうだった。実際、彼の声は表情のない淡々としたものなので読み取ることはできない。言葉だけある。聞こえてくる。
 ざくり、と茄子に包丁を入れた。指は切らない。指の傷はまだふさがらない。
 「ずっとその中にいればいいんだ」
 茄子を水にさらす。水はだんだん濁っていった。きったない石英の色。
 ——悪かった、わたしが悪かったよ。謝るから、わたしをあそこへ置いてくれよ。頼むよ。
 去年、父と喧嘩をした。夕食のあとに皿をそのままにして出かけてしまった。わたしはその日どうにも疲れていて、頭にきてしまった。帰ってきた父を無視すると生まれてかかさず言ってきたおやすみの言葉もなく眠った。父はそれにひどく傷ついたのか、翌朝わたしよりもだいぶはやく起きて必死に謝ってきた。
「しかたないなあ… 」
 巾着袋からクォーツを出す。窓のへりにこつりと置いてやる。今まで隠れていた音が耳に入る。窓の外は風が吹いているようだった。葉と葉がこすれ合う。身近なものとの距離は意外とわからない。かと言ってふれるわけにもいかないのが人間である。
 クォーツが我が家にやってきた日、ずっとずっと待っていた。こんなよくわからないもの、1人では手に追えないと必死に呼吸を落ち着かせながら、ずっと。しかし一向に父は戻らなかった。そして今日に至る。

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