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投影の勘違い

まぁよく
「外側に見えているのはあなたの投影だ」ですよね

まぁよく?
まあいいや


あなたの内側が外に投影されている


で、ですね
「内も外も自分」とか
「自分しかいない」とかって聞くものですから

例えば
「行儀の悪い人」を外に見た時に
「これも私なんだ!」って反応して

私には、まだこんなダメな部分がある、とか
見たくないものを見せられている、とか
改善するように見せられているんだ、とか
醜い自分も癒さないと、とか
行儀の悪いあの人は自分の投影なのだから許さないと、とか


なーんか
あれ?ってことしてません?


まずですね
投影ですけど
あなただけの投影じゃないですから

山田自身の投影じゃないです

個人のための投影じゃないです
個人用の投影じゃないです

んー


それもあなたの内側の投影だと聞いて
「え、こんな自分はいないけど」とか
「嫌な自分を見せられている」と思いがちですけど

それを消そうと躍起になる必要はなくて
それも「ある自分」だということ

「あるお話」の「ある」
「あるひとつの自分」

自分の中にある
「ある自分」をみる


あれ?これ伝わるかな?


もっとも勘違いして欲しくない点だけ
先に言うと

それを「正せ」ってことじゃないです
「行儀の悪い誰か」は自分の投影だから
それを正さなきゃ、じゃないです

それも自分だってだけ


いろんな自分がいるのを
自分じゃないとしないで
こんなのは私じゃない、じゃなくて
こんな私も私か!


「じゃあ、これ全然裁く必要なしね」の方向
自分で自分裁いたら
裁かれるの自分でしょ


いや、これムズいな



ACIMでいう「赦し」って
つまりは「ふ〜ん」ってことです

なにもしない

もう
「ほうほう」って感じ


わ、これ絶対伝わんないわw
それでも続けると


どんな投影も赦されていて
愛されているから「ある」んです
それを「知る」んです


「豊かさ」の方
愛の「広さ」「深さ」の方
ひとつも取りこぼされない「完璧」の方


そして
それがなぜか

なぜなら
同質のものだから
わかれていないから


精進します

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