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あるお見合いでの会話ーー恋愛について②(マッチングの話)

この記事の続編ですが読んでいる必要はないです)

女:恋愛におけるマッチングは、心理的なコストがかなりかかるものだと思っています。このコストはいろいろな種類があると思うのですが、話をわかりやすくするために、いくつかに分解して考えてみようと思うのです。一つ目の軸は、くっつくときのコストと、離れるときのコストという軸です。平たくいうと、相手を見つけるのも大変ですし、別れるのも大変、ということです。もう一つは、相手をすでに知っている人にするか、知らない人にするか、という軸です。平たくいうと自分の所属しているコミュニティから恋人を見つけるのか、もしくはマッチングアプリや合コン、お見合いなどで相手を見つけにいくのか、ということです。
男:なるほど。「知っている人とくっつくコスト」や、「知らない人と離れるコスト」などのように、それぞれ考えていくということですね。
女:その通りです。順番に考えていきましょう。

知っている人とくっつくコスト

男:知っている人とくっつくというパターンは一番イメージしやすいですね。よく「恋バナ」とかでは、「誰かいい人いないの?」と聞かれますね。
女:そうですね。人の興味を惹く話は、何らかのコミュニティの中で恋が芽生える……という話なんでしょうね。コンテンツとして聞く分には、合コンとかマッチングアプリで知り合うよりも、「馴れ初め」がはっきりしている方が聞いてて面白いんでしょうね。
男:これのコストはわかりやすいですね。すでにいるコミュニティで何かそういう動きをすると、今後そのコミュニティに居づらくなってしまうということですよね?
女:それは大きいですが、ちょっと表層的です。個人的にはちょっと別な感情もあります。たとえば、趣味のコミュニティに顔を出す時は、わたしは趣味を楽しむために来ています。そこで急に、「ぼくと一緒に恋愛をしませんか」ということを言われた時に、どう思うかということです。
男:なるほど。たとえるなら、松屋にチキンカレーを食べに行ったら、知らないおじさんに手作りの肉まんを渡されて、「ぼくの肉まんどう?おいしいよ?」って言われるような感覚ですよね。
女:どういう状況ですか。まあでも、近いと思います。多少顔馴染みになってくれば、「この人の薦める肉まんなら食べてみるか」と思えるかもしれませんが、得体が知れない時にそれをされると怖いし、何より、チキンカレーを食べにきているのに、全く関係ない別のものを薦められても……って思うじゃないですか。そうなってくると、松屋に入ること自体のトラウマを植え付けてしまう可能性だってあります。「松屋に入ったら、また肉まんを売りつけるおじさんに出会っちゃうんじゃないか?」ということです。相手のことを好きだと思うほどの思いやりがあるのであれば、そんな不快なトラウマを植え付けかねないことをわざわざしない方がいいだろう、ということです。
男:趣味の場だけじゃなくて、仕事でも、学校でもそうですよね。合コンやマッチングアプリは「恋人を作るために集まっている」環境になるのでこの心配はないですが、それ以外のところでは常にこの問題がつきまとうということですね。
女:その通りです。互いに目的が一致しているという安心感があれば、あとは自分と相手の相性が良いかどうか、という一点だけの話になってきますから、多少の安心材料があるのかな、というところです。
男:でも、そうは言っても、趣味のコミュニティで恋愛沙汰なんてよくあることじゃないですか。実際は恋愛のために趣味のコミュニティに入っているわけではないけども、結果的に好きな人ができて、その気持ちが止まらなくなってしまうことで結ばれるというパターンもあるんじゃないですか?
女:実際それが一番多いパターンだと思います。個人的には、運と縁と信頼関係とが揃うことでかろうじてそうなることもあるだけじゃないかなと思っています。ギャンブルでしかない。
男:ギャンブルに興じても別にいいんじゃないですか?いわゆる「出会い厨」と思われることを恐れているだけなのでは?
女:そう思われたくないというのはそうです。「出会い厨」という言葉は、何というか足を引っ張るために作られた言葉のような気がしてあまり好きではありませんが……でも、概念としては存在するのでどうしようもないことです。「出会い厨」というものは、純粋に趣味のことがやりたくてコミュニティに入ったのか、出会いを求めてコミュニティに入ったのか、その区別が外から見たらわからないことに起因するものじゃないかと思います。言い寄られた時点で、その相手のことが「出会い厨」に見えてしまうのはしょうがないことだと思います。恋多き人なんかは特に避けられないでしょうね。

