40年前の春のこと
1984年春、福岡の高校卒業後、
1年間の浪人生活を終え、
神奈川県の大学に通うために、福岡県の実家を
出て、布団袋と少しばかりの家財道具と共に妙蓮寺にやって来た。
鉄の外階段をカンカンカンと登り、6畳の和室、キッチン、風呂なし、
和式トイレの二階アパート、一階は大家さんだった。
当時の家賃は3万円。
アパートは、東急東横線の隣に建っていたので
朝5時前から電車が通る。
一人暮らし最初の朝、「すわっ!地震か!」と
起きたら、電車が通る音であった。
6年前にたまたま仕事で東急東横線に乗って
みなとみらいに行く途中に
思わず懐かしくなって途中下車をしてしまった。
さすがにあの頃のアパートななく、マンションになっていた。
鍋やフライパンを買ったストアがあの頃のままだった。さすがに通った銭湯はなかったが。
あの頃、両親は47歳、生活はしんどかったと
聞いているし、私の出来は良くなかったので
仕送りの追加などたくさんお願いしていた。
私の浪人、大学卒業のために総額1千万円の
経費がかかっている。
あれから40年が経った。
この春次男は社会人2年目となり、
三男は大学4年生になった。
昨年、今年、そしてこれからたくさんのお金が
かかる。
両親に育ててもらったご恩を自分の息子達を
育てるということで返して生きたい。
生んでくれて、育ててくれて、叱ってくれて、
好きなようにさせてくれてありがとう。
その苦労を味わいながら、数ある夫婦の中で
うちに来てくれた子供達の成長のために、
働きます。(御礼!)
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