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あるお見合いでの会話——恋愛について①(覚悟の話)

この記事の続編ですが読んでいる必要はありません)

女:ちょっとわたしの話をしてもいいですか。
男:はい。ぜひ聞かせてください。
女:あの……ラヴ・パレードって曲を知ってますか?
男:オ- ベイベ- コノバショデェ キミトデア-イ
女:はい、それです。その曲を中学生くらいの時に聴いて、いい曲だな、って思ったんですけど、同時に、恋愛ってめちゃめちゃ嫌だなと思ったんです。

男:なんでですか。あんなの恋愛讃歌じゃないですか。
女:歌い出しのところで、「明日俺んちくるってさ 君がいきなり言うからさ こんな時間から掃除」って歌ってるじゃないですか。あれ、嫌だなと思ったんです。
男:はぁ。
女:わたしの家ってめちゃめちゃ散らかってるんです。それはもう足の踏み場もないくらい。脱いだ服とか下着とか、郵便物とかコウモリの心臓とか、挙句の果てにはお菓子のゴミとか……でも、恋人が明日家に来るって急に言ったら、たとえ深夜であっても掃除しなきゃいけないってことじゃないですか。それがすごい嫌だなと思ったんです。
男:うーん……?そこってこの曲の本質じゃなくないですか?あくまで「かーっ!しょうがねーなぁ!」ってことじゃないですか?
女:……わかりにくいですがそうです。本当に嫌なのは片付けをしなければいけないということだけではありません。結局のところ、恋人のためには全てのあらゆることを優先しなければならないということが嫌なんです。そこの責任が発生することが嫌、ということです。
男:あらゆることを優先しなきゃいけない、というより、恋に落ちている人は自然とそうしちゃう、恋の力はすごい!っていうことじゃないんですか?
女:曲のメッセージはそうなんだと思います。ただ、それと自分がそうなれるかどうかは別じゃないですか。好きな人ができたとして、「恋人のためにオムライスを作ってあげたい!」とは思うと思うんですけど、「その人のために右手の中指の爪を剥がしてプレゼントしたい!」とか「恋人の吐瀉物を飲んであげたい!」とか、そういうことは思わないじゃないですか。
男:ぼくは飲めますけど。
女:……。えーと、あなたのことは置いておいて、何が言いたいかというと、好きな人のためなら何でもできる!と、人は口では言いますけど、実際のところやりたいことと、やりたくないことは明確にあるだろう、ということです。つまり、いくら恋の力と言っても、それには限界と個人差があると思うんです。
男:そう言われるとそれは分かります。あなたにとっては恋の力でオムライスを作ってあげることはできるけど、家に招いてあげることはできない、ということですね。
女:そういうことになります。でも、仮に「家には招きたくない」と言われたら、「こいつ俺のこと好きじゃないな?」って思いますよね?
男:はい。
女:恋の力で発揮できる能力の方向性が人とズレている場合って、そういう意味で苦労すると思うんです。「恋人のためなら、このくらいするのは当たり前じゃない?」という感覚——この感覚が、人と合っている気がしないんです。
男:なるほど、なんだか言いたいことがわかってきました。ただ、さっきから話を聞いていると、極端な例でごまかそうとしていませんか?実際のところは、恋人のためにできることの閾値が、人より低い、っていうことじゃないですか?
女:はい、そうです。もっと本音を言うと、恋人の人生そのものに対する責任を負うだけの覚悟がないっていうことの方が近いかもしれません。なんというか、恋人という“契約”は、人間関係のあらゆるものの中で、恋人のことを最優先しますよ、という契約なんじゃないかと思うんです。というか、そうでもない限りそれはただの友達と何も変わらないんじゃないかと思うんです。人間関係のウェイトに、そこまで特定の一人に対する重み付けをできる自信がないのです。何というかこれができるかどうかが、恋人を作る資格なんじゃないかと思えて、自分にはその覚悟や資格がないと思うんです。
男:じゃあ逆に聞きたいんですが、あなたに恋人ができたとして、恋人には自分を100%で最優先にして欲しい、と思うのですか?
女:これが、全く思わないのです。むしろ、自分を最優先にされることに対して、恐怖感すら覚えると思います。もちろん、自分を大切にしてくれるということはうれしく思います。実際、わたしの友達も、わたしのことをある程度尊重してくれていると思っています。ですが、その尊重のレベルを遥かに超えた、すべてに最優先しますよ、というのはそれを受ける側としても厳しいものがあると思うんです。
男:「キミのためなら小指を切り落としてもいい!」と言われて本当に小指をプレゼントされても嫌だということですかね。
女:そんな感じです。ざっくりとまとめるなら、わたしは恋人のために何かしてあげる覚悟はないし、恋人からして欲しいことも特にない、ということになると思います。
男:なるほど。わかってきました。だとしたら、簡単なことじゃないですか。たとえば、わたしはあなたの右手の中指の爪なんて欲しくないです。また、家に招かれたくないけどラブホでセックスだけしたい、っていう人もいると思います。あるいは、散らかっている家の生活感に性的な興奮を覚えて、床に落ちているお菓子の空袋やコウモリの心臓を見て射精する人もいるかもしれません。恋の力に個人差や閾値があるように、恋人に求めるものにも個人差や閾値がある。利害の一致だってある。つまり、その閾値や利害がぴったり一致する人が見つかるまで、探して回ったらいいということじゃないですか?
女:ありがとうございます。それは本当におっしゃる通りと思います。結局100点で好みや利害が一致する人なんていないので、現実問題としては、とっかえひっかえする必要があります。それに、もし交際が始まったとしても、交際期間中にすり合わせていく必要もあるのだと思います。これはできるが、あれはできない。そういうコミュニケーションの積み重ねで、うまくやりくりするしかないんでしょう。
男:結局のところ、あなたは失敗を恐れすぎているんじゃないですか?この話って、所詮は恋愛をしない言い訳に過ぎないんじゃないですか?もし上手くいかなかったとしても、それでいいと思ってとりあえず付き合ってみる。それが——
女:それができるくらいだったら、あなたもわたしも、こんな話しないで済んでますよね。
男:はい……
女:あなたはわたしにそういう講釈を垂れるような立場じゃないと思いますけど?
男:すみません……わたしがかつて人に言われたことを、そのまま言っちゃいました……。
女:でしょうね。まあそうは言っても、その言葉は真実を捉えているとも思います。今度は、その状態に至るまでのマッチングの過程の話をしましょうか。恋愛はわたしに言わせるとくっついてからも嫌だなあと思いますが、くっつくまではもっと嫌だなあと思うのです。
男:そうですね。くっつくまでが嫌だというのは、本当に同意見でして——

(続きます)

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