知っている人と離れるコスト

女:さらにたちが悪いのが、破局するときです。一度恋人関係になったら、別れた後も元の関係性でいることってまず無理ですよね。
男:ゆで卵が二度と生卵に戻らないのと同じですね。
女:はい。そしてそれは、恋人関係にならなかったとしても同じことだとも思います。つまり、想いを伝える段階でも、「あなたのことを性的な目で見ている」(※注:同性愛のパターンもあるので「異性として見ている」とはしてません) ということを表明すること自体が、一種の不可逆性を伴う行為ではないかと思うのです。
男:それはわかります。さっきギャンブルの話が出ましたが、ギャンブルの代償がお金ではなく人間関係になる、ということですね。
女:そうです。コミュニティのあらゆる人のことが好きになって、片っ端から告白して玉砕する人をたまに見ますが、あれはさながら焼畑農業のように見えて、自分にはできないな、と思います。
男:虎穴に入らずんば虎子を得ずということわざはありますから、そういう勇気も大事なことだと思いますけど。
女:勇気は讃えられて然るべきだと思います。それと、動物の本能として考えるとそれは正しいことだとも思います。あくまでわたしが真似できないな、と思うだけです。とにかくここで言いたいことは、自分の身近で恋人を探すことは、人間関係上のリスクをコストとして支払っているんだ、ということです。場合によっては周囲に迷惑をかけることだってありますからね。大学のサークルなんかは、色恋沙汰が原因でサークルが消滅することだってあります。
男:そういう意味で、周囲の人間からすると色恋沙汰なんて少なければ少ないほど厄介ごとが少ないとも言えますね……ある程度思い切った利己心がないとできませんね。

知らない人とくっつくコスト

男:そうなってくると、身近ではないところで恋人を見つけるのがいいのでは、と思えてきますが、わたしからするとマッチングアプリなどで知らない人と知り合うコストもまた大きいと思います。男の場合は美人局があったり、振り込め詐欺の受け子に勧誘されたりしますし、女性の場合だって暴行されたり、挙句の果てには殺人事件に巻き込まれるリスクがあります。
女:そうですね。マッチングアプリは身元が割れている人だけがやっているので、犯罪系は稀な事例だと思いますけど……
男:まあそうですね……どうしてもインターネット歴が長いと「出会い系サイト」のイメージが抜けきれなくて、いまいち信じられないというのはあります。
女:実際女の場合、マッチングアプリなどを通じて(性)暴力を受ける事例はたくさんありますし、他にも結婚詐欺とか既婚者に騙される話とかもあるので、吸い放題の甘い蜜というわけではなさそうです。
男:それを抜きにしても、知らない人に好かれるというのはなかなか難しいことだと思いますね……。外見を登録して、数ある男の中から選んでもらうというのはなんとも……
女:知ってる人には好かれているみたいな言い方ですね。マッチングアプリで選んでもらうためには、第一印象をよくして、自分を磨く以外にないんじゃないですかね。
男:急に厳しいですね。まあでも、言いたいことはわかります。ちゃんと清潔感を手に入れて、悪い印象を与えないようにするのは最低限ですね。ただ、そうは言っても、そんな小手先のことだけでどうにかなる程マッチングアプリや合コンは甘くないとも思います。自分を知っている人にすら興味を持たれない人が、自分を知らない人に興味を持ってもらうのは難しいことじゃないですかね。さながら、草野球でベンチ入りしている人がプロ野球の打席に立つようなものじゃないかと……。
女:それはあります。マッチングアプリを舐めてはダメですね。恋愛の素振りと走り込みを重ねないことにはうまくいかないでしょうね。その過程でたくさん傷つくことがあると思うので、そういう意味で知らない人とくっつこうとすることは高コストであるとはっきりいえますね。
男:マッチングアプリで戦えるだけの経験値は、どこで積めますかね。
女:マッチングアプリじゃないですか?知らないですけど。

知らない人と離れるコスト

男:知らない人とくっつくコストが高いことははっきりとわかりますが、離れることは簡単な気がしますね。失うものは何もないので。
女:そうかもしれませんがそうとも言い切れないと思います。これは知らない人特有のことではないのですが、一般に人と別れる、人をフったりフラれたりするのは結構心理的に高いコストがあると思うんですよね。よく、告白はフる方が辛いなんていうじゃないですか。
男:その格言にはあんまり納得いってないですが、それはありますね。依存度の高い人とくっついてしまった場合、離れるのは難しいというのはありそうです。
女:そうです。とりあえず付き合ってみればいいじゃんという人がいますが、ダメだった時にすぐに離れられると思っているのは想像力が欠けているか、思いやりが全くないかのどちらかのような気がしますね。もっとも、そういう人は想像力がないので、元々別れる可能性なんて考えてないのかもしれないですが。

コストに見合わない

女:長々と話してしまいましたけど、そんなわけでわたしの恋愛のスタンスは以下のような感じです。

・恋人関係になることで追う責任が嫌だ
・恋人関係になることで得たいものが特に思いつかない
・そんな中で恋人を得て幸福になるには価値観が合う人を見つけないといけない
・知っている人の中から見つけるのも知らない人の中から見つけるのもそれぞれしんどいし、別れる可能性を考えるとこれまたしんどい
→そんなしんどい思いをしてまで、わざわざ恋人を作る意味がどこにあるのだろうか?

女:なんというか、しんどい思いをしてまで、なぜ恋人が欲しいんだろう?とずっと思っています。恋人がいるという勲章が、そんなに大事なのかな?と思うんです。
男:……。
女:恋人という勲章を、恋愛をしたことがあるという実績トロフィーが欲しいというだけの理由で、他人の人生に勝手に土足で踏み込んでいいものなんでしょうか?リスクを賭さなければ何も得られないというのはその通りだと思います。でも、ハイリスクローリターンの賭けに興じるのは愚かとしか言えないと思うんですよね。
男:あなたは間違ってますよ。
女:えっ?
男:そもそもこんなことを考えているのが間違いなんですよ。恋愛っていうのは、恋心っていうものは、自然と出てくるものなんです。この人を幸せにしてあげたいという強い気持ち、その発露が恋愛なんです。たしかにトロフィーが欲しいという目的で恋愛に躍起になっている人はたくさんいます。でも、結局恋愛を目的として捉えている場合、大抵はうまくいきません。
女:……。
男:多くの人にとって、恋愛は手段なんです。目の前にいる人間を大切にしたいと思った時に、その相手を守ってあげたいと思った時に取る、選択肢の一つに過ぎないんじゃないかなって……わたしはそう思うんです。だからコストがどうとかそういうことを言っている場合じゃないんです。
女:……。
男:どうですか?
女:ほんっとうに……
男:……?
女:ほんっとうに、独りよがりもいいところだな!!!と思いますね!!!
男:……!?
女:きしょいです。守ってあげるってなんですか?何から守るっていうんですか?地球温暖化ですか?腸チフスですか?振り込め詐欺ですか?わたしの家にマシンガンを持った暴漢が入ってきた時にも守ってくれるんですか?どうやって?もしくは経済的苦境から守ってくれるんですか?どうやって?どうしてそう言い切れるんですか?どうしてわたしのために行動できるって信じきれてるんですか?
男:あの……
女:あなたの話を聞いて思いました。恋愛っていうのはやっぱり、独りよがりで非合理的な人間じゃないととてもじゃないけどできないものですね。理性のある人間にはとてもじゃないけど無理です。自分のやることが相手のためになる、ということに対して、盲目的に信じられる人だけが楽しむことのできる娯楽に思えてきました。わたしも理性的な人間とはいえないかもですけど、少なくともその辺の想像力はあります。ああーもう、うんざりしました。わたしは帰ります。
男:……。あー……

男:帰っちゃったか……かわいそうな人だったなあ……。ああやって、いつか誰かに、「そんなことないよ」と論駁してほしいんだろうな。

男:でも実際、そんなことないことはないんだろうな。恋愛は独りよがりで、盲目的で、非合理的な人間が楽しむことのできる娯楽というのはその通りなんだろう。そして、この場合の合理性というのは単に臆病さから逃げる免罪符なのかもしれないね。恋は盲目と言うけれど、盲目にさせるだけの強い光がある。その光が怖いだけなんだ。やっぱりかわいそうな人だ。かわいそうになあ……。

